ひのでやエコライフ研究所  かんきょうもんだい一日一言

 クリティカル・シンキング

1999年6月13日
  久しぶりにおもしろい本を見つけました。道田泰司ら著:「クリティカル進化(シンカー)論 −OL進化論で学ぶ思考の技法」、北大路書房 です。ちなみに「OL進化論」というのは秋月りすさんが書いている4コママンガで、これを題材に「思考」のありかたを説明しています。どのページを開いてもマンガが出ていて、一見マンガの解説書みたいなんですけれどもね。登場人物の思考を解説するという難しいテーマを扱いながら、マンガ自体のおもしろさも引き出してくれています。
 タイトルは直訳すると「批判的思考」ということなんですが、ようするに「きちんとものごとを考えられるか」ということで、そんなに難しいことを言っているものでなく、誇大広告のどこが間違っているかなど、ふだんの生活で適用できることはたくさんあります。楽しく読めますので、ぜひ一度。

 環境問題のこともひとつ出てきました。「わら人形論法」という手法です。相手の論点の弱点ばかりついたり、相手の論理を飛躍させて必要以上に弱いものに置き換えることなどが含まれます。

・・・たとえば「新たに発電所を作るべきか」という議論があったとき、「発電所は環境を汚染し生態系を破壊するので作るべきではない」と欠点だけをあげて、欠点しかないような言い方で反対するのであれば、これは一種のわら人形論法と言え・・・・・・・常に間違った議論だ。
 ちなみに、ここであげた「間違った議論」の説明として、「理由と結論が結びついていないために妥当な推論になっていない」ことなどを筆者は事前に説明しています。この場合には、マイナス面だけではなく、他のエネルギー問題などのプラス面も含めた上で、議論すべきと述べられています。

 「常に間違った議論だ」などと言われると、ちょっと「かちん」と来てしまうのですが、まあそれは私が「議論」慣れしていないからなのかもしれないですね。別にここでは、こうした主張が間違っていると言っているわけでもなく、そう言っている人が間違っているわけでもなく、単に論理の持っていき方(議論)に無理があるというだけですからね。議論を提示してそれが間違っていたら、その主張をしていた人自体も間違っていると考えてしまう雰囲気が日本には多いのですが、それでは遠慮ばかりしてしまって何も議論が始まらないわけです。

 ちなみに上記の定義で「間違った議論」とすると、世の中の多くの主張に関する議論が「間違っている」ということになって、世の中の感覚から混乱を招きそうな感じですね。間違った議論に基づいた主張どうしが議論したら、正しい議論になるのかな。
 まあ世の中、間違った議論で動いているというのは、確かにその通りですけれどね。
 
 

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