第弐拾八話 AD物語〜24〜

 僕らの愛する(?)ニッポン放送は、
 今年(1997年)の3月23日に、有楽町からお台場に「お引っ越し」をしました。
 この「お引っ越し」がまた大騒ぎでして。
 今回は、このつら〜い「お引っ越し」の話です。

 普通の家だって「引っ越し」は大変な作業ですよね。
 それが、放送局なんですから、その「大変」具合は超ド級です。
 ニッポン放送の引っ越しは、まず「スタジオ」の移転から始まりました。
 有楽町のスタジオは、1ST(銀河スタジオ)〜8STまで、
 全部で、8コあったんです。
 それが2月の中旬から、順次ぶっこわされていき、
 3月中旬には、4つになってしまいました。
 4つといっても、そのうち2つは、生用のスタジオ。
 ということは、生以外の番組は、残った2つのスタジオでやりくりをしなくちゃいけません。
 そんなの物理的にムリ!

 そんな折り、僕は「林原めぐみのフルタイムコレクション」という番組を引き受けてしまいました。
 「フルタイムコレクション」というのは、日曜日の午後、不定期に放送される音楽番組で、
 「サザンオールスターズ」や「ユーミン」の曲をかけながら、
 合間合間にラブストーリーの「ラジオドラマ」が挟まってる構成です。
 で、この「林原めぐみのフルタイムコレクション」では、
 「ドリカム」の曲を特集しつつ、林原めぐみのラジオドラマを放送することになったんですが、
 前述の通り、有楽町には、もはやスタジオが4つしかありません。
 移転先のお台場の方には、すでに新スタジオが2つほどできていたのですが、
 林原さんのスケジュールの都合で、お台場での収録はムリ。
 でも、有楽町にあいてるスタジオはない・・・・。
 でも、林原さんのドラマ部分のナレーションを録らなきゃいけない・・・。
 どーしよー。

 この最悪の状況を打破すべく、我々は1つの打開策を見つけだしました。
 すでに取り壊されて、ガランとした空間の第4スタジオに、
 マイクやら、DAT(デジタルオーディオテープ)のレコーダーやらを持ち込み、
 簡易スタジオとして作り上げたのです。
 もはやスタジオとしての体をなしていない場所で、
 収録をするのですから、そりゃもう大騒ぎです。
 野戦病院ならぬ、野戦スタジオです。

 そんな辛いスタジオスケジュールも何とか乗り越え、
 3月23日(日)、いよいよ、引っ越しの日がやってきました。
 この段階で、有楽町で生きているスタジオは3つ。
 7階の制作・営業・事業のフロアーは、すでに荷物をほとんど搬出しており、
 もはや廃墟も同然です。
 
 私物や、番組で使うオープンテープなどは、置きっぱなしになっているものは、
 ことごとく廃棄処分になってしまうので、この3月23日の1週間ほど前から、
 僕は、それらを全て自分の車に積み込んでいました。
 「ガバッといただきベスト30」で使用している「カメの着ぐるみ」や、
 「福山雅治のオールナイトニッポン」で使用している「ギタースタンド」、
 そのほか自分で担当している全ての番組の「オープンテープ」が積み込まれている車は、
 自分で見てもすっげーあやしいのですから、
 国家権力のお巡りさんがこれを見逃すわけがありません。
 
 夜、帰宅しようと、鼻歌混じりで車に乗っていると、
 道の隅っこで、赤いパトライトがくるくる回っています。
 「なんだよ、飲酒運転の検問かー。」
 と、車を道の端に寄せ、窓を開けます。
 飲酒チェックの機械を持ったお巡りさんが近寄ってきて、
 「お急ぎのとこ、すんませーん。飲酒の・・・」
 低姿勢で話しかけてきた彼の目が、
 僕の車の中に積んであるモノを見つけたとたんギラリと鋭くなります。
 明らかに「犯罪者」を見る目になってます。
 「あの〜、ちょっと車を降りていただけますか?」
 おいおい、言葉は丁寧だけど、
「キミ、タダじゃ帰さないよー。」
 ・・・って声に変わってるぜ。
 「免許証を。」
 完全に何か勘違いしながら免許の提示を求めてきます。
 「おつとめは?」
 ありゃ、一番困った質問がきちゃったよ。
 なんて答えようか。
 ヘタに「自由業」なんて答えたら、今晩帰れなくなっちゃうぞ。
 タダでさえ寝てないんだから、早くお家に帰して欲しいなあ。
 しょうがない、イヤだけど、高圧的に出ちゃおっと。
 「放送局に・・・。」
 つとめてる・・・って言ってないから、ウソはついてないだろ。
 するってぇと、今まで、胡散臭そうに見ていたお巡りさんが、
 ころっと、手のひらを返したように、マイルドな態度になって、
 「あ、そうですか?今お帰りで?ご苦労様です。」
 「・・・。」
 「え? ラジオ? あ、このカメ、もしかして、『福の神』の衣装?」
「おい!『ガバッと』のリスナーか!」
 怒ったらいいもんだか、笑ったらいいもんだか・・・・。

 そんな悪夢の「引っ越し」も無事に終わり、
 ニッポン放送は「有楽町」から「お台場」に移転しちゃいました。
 3月23日の夜、お台場から、車を停めておいた有楽町に行ったとき、
 ふと「旧(すでに旧となってるのが悲しい)本社」に立ち寄ってみました。
 ビルの中は、すでにだーれもいませんでした。
 朝まで、生放送に使われていた7スタも電気が落とされています。
 生放送用のスタジオは、電源が落とされることがないので、
 7スタのスイッチが切られているところなんか、初めて見ました。
 
 7階の「廃墟」になってしまった制作部フロアーにあがってみると、
 床に無造作に置かれた電話のひとつの受話器がはずれており、
 「ツーツーツー・・・」
 と、発信音が響きわたってました。
 なんか、それを聞いたとき、
 「ああ、慣れ親しんだ有楽町も無くなっちゃったんだな・・・。」
 と、感慨深ーくなっちゃいました。

 今、有楽町の旧ニッポン放送本社のビルには、
 「ニッポン放送分室」という看板が掛かっています。
続く  1997/07/16

戻る