辰巳用水は、犀川を水源とし、上辰巳から兼六園まで、およそ12Kmの長さがある。
金沢の名所、兼六園の水、これは辰巳用水の水である。
辰巳用水の一番の特徴は、”金沢城のための用水”ということである。城内で使用する水、防火のほか、堀を満たして守りを固めるためにも使われていた。
更に、東外惣構堀や東内惣構堀へも水を供給しており、城下の守りとして、とても重要な用水であった。
現在の辰巳用水の取水口は、上辰巳のバス停から犀川への坂を降りる道の、崖下にある。
犀川は、この東岩のあたりでほぼ直角に左に向きを変える。川の水の流れは岩にあたるような感じになる。辰巳用水の取水口は、ちょうど流れが当たるところにある。今は取水口の下流に小さな低い堰があるが、堰がなくても水の流れで自然に取水口に水が入る設計となっている。
現在の辰巳用水の取水口、3つ目となる。
最初の取水口は雉付近にあった。現在の取水口より約700m下流である。しかし、寛政地震の頃に130m上流の古川口に移され、1854年に現在の東岩に移されている。最初の取水口の移動は地震の被害によると言われているが、2度目の移動は水量を増やすため、といわれている。
取水口には水門があり、崖の上からそこへ降りるはしごが見える。もちろん一般の人は入れない。
用水は、水門からすぐに隧道となり、川に沿って流れる。横穴もあるそうだが、離れて見るとそれがどこにあるかまではわからない。ただ水門だけがひっそりとあるように見える。その水門も、崖の大きさにとても小さく見える。対岸に立っても、うっかりすると見落としてしまうことだろう。だけど、この小さな水門から入る水がが、兼六園や小立野台地とその周辺の田畑を支えている。そして、藩政時代は金沢城も支えていた。
目立たないけれど・・・その働きはとても大きい。
隧道
辰巳用水は、東岩の取水口から現在の犀川浄水場の手前までの間、約4Kmが隧道(トンネル)となる。この区間、難所であった盲目(めくら)谷でごく一部、開渠となっていたそうであるが、現在は土砂などが流れ込むのを防ぐためコンクリートで覆われているとのことだ。
隧道は、岩をくり抜いて作られている。高さは2m程度はあり、人が十分立って歩くことができる高さがある。
幅も2m程度に見える。横は垂直の壁であるが、天井付近は丸くアーチ状になっている。壁面には、鑿の跡などが無数にあり、でこぼこしている。底はほぼ平らであるが、ところどころ深いところもあり、平坦というわけでもない。壁には一部に工事の際に照明として油などを入れた皿を置いた場所が残っている。いかにも人力で掘った、と実感できる隧道である。
見学時は、当然水位はかなり低い。しかし、隧道の壁、写真で見ると高さ1m近くのところで色が大きく違っている。このあたりまで水が流れる、ということだろうか?
隧道の中、当然のことながら、中は真っ暗である。懐中電灯だけが頼り。でこぼこもあるし、やや深いところもある。明かりがないと危ない。しかし、隧道を掘ったときには懐中電灯のような強力な明かりはない。火を使った照明はあるにしても、そんなに明るいとはいえない。そんな中での作業。さぞかし大変だったことと思う。
さて、隧道には多数の横穴がある。人が簡単に出入りできる大きなものもあるが、多くは比較的小さい。人がかろうじて通り抜けられる程度のである。小さい穴は、おおよそ30m間隔にあるようだ。小さな横穴付近、石が積まれているので、もともとは広かったのかもしれない。この穴から左右に掘り広げられたとも言われている。大きな横穴、これは管理用に残されたものだろう。現在はもちろん施錠されていて、勝手に入ることは出来ない。
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隧道の内部。一部には天井が崩れ掛けている部分が有り、木が渡してある。この部分は、石を積んで木を支えている。 |
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横穴を内部から見る。 横穴は作ったときは広かったようで、石を積んで狭くしてある。 |
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人の出入りできる横穴。 管理用になっている。身をかがめないと入れない。 普段は施錠してあり、入れない。 |
辰巳用水の隧道にも水門がある。それがここ、清浄ヶ滝付近である。
用水は滝の裏を通るような感じになる。そして、滝のすぐ近くに水門がある。水門を開けると、流れ出た水は滝に並ぶように流れて合流し、穴をくぐり、道路下を流れて犀川に注ぐ。この付近だけ、開渠のような感じになり、そこに水門がある。
辰巳用水の水門、下流側も逆勾配になっている。だから、水門を開けると上流側はもちろん、下流側からも水が逆流して流れ出す。これにより、隧道内に溜まった土砂を排出することができる。また何かの時には一気に水量を落とすことも出来る。安全とメンテナンスを考えた構造ともいえる。
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清浄ヶ滝は、用水の上を流れる。 渇水期は、滝の水も用水に流していたらしい。 |
滝の水は、水門からの水の出口と一緒になり、犀川に注ぐ。 | 清浄ヶ滝近くの水門 |
犀川浄水場
取水口から長く隧道となっていた辰巳用水は、ここから開渠となる。
隧道の終わりは、犀川浄水場のすぐ近くである。ここには、内川からの水管もあり、犀川の水が少ないときにはここから水を流せることになっているそうだ。ただし、犀川の水が少ないときには水道としても苦しいとき。なかなか水は流せないそうだ。
辰巳用水は、犀川浄水場の中を流れる。
浄水場の敷地内に入る直前、ここにも水門がある。崖に向かっての水門、用水からは木々の隙間を通してはるか下に犀川の流れを見ることが出来る。高所恐怖症の人でなくても怖く感じる。水門を開くと水は崖を一気に流れ落ちることだろう。
この水門を開くときは、市内で用水に流れ込む水が多いときなどで、用水があふれそうなときだという。そのような時は台風などで風が強いときが多い。いまでこそ、水門は電動でリモートで操作できるが、以前は管理する人が手で行っていた。重い水門のハンドルを回すために長い棒を差し込んだりして、足場の悪い水門に乗っての作業。非常に危険な作業であったという。
さて、兼六園の水が辰巳用水の水であることはよく知られている。兼六園の小立野口の先には、旧奥村家(現、国立病院)の前に辰巳用水が流れている。いかにもそのまま兼六園に流れ込んでいるように見えるが、実はそうではない。兼六園への水は、ここ、犀川浄水場から専用の水管により送られるのである。これは、辰巳用水の周辺の宅地化が進み、汚れた水が流れ込むことが多くなったことによる。兼六園はこれでよいとしても、ちょっと悲しいことである
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隧道の出口。 |
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浄水場裏を流れる辰巳用水 |
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浄水場裏の水門 |
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水門からの排水路。 この先は崖になっている。 かなりの高さであり、ちょっと怖い。 |
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浄水場、隧道の出口ちかくにある、内川(犀川の支流)からの水管。 必要なときには内川の水(水道用)をここから辰巳用水に流せる、とのこと。 |
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兼六園への水管の取水口。 浄水場のなかにある。 |
大道割(だいどうわり)
犀川浄水場で開渠となった辰巳用水は、大道割にさしかかる。
ここは、台地に大きく谷が割り込んだような地形になっている。今は埋め立てられて谷は小さくなっているが、それでも深い谷が開いている。辰巳用水は、谷に沿って迂回するように回る。一度折り返すように上流に向かって流れるようになる。
ここは、盲目(めくら)谷に次ぐ難所だったそうだ。そして、水の流れの上でも停滞しやすい難所になっているそうだ。それもあってか、ここにも水門がある。
用水は谷を樋のような形で越えているそうだが、谷は深く、また草などもあって上からは見えない。水門の一部と大きなコンクリートは見えるのだが。そしてもうひとつ、兼六園に向かう水管も見える。
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えんしょう坂
辰巳用水は、大道割を過ぎたあたりから小立野台地を登り始める。
”登り始める”と書いたが、もちろん水は高いところから低いところに向かって流れる一方である。台地自体が緩やかに下っているので、用水はそれより緩い勾配で流れ、相対的に高くなるわけである。しかし、台地を歩いていると崖下にあった用水が崖の中腹となり、台地の上に達するので、つい”登る”ようにみえてしまう。
えんしょう坂付近は、崖の登りはじめの部分で、崖の中腹まではいかないが、やや高いところを流れる。えんしょう坂は、小立野台地に上る坂道で、階段となっている。名前の”えんしょう”は”煙硝”、すなわち火薬から来ている。
この付近、藩政時代には藩の火薬庫があり、また用水の水を使って材料を細かく砕く作業も行なわれていた。かっての煙硝蔵の範囲は、えんしょう坂を中心にして、上流下流方向に100m以上、そしてえんしょう坂のある崖からもおよそ100mの範囲だったらしい。かなり広い。もっとも、火薬を扱う以上、当然のことかもしれない。
えんしょう坂、塩硝の道と呼ばれる、富山県の五箇山からの煙硝の運搬の終点であった。塩硝とあえて呼ぶのは、もちろん、煙硝を隠すためである。(すぐにわかってしまうが・・・) 五箇山から運ばれた材料は、ここで細かく砕かれ、貯蔵された。破砕には、辰巳用水から引かれた水で水車を回したという。えんしょう坂の下流側、湧波堤公園近くに、辰巳用水の分水があり、滝のように勢いよく流れ落ちている。この水で水車を回していたらしい。
かっての火薬庫も、現在は宅地化が進んでいる。この付近、辰巳用水は分水も多く、それらの水は崖下の土地を潤している。お城の水のイメージの強い辰巳用水であるが、農業用としても重要である。だが、宅地化が進むとその役割も薄れてきそうな感じもする。
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えんしょう坂付近の辰巳用水。 写真中央の、柵のある先が辰巳用水。柵の手前は遊歩道になっている。 |
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えんしょう坂付近の分水にある水門。 手前は遊歩道 |
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えんしょう坂付近からの分水。 辰巳用水は一段高いので、水は勢いよく流れてゆく。 |
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涌波堤公園に向かう分水。 この水を使って水車を回し、火薬の材料を細かく砕いていたという。 |
兼六園から城への水路
辰巳用水は、金沢城の重要な水源である。城へは、兼六園を経て石川橋を逆サイホンで越え、城内へと導かれていた。辰巳用水の兼六園内の水路であるが、まず小立野方面から兼六園の南端に入る。水路としては、国立病院前の水路がそのまま伸びているように見えるのだが、実際は辰巳用水脇に設けられたトンネル水路からの水が入る。元は地上の辰巳用水からだったが、生活排水の混入などもあって専用の水路が作られた。
兼六園に入った水は、沈砂を兼ねた池を経て曲水となり、霞ヶ池の直前で分かれ、城への逆サイホンに向かっていた。さすがに池を経た水は城内へは送っていない。これは、非常時には飲用も考えていたからかな? とも思う。分水は、霞ヶ池の東、琴柱灯篭のすぐ近くにある。小さな堰と水門があり、水門からは石菅で園外へ伸びている。石垣により高さを保ったまま園外に伸びた水路は、同じく石垣により一気に落下している。その先の水路は現存していないようだ。
この分水、琴柱灯篭のすぐ前、ということで観光客が一番目立つ場所である。が、当然? この水路に注意する人はいない。この水路上には写真屋さんが陣取っていて、私がカメラを向けていると、”なぜこんなところを写す?”みたいな感じで見られた。仕方のないことだろう。でも、ちょっと目を向けて欲しいところである。
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兼六園入口の池。 沈砂の目的もあったようだ。 |
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園内の曲水。 園内には池もあるが、曲水の水は淀まないように流れている。 |
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霞ヶ池直前に城への水を分けている。 ここから石管が真っすぐに園外へ伸びている。 水門右に説明があり、たまに見ている人もいる。 |
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園外に伸びる石管。 椅子があるが、これは写真家用。 立ち位置はできない。 |
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兼六園の外から写しました。 上の写真の、石管の先端がこの写真中央屋や上の石垣になります。ここで一気に落ちていたようです。 |
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兼六園の下の道路です。 この道をまっすぐに行くと石川門になります。ここを城に向かう水路が石管で伸びていたようですが、現在は全く残っていません。 道路中央に白く見えるのは、融雪装置で、点々としているノズルから水を出して雪を溶かします。まったく別のものです。 |
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