發句作法指南の評
近頃其角堂機一なる宗匠あり。發句作法指南と云ふ一書を著して世に刊行す。余之を繙て一讀するに秩序錯亂して條理整然ならず唯思ひ出づるがまに\/記し付けるが如き書きぶりは猶明治以前の著書の躰裁にして今日の學理發達したる世に在りては餘り珍重すべきの書にあらずといへども此著者にして余が想像するが如く明治以前の教育をのみ受けし人ならしめば余は此書を賛美して一讀の價値を有するものなりといふを憚らざるなり。蓋し今日の如く腐敗し盡せる俳諧者流の中より此一人現れ出でヽ同學者の汚點と淺識とを指摘したるの勇氣と見識とは局外者の萬言を呶々するに勝りて愉快なるを覺ゆるなり(*。)然れども之を讀んで猶不足を感ずるの箇處多きは勿論の事にて之を詳評するに勝へずといへども一讀の際思ひあたりしことのみを擧げて著者の教を乞はんと欲するなり。
此書の始に俳諧の起原を説く中に「連歌は詞を和歌に取れる故(略)只中等以上の社會にのみ行はれしを我正風の祖師
芭蕉大にこヽに慨歎する所ありて」云々と云ふは順序を轉倒せるものにて連歌を俳諧に變じたるは
芭蕉にあらずして
貞德にあること勿論なり。されど後段に猶
芭蕉の意向を述べて「今の俳諧の如きは作意になれる者のみなれば自然の妙は絶て無き者なり」と云ひたるは確論にして且つこれによつて觀れば前段の誤謬は著者の誤解
にあらずして叙述の粗漏に出づること明らけし。又著者は稍〃「俳諧は滑稽なり」と云ふ釋義に拘泥して故らに戯譃に傾きたる俳諧を引用して例となし且つ其主旨を演繹して「蕉翁が晋子(*其角の号)を賞せられしも此道の第一義と立たる滑稽の他に拔でたる故ならん」と云ふに至りては其論甚だ妙たる(*ママ)が如しといへども終に我田へ水を引くの誹りを免かれず。其角の滑稽に妙を得たるは眞實にして著者の言當れり。唯滑稽を以て發句の本意とするに至りては其説甚だ(*原文「甚た」)誤れりと謂ふべし。然れども著者の滑稽の意義を解すること太だ(*原文「太た」)曖昧にして時として意を異にするなきかの疑を存せざるを得ざるなり。
發句作法指南に、發句の調格と題して、其中に「發句は纔に十七字なれば(略)和歌の如くひたすら優美なる姿を述る能はざる者あり(*。)故に和歌よりは一層區域を弘めて俗言平語を交へ嫌ふなきなり。かヽれば姿は第二義として感を第一義とす。さればとて優美を嫌ふ者と思ふべからず(*。)」云々とあるが如きは至當の論なり。然れども姿の亂れたる例として。(*句点ママ)
芭蕉
枯枝に烏のとまりけり秋のくれ
其角
ひなのさま宮腹〃にまし\/ける
蕪村
柳散り清水かれ石ところ\/
といふ字餘りの三句を擧げたるは未だ以て讀者の心を飽かしむるに足らず。
▼何となれば(*原文「何となれは」)姿
即ち句調の善惡は必ずしも字數のみに關せざるなり。▼若し句調は字數の上のみにありとせば三十一文字に限りたる和歌の上に姿を論ずるの必要も無く隨つて
定家卿抔が姿に就きて喋々と言葉を費さるヽ事も無き筈なり。和歌既に然りとせば發句亦これなくして可ならんや。例へば
芭蕉 (*岸本公羽の作ともいう。根木は根の付いた倒木。)
川中の根木によろこぶ凉み哉
といふ句を試みに
よろこんで凉むや川に出る根木
といひかへんか。其心は同じ事なれども其の格調に至りては天壤の差あること勿論なるべし。又
正秀
默禮にこまる凉みや石の上
といふ句を
石の上もく禮こまる凉み哉
と改めなば如何。▼僅かに言語の位置を顚倒せしに過ぎざれども猶其句調は原作に▼○劣るを見る○(*原文「る」に傍点を付す。)▼べし。▼近時の書生にして俳諧を學ぶ者皆意到りて筆隨はざるの憾あり。蓋し其思想は豊富なれども未だ格調に於て到らざるものあるによらざるを得んや。
「發句作法指南」の中に「發句に雅調と俗調の別あり」と題して其中に「卑俗とは詞の上をいふにはあらず心の卑俗なるをいふ、(*引用文原文は読点で文を区切る。以下同じ。)(略)其の卑俗の調といふは縱令ば(*ママ)
家内皆まめでめでたし歳の暮
といへる類是れなり、此句の如きは詞の上卑しといふべき處は露ばかりもなけれど其心は無下に淺ましき俗調なり、此句を或人が
何事もなきを寳ぞ(*原文「そ」)歳の暮
と直したるは
▼雅致淺からず、姿もいと高し▼」云々とあり。余は一讀して稍怪しむ所あり。乃ち再三之を讀む。而して其意を得ず。初めに
○心の卑俗○といへるは善し。然れども家内云々の句を何事も云々と改めて其心に幾何の差異ありや。余は兩句を比して其心は全く同じく只其姿變ぜりといはんとするなり。又其姿は孰れが可なるといふに著者は「
○姿もいと高し○」と判斷して後句を譽めたれども余は後句に比して寧ろ前句の眞率なるを取る者なり。(尤其句の凡俗なるはいふまでも無し
(*。))此の如き甚だしき過誤は後生を誤ること多からんに注意ありたき者なり。又同書に「
▼發句の沿革▼」と題して「發句の世に行はるヽ事、凡そ
○二百餘年○、其間を大別して
○三○となさんに
守武宗鑑より
貞德季吟に及ぶ
(*、)之を其一とす、」云々と説き出したり。然るに
守武宗鑑は今を去る事大略
○三百五十年○位前の人なれば
○二百餘年○とは痛く違ひたり。
又時代を○三○に分つとありて第一のみを擧げ第二第三の區別無きは不審なることなれど大方は活字の誤植か校正の粗漏によりしなるべし。さはいへ數字の誤謬程害の多き者あらざれば著作編輯に從事する人は尤謹まざる可らず。又同書に▼切字▼并に▼てにをは▼を論じて「此發句の切字といふは一種格別に設けたるものにて歌と同樣に論ず(*原文「論す」)べき者に非ず」と云ひしは卓見なれども「▼てにをは▼と唱ふる者は自ら其詞に備りてある故、眞心のまヽに云ひ出れば(*原文「云ひ出れは」)知らず\/自ら叶ふ者なり、(略)格に變あらば格にあらず」といふが如き餘り文法を輕蔑したる言ひ方にして余は其の一理あるに拘はらず之れを評して「俳諧麓栞」と共に兩極端に走る者なりと云はんとす。
「發句作法指南」の中に「發句の感あると感なきと」と題を掲げて白全といふ人
首向けて眠り催す榾火かな
と作りしをある人一讀して扨もあぶなき句を詠まれたりといへば白全忽ち悟りて
背向てあぶながらるヽ榾火哉
と改めたることを記載しそれにて一座の秀吟となりし由をも言ひたり。然れども余が見る所を以てすれば後句稍曲折を求めて却て卑俗に陷り一の妙味なし。寧ろ前句の淡泊無味なる
こそ面白かるべけれと思ふなり。
同書に「蕉翁の六感」と題して其角、嵐雪、去來、丈草、支考、野坡の六門弟の句を芭蕉の感賞せしよし記し且つ其句を掲げたり。こは誰が言ひ傳へしことか知らねども蕉翁の感賞せりと云ふは誤謬なるべし(*。)其證は去來の部に「實なること去來に及ばず」と書きて
去來
應々といへど叩くや雪の門
といふ句を載せたり。然るに去來の此名什は蕉翁歿後の作なる事去來抄に詳なれば爰に去來抄の一部を抄出して示さん。同書に曰く
丈草曰此句(去來が雪の門の句なり(*。))不易にして流行のたヾ中を得たり。支考曰いかにして斯安き筋よりは入たるや。正秀曰▼ただ先師の聞給はざるを恨るのみ。▼曲翠曰句の善惡をいはず當時作せん人を覺えずといへり。其角曰眞の雪の門也。許六曰尤佳句也。いまだ十分ならず。露川曰五文字妙也(*。)去來曰人々の評亦おの\/其位より出づ。○此句は先師遷化の冬の句なり。○其頃同門の人も難しと思へり。今は自他ともに此塲にとどまらず。
これを讀めば芭蕉の此句を聞くに及ばざること明けし。又右六感の中に○支考○の句として
蚊屋を出て又障子あり夏の月
を擧げたり。されど此句は
風俗文選に載せたる「贈新道心辭」といふ文の終りに附けたる句
なれば○丈草○の作なること論を俟たず。恐らくは著者誤りて丈草と支考とを入れ違へたるものには非るか。
「發句作法指南」の中に「○家人擧て風雅○」といへる一項ありて「世に俳句を好む人多し(*。)されども▼夫之を好むも妻はさる心なきあり(*、)父之を好むも子其道を知らぬあり▼(*。)」云々とこと\〃/しく説き出しながら其例として僅かに曲翠一家をのみ擧げたるはいと飽き足らぬ心地すれば今余が知れるまヽに之を補はんと欲すれども盡く列擧せんは餘りくだ\/しければ其有名ならぬ者と且つ疑はしき者とを闕きてありふれたる者のみを擧げんとす。先づ其○父子○共に俳句を嗜む者は左の如し。
紹巴
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…… |
┏ 玄仍
┗ 玄仲
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倫里
| …… |
來川
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昌琢
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…… |
昌程
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智月尼
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…… |
乙州
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蝉吟
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…… |
探丸
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荊口
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…… |
┏ 巴靜
┃ 此筋
┃ 千川
┗ 文鳥
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季吟
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…… |
┏ 湖春
┗ 正立
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未得
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…… |
未琢
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東順
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…… |
其角
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提亭 (*原文「堤亭」)
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…… |
苔翁
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風虎
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…… |
露霑 (*露沾)
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風麥 (*原文「麥風」)
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…… |
梢風尼
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又其父子共に(*原文「父共子に」)相聞こゆるに非るも○兄弟○共に俳家たるもの少からず。即ち
玄陳 (*玄仍の子)
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…… |
心前 (*玄仍の号)
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仙風 (*杉風の父)
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杉風
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望一
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…… |
正友
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牧童
| …… |
北枝
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等の如し。又叔姪共に之を嗜むものは
等あり。又○夫○も○妻○も之を嗜むもの多きが中に
嵐雪
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…… |
妻
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凡兆
| …… |
登米
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惟中
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…… |
園
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千春
| …… |
綾戸
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加生 (*凡兆か。)
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…… |
とめ
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光貞
| …… |
みつ
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等尤有名なり。又○一家數人○を出だすものには
┏ 去來
┃ 弟
┃ 魯町
┃ 妹
┗ 千子
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…… |
姪
風國
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永參女
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…… |
子
知足
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┏ 子
┃ 蝶羽
┃ (蝶羽妻)
┃ 女
┗ つね
| …… |
女
春
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の如きあり。此外○家奴○にして俳諧に入る者、其角の奴に▼是吉▼あり。仙化の奴に▼吼雲▼あり。尚白の奴に▼與三▼あり。蓋し父子夫妻叔姪主從にして共に之を好む者は一は其遺傳により一は其薰陶に出でずんば非ざるなり。
「發句作法指南」の中に「○延寳前○▼にも▼○名吟○▼なきにあらず▼」といふ一項ありて著者の名句と認めたる俳句を擧げて之を評論したり。然れども此中の過半は延寶以後の作ならんと思はるヽなり。今手許に參考書無きを以て一々之を證明する能はずと雖ども是等の句は歴史的に考ふるに决して貞享以前に於て此の如く多くある可らざるなり。蓋し貞享の頃芭蕉の一派を開きしより後は天下之が爲に風靡し假令他門の俳家といへども多少蕉風の餘響を受けぬものは之れ無きに至れり。故に貞享以後には蕉門以外にも名句多けれども延寳以前に於ては此種の句决して此の如く多からざるなり。且つ又此項中に却りて
守武
元日や神代の事も思はるヽ
宗鑑
元日の見るものにせん不二の山
貞德
草も木もめでたさうなりけさの春
貞室
いざのぼれ嵯峨の鮎くひに都鳥
同
これは\/とばかり花の芳野山
等の如き延寳以前の名句を擧げざるは餘りありふれたりとてわざとせし事にや如何。又
貞德 (*原文「ねふらせて」)
ねぶらせて養ひ立てよ花の雨
と云ふ句を評して「此句は子を設けたる人にと端書あり、此○ねふらせて○といふ一句家に嬰兒を養育する情を盡せり、(略)夫れ嬰兒は○乳汁○▼の養ひ足れば▼(*原文「足れは」)○眠る○、若しいさヽかにても不足すれば○眠り○▼得ぬのみにもあらず▼種々の疾病是れより起り、よし幸に死せずとも生涯多病の者となる、此句は之を思ひて▼春時花を催す▼○雨○▼を▼○乳○▼に比していへる▼(*、)凡骨にあらざるなり」と長々しくいはれたり。されども余の考にては是れ大なる誤解なりと思はる。評者は「○ねふらせて○」を「○眠らせて○」と解し「○雨○」を「○乳○」に比したるが如く見ゆれども余は「○ねふらせて○」は「○舐らせて○」(*原文「せ」に圏点無し。)と解し「○雨○」は「○飴○」にかけたるものと思ふなり。即ち○飴をねぶらせて○養ひたてよといふ事を▼花の▼○雨○に取り合はせたるものなるべし。總て貞德時代の俳句は發音の同じきものにたよりて他の語をかけるが通例の詠み方にして唯其物に類似の點ありて○雨○を○乳○に比するが如き事は餘り見當らぬなり。俳句に限らず總て詩歌文章を解するには▼其作者と其特性と其時代の風調(*ママ)とを知らざれば大なる誤謬を來たす▼は常のことなり。
「發句作法指南」に芭蕉句解を作りて
芭蕉
行く春や鳥啼き魚の目は涙
同
鰒汁や鯛もあるのに無分別
同
七月や六日も常の夜には似ず
同
あか\/と日はつれなくて秋の風
の數句をも名吟の如く評し殊に秋風の句を取りて劇賞せしが如きは其意を得ざるなり。芭蕉如何に大俳家たりしとも其俳句皆金科玉條ならんや。又
芭蕉
靑くてもあるべきものを唐辛子
といふ句を解して「唐辛子は靑くても辛き者なれば靑くてもあるべきに、さも○辛さうに燃たつ如く赤くなる事よ○▼と飽まで辛きさまなるを言ひ顯したる處▼」云々とあれどもこは全く反對に誤解したるものにはあらざるか。愚考によれば此句の意は「唐辛子は固より辛き者なればせめて靑きまヽにあらば目にも立たずしてよかるべきになまじひに赤くなるが故に人の目にも立つなり。▼目に立つ程うつくしければ甘くもあらんかと思へばさはなくて甚だ辛き▼者なる故に其赤き色に染まるだけが憎らし」となるべし。若し單に辛き形容とのみせんには「○あるべき者を○」の廻し方ゆるやかに聞こえて面白からざる樣に覺ゆ。
又同書其角傳の終りに
同(
○寳永○)
○四年○二月
靑流(*稲津祇空の号)病を草庵に訪ふ
春暖閑爐に坐の吟とて
鶯の曉さむしきり\/す
此句解し難きよし世上には云へど(*原文「云へと」)去來並に支考の評に云々
とあれども去來は既に○寳永元年○に死したれば此の寳永四年の句を評すべきよしなし。こは何かの間違ひなるべし。
又同書の「或俳書にてにをはをいへる」と題せる一項は九頁の長きに渡りながら其の解説甚だ必要ならず。
「陣中○へは○便り○も○無用○と○かたく云ひつけ置たる○に○」(略)これもてにをはをのけて「陣中たより無用かたく云ひつけ置たる」(略)かくして聞ゆべきか(*原文「聞ゆへきか」)(略)
といふが如き解釋にも及ばざる事をいくつともなく例を引きて無用の辯を費したる(*、)實に兒戯に類するものにして餘りといへば餘りといふべし。
又同書に諸家の略傳を叙し又は略評を下す處多くは
俳家奇人談(*竹内玄玄一著)の文章を取りて處々助辭接續辭抔を僅かに書き替へたり。古書を其儘採り用ふること既に見識なきが如くなれども其文を全く引用してこれは何の書によれりと明言し置かば固より何の罪も無き事なるに其文章の大方は採用しながら處々の言語を書き替へたるが如きは古文を剽竊して己れの文と僞
り稱するの嫌疑を免れず(*。)著者の意必ず此の如くならざるべけれど少くとも其不注意の罪は之を負はざるべからざるなり。猶此外多少の瑕瑾多かれども(*ママ)一々之を指摘するも煩はしければ其評論は止めつ。
獺祭書屋俳話 2/2 <了>