監督:深作欣二、深作健太
脚本:深作健太、木田紀生
原作:高見広春
出演:藤原竜也、前田愛、忍成修吾、酒井彩名、竹内力、ビートたけし、加藤夏希、千葉真一、前田亜季、津川雅彦、三田佳子
「人生には勝ち組と負け組しかありません。本当にそうだろうか?」
「深作欣二 逝去」
予想された事とは言え、この一報は衝撃を持って日本国内を駆け抜けた。
深作欣二監督と言えば「仁義なき戦いシリーズ」「県警対組織暴力」等に代表される実録やくざ映画や、「蒲田行進曲」「火宅の人」「華の乱」の文芸路線、「復活の日」「宇宙からのメッセージ」「魔界転生」のSF伝奇映画、「柳生一族の陰謀」「赤穂城断絶」等の時代劇アクションと多方面に渡って映画を撮り続けてきた事で有名である。その数50本あまり。
私も深作監督作品とは知らずに(意識せずに)「復活の日」や「魔界転生」、「蒲田行進曲」「柳生一族の陰謀」など好んで見ていたが、いずれの作品にもダイナミックで派手なアクション、そして意外にも細かな人間描写で子供心にも十分楽しめたのだが、ある年の正月、深夜TVでやっていた「仁義なき戦いシリーズ」を見た時はかなり衝撃を受けた。
手持ちカメラのブレた映像、ザラついたフィルムの色感、ヤクザを個人ではなく集団として描いた手法は今まで自分のイメージの中にあった「ヤクザ映画」とは一線を画すものだっだのだ。
時は2000年。
”中学生が殺し合う”という衝撃の問題作「バトル・ロワイアル」が公開された。
殺し合うという内容だけに映画はアクションからアクション、全編アクションの固まりと言ってもいいぐらいだったが、深作映画でも今までない程の残酷描写のオンパレードは後に国会で論議される程であった。
そう言えば深作監督が現役の中学生と この映画について討論会を行うなんていう企画もありましたな。
ともかくも2000年〜2001年の前半の邦画界はこの「バトル・ロワイアル」を中心に回っていたのである。
それから3年、世間は、世界は大きく動いた。
9.11の世界貿易センタービルのテロ、それに伴うアフガニスタン報復攻撃、イラク戦争、イスラエルの緊張再燃、北朝鮮の各問題..... 世界は短期間のうちにかってないほどの変容を遂げた。(国会でこの映画を糾弾した議員も刺殺されるという事件もありました。もちろん映画とは何の因果関係もありませんが。)
そんな世界の流れに忸怩たる思いがあったのだろう。
数多の新作映画の企画の中から深作欣二は再び、「若い人たちと一緒に映画を撮りたい」と この「バトル・ロワイアル」の続編に乗り出す事になる。これが最後の作品となる事は、本人にも既に自覚はあったのだろう。
だからこそ今の若者に伝えておきたい、伝えておかなければいけないことがまだまだある。その思いが「バトル・ロワイアル 2」へと結実していったと思う。
しかし、骨ガンという名の病魔は刻々と深作欣二の体を蝕み、「バトル・ロワイアル 2」クランクイン初日、再入院。二度と撮影現場に戻る事はなかった。
あらすじ (公式HPより)
全国の中学3年生の中から無作為に選ばれた1クラスを、最後の一人になるまで殺し合わせる新世紀教育改革法・通称【BR法】三日以内に自分以外のクラスメート全員を殺すしか生き残る道はないという極限状況を生き残った者は、その後どうなったのか?
BRを生き抜いた七原秋也(藤原竜也)と中川典子(前田亜季)が あの島を脱出して2年、世界はテロの時代に突入した。
BR法国家に抵抗する者たちにより首都が爆破され、国家は七原がその凶悪テロリスト犯人と断定、国際指名手配とした。
首都崩壊から1年後。
その後、反BR法組織<ワイルドセブン>のリーダーとなった七原は全ての大人に宣戦布告し、大人たちは七原を抹殺するため正義の名のもとに新しいゲーム 新世紀テロ対策特別法・通称【BR2】を開始した。
全国から不良や不登校といった問題児ばかりが集められた鹿之砦中学校3年B組の生徒【42人】は、クリスマスに行われるスキー学校に向かうバスの中で軍に拉致されてしまう。
軍服に着替えさせられ、軍の巨大テントの中に押し込まれたところに、担任だった教師RIKI(竹内力)が現れた。混乱する生徒たちに、RIKIは鹿之砦中学校3年B組が今回【BR2】に参加するクラスに選ばれたこと、そしてBR2のルールをこう説明した。
〜 BR2ルール 〜
1.孤島に立て篭もったテロリスト・七原を見つけて殺せば勝ち
2.制限時間は三日間
3.ペアタッグマッチ
こうしてテロリスト制圧の戦争へと否応なく生徒たちを駆り立てる。
首都崩壊で家族を亡くし七原に対して復讐を誓う者や、志願してBRIIへ参加する者がいる中、参加を拒否した者はその場で即射殺され、殺された者と同じ出席番号の者は、新ルールによるペアタッグマッチにより首輪が連動して爆死。【残り40名】となった生徒たちは、出席番号順に六隻の自動操縦のボートに乗せられ、最前線の“戦場”へと出発させられた。
激しく揺れるボートに必死にしがみつき、波しぶきでズブ濡れになりながらもなんとか孤島に着き上陸ようとした途端、テロリスト達の攻撃が始まった!光弾が飛び交い、迫撃砲が水しぶきを上げる。
思わず重なり合って弾を避ける生徒たち。
全身に弾を食らい、蜂の巣になる者、ボートに直撃した迫撃弾で吹き飛ばされる者。
七原を殺すため攻めて来たのが中学生とは知らないワイルドセブンたちは、BR国家に対して宣戦布告した信念から、必死に攻撃を仕掛ける。激しい銃撃と爆発をかわしながら上陸した生徒達にようやく武器 と弾薬がばら撒かれるが、さらに容赦ない発砲が襲う。もはや引き返すことはできない。
ここまで生き残った生徒たちは、アジトに向って武器を手に走り出した【残り26人】。再び大人たちによって子供同士の戦いに巻き込まれた七原秋也の、そして生徒達の運命はどうなってしまうのか・・・。
深作欣二が自ら演出した数少ない冒頭の「首都崩壊テロ」(都庁等の都内主要ビルが9.11の如く崩れ去る)シーンから今回も映画の緊張感は並ではない。
前作同様、軍によって拉致〜殺人ゲームへの参加の強制、参加拒否生徒の虐殺と絶望的な閉塞状況は何ら変わる事もない。
特に今回は「ペアタッグマッチ」という新ルールの為、自分に落ち度が無くてもタッグを組まされた相手側が死んだり、逃げたりすれば あっさりと首輪に仕掛けられた爆弾で死ぬという非情さはいくら映画とは言え痛々しい限りだ。その後の七原以下<ワイルドセブン>の連中が潜む島への上陸シーンなどは悲惨さが極まる。
ワイルドセブンからの激しい攻撃に為す術もなく銃弾で蜂の巣になる者、四肢が吹っ飛ぶ者、船ごと吹っ飛ぶ者、まるでその様はスピルバーグの「プライベートライアン」を見るかのようであった。
映画とは言え、あまりに簡単に早急に死んでいく姿に呆気に取られたものだが(役者的にはこんな見せ場も無く死んでいく事、すなわち出番が無くなるのはどう思ったのだろう?)これも深作欣二の確固とした意志の現れと言えるだろう。
深作監督は前作の製作時からこの映画は少年の頃、地元水戸で味わった戦争中の悲惨な経験がベースになっていると公言してきた。戦争中、砲弾を避けながら体がバラバラになった友人を拾い集め、時にはその死体の下に弾避けに隠れるという正に修羅場をかいくぐってきた経験は深作少年の心に大きなトラウマになった事は想像に難くない。
先程まで笑っていた友人が一瞬後には物言わぬ骸に変わってしまうという状況では"笑ってしまうほどあっけなく"そして非情だ。そこには映画やドラマのように最後の見せ場などあろう筈もない。
だからこそ このような悲惨なシーンも今回の映画に必要不可欠だったと言える。逆説的な戦争批判、それに他ならない。
既にこのシーンの撮影時、深作欣二はこの世の人はなかったが、その思いは後を引き継いだ健太氏に十分に伝わっていたと思う。
そして突然、教師RIKIによって語られる
「日本、中国、北朝鮮、ラオス、カンボジア、ボスニア、アフガニスタン、イラク.......これらはみなあの国に空爆された国です」
「昔この国はあの国に12歳の子供に例えられた。じゃー今のあの国は何歳なんだ? ムカつく国がありゃすぐ空爆する糞餓鬼じゃねーかよ」
という言葉。
この明らかな反米、アメリカ批判は昨今の9.11テロに対する「アフガニスタン掃討攻撃」「イラクへの先制攻撃」への大いなる疑問と怒りの表明であると思えるのだが、深作欣二にとっては友人や家族、知人が無惨に死んでいったあの時からアメリカへの怒りは心の奥底でずっと渦巻いていたのかもしれない。もしかしたら深作欣二にとって「戦争」はまだ終わっていなかったのかも。と私にはそう思えて仕方無かったのだ。
だが、過激な表現と怒りの裏には前作と同じように「仲間を思いやる気持ちの大切さ」というテーマが終始貫かれており、映画後半になるほどその「思い」が強くなっていく。
それはあたかも「戦争」という過酷な状況における「友情」は何物にも代え難く真なるものだと言っているかのようでもあった。
しかし、現実に目を向けてみれば.....
沖縄でのいじめの延長上における殺人と死体遺棄事件、長崎の幼児誘拐殺害事件...もう目を覆いたくなるような事ばかりで相手の事を思いやる気持ちなど微塵も感じられない。
中学生ばかりではない。世田谷と福岡の一家連続殺人、早稲田のレイプサークル事件、毎日のように繰り返される数多の殺人事件、強盗事件。オウム事件以降、なにかタガが外れてしまったかのようなオトナの社会。
そんな中、国の”偉い人”達は国民の無関心とテロ防止を口実に再び、合法的に自衛隊の派兵を決め、また戦前と同じ過ちを繰り返そうとしている。
いったい我々はどこに向おうとしているのか?
確かに「バトル・ロワイアル」で描かれた世界は支離滅裂な荒唐無稽な世界だ。
なぜ中学生同士が殺し合わなければならないのか?という根本的な設定には無理が多い。だがそんな非現実な世界さえ超越する現実世界の出来事に我々は嘆息するばかりである、だからこそ、深作欣二が残したこの映画のメッセージは(過激な表現だけに捕われる事無く)今こそ真摯に受け止める必要があるのではないかと思う。
最後に
映画帰りに名古屋駅前のロータリーの前を通りかかったのだが、その公共の場所を異様な風体の集団が占拠しているのを見た。
彼らはいわゆる「カラーギャング」と言われる集団で 私はその突然の登場に面食らってしまった。
土曜日、それも夜10時を過ぎていたからかもしれないが、あのような状況が東京だけでなく名古屋のような地方都市でも普通に起きていることに衝撃を受けたのだ。
ある意味、映画以上の衝撃と この国にある一面を見てしまったようで暗澹たる気持ちになったのは言うまでもない。
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80点
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