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「薬害エイズ判決、担当課長に責任」に思う   (2001.9.29)

「危険な非加熱製剤の取り扱いを製薬会社任せにした」
薬害エイズ事件で、東京地裁は9月28日、業務上過失致死罪に問われた元厚生省生物製剤課長に、官僚の「不作為の過失」として有罪判決を言い渡しました。
 
この判決、私は、はじめ予想しなかったのでびっくりしました。なぜなら、今回判決を言い渡す裁判官は、帝京ルート安部元教授に無罪の判決とした裁判官の裁判長と聞いていましたから、きっと無罪になってしまうだろうと思っていたのです。
 
でも、判決についてよく考えてみると、いくつか評価できる点が有ると思います。
初めて行政担当者の「不作為」に対する刑事責任が認定されたことになります。
「官僚は個人責任を問われない」と信じられてきた「霞が関の常識」が崩れたことになります。冷静に考えると、「不作為の過失」、当たり前のことですよね。

私なりに、以下の通り考えてみました。なお、文中の言葉は、読売新聞などから引用させて頂いております。
今回の判決のポイントは、現場の長である課長に責任があるとした点です。
これに対しては「政策は組織で決定するもの。官僚個人は、そんな責任を負わせられるほど、仕事上の自由な権限を与えられていない」と反論する向きもあると思います。つまり、課長ではなく、責任はその上の局長や事務次官にあるという考え方です。
当然、局長や事務次官に責任はあります。ただし、現場の長である課長は、加熱血液製剤が危険と言うことを知っていました。それを止めるように提言しなかったのは、やはり最大の責任は課長にあると思います。
それに、課長は医師の資格を持っていました。つまり、部下や上司の誰よりも、医療について詳しい知識を持っていたわけです。それなのに、何もしなかった。 肩書きだけの資格であり、それを有効に活用しなかったわけです。
言い過ぎかもしれませんが、「積極的に行動を起こし、失敗して減点されるより、前任者の方法にならった方が無難」という事なかれ主義が根底にあったのではないでしょうか。判決は、これ対して、警鐘を鳴らしたとも言えるのではないでしょうか。
 
私は、今回の「責任と権限」は、一般の会社などの組織にも当てはまると思います。
ある会社が、社長>役員>部長>社員、という構成だったとしましょう。現場の長を「部長」としましょう。
今回の課長は、現場の長ですから、この会社の「部長」に相当します。
 
今回の判決は、「部長」の責任を追及しているのです。
事務次官、局長に相当する「社長」や「役員」の責任を追及しているのではありません。
当然、部長の上司である、社長や役員にも責任があります。だからといって、直接、現場を指揮することは出来ません。やはり、現場を指揮し実行に移せるのは、部長です。
部長が、やれと言ったら、現場は動きますし、今回のように、部長が、何もしなくてもよいと言ったら、現場は動きません。だから、部長の責任が一番重いのです。
 
判決が出た直後、閣議後の会見で、坂口厚生労働相は、当時の担当課長が有罪になった点について「役所があっての役職。役所全体で責任を負うべきだと思う」と話したそうです。 優等生的な発言ですが、役所全体の責任とは誰の責任でしょう?。具体性がありませんね。これが会社でしたら、顧客は満足しませんよ。
一方、厚相当時、薬害エイズ問題を追及してきた菅直人・民主党幹事長は「薬害エイズ問題は、旧厚生省の薬務行政全体の間違いがベースになっている。 司法が行政の誤りを認め、直接の担当者に有罪の判決を出したのは画期的だ」と評価したそうです。直接の担当者が悪いと言っている。具体的ですね。
私は、菅直人氏の言葉の方が、的を得ているように思います。

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