3.筋ジストロフィーと遺伝,遺伝相談とは
(1)筋ジストロフィーと遺伝
歴史を振り返ると,筋ジスという病気は1914年にドイツのエルブという教授が提唱した概念です.彼はそれまでに報告されたいた様々な疾患に進行性筋力低下を呈し,さらに顕微鏡で筋肉を観察すると同じ様な所見を呈することから,まとめて進行性筋ジストロフィーの名称を与えたのです.既に19世紀末にはデュシェンヌ型は性染色体劣性形式で遺伝していくことが判明していました.現在,筋ジスの定義は「遺伝性で,かつ進行性の筋力低下を来すミオパチー」とされています.
ミオパチーという言葉は難しく聞こえますが,運動神経に異常がなくて筋肉が萎縮してくる病気の総称です.末梢運動神経の変性により筋肉が萎縮してくる疾患群を筋萎縮症を名付けます.筋萎縮症にはウェルニッヒ・ホフマン病,クーゲルベルグ・ウェランダー病,脊髄性筋萎縮症,筋萎縮性側策硬化症などが含まれます.筋ジスには様々病気が含まれていることは前項に示しましたので参照して下さい.ここでは,筋ジスの分類が遺伝形式により分類されていることを強調したいと思います.
ヒトの病気の遺伝形式は常染色体劣性遺伝,常染色体優性遺伝,性染色体劣性遺伝および性染色体優性遺伝の4つに分けられます.筋ジスおよび筋萎縮症関係では性染色体優性遺伝はありませんので,最初にあげた3つの遺伝形式が問題になります.ヒトの染色体は23対,つまり46本の染色体から成り立っています.この22対は常染色体と名付けられ,あと1対,2本は男か女かを決定する染色体であるところから性染色体と呼ばれています.男ではXYであり,女ではXXです.性染色体劣性遺伝ではX染色体に異常が起こった場合,劣性遺伝ですから女の場合は正常なX染色体をもう一つ持っていますから発病しません.このような女性は保因者と呼ばれます.しかし,男では一つのX染色体に異常が発生すると,もう一つの性染色体はY染色体だけしかありませんので病気になるのです.したがって,この遺伝形式で遺伝する病気は男だけに発病します.保因者の女性は原則的には健康者と同様の生活を送ることが可能です.
常染色体劣性遺伝および常染色体優性遺伝疾患は男女同率に発病します.劣性遺伝疾患のほうは父,母から一つづつの異常遺伝子を受け継いでいますから,血族結婚の結果発生することが多いのです.常染色体優性遺伝疾患は患者である片親から異常遺伝子を受け継いで発病します.常染色体劣性遺伝では4人子供を生むと1人が患者で残りの3人は健常人という確率になります.常染色体優性遺伝疾患では子供2人のうち1人の確率で発病します.最初に説明した性染色体劣性遺伝疾患では男子2人のうち1人が患者となり,女子2人のうち1人が保因者となります.
1868年にフランスのデュシェンヌが報告したデュシェンヌ型筋ジスは最も患者数が多く,かつ重篤な疾患であることから世界中で研究が行われきました.19世紀に既に性染色体劣性遺伝病であることが解っていました.しかし,X染色体の異常がどの部分に起こっているのかはごく最近まで解らなかったのです.1970年代後半に女性にみられたデュシェンヌ型とよく似た筋ジスのX染色体を調べたところ,X染色体の同じ場所で異常がおこっていることが見つかりました.ここにデュシェンヌ型筋ジスの異常遺伝子が存在することが想定されました.1985年頃アメリカのクンケルらのグループは,この病気の遺伝子を巧妙な方法で取り出しました.クンケルらのグループにより,この遺伝子から作られる蛋白質にジストロフィンという名前が付けられたのは1987年の暮れでした.この病気の遺伝子はそれまでに得られていたヒトの遺伝子の中で最も長大な遺伝子であることから,デュシェンヌ型で突然変異が多いことが説明可能となりました.彼等が研究で得られたDNAを公開してくれたことが,現在の研究の進展および遺伝相談の普及に大変役立っているのです.ちなみに染色体は遺伝子から,遺伝子はDNAからできています.
この病気の遺伝子は完全に解明され不足している蛋白質もわかりましたが,残念ながら根本的治療はまだできていません.現時点では遺伝子解明は新たな患者の発生予防にしか役立っていません.この新患者の発生予防を行おうと言うのが遺伝相談なのです.
デュシェンヌ型での遺伝子の解明,欠損蛋白質の発見に続いて筋ジスの研究はここ数年に飛躍的に進歩を遂げています.デュシェンヌ型で欠損しているジストロフィンは二重膜の筋細胞膜のうち内膜の形質膜の内側に存在します.ジストロフィンは細胞内部では筋の収縮機関であるアクチンという蛋白質についているのですが,他方は細胞膜に存在する糖蛋白質に結合しています.この糖蛋白質はいくつかの成分で構成されていますが,このうちアダリンという糖蛋白質の欠損により北アフリカで見つかった小児型重症型常染色体劣性遺伝型筋ジスが発症することが分かりました.糖蛋白質は筋細胞の外側の膜を構成するラミニンMという蛋白質に連絡しています.この蛋白質はメロシンとも呼ばれます.このメロシン欠損により先天型筋ジスが発症することがわかりました.福山型先天性筋ジスでは検査するとメロシンはないのですが,二次的な現象を考えられています.福山型の原因は違う蛋白質の欠損でしょうが,いずれにせよ筋ジスはジストロフィンからメロシンにいたる蛋白質の連鎖の異常で発生することが分かってきました.
これまで筋ジスという疾患は遺伝性疾患であることを強調してきましたが,必ずしも遺伝のみで発生するのではなく,突然変異で発生する場合も多いことに留意すべきなのです.DNAは1億分の1の確率で読み間違えを起こします.デュシェンヌ型のDNAは230万個の核酸から構成されていますから,間違えを起こす確率は高く,なんと1/3の患者が突然変異で発症すると数学的に計算されてきました.私たちも遺伝子異常が分かっているデュシェンヌ型家系で患者と母親のジストロフィン遺伝子を調査してみたところ1/3の家系では確かに母親のジストロフィン遺伝子は正常であり,突然変異が起こっていると結論することができました.
筋ジス各病型の遺伝形式,異常染色体については,前項を参照して下さい.
どのような方法で遺伝子検索を行うのかを説明します.一番簡単な方法はPCR法と呼ばれる方法です.現在,デュシェンヌ型,ベッカー型のみでこの方法による検査が商業ベースで可能です.PCR法は患者の血液を採取して得られたリンパ球のDNAで検査します.簡便であり,結果も数週間のうちにでます.ここで異常が判れば家系の女子の保因者診断が可能になります.保因者診断は商業ベースでも可能になりつつあります.ただし1家系10万円以上の費用がかかります.ここではPCR法よりも格段に難しいサザンブロットという方法が使われます.アイソトープを使用しなければならないので国立療養所でも限られた施設しか行えないのが現状です.PCR法で異常が検出できなかった患者の家系では,RFLP法(連鎖解析法)を施行します.RFLP法は家系のなるべく多くのヒトのDNAを検査することにより患者の染色体の異常な部分が,誰から伝わって誰に共通異常があるのかを知る方法です.DNAの異常を直接的に検出する方法ではないので,間接的であり結果の理解が困難な場合もあります.筋強直性ジストロフィーでも商業ベースでサザンブロット法で解析が可能ですし,顔面・肩甲・上腕型や福山型では研究室レベルでの検索が可能となってきています.またデュシェンヌ型,ベッカー型では血液のDNA検査だけではなく,患者のへその緒から採取したDNAでも検査が行われます.
(2)遺伝相談
遺伝相談はこれまでに述べてきた知識や方法を駆使して患者・家族の方に相談を行うものです.決して強制的に行うのではなく,患者・家族の希望によって実施されます.
さて遺伝子の異常には,正常にあるべきはずのDNAが消失した場合(欠失),余分なDNAが存在する場合(重複),一つの核酸だけが入れ替わっている場合(点変異)などが考えられます.東埼玉病院でのデュシェンヌ型とベッカー型の家系での結果をまとめると,55%の家系では欠失が,15%の家系では重複が見つかりました.残り30%の家系は点変異であろうと言われています.この30%の家系についてどう遺伝相談を行うかが現在,最も困っている問題なのです.
PCR法は簡便ですが欠失しか検出できません.また欠失の95%はPCR法で検出できますが,サザンブロット法では残りの大きな欠失,重複の検出,保因者診断も行えます.世界では点変異の検出法の研究がさかんになされており,そのうちに現在点変異で解析不能とされている家系でも検出が可能になると期待しているところです.
デュシェンヌ型とベッカー型の保因者診断は女性がX染色体を二つ持っていて片方のX染色体の特定の部分が欠失しているのか,余分にあるのか(重複)を電気泳動したDNAバンドの濃さで判定します.欠失の家系での保因者ならばバンドは正常女子の半分になりますし,重複家系の保因者は正常女子の1.5倍の濃さになります.こうして保因者診断が行われます.この方法は熟練した技術を持った施設でしか確実な結果が出せないという限界があるのです.また通常検査するDNAは採血されたリンパ球からとったものですが,卵子のDNAとリンパ球のDNAが違っていたとしか考えられない症例の報告があります.私たちの検査した範囲では全く見られませんでしたので,しばしば起こるとは思えませんが,たとえ保因者診断で異常なしとされた患者さんの姉妹でも,念のために妊娠した場合は胎児のDNA診断を行った方が無難であると思われます.
原則的には遺伝相談は新患者発生予防のために行うのが目的です.DNA診断の発達により胎児診断まで可能になりました.保因者である母親が妊娠した場合に羊水や絨毛膜を採取して,これから胎児のDNAを採取することにより診断が可能となったのです.デュシェンヌ型では世界でも胎児診断が認められて,患者胎児の人工中絶もいたしかたないという風潮です.しかし,胎児がデュシェンヌ型筋ジスだからといっても日本では公に法律で人工中絶が許されているわけではありません.また遺伝についての素人判断ほど危険なものはありませんので,胎児診断ももちろんですが是非専門家のアドバイスを聞くようにして下さい.専門家はアドバイスしかしません.決して強制して何かを行わせようという意図はありませんので安心して相談してみることをお勧めしたいと思います.どうするかを決定するのは,相談するあなたなのです.
デュシェンヌ型筋ジス患者の姉妹が結婚し,いざ遺伝相談を受けようとした時に患者が既に死亡されていて患者のDNA異常がわからない場合が少なくありません.さきに述べたように筋ジス患者のへその緒が残っていれば,そこからDNAを採取して検査ができます.ただし,へその緒からとれるDNA量が少ないためにPCR法による検査しかできません.何らかの組織が取ってあれば,そこからDNAを取り検査することができるのです.したがって患者さんが不幸にして亡くなられた場合には,何らかの臓器・組織などを保存しておくように病院側と相談されることをお勧めしています.また近い将来に現在分析不可能なDNA異常疾患もDNA研究が進んで,遺伝子診断が可能になるかもしれません.このような観点から最近ではDNAバンクを設立し,患者のDNAが必要な時にいつでも入手可能にしようと準備しているところです.
遺伝相談は倫理的問題を常に含んでいます.現在では常染色体劣性遺伝型でも重症の福山型でも研究室レベルで胎児診断が可能となっています.デュシェンヌ型や福山型では保因者さえも生みたくないという声も聞かれますが,保因者は一生健常者として暮らせるのですから,私たちとしては保因者である胎児の人工中絶には反対の立場をとっています.また患者さんからは筋ジスの生活も捨てたものではないという声も聞かれます.
また保因者の方が遺伝子異常があるからといって結婚できない,子孫を作れないとする考え方も間違っているのです.私たち健常者でも劣性遺伝子をいくつか持っているのです.血族結婚するとこの劣性遺伝子が発現して子孫に病気がでてくることから,いとこ結婚のような血族結婚がいけないと言われるのです.劣性遺伝型の筋ジスの家系の方はこの点にくれぐれも注意していただきたいと思っています.いずれにせよ心配なことがあれば気軽に専門家に相談してみることが大切であるし,それが遺伝相談であると考えています.
参考文献
- 安達一彦:遺伝子治療のガイドライン.からだの科学 181:98ー101, 1995
- 石原傅幸:DNA診断の現況.からだの科学 181:102ー108,1995
- 高橋 徹:筋ジスの人生も捨てたものではない.181:110ー112, 1995
- 吉島一彦:遺伝子治療と情報公開.181:114ー116,1995
- 貝谷久宣:DNA診断に対する患者・家族の意識.181:118ー122, 1995
- 石原傅幸:Duchenne型およびBecker型筋ジストロフィーにおける遺伝子診断.特に遺伝子バンクの必要性について.医療 49:107ー114.1995
(石原傅幸)