第五話 AD物語〜1〜

 いま、これを読んでる中学・高校生の中に、
 「将来、ラジオの仕事がしてみたい。」
 という気持ちを持ってる人、いませんか?
 そんな人のため(?)、これから数回に分けて、
 ラジオの仕事がどんなものかを、
 僕の経験をもとに、紹介していきたいと思います。

 僕がどうやってラジオにひかれていって、
 どうやってスタッフになって、
 いま、どんなことをしているかをお話しすることで、
 少しでもみなさんの参考になればな、と、
 頼まれてもいないのに、そんなことを考えてます。
 いいんです。頼まれてもいないことに力を注いじゃうのが僕ですから。


 話は今からちょうど10年前の1987年、僕が高校2年生の2月28日(土)のことです。
 その頃、ニッポン放送では毎週土曜日の23時半から25時まで、
 「明石家さんまのブンブン大放送」という番組を放送していました。
 その番組を聞いていたとき、南野陽子さんの声で、
 「明日の朝6時からアニメソングのリクエスト番組『ナンノで電リク・おまんら起きろ!』を放送します。」
 という、コマーシャル・・・いわゆる「番宣(番組宣伝)」が流れたのです。
 で、それを聞いた僕は、「こりゃおもしろそーだ。」
 と思って、翌朝(3月1日)、6時から起きてなんとなくその番組を聞いてみました。
 すると・・・その番組が衝撃的におもしろかったのです。
 それまでのアニメソング特番というと、えてして、
 「鉄腕アトム」とか「鉄人28号」とかの主題歌がかかっちゃって、
 シラケてしまうことが多かったのですが、その番組はちょっと違ってました。
 ちょうど高校生だった僕らが聞いて、
 「あ、懐かしいな、この歌聞きたかったんだよな。」
 と思うような、そんな歌をかけてくれてたんですね。
 で、南野陽子さんの喋りもかなりおもしろくて、
 一発でファンになっちゃったんですな。

 さて、その2ヶ月後、5月のことです。
 高校3年生になったというのに、僕は勉強もそっちのけで、
 南野陽子さんの出演するラジオ番組を片っ端からチェックする、「ラジオ小僧」になってました。
 そんなとき、彼女が、この年の4月から始まった「デーモン小暮のオールナイトニッポン(以下、ANN)」に
 ゲスト出演することを知り、早速エアチェック。
 これがまたバツグンにおもしろくて、今度はデーモン閣下のファンになっちゃいました(笑)。
 それまで、ラジオはよく聴いてたんですが、
 意識してラジオを聴くようになったのはこの時からです。

 さらに幸か不幸か、デーモン閣下の番組に送った1枚目のハガキが、
 たまたま番組で紹介され、それに大興奮を覚えてしまったのです。
 その後の僕が、デーモン閣下にハガキを読んでもらいたいがために、
 番組にハガキを書きまくったのはいうまでもありません。

 こうして、ハガキ職人『ウン小林山』が誕生しました。
 ・・・・・おぼえてる人、いないか・・・・。

 まあ、そんなこんなで、ハガキばっかり書いてたんで、
 大学に受かるはずもなく、見事に浪人。
 浪人時代も、ろくすっぽ勉強せずに、
 「文章を書く能力を高めるためにハガキを書くのはいいんだよ。」
 などと親に言い訳しつつ、番組にハガキを書き続けてました。
 予備校の成績とは反比例に、ANNではハガキががんがん読まれ、
 「ウン小林山」は、すっかり有名(?)になってました。

 ずっと、理系の勉強をしてきた僕の運命を変えたのは、
 受験シーズンも近づいた12月末の1本の電話。
 ニッポン放送のディレクター、と名乗る男性からでした。
 「今度、閣下のANNでイベントやるんだけど、出てくれないかな?」
 「あの〜、その日、僕、予備校の模試があるんですけど。」
 「あ、模試終わってからでもいいから来てよ。」
 「はあ・・・・。」
 結局、断りきれなくて、そのイベントに出演することになっちゃいました。
 
 ニッポン放送3階の「銀河スタジオ」で行われたそのイベントで、
 初めてラジオ番組の制作現場を見た僕は、
 「これこそ天職だ(『俺、そんなこと決めてねえっつーの』神様・談)!!」
 と思い、それまで理系の勉強しかしてなかったくせに、
 「日本大学芸術学部放送学科(通称=日芸、思いっきり文系)」を受験することを決意していたのです。
 今思うと本当にバカです。
続く  1997/05/04

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