BCJフォーラム(6) ['99/02/01〜]
125 | 《ゼレンカのマニフィカト》 矢口様、こんにちは。先日池袋のHMVでゼレンカのマニフィカト・ニ長調のCDを遂に入手いたしました。演奏しているのは多分(言葉が読めない)プラハ室内管弦楽団と合唱団です。聴いてみてあぁこれだ、と11月29日のことを思い出しました。しばらくこのCDを聴き続けると思いますが、ゼレンカはトリオ・ソナタと他にミサ曲を一曲聴いただけなので地道に聴きたいと、思います。BCJの実況録音のCDの発売も非常に楽しみであります。 ミューズでの演奏はご指摘どおり、コラール演奏のみでした。記憶がさだかでないのと数年前のことでしたので忘れてしまったのかもしれません。 バッハを聴く思い出 1 東京へ出てきたとき、真っ先にいったのが東京カテドラル・マリア大聖堂でした。その日はバッハのロ短調ミサの古楽演奏があった日なのです。ミニチユア・スコアを首っ引きにして演奏を聴きました。 バッハを聴く思い出 2 お次は上野駅を降りて少しいったところにある石橋メモリアル・ホール。ここへは良く行きました。冬の雪の日、仕事先の茨城から鈍行列車でクリスマス・オラトリオを聴きにいったのが記憶に残っています。赤レンガの建物にはつたが絡んでいそうで雰囲気もいいですよね。 毎日とはいきませんが思ったことなどをお便りいたします。いまのところは毎日を希望をもって送る、ということだと思います。 (渡辺冬ニ様) (99/05/10) |
渡辺さん、こんにちは。いつもお便りありがとうございます。 BCJのゼレンカ、早く聴いてみたいですね。BISのHPの4月の新譜情報にはもうずいぶん前から載っているのですが、いまだCDショップには入荷していないようです。(ちなみにBCJのレコーディングはライブではなく、今回の「マニフィカト」については、11月29日の東京公演の後、神戸:松蔭女子学院大学のチャペルで行われた録音セッションでのものです。) 東京カテドラル・マリア大聖堂では私も「ロ短調」を聴きました。ミシェル・コルボ指揮のコンサートで、コルボはたしか初来日だったと思います。古楽器での演奏で、とてもピュアな響きがしたことをよく憶えています。あのカテドラルの雰囲気はやはり代えがたいものですね。BCJも一度、コンサートを開きました。 石橋メモリアル・ホールこそ、私のBCJとの出会いの舞台です。'91年の「マタイ」は今とは違う意味で、やはりすごい演奏でした。その後BCJでは「ヴェスプロ」などもこのホールで演奏しています。 本当に素晴らしい音楽と共に毎日を過ごせる幸せを、大切にしていきたいものです。 (矢口) (99/05/12) |
124 | 《カンタータ徒然記》 矢口様、クーナウとゼレンカのマニフィカトのCD情報を有難うございました!といってもまだ購入しておりませんがぜひ手にとってみたいですね。バッハの音楽の真髄はよくカンタータにあると言われておりますが私が初めて聴いたカンタータはクリスマス・オラトリオに転用された合唱曲やレチタティーヴォ、コラールということになります。演奏者はまずアーノンクールとレオンハルト。あとはヴィンシャーマンやミシェル・コルボ、リリングあたりをよく聴きます。 カール・リヒターも聴きますヨ。「神はわがやぐら、BWV80番」の稲妻のようなトランペットの音はたまげました、、。(すごい) それからミュンヒンガー指揮のクリ・オラのモーリス・アンドレもいいです。私はミュンヒンガーのテンポのとりかたが好きですが矢口さんはどのようにお感じになりますか。ミュンヒンガー指揮のシュトゥットガルト室内管弦楽団のクリスマス・オラトリオが原点のような感じです。それに続くのがアーノンクール、コレギウム・アウレウムになっています。 希望 その一 私が常々考えていることですがバッハの本格的な映画、というものは出来ないものでしょうか。モーツァルト、ベートーヴェンはもうすでに登場しているからぜひバッハも作ってほしいと思います。「アンナ・マグダレーナ・バッハの思い出」がBSで放送されたので録画したのですが、記録映画のようでなかなか味のある演出でおもしろい映画でした。 バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏は所沢のミューズでBWV147番を聴いたことがあります。たしか鈴木雅明氏と磯山雅氏がレクチャーを行っておりました。 疑問 その一 鈴木雅明さんのオルガン演奏で、ゲオルク・ベームの「カプリッチョ・ニ長調」という曲をさがしたいのですが、矢口さんはご存知でしょうか。もしご存知でしたらご一報ください。 それではまた (渡辺冬ニ様) (99/05/07) |
渡辺さん、こんにちは。 これまでのカンタータ演奏の流れをめぐる「徒然記」、ありがとうございました。 BCJの「マニフィカト」のCDはまだ入荷していないようですね。早く聴いてみたいものです! ミュンヒンガー指揮のシュトゥットガルト室内管弦楽団のクリスマス・オラトリオは残念ながら聴いたことがないのですが、ミュンヒンガーのバッハ演奏には、弦楽合奏による「音楽の捧げもの」の6声のリチェルカーレなどで親しんできました。ブランデンブルク協奏曲のLDも持っています!(Tpはアンドレだったと思います。) 親しみやすい響きのバッハで楽しいですね。彼の「マタイ」のCDは持っていますが、カンタータは聴いたことがありません。一度聴いてみたい思っています。 BCJの所沢での公演では私の記憶ではまだカンタータは演奏していなかったと思うのですが・・・。147番は今回の所沢公演(6月7日[月])でも披露されますね。私もうかがおうと思っています。ミューズでのBCJの演奏は、'96.1.13の「ミューズ・レクチャー・コンサート“オルガンレクチャーシリーズ vol.5”」でのコラール演奏(合唱のみ)だと思います。この時も最初に礒山先生と雅明さんの対談がありました。 「希望 その一」については、礒山先生が講談社現代新書「J.S.バッハ」の中で「バッハ主演の『ゼバスチャン』?」という文章をお書きになっていらっしゃいます。是非お読みになってみてください。以前、NHKのBSで海外のテレビドラマと思われるバッハの伝記ものが放映されていたのを見たことはありますが、映画になると、やはり「アンナ・マグダレーナ・バッハの思い出」が有名ですね。バッハ役のレオンハルトがはまっていました! 「疑問 その一」については残念ながら私にはわかりません。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらご一報ください。 わたなべさま、希望・疑問の「その二」以降も是非またお寄せください! (99/05/10) 「疑問 その一」についてお便りをいただきましたので、「Q&A」でご紹介しています。 (99/05/12) |
123 | 《モービル賞受賞万歳 !!》 前略。 鈴木氏とBCJのモービル賞洋楽部門受賞を心からお祝いします。 今回の受賞は、氏とBCJの活動の成果であるのはもちろんですが、同時に、わが国において古楽とその演奏が揺籃期を脱し、西洋の見よう見まねでない独自の文化として定着しつつあることの現れであると思います。 また、長年クラシック界でやや日陰者的に扱われてきた古楽の担い手の方々に、確とした職場と素晴らしい仕事を提供されたBCJの功績がこうして形になったことは、古楽を志す若人の励みにもなるでしょう。 これからも鈴木氏とBCJの一層のご活躍に期待しています。 かしこ。 追伸:HPの運営、大変だと思いますが、これからも頑張ってください。 (後藤 隆様) (99/05/06) |
後藤さん、先日に引き続きお便りいただき、ありがとうございます。 いやぁ、本当に“めでたい”ですね。今までも“巷の話題”にはずいぶんとなっていたBCJですが、今回のような大きなご褒美をいただくとまた一つ大きな成長を果たしたような気がします。またそれのみならず、後藤さんもご指摘のように、古楽に関わり、それを愛し、その存在意義を信じて頑張って来られたたくさんの方たちとそのファンである我々にとっても、エポック・メーキングなことであると思います。 先日(5/2)の日経新聞の記事にもありましたが、「日本発の・・・」というところがまたうれしいですね。 今回の「モービル音楽賞:洋楽部門本賞」受賞についてのプレス・リリースをBCJ事務局からご提供いただきましたので、こちらにご報告いたします。受賞(贈賞)理由を拝見すると、この春の「マタイ受難曲」の演奏も高く評価されているようで、感激を新たにしました。これからも、活動の充実とともに“朗報”が増え続けるといいですね。 (矢口) (99/05/06) |
122 | 《NEC early music lecture vol.5》 4月21日、神楽坂の音楽の友ホールで「カンタータを識るLeipzig1723(2)」を聴きました。その時代の金管楽器がどのようなものであったのか、鈴木雅明さんの軽妙なお話と、トランペットの島田俊雄さんによるcraftsmanshipあふれる金管楽器製作とチューンアップに裏付けられた演奏には、とても驚きました。 何気なく聴いていた「古楽器」にはそれぞれの歴史があり、現代の演奏家はいかにして往時の音楽を再現できるのかについて努力を重ねていることがわかりました。 今後のBCJ演奏会ではこれまでとは違った目と耳で聴くことが出来ます。 (埼玉県和光市・斗内 弘一様) (99/05/05) |
斗内さん、はじめまして。「フォーラム」にようこそ! お便りありがとうございました。 私も4/21、レクチャーを楽しませていただきました。雅明さんと島田さんの楽しいやりとりや、驚きの連続だった"実物”を使っての御説明から、今まで何となくしか解らなかったことがとてもよく解り、参考になりました。レポートの模様は現在「NEC社会貢献室」の方でまとめていただいているものと思いますが、実際の“音”を通してのお話が多かった内容ですから、活字にするのは大変かもしれませんね。主催者の方で録音もされていたようですから、MIDIファイルにでもしていただければHP上でも少しならご紹介できると思うのですが、NECの皆様、いかがでしょうか。 ご自身のHPの掲示板にも書き込みがありましたが、当日の午前3時までかかってたくさんの楽器を準備してくださった島田さんの意気込みに、心から感謝の念を捧げたいと思います。最後にはクラリーノ奏法(そういうものは無いとおっしゃっていましたが)でブランデンブルク協奏曲第2番の一節まで披露していただき、ありがとうございました。また雅明さんの“さすが”と唸らせられる解説からも多くのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。 そしてなんと言っても、この素晴らしい企画を継続的に実現してくださっているNECの皆さんにも、心から感謝申し上げたいと思います。ありがとうございます! これからも魅力的な企画を是非続けてくださいね。 さあ、金管群も大活躍の次回カンタータ定期もますます楽しみになってきました。島田さんのレポートにもあるように、あの有名なコラールの“出だし”が鬼門なようですね。楽器本体の方を大きく動かさなくてはならない「スライド・トランペット」の宿命Vs名手:島田俊雄の対決(?!)はどちらに軍配が・・・・? (矢口) (99/05/06) |
121 | 《クリスマス・オラトリオ万歳》 はじめまして。昨年の11月29日にオペラ・シティー・ホールでの「ドイツ・マニフィカト」を聴きました。 クーナウ・ゼレンカのマニフィカトは初めて聴きましたが大変感激しました。ゼレンカという作曲家の作品にはきらりと光る何かを感じます。ずつと昔からバッハのクリスマス・オラトリオを聴いてきました。楽しいときもクリ・オラ、辛いときもクリ・オラでここまできました。きっとこれからもクリ・オラです。よろしく。 (渡辺冬ニ様) (99/04/23) |
渡辺さん、「フォーラム」にようこそ! お便りありがとうございます。 昨年11月にBCJ定期公演で演奏された「ドイツ・バロックのマニフィカト」の曲目は、まもなくBISからCD発売されます!ゴールデンウィークには手にはいるのでは、と楽しみにしている今日この頃です。またクーナウとゼレンカの「マニフィカト」の演奏は、6月末に発刊予定の小学館『バッハ全集』第15巻にも収録されるとのことです。 渡辺さんは一昨年暮れのBCJの「クリスマス・オラトリオ」公演はお聴きになりましたか。CDで聴いても素晴らしい演奏でしたが、やはり生演奏はこたえられません。BCJにもまた是非演奏してもらいたいものです。 「クリスマス・オラトリオ」は6曲の連作カンタータとも考えられますね。私は、楽しいときも、辛いときも、そしてきっとこれからもカンタータで、BCJを聴き続けていこうと思っています。渡辺様も、是非カンタータコンサートにもお出でください。きっと楽しんでいただけると思います! (矢口) (99/04/24) |
119 | 《SUZUKIのマタイは古楽の「事件」だ》 4月4日夜、佐倉市民音楽ホールでの演奏を最後に、6日間にわたった鈴木雅明氏とバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)のバッハ「マタイ受難曲」公演全日程は終わった。 21世紀の日本が古楽大国になることを予感させた名演で、古楽史上の「事件」といってもよいであろう。 「マタイ」はいわずと知れたバッハの代表作で、18世紀ヨーロッパ宗教曲の最高傑作の一つである。全68曲のアリアと合唱、レツタティーフからなり、総演奏時間200分に及ぶ巨大さは、いまや「日本のバッハ」と呼ばれる鈴木氏をして「改めてその大きさに圧倒される」と語らしめる難曲中の難曲だ。 私は「マタイ」を普段CDで聴いていて、BCJの演奏もメサイアやカンタータなどを耳にしていたが、いずれも生では初めてだったので開演前心なしかあがっていた。それが、第一部が終わった時にはややほぐれ、全曲聴き終えた頃には、腕の良い指圧師に揉んでもらった後のように脱力し、帰りの車でテノールのアリアを口笛で吹いていたほどだ。 これは、決して彼らの演奏が物足りなかったのではない。むしろ、心が満ち足りたために体の緊張が吹き飛んでしまったのだ。鈴木氏とBCJは、特に合唱の部分でイエスの受難に対する憤りを相当あらわにしたものの、曲全体を怒りの色で過度に染めはせず、その悲劇が現代人に与える啓示を伝えることに全力を傾けていたように思う。 だからこそのリラクゼ−ション効果であろう。信仰を持たない私ですら何となくありがたい気持ちになってしまうのだから、改めて凄い演奏だった。 なにより嬉しい驚きだったのは、合唱の水準が予想以上に高かったことだ。女性、男性とも全てのパートにほとんどよどみなく、「ここはライプツィヒか」と感じた瞬間がけっこうあった。 特に静岡から来た少女たちの歌唱は絶品で、響きの豊かさと完成度の高さは、冒頭から多くの聴衆の心をつかんだ。 独唱陣では、エヴァンゲリストのゲルト・テュルクが、中世の吟遊詩人かくありきと思わせる語り口で、福音書記者としてはやや表情過多とも感じられたが、前後のアリアや合唱とのバランスが絶妙だった。イエスは言うことなし、カウンターテナ−のロビン・ブレイズは、若いながら抑制された表現の中にバッハと音楽への深い理解が伝わってきた。 バスとテノール(アリア)は日本人だが、外国人歌手に比べて全く遜色ない。ただ、ソプラノは、美声だし表現も深いのだが器楽とのなじみが悪く、やや浮いていたのではないか。 鈴木氏は、まるで巨大な組曲をハープシコードで演奏するかのように「マタイ」の音楽としての魅力を明晰に描き出した。これほどの大曲をオルガンの「弾き振り」で指揮した比類なき音楽性と強靱な精神力はまさに超人で、ただただ圧倒させられる。 BCJも寺神戸亮、鈴木秀美、平尾雅子らトップソリストはもちろん若手も巧者揃いで、日本の古楽器奏者が確実に層を厚くしているのを実感した。 (後藤 隆様) (99/04/16) |
後藤さん、はじめまして。「フォーラム」へようこそ! いやぁ、初めて生でお聴きになったBCJがあの「マタイ」とは、素晴らしい巡り合わせでしたね。特に最終日の佐倉公演は出色の出来映えだったとうかがっております(残念ながら私は聴いておりません・・・) 本当に、厳しさと癒しのバランスが見事にとれた演奏だったと思います。今までに、悲劇性に主眼をおいた「マタイ」や、愛による赦しをクローズアップした「マタイ」と、色々聴いてまいりましたが、今回のBCJの演奏は、その両面にバランスよく光をあてることによって、その両者が分かちがたく結びついていることを、まさに「現代人に与える啓示」として示してくれたのではないかと思っています。聴き手がどちらの面に「マタイ」の魅力を感じているかによって評価の幅も出てくると思いますが、私にとって新鮮なこの両者のバランスは、まさに「事件」であったと申せましょう。 すでに第一曲でその「赦し」を予感させてくれる静岡児童合唱団(指導:戸崎裕子)によるコラール合唱は、本当に感動的なものでした。聞くところによりますと、彼女たちが最後の佐倉公演を終えて帰途についた列車の中では、「よい経験が出来た」との感激で涙、涙だったそうです。 そういえば、その「リピエーノ」のソプラノに、4月2日のオペラシティ公演では、ホールの大オルガンで響きの補強をされていましたが、これについてBCJ関係者の方におうかがいしましたところ、他の公演ではやらなかったそうですが、神戸・松蔭チャペルでのレコーディングでは、チャペルの大オルガンを使って補強をして録音したそうです。(オルガンのピッチが下がり気味なので、調整には強いライトをあてておくなどの処置が必要で大変だったそうです) 早くCDも聴いてみたいですね! 古楽の「事件」はまだまだ続きます。次はカンタータコンサートです。後藤さん、是非カンタータもお楽しみください! (矢口) (99/04/21) |
118 | 《ご無沙汰しています》 矢口さん、ご無沙汰しておりますがお元気そうで何よりです。 BCJのメンバーはじめ皆様の動向についても、毎日必ず2回以上は覗く“VIVA BCJ”から情報を仕入れております。(3万人目のゲットには見事に失敗しましたが…) (中略) このところようやく時間の余裕が出てきましたので、久しぶりにお便りしています。 このたった3ヶ月の短い間にいろいろなことがありましたね。 イスラエルツアーから始まって、マタイも終わってしまったんですね。まさに光陰矢の如しの感です。 小生の所にも、昨年暮以来着々とCDが集まり、ようやく第9集まで揃いました。 全てをじっくりとは聞き込んではいませんし、ざっと聞き流す程度の聞き込みですが、どれをとっても感動するのは勿論、更にのめり込んでいくのが分かるので、少々恐ろしい気持にもなってきました。たまにベートーヴェンの交響曲などを聴いても、音色そのものが派手派手に感じてしまって、以前の様に溶け込めなくなって来ました。特に管楽器についてはもうモダン楽器の音色に違和感を持ってしまう様な状況です。この年になって今更「刷り込み現象」ではないでしょうけれど、しばらくはこのような状況が続きそうです。 相変わらずBCJの生演奏に接する機会がありませんので、フォーラムに出てくるお話はとりあえず指をくわえて読むこととし、その後手に入れたCDの中で最高に心の底から鼓舞されたBWV76(第9集)についてのみ感想と賛辞を送っておきたいと思います。 冒頭の神を賛美するかの様な(3拍子系は神を表すそうですね)華やかなトランペットから既にこの音楽に吸い込まれてしまい、実に高まった気持ちでいたところ、そのあとのテノール、バス、ソプラノ、アルト(カウンターテナー)、と続いてどんどん展開されていくフーガにもう感動してしまって1回目では何を聞いたのか分からなくなり興奮のまま終わってしまった感じがします。このような展開は小生の大好きな、モテットBWV227(第3番)の中にも共通した部分がある様に思います。これで最後がMollの曲運びからDurのカデンツで終わる、俗に言う「バッハ終止」になっていたら、それこそ典型的な「バッハ節」ですが、この曲自体がDurですからそうは行きませんね。 1曲目のコラールで大感激していたら、2曲目でテノールがテュルク氏だと知って驚嘆し、3曲目の美登里さんの何とも可愛いらしい付点付きのアリアにうっとりし、浦野智行氏(ともゆき氏ではなく、ちゆき氏だったのですね)の、コーイ氏とはまた違った実に柔らかいレチタティーヴォとアリア、そしてそれを支えるシンコペーション気味のトランペットに心を奪われていると、ロビン・ブレイズ氏のカウンターテナーと続きます。そして第1部終曲のコラールでの合唱を何とも哀愁感たっぷりの音色で引っ張っていくトランペット(BWV12もいいですね)。随分新鮮に感じる部分が多いけれど、どこかで聞いたことのあるような親しみを感じながら聴かせていただきました。 今回初めてロビン・ブレイズ氏の声を耳にしましたが、米良氏とは全く違って、まだ荒削りと思える部分がないわけではないけれど、この先が実に楽しみな人が出てきたと思います。あら探しをするわけではありませんが(実はしていたり…)、第1曲目のフーガの歌い出し部分が地声のままなのが唯一残念な部分です。それと、BWV24冒頭のアリアでの口先だけでの呼吸が若干目立つのが気になりました。もっと腹から声を出してほしい。でなければ軽すぎると思います。これから伸びていくことを大いに期待します。 米良氏は年は若いが、いろいろな場面で既に完成されていた様な気がします。 また、テュルク氏の、クリスマス・オラトリオでの若干金属的に聞こえるのとは違った、実に柔らかい発声も魅力です。第2部3曲目の実に荒々しい調子のアリアでも全くとげとげしく聞こえませんね。この部分の歌詞と旋律は非常にアンバランスな感じがしますし、日本人の発音ならぎくしゃくしてしまいそうなのですが、さすがだと思います。 生演奏が聴けないので、放送でも色々と楽しませてもらいました。 ジェラール・レイヌ氏や、ラ・プティット・バンド、そしてつい先日にはリヒターのマタイも放送されましたね。 レイヌ氏については、現在米良氏に心酔している状況からは、残念ながら新たな感動を得るには至りませんでした。数ヶ月後に期待を持ってまた聴いてみます。 LPBは、何といってもバルホルト・クイケン(Barthold Kuijken−昔の紹介ではバルトルドではなく、こう書かれていたと思います)。過去に氏の演奏するモーツァルトのフルートカルテットを聴いて以来フラウテ・トラベルソの魅力にハマり、ハンス=マルティン・リンデなどを聴きあさった経験の持ち主としては、何といってもB・クイケンが一番でした。……がしかし……どうだろう……ジギスヴァルト・クイケン氏と寺神戸氏師弟のヴァイオリンの掛け合いは……などと聴いているうちに、BCJにも通じるこの団体のアンサンブルそのものの魅力に参ってしまいました。相変わらず秀美氏も素晴らしいですね。チェロと、ヴィオラ・ダ・ガンバとのアンサンブルなど、最高の魅力です。多分不特定のメンバーで運営されていると思われますが、やはり同じ目的に向かって燃えている集団なのですね。 ところで長兄のヴィーラント・クイケン氏はどこにいらしたのでしょうか。あの眼鏡をかけた、チェロとガンバを持ち替えていた方がヴィーラント氏だったのでしょうか。その後、海外のサイト(http://www.accent-records.be/WKUIJKEN.HTML)にアクセスして顔 写真を入手したのですが、年代が違うのと写真が小さく鮮明でないのとで、似ているとは思うのですがよく分かりませんでした。ご存じの方がいらしたらご教示頂ければ幸甚です。(ジギスヴァルト氏とバルホルト氏は全くのそっくりさんですが、ヴィーラント氏はこの二人とは頭髪も含めて全く似ていないはず…と思います) リヒターのマタイは1971年の数日間にわたるスタジオ録画ですが、オーケストラと合唱団のボリュームに参ってしまいました。そして冒頭から響き渡るオーボエとフルートの朗々とした音色。本当はリヒター様のマタイなのですから、感動しなければいけない筈なのですが、何か別の世界の物だという印象の方が強く感じられてしまい、とても最後まで聴くことが出来ませんでした。 離れ小島でのただ一人の生活を強いられるとすれば、どんなレコードを持って行くか…と問われて、一番多い答が「マタイ」だと言うことですが、今の小生にとってはそれほどのマタイに出会ったことがありません(勿論大好きな小沢征爾氏−サイトウ・キネン・オーケストラのものも含めて)ので、現在の小生にとってはBCJの「クリスマス・オラトリオ」かコルボのフォーレ「レクイエム」と言うことになります。その様なわけで早くBCJの「マタイ」に接してみたくて気持がはやるのを覚えずにはいられません。 先月27日に母校の合唱部の定期演奏会に混ぜてもらい、OB集団として20数年ぶりにステージに立って歌ってきました。残念ながらバッハはプログラムにはありませんでしたが、ハレルヤコーラスなど7曲ほどをそれこそ腹一杯歌い、心の底からしびれて参りました。しかし、最近のニューミュージック系の合唱曲はなかなかついていけませんね。転調、変拍子、シンコペーション…練習期間は馴染めずにいたのですが、それでも本番では見事に燃えてきました。(そう思っているのは自分だけ?) そのあとはOB十数人でススキノの歌えるお店に行き(カラオケにあらず)、童謡や唱歌、ドイツ民謡などをまた腹一杯歌い、昨年のレクチャーで札幌にいらした礒山教授の話などを肴に大いに盛り上がって来ました。 歌仲間は素晴らしい。歌を通じて魂を通じ合えることってとても素晴らしい。これは音楽を通じて魂そのものを通じ合えるBCJと小生の関係にも言えることだとつくづく思います。 “VIVA BCJ” そして「ありがとう BCJ」 またお便りします。 (越野義貴様) (99/04/14) |
越野さん、こちらこそご無沙汰しております。楽しいお便り、ありがとうございました。 カンタータCD第9巻は、私も今までの中でベストな出来だと思います。私は24番の冒頭曲が気に入りました。ロビンの発音については越野さんのご指摘のような難点はあるのかも知れませんが、冒頭のテーマが再びめぐってくるときの何とも言えない絶妙なルバートなど、何回聴いても聴き惚れてしまいます。ロビンはこのCD制作時がBCJとは初共演でしたが、その後幸福な共演を重ね、とても素晴らしいコンビネーションが出来てきていると思います。「マタイ」でも名唱を聴かせてくれました。秋の(10月22日)BCJ「マタイ」CDの発売を楽しみにお待ちください。“無人島への一枚”は決まりかな? (フォーレのレクィエムといえば、3日前の4/16日、東京芸術劇場でフルネ指揮都響の演奏を聴いてまいりました。ゆったりとしたテンポの中に適度な緊張としみじみとした味わいを織り込んだ素晴らしい演奏でした!) LPBの放送は昨年秋の来日公演のものをご覧になったのだと思いますが、あの時ヴィーラント・クイケン氏はチェロで出演していたはずです。「ブランデンブルグ協奏曲4番」のチェロは彼が弾いてくださっていたのではなかったかと思います。なかなか風格のある演奏ぶりでした。 リヒターのマタイは、私は以前よりVHDでその映像を持っていたのですが、今回のNHKの放送ではとても映像が美しいことが印象に残りました。演奏については私は高く評価しているのですが、ちょうどBCJの「マタイ」埼玉公演を聴いて帰ってきたその日に放送がありましたので、やはりBCJの「マタイ」はすごかった、と改めて思った次第です。 BCJの「ヨハネ第4稿」のCDはもうお聴きになりましたか。米良さんも出演されているこのCDもなかなかの出来映えですよ。お聴きになりましたら、是非またご感想などおうかがいしたいものです。それでは。 (矢口) (99/04/19) |
117 | 《春星を ひとつ掲げてバッハ聴く (於:名古屋 マタイ受難曲を拝聴)》 いつもBCJの情報をありがとうございます。朝のバロックで鈴木雅明氏とBCJのことを知り、concertに行きたいと想ったのですが、貴方様のコンサート情報のお陰で、名古屋公演マタイ受難曲を拝聴することができました。心が透き通るまで毎日cdを聴いて、リフレッシュしています。 BCJの貴重なinformation 楽しみにしています。毎日、更新されるのはとても大変なことですが、これからも期待しています。イスラエル公演reportも即英文で読め、感動いたしました。初めてmailを送らせていただきました。 BCJを知ったのが、昨年末 そして、viva!BCJ のhome-page をすぐに見つけ、さまざまの情報を得ることができました。そして、3/28(日)のconcertが実現! 図書館から礒山雅氏のバッハ=魂のエヴァンゲリストや、『マタイ受難曲』を借り、予習しておきました。私もpre-lectureのつもりで、カール.リヒターのCD3枚組を毎日聴いて、独語辞典を買い込んで時間を可能な限り充てました。当日は、家事を済ませ、お昼過ぎの快速列車で菜の花畑を車窓より楽しみ、駅弁を味わいながら、会場に向かいました。 マエストロ鈴木雅明氏の指揮、鈴木秀美氏のチェロ、本当に洗練された、心暖まるソロ、合唱、演奏、最初から、最後まで、心地よい音色に包まれ、3時間半は、過ぎて行きました。朝のバロックで、鈴木氏が中学時代に真夜中にずっと、バッハの音楽を聴いておられたこと、また、番組内で、美しい音楽をご紹介下さり、その溢れる感性に共感を覚えましたが、コンサートで新たに実感いたしました。 The Humanitarian Diamond of Bach...のイスラエルツアーの新聞評がよぎりました。 52、Aria(アルト)が、こころのなかを流れ出すと、I couldn't help shedding tears....でした。 そして、I was deeply inspired by Bach & BCJ . 隣の席で、音楽に耳を澄ませていた夫も大満足で、特に、Robin Blaze氏に圧倒されました。また、私の席から、秀美氏のチェロがよく見え、その誠実な、真摯な演奏法が、とてもすてきな印象を受けました。 チェロは、YOYO Ma のsimply baroqueが、気に入っていましたが 無伴奏チェロ組曲は、秀美さんのものを購入したいと想いました。 いつまでも、あの日のマタイが、こころを流れています。 今度は、C.モンテイヴェルデイの倫理的、宗教的な森 の頃に...と願っています。 それまで、わが通勤の朝晩のBGMはBCJのCDで、reflesh な日々を過ごします。鈴木氏のチェンバロ演奏や、小川さんのピアノの第九も、透明感溢れ、愛聴しております。(中略) 本日は、マタイ受難曲 の感想まで。 春星を ひとつ掲げてバッハ聴く 晶子 (Akiko Suzuki様) (99/04/12) |
Akiko Suzukiさん、はじめまして。お便りありがとうございます。今回は2通頂戴したお便りを当方で一つにまとめてご紹介させていただきました。どうかご了承ください。
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116 | 《BCJのマタイが終わりましたね。》 こんにちは矢口さん、初めてお便りします。 BCJのマタイが終わりましたね。 千葉在住の私は都合により近場の佐倉での公演に接することができなかったものの、名古屋公演に接することができました。 その喜びは日を追って深まるばかりです。 CDを含むメディアで何度か“マタイ”に接してきたわけですが、今回初めて聴いたライヴの“マタイ”は、それらの記憶を全部きれいに洗い流してくれました。 第1部のゲッセマネの場面だったかと思います。 イエスの語りに常に付けられる弦の音が、人間のはだの温もりのような、そしてイエスが語り進めるにつれ、ちょっとでも触ると壊れてしまいそうなガラス細工のようなニュアンスで響きました。 イエスの“後光”ともたとえられる弦の音の中に、人間のはだやガラス細工を見てしまった私の聴き方は邪道でしょうか。 こんな印象をオリジナル楽器から受けようとは夢にも思いませんでした。 その思いが強かったからでしょうか、第2部の息詰まるような展開は、聞き手に対しても“運命は事の進行を待たない”と無言で訴えてくるようでした。 聴きなれていたはずの群集の合唱が何曲か激烈に歌われるうちに“この先さらに進むと一体?”という危機感すら覚えました。 それだけに、中に挟まれたコラールや、正直申し上げて時々長ったらしく聞えるアリアが、この日は全て本当に心に染み入りました。 そして運命がイエスに“神よ、神よ、なぜ私をお見捨てに”と最期まで人間として叫ばせ死なせる場面は、悲しく、というより何とつらく響いたことか。 だけど何故だろう、群集が“墓を見張るよう命令してください”と歌うころになると、あれほど切羽詰まったところまで追い込まれていたのに私の心は意外なほど平静で、不思議な感慨をかみしめる自分がいました。 この日のステージ上の皆さんの気迫と集中力は並大抵ではありませんでした。 みんな素晴らしかった。 ペーター・コーイがイエスを妙に超人ぶらずに歌ったのは嬉しかった。 櫻田亮さんも浦野智行さんも素晴らしかった。 今度は福音書記者やイエスの役で登場してほしい。 ロビン・ブレイズの声も表現も素晴らしかった。 そして“愛の御心から”に至っては、生前のイエスによって不治の病から助けられた人の魂がナンシー・アージェンタに宿っているようでした。 こんな聴き方はやはり邪道ですか? これ以来“愛の御心から”は単純に“私”の立場からのアリアと思えなくなりました。 ゲルト・テュルク。 ここぞという場面で彼は完全に客席に体を向けて歌いました。 その都度、私が今までに聴き知った福音書記者のイメージを叩き壊す歌が響きました。 線の細い声というのは確かだけど、それが弱さを全然感じさせない。 イエス捕縛の場面やゴルゴタの場面での気迫に満ちた表現など一生忘れられません。 気迫に満ちた表現といえば、それこそ終始一貫していたのがBCJの皆さんでした。 だからこそ客演する世界的な歌手たちからも信頼されるのでしょう。 弦も管も、鈴木秀美さんのチェロを始めとするコンティヌオも素晴らしかったけど、平尾雅子さんのヴィオラ・ダ・ガンバに至っては仰天しました。 前後のナンバーでの楽器の音色と、あれほど親和性があって、あんなに優しく響くとは、この日以前に自分は何を聴いていたのか? そもそもCDなどで今まで聴いてきたBCJ以外のオリジナル楽器演奏は博物学的趣味の世界にとどまっているだけだ! 合唱も素晴らしかったですね。 激昂する群集の描写もすごかったけど、“神よ憐れみたまえ”の直後のコラールで“(前略)私は罪を否みません。 しかしあなたの恵みと愛は(後略)”と歌われる部分では不覚にも目頭が熱くなりました。 そして鈴木雅明さん。 感傷に流れ易いアリアやイエスの死以後のナンバーなどをやや速めのテンポで進めるところなど、音楽そして自分自身に対してすごく厳しい方とお見受けしました。 立って激しい身振りでステージ上を厳しく統率するかと思うと間髪を入れずオルガンに指を走らせる、その姿に私は最初から最後まで圧倒されてしまいました。 終末合唱を指揮する鈴木さんを見ていると、全ての聴衆の様々な感慨を抱き留めようとしているようでした。 そして鈴木さんは最後の音が消えても、両手を下ろすまで私たちに拍手を忘れさせてしまいました。 マーラー作曲の第9交響曲の場合とはちょっと違うけど、何と素晴らしい沈黙そして聴衆。 ステージ上の皆さんが、あんなに音楽に厳しく肉迫したことへの驚き、それによって生まれた“マタイ”への感動。 喜びは日を追って深まるばかりです。 from KOSHIMIZU (KOSHIMIZU様) (99/04/08) |
KOSHIMIZUさん、はじめまして。「フォーラム」へようこそ! 今回のBCJ「マタイ」の魅力を余すことなくお書きいただいたご感想をありがとうございました。 本当に素晴らしい体験でしたね。3月28日の名古屋公演は、神戸・松蔭チャペルでのレコーディングセッションの合間をぬって行われたものですが、終演後の静寂など、素晴らしい雰囲気の中で行われた公演だったようですね。 マーラーの第9交響曲のあとの沈黙は、あえて申し上げれば“死”もしくは“無”の沈黙でしょう。私も1985年9月8日のバーンスタイン/イスラエル・フィルの来日公演(NHKホール)で、1分にも及ぼうとする金縛りにあったような沈黙を経験しました。しかし、受難曲のあとの沈黙は“祈り”の沈黙であり、それは“復活”への希望に結びつくものに他ならないと思います。BCJでは、'95年の、CDにもなったあの「ヨハネ」の初日の演奏で、深い思いのこもった沈黙を味わったことがあります。今回の「マタイ」ツアーで私のうかがった東京、埼玉(2回)の公演では残念ながらその沈黙の深さを最後まで味わうことはできませんでした。(もし受難曲も定期公演の中で取り上げてくださればこの終演後の沈黙の深さも共有できるのかもしれないと、ちょっと思いました。) しかし、心の中ではとても深く受けとめられた演奏の数々だったと思います。 “邪道”な解釈、受け止め方などないと思います。私も「マタイ」はもう何度も様々な形で聴いてきましたが、今回のBCJの「マタイ」でいくつもの新しい発見をしました。その一つがKOSIMIZUさんもご指摘されている「正直申し上げて時々長ったらしく聞えるアリア」についてです。 私はこの「マタイ」の中で第52曲のアルトのアリア“私の頬を流れる涙が・・・”がどうも苦手で、ダ・カーポの繰り返しをカットする演奏に出会うと「我が意を得たり」と思っていたのですが、今回のBCJ「マタイ」ではこの曲の持つ意味が今までとは全く違うように感じられました。この曲の基調となるリズムは付点8分音符と16分音符による「ターンタ、ターンタ、ターンタ、タン」というはねるようなリズムです。これが前の第51曲に登場する“むち打ち”を象徴するリズムであることはよく知られたことで、そのリズムがいつの間にか涙があふれ出る嗚咽のようになっていくところがミソ、と思っていました。もちろんそれはそのままあてはまると思うのですが、今回の演奏でのとてもきびきびしたそのリズムの運びをうかがいながら、私はカンタータ第140番の冒頭合唱曲のリズムを思い浮かべました。名曲第140番「目覚めよ、とわれらに呼ばわる物見らの声」の冒頭曲は、やはり3拍子の同じはねるリズムを基調としています。そのリズムについて、かつて鈴木雅明さんがカンタータのレクチャーで「このリズムは王の入場の時などに演奏されるフランス風序曲のリズ ムです」とおっしゃっていたのを、今回この「マタイ」第52曲のアリアを聴きながら思い出したのです。この第52曲のすぐあとにまさにあの“受難のコラール(第54曲)”が鳴り響きます。つまり、受難を通してイエスが真の王であることを現すことの先がけとしてこの第52曲に“王の入場”を象徴するリズムが使われたのではないか、ということに思い至ったのです。むち打ちがすなわち真の王の入場を意味する、という受難の意味そのものをこの曲のリズムが担っていると思ったその瞬間から、私にとってのこの曲の持つ意味はまったくその重さを変えてしまいました。本当に噛みしめるようにこの曲を味わった後にくる”受難のコラール”はますます痛ましく、そして甘く心に響いたものです。 それぞれがそれぞれの受け止め方で「マタイ」を感じることのできた今回の演奏は、まことに得がたいものであったと思うこの頃です。 (矢口) (99/04/11) |
115 | 《カザルスホール 2000年問題》 みなさん、こんにちは。佐々木晶一と申します。 もう既に御存知の方も多いでしょうが、BCJにも縁の深い東京・御茶ノ水にありますカザルス・ホールが、親会社の主婦之友社の再建計画のあおりをくらい、なくなってしまうことになりました。 正確には、カザルス・ホールという建物は貸しホールとして残るが、今までのような自主企画を行うホールではなくなるということです。詳しくは、3月28日(日)の毎日新聞の朝刊をご覧ください(東京では載っていましたが他地域では不明です)。 そこでみなさんにお願いがあります。 ホールを残すには 1:長銀、三和銀行が再建計画を見直す 2:自主企画を行うグループをうまいことすくい出して独立させる ということが考えられます。そのための行動にお力をお貸しいただけませんか。 カザルスホール側では、東京にあまたある室内楽専用ホールの中で何故カザルスホールなのか、知りたいそうです。それを知る事で、どの部分をすくいだせばいいのか決まっていきます。これは、ホールに直接お電話されても構わないでしょうし、私のところにDM(sasakisy@geocities.co.jp)で下されば、責任をもって伝えます。 横浜フリューゲルスが再建できたんですから、カザルスホールだってできるさと思って、全くのボランティアでやることにしました。私の行動はホール側と連携して行っているものではまったくなく、一人で自主的に行っているものですので、この件に関しましての苦情は私、佐々木の方へ直接お願いします。 私のホームページでもこの件専門に扱うことにしました。 http://www.geocities.co.jp/Hollywood/3959 です。 それではよろしくお願いします。 (佐々木晶一様) (99/04/07) |
佐々木さん、「フォーラム」へようこそ。しかし、いきなり難しい問題ですね。 カザルス・ホールはやはりBCJのふるさとの一つですよね。あの第1回東京定期から「カザルス時代」の思い出はBCJの活動がどのような形になっていっても、決して忘れられるものではありませんし、忘れてはならないことだと思います。 とりあえず「貸しホール」としては2000年以降も残る可能性があるそうですが、今年1999年はついに自主企画に雅明さん、秀美さんが登場、という運びになっただけにますます残念です。ちなみに雅明さんはオルガンシリーズ('99.11.5[金] 19:00)、秀美さんはチェロシリーズ('99.10.23[土] 19:00)にご登場です。(それぞれ、カザルスホールのHPにリンクしています) 私たち一人一人ができることは限られているかも知れません。しかしその“わずかなこと”を実行していくことこそが今必要なのかも知れません。みなさんお一人お一人のお考え、お気持ちなどを佐々木さんにお送りいただければ幸いです。私も自分なりに色々考えてみたいと思います。とりあえず6月の寺神戸さんの「スプリング・ソナタ・リサイタル」でカザルスホールにうかがうので、楽しみにしています。 (矢口) (99/04/11) |
113 | 《『マタイ受難曲』を与野で・・・》 3月21日、4月3日と2回聴くことができました。実演は過去に3度体験しましたが“マタイ”を聴きはじめて20年、ようやく自分自身の中でも満足できる実演に出合うことができました。過去の3回は聴き通すことに精一杯だったり、かなり聴きこんだ年齢になっての実演では、まったく中身のない空虚な公演に出合い、怒る気も失せてしまった記憶があります。 何を隠そう(隠しているわけではありませんが)僕は鈴木雅明さんとは同い歳なんですね。同世代として感謝したいと思っています。 昨年12月には、勤続休暇を利用してドイツを旅行。数時間の途中下車ではありましたが、ライプチヒの聖トマス教会へようやくバッハ詣が叶いました。 またいずれの日にか鈴木さん&BCJの“マタイ”に巡り合うことがあることを祈りつつ。 (古屋賢一様) (99/04/05) |
古屋さん、「VIVA! BCJ」にようこそ! 埼玉での「マタイ」2公演を聴いてのご感想、ありがとうございました。 3/21公演もよかったのですが、4/3の公演は私にとっても古屋さんとまったく同じことが言えるコンサートになりました。まさに「納得のいく『マタイ』公演」だったと思います。私が今までに聴いたすべての「マタイ」の演奏、すべてのBCJの演奏を凌駕する、圧倒的な説得力を持った演奏でした。4/4の佐倉公演はうかがっていないのでわかりませんが、まさに「ベスト」なパフォーマンスだったと思います。BCJのみなさん、本当にありがとうございます。 さて次にBCJの「マタイ」に接することができるのは、まず今回レコーディングされたCDの発売(99/10予定)時でしょう。じっくり何度も今回の演奏のエッセンスを噛みしめられるものと、楽しみです。 では、実演では? こちらはまだ未定ですが、思いの外早く接することができるかも知れません。情報がわかり次第またご報告いたします。 (矢口) (99/04/07) |
112 | 《大阪「マタイ」を聴きました》 (前略)さて、イースターを迎え、「マタイ受難曲」が完成した気分です。「ヨハネ受難曲」の時に鈴木さんがおっしゃっていたように、受難で終わるのではなく、復活へと続く希望を内包しているからです。 I教授のコンサート訪問記にあるように、実に引き締まった演奏だったと思います。ことによったら、鈴木さんて、厳しい方だなという印象をもたれた方がいらっしゃるかもしれません。3時間半、ゲルト・テュルクの彫りの深い語りによってぐいぐい引き込まれて、速いテンポ、力強い合唱に圧倒される思いでした。 「ヨハネ受難曲」より「マタイ受難曲」のほうがドラマチックですね。「ヨハネ」はBS放送で見ただけですが、なんか哲学的な感じで、静かに自分の罪を省みるという印象ですが、「マタイ」は様々な矛盾を抱えた生の人間の存在に迫るものを感じさせてくれます。イスラエルツアーが鈴木さんの演奏に強い影響を与えたのでしょうか? それにしても、バッハの時代は受難日をこんなに時間と精根を傾けて、大切に守ってきたんですね。67曲のソプラノ「生きるかぎり あなたの受難にかぎりない感謝を捧げましょう。あなたが私の魂の救いをこれほど大切にしてくださったのですから。」ほんとうにそうです、という気持ちでいっぱいで、終曲の合唱を歌っていましたよ私も。 大阪ザ・シンフォニーホールは広がりのある、豊かな空間を持ったホールでした。一階席の真ん中あたりで聞きましたが、とてもよく響きが伝わり、すばらしかったです。そしてこの辺には「神戸後援会」の皆様も何人もいらしてましたよ。また、松蔭とは違って、楽屋出口で大勢のファンがサインを求めて群がっていました。もちろん、ミーハーのわたしもロビンにサインしてもらいました。でも、これって松蔭でもしてもらえるんだけど・・・なぜか松蔭ではあまり「サイン」してもらっている人は見掛けませんね。群がってサインしてもらう方が、してもらいやすいのかな? (大庭美登里様) (99/04/05) |
大庭さん、こんにちは。ご感想ありがとうございます。 今回のBCJ「マタイ」は、ユダヤ人(群衆)の言葉に隠された真実を見る(プレレクチャーでの雅明さんのお話から)といったアプローチ(実際、「ユダヤの王」というテキストの部分など、キリスト者にとっての真実を語っている場合はその部分が強調されていました)からも、天の定めの「成就」の側面をも重視した演奏だったと思います。場所によっては「ヨハネ」的とすら思える部分もあったように感じました。しかし「マタイ」ならではの“流れ出る愛”も充分に受けとめることができました。冒頭合唱などは以前のBCJの演奏よりはゆったりとしたテンポで彫りの深い表現を聴かせてくれました。これらのことの背景として、大庭さんもご指摘のイスラエル・ツアーでの経験は大きかったのではないでしょうか。 サインを求めるファンはオペラシティにも与野にもいらっしゃいました。たしかに松蔭ではあまり見かけませんね。松蔭では、もう十分に親密な時間を共有できているからかも知れません。こんなところにも松蔭のかけがえのなさを感じます。 (矢口) (99/04/07) |
111 | 《マタイ受難曲を聴いて》 4月2日「マタイ受難曲」を聴いてまいりました。4月2日というのは、40数年前、私が生まれた日なのです。私から私へのお誕生祝いとしては、最高のものでした。 思い起こせば、1991年の3月に、上野学園のホールで「マタイ」を聴いたのが、BCJとのご縁の始まりでした。その頃私の興味は、ソロで参加するマイケル・チャンスにあったのでした。カウンター・テナーに魅せられて、バロック音楽に猛進していた頃です。 91年のBCJとの出会いは本当に幸せでした。この時、もちろんチャンスはすてきだったのですが、BCJにも本当に感動しました。とても、真摯な演奏で。ものすごく、「熱い」ものを感じました。 演奏終了後、涙ぐんでいらっしゃる方もいたりして。それから、8年たってしまいました。 今回は落ち着いて「マタイ」を聴きました。アルトのソロがチャンスではなかったけれど、また、イエスがエグモントでなかったけれど、ロビン・ブレイズもコーイもよかったです。 私は「マタイ」の第42曲「私のイエスを返してくれ!・・・」がとても、好きなのです。第2オーケストラでソロのヴァイオリンを弾く若松さんが、音も姿もすてきですね。8年前も、今回も。8年前の「マタイ」の時は勤務している図書館が大引越でてんやわんやしている時でした。もしかしたら、時間どおりにいけないかもしれないと心配していました。 今回は図書館のコンピュータシステムの入替で、またもや、てんやわんやで時間どおりにいけない!と心配でしたが、速攻で間に合いました。よかった。「マタイ」というと仕事がてんやわんや。 最後に皆様に一つ、おすすめを。バッハと同時代の人、クーナウの宗教曲集がハイペリオンから出ています。ロビン・ブレイズが参加して美しい声を披露しています。ぜひ、こちらも聴いてみて下さい。 もし、BCJで「マタイ」をレコーディングする時は、ロビンをアルトに起用して下さい。 (岩佐圭子様) (99/04/04) |
岩佐さん、お誕生日おめでとうございます。また1日遅れですが、イースターおめでとうございます。(宗派が違いましたらごめんなさい・・!) そして、受難日の「マタイ」のご感想、ありがとうございました。 私もBCJとの出会いが、あの91年の「マタイ」でした。(お便りの中からコンサート・データにリンクしています) 8年・・・、早いものですね。しかしBCJの素晴らしさは変わらないばかりか、ますます輝きを増していることに大きな喜びを感じます。 第42曲は話題の尽きない曲ですね。はたしてこの曲が裏切り者ユダの救いを意味するもの(礒山教授説)なのか、お金というものにつきまとうサタンの力を描いたもの(鈴木雅明説)なのか、みなさまいかがお考えになりますか? その解釈をめぐって3月14日、礒山先生vs雅明さんの激論が行われた佐倉で、今年の「マタイ」もついにその幕を閉じました。奇しくも、礒山先生はその激論が戦わされた佐倉で今回の「マタイ」をお聴きになったはずです。 ナンシー・アージェンタはあの91年の公演以来のBCJとの共演でしたね。あの時のチャンスとのコンビでの第一部の終わり近くの二重唱は、今でも印象に残っています。しかし今回のロビンとのコンビも素晴らしかったですね。そしてロビンの「憐れみたまえ」のアリア。2日の公演でも本当にひきこまれました。寺神戸さんのソロもすごかった。 レコーディングはもう神戸で無事終了しているそうです。もちろんアルト・ソロはロビンです。ロビンはコラールや合唱曲でも座ったまま口ずさんでいましたね。 おすすめいただいたロビンのCDは、AHさんが詳しい紹介をしてくださっていますのでお便りの中からリンクをはってあります。是非お目通しください! BCJ「マタイ」のCDは、10月22日、今回は世界に先駆け日本で最初に発売されるそうです。楽しみでなりません。 4/1の大阪公演と4/2のオペラシティ公演をキャンセルしたバス・ソロの浦野さんも、4/3の埼玉公演(2回目)ではなんとか“復活”し、素晴らしい歌声を聴かせてくださいました。4/1、4/2にはバスのアリアも歌ってくださったコーイさんは、円熟の技でこのアクシデントを助けてくださいました。(まさにイエスの救い?!) さあ、イースターも過ぎ、様々な物事が新しいスタートを切りました。この素晴らしい「マタイ」の愛のメッセージを胸に留め、気持も新たに毎日の生活に臨んでいこうと思います。 (今日が実質転勤初日の矢口でした) (99/04/05) |
110 | 《BCJへの意見です。》 はじめまして。いつも楽しくこのホームページを拝見させて頂いてます。 もしよろしかったら今度は合唱の方達の特集などが読みたいです。 いつもカンタータや今回のようなマタイなどでは絶大な力を発揮する偉大なBCJの合唱の方達 !! 楽屋話や彼らのBCJにかける情熱など垣間見てみたいです。(私は3日の与野本町にお邪魔しますが。) ([匿名希望]様) (99/04/01) |
お便り&ご意見ありがとうございます。 BCJ合唱団は、その時々の演奏曲目や様々な条件によって毎回吟味に吟味を重ねた末に組織されるえり抜きの合唱団と言えるのではないかと思います。(オーケストラも同じです!) もちろん、核になるメンバーはいらっしゃるわけですが、一人一人が独立した音楽家として様々な活動に取り組んでいらっしゃいます。そんなみなさんの色々な面も是非ご紹介したいものですね。メンバーの方でHPをご覧いただいているみなさま、よろしかったら雅明さんがお困りにならない程度の「エピソード」やBCJへの思いなどお寄せいただけませんでしょうか。また身近にメンバーの方々のご活躍をご存知の方も、そのご様子などをお知らせいただけましたら幸いです。お便りお待ちしています! さあ、今日は最大規模の合唱が歌う『マタイ』東京公演です。 その“偉大さ”を思う存分味わってきます! (矢口) (99/04/02) |
109 | 《ありがとうございました》 BCJを愛する皆様、私はプログラム編集をさせていただいております野中裕と申します。 このホ−ムページでも告知されましたように、3月27日に私の指揮する合唱団「スコラ・カントールム」が、バッハより丁度100年前に生をうけたドイツの作曲家、ハインリッヒ・シュッツの受難曲(「十字架上の七つの言葉」「マタイ受難曲」)を特集する演奏会を開きました。特に「マタイ受難曲」は一切の器楽伴奏を用いず、朗唱と合唱のみで構成される大曲のため、どこまで皆様にこの曲の良さが伝わるのか大変不安なまま当日を迎えました。ところが、当日はBCJファンの方々に多くご来場いただき、上記のような心配は全く杞憂に終わりました。 私たちのようなアマチュアグループの演奏会に毎回関心を持っていただき、心から感謝しております。どうしても御礼を申し述べたく、不躾ながらこの文章をしたためました。本当にありがとうございました。 今後とも、BCJをよろしくお願いいたします。そして、そのご支援の一端なりとも私たちの合唱団に向けていただければ、これに勝る幸せはありません。 私もさらに精進し、BCJと、古楽の発展のために微力を尽くしてまいります。 それではまた、BCJの演奏会場でお会いいたしましょう。 (野中 裕様) (99/03/31) |
先週の土曜日、冷たい雨の中、鮮烈なシュッツの演奏で私たちの心を奪った「スコラ・カントールム」の指揮者、野中さんからお便りをいただきました。ありがとうございます! 演奏についてはAHさんのご感想を是非ご覧いただくことにして、情報系の「VIVA! BCJ」としては「スコラ・カントールム」の次回公演について、詳細は未定ながらも第一報をお届けしましょう。 「スコラ・カントールム」第9回定期演奏会 2000年3月上旬(予定) 創立10周年企画 J.S.バッハ『ヨハネ受難曲』 片野耕喜(福音史家)、諸岡範澄(チェロ)他 予定 指揮:野中裕 合唱:スコラ・カントールム ・・・豪華版ですね! 楽しみに待ちたいと思います。 そういえば今回の演奏会でも、アンコール(+予告編?)として「ヨハネ」の終結コラールを聴かせてくださいました。ストイックなシュッツの後だけにとても華やかに感じたことが新鮮でした。 (矢口) (99/03/31) |
108 | 《マタイ受難曲を聴いて》 マタイ受難曲 21/3/99 彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール まったく,何という曲なんだろう? 2000年、バッハ,と誰もが思い,誰もがバッハ一色になることを楽しみにしている。私もその一人であり,バッハで始まりバッハで終わる,そんな感じがしている。 「マタイによる福音書」を読んだこともあったし,イエス・キリストの受難についても,ある程度は自分なりに理解していると思っていた。そして,「マタイ」という言葉に何故か不思議なもの,響きを感じてはいたが,それは,マタイ受難曲という「曲」によるもの,つまり,旋律や和声などの曲の持つ「力」によるものなんだろう,と漠然と思っていた。 しかし,対訳を見ながら,曲を聞いていくと,もちろん,その曲自体にも圧倒されるのだが,次第に「イエス様,ごめんなさい」と,心から申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまったのだ。前世というものがあるのだとしたら,この時代のこの場所に私はいて,「十字架につけよ!」と叫んでいたのではないか? と本当に思ってしまったのだった。 しかし,「十字架につけよ!」と叫んでいる自分というのは,やはり,想像したくないものである。どちらかと言えば,「なんと驚くべき刑罰だろう!よい羊飼いが羊に代わって苦しみを受けるとは」と歌う人々に私は同調したい。しかしそれを歌う合唱は少し前には「十字架につけよ!」と歌っているのである。これにはかなり混乱した。自分の中の両面を見せ付けられ,整理できなくて大混乱! という感じだ。例えば,オペラなどでは,自分の好きな役割(私),嫌いな役割(私ではない),と割り切って見ることができるが,それが一緒なのだから。それは,「イエス(の弟子)と群集,そして私(信仰)という3つが自分の中にあるということなんだ」という鈴木雅明氏の言葉があまりにも重く感じられる・・・ しかし,本当に不思議なことだが,それまで懺悔の様な気持ちでいっぱいになって,心が張り裂けんばかりになっていたのだが,いつのまにか,曲が終わりに近づくにつれて,心穏やかになっている私がいた。それまでの悲しい気持ちはどこに行ってしまったの? とあきれてしまう程だ。これは曲の力が大きいと本当に本当に思った。 そして,今回一番感じたのは,雅明さんと秀美さんのお二人がマタイ受難曲の意味を自分のものにしている,ということ。これは,一行で済ませてしまうような簡単なことではないのだけれど,これ以上,表現が出来ないので・・・ 乱文お許しくださいませ。 P.S.これから聴きに行く方,オリブ山に登る時の秀美さんのボウイングを楽しみに! (miko様) (99/03/22) |
mikoさん、「フォーラム」にようこそ! さっそくの「マタイ」のご感想、ありがとうございます。自分の感想と重ね合わせながら拝見させていただきました。 本当に、何というとてつもない曲なのでしょう!私もまずそう思いました。 「マタイ」全曲を演奏会で聴くのはこの日で23回目なのですが、何度聴いてもその時空を超えたスケールの大きさ(鈴木雅明さん)に圧倒されます。 第一部、イエスが捕縛されるくだりまでの集中力。強靱な神の意志の力を感じさせる第二部の物語の展開。そのすべてをしなやかに受けとめ表現していく演奏者たち。それはあたかも、音楽に込められた本質をえぐり出そうとする戦いでもあるかのようでした。 さらに今神戸で行われているレコーディングで徹底的に音楽に向き合ってから、名古屋、大阪、東京を経て再びさいたまにBCJの「マタイ」が響きわたる時、今度はどんな世界を私たちにかいま見せてくれるのでしょうか。そして、今回のツアー最後の佐倉では? きっと「マタイ」は私たち自身をうつす鏡なのでしょう。さらに色々な自分をきっと見つけられるような気がしています。 (矢口) (99/03/23) |
107 | 《「ヨハネ」から「マタイ」へ》 今、最近発売されたBCJ「ヨハネ受難曲」のCDを聴きながら、このメールを書いています。 昨年の4月、私はこの「ヨハネ」を横浜で聴きました。 第2部、イエスの死の間際からいきなり舞台がクリアに見え、そして鼻水。偶然にもお隣同士となったAHさんには鼻をすする音をきかれてしまって、「泣いている」ことを知られてしまいました(「人前では泣く姿を見せるものか」と元々心のどこかで思っていたので、涙くんは目には行かずに鼻の方へいってしまったのですね)。 イエスの、マリアの、そしてヨハネの、お互いをおもいあう心、『愛』。その『愛』が私をも包んでくれている・・・そう感じて、私はどれほど励まされ、あたたかな気持ちに満たされたことでしょう。音楽が、これほどまでに人の心を打つものであったなんて。 BCJが、私にそれを教えてくれたのです。 何故BCJが素晴らしいのか。それはまさに『愛』があるからだと私は思います。 きっと多くの人が「良い人」であろうとして、時に自らの『弱さ』に負けてしまう。これではだめだ、「〜しなければ」「〜であらなければ」・・・でも、そればかりでは苦しくなるだけです。 BCJの演奏は、「そんなに嘆き悲しまなくてもいいんだよ。弱いところはそれとして認めて、その上であなたらしく生きていきなさい」というあたたかなメッセージを私に与えてくれるのです。 神は威厳ある偉大な存在であることには違いない。でも、BCJの演奏に現れる神は、厳しい中にも優しく私たちを見守ってくださるような、そんな存在だと感じるのです。だからこそ、私は、自らのいたらなさに落ち込みながらも、また明日を生きていく希望・活力がわいてくるのだと思います。 BCJには、これからもそんなあたたかさを失ってほしくない。自らに厳しく、また演奏に厳しくありながらも、他の人と共にある『優しさ』を忘れないでほしいと切に願ってやみません。 今度の「マタイ」でも、BCJの『大いなる愛』を感じたい。 心をまっさらにして演奏にのぞみたいと思います。 (あきこ様) (99/03/15) |
あきこさん、まさに今のBCJファンの心持ちを見事にあらわしたお便りをありがとうございました。 そう、あの「ヨハネ」からもう1年経つのですね。色々な人が色々な思いを胸に、熱く迎えた「ヨハネ」。 その演奏がCDに刻み込まれました。正直に言いますと、私も、ちょうどあきこさんが「ステージがクリアに見えだした」あたり、CDで言うなら2枚目の前半、「成し遂げられた」のアリアからイエスの死、そしてコラールを伴ったバスのアリアにいたるあたりを聴いていると、目頭が熱くなるのを抑えきれないのです。もう何回か聴きましたが、ダメです。一回目は深夜帰宅途中の道を歩きながら、二回目は朝、職場へむかう路上で、三回目は・・・といった具合です。これは何の力なのでしょう。 「ヨハネ」第4稿が最晩年の版であって、ドラマチックな表現(チェンバロの響きなど)や初期稿のややごつごつした流れを持つことはもう体験してきました。しかし、この稿が決定的に他の稿と違うのは、「マタイ」の『愛』を通り抜けたバッハの思いがあることではないでしょうか。そして今年、BCJはその『愛』の源、「マタイ」に戻る。1736年の自筆譜に基づく編成とのことで、チェンバロは無く、オルガンのみの鍵盤楽器によるコンティヌオが支える暖かな『愛』。これこそが今回の「マタイ」の最大の聴きどころ、いや感じどころなのではないかと思います。 先日のレクチャーなどで鈴木雅明さんは、ユダヤ人(「マタイ」での呼び名は「群衆」だとのこと)たちの叫びの中に“隠された真実”が潜んでいるように思われる、とおっしゃっていました。断罪されているのは犯してしまった“罪”であって、人間そのものではない、とでも申しましょうか。厳しい表情の根底に流れるそんな“優しさ”を今回の演奏に予感している私です。 2月27日の埼玉でのレクチャーの終わりに雅明さんが、「(一つの)音楽作品としての価値をわかってもらえるように演奏しますが、みなさんもその中に入って考えて、味わって見てください。色々と読んだり聞いたり、準備されてから聴きに来ていただくのも良いと思うのですが、自分の中をからっぽにして聴いていただければ、みなさんの中にバッハが流れ込みやすいのではないかと思います。」とお話になっていらっしゃいました。まさにあきこさんの言わんとしていらっしゃることではないでしょうか。あと5日です! (矢口) (99/03/16) |
106 | 《北とぴあ国際音楽祭の放送情報です》 さて、本日は昨年行われた北とぴあ国際音楽祭のTV放送の情報です。 とは言いましても北9チャンネルという北区のやっているケーブルテレビでの放送ですが。 3月7日の日曜日の11時過ぎにテレビをつけますと、北区のケーブルテレビで昨年の北とぴあ国際音楽祭の放送をしておりました、この時間帯は午後10時より再放送があるのでこちらの方で見ることと相成りました。 内容は、わがBCJのコンサートマスター寺神戸亮氏率いるレ・ボレアードの「フランス・バロック・バレエの祭典」で、放送時間は約90分、一応ステレオで放送していました(あくまでも一応程度のステレオです)。 この演奏会、レ・ボレアードはあくまでもバレエの伴奏に終始しましたので、映像的にはあまり写っていません。ま、流石に指揮者の寺神戸氏の後ろ姿は写っていましたが。 この放送は北区のケーブルテレビによる収録だけあって、技術的にはNHK等の物とは比べるわけには行かないような収録です。カメラは1階の最後列に設置した物1台と、ピットの中を写す物1台の計2台のようですし(演奏会には行ったのですがそんなに注意してテレビカメラを見ていませんでしたので、てっきりカメラは1階最後列の1台だと思っていたのですが。放送を見るとピットを写した映像もあるのでその他にもあったのでしょう)、カメラワークも全体を大雑把に写すことに終始しているようです。尤も、この全体を大雑把に写すことに終始することはかえって良い面もあるようです。 NHK等で収録するときに中途半端にカメラワークを駆使されても、演出と噛み合わない場合が結構ありますから。 ラージ辺りが演出家と相談して映像作品として仕上げる場合はさておき、中途半端にカメラワークをいじられるより、むしろ据え置きカメラ1台で全景を撮ってもらった方が、舞台全体を理解しやすく思えます(尤も、実演に行ってるからそう感じるのかもしれませんが)。 演奏の方は、当然ながら素晴らしい演奏です、特にこれはBCJのメンバーかと思うくらいバッハとは色の異なる、フランス・バロックの舞台作品を実に生き生きと楽しそうに演奏しています。 北とぴあ国際音楽祭は今年で4年目(プレ音楽祭が1回あるので実際には5年目です、このプレ音楽祭のオープニングを飾ったのは我らがBCJ演奏による「メサイア」、まだソプラノが栗栖さん、アルトが雁部さんだった頃です)になりますが、レ・ボレアードはレ・ボレアードとして立ち上げる前、第1回よりバロックの舞台作品の演奏で出演を続けていただけに、非常に手慣れた余裕のある演奏です。 この北とぴあ国際音楽祭の映像を見ていて、この音楽祭、つくづくBCJ有っての音楽祭だなと思いました。 前にも触れているようにこの音楽祭の実質上の口開けはBCJの「メサイア」でしたし(矢口様も懐かしいでしょ、BCJのプログラムの対談を読んであんなマイナーな音楽会まで聴きにいらっしゃる方が私の他にもいたんだと嬉しく思ったのを覚えております)、目玉のバロックの舞台作品の音楽は寺神戸氏のレ・ボレアード、コンサートミストレル御二人の、レストロアルモニコ東京のデビューもこの音楽祭でした。 ましてや今年は「VIVA!BCJ」を代表してAH様の演奏も(それも2夜に渡って)行われましたし。 今年の演奏会もBCJのメンバーが出ていない日を探した方が早いですよね。後は、寺神戸氏の夢(本格的なバロックオペラの上演)が一年でも早く実現することを祈るのみです。 AH様ではありませんが、私の納めている税金がこう言ったことに使われていることに誇りを持てますね(それと少々の後ろめたさ、何しろ私の好きな音楽会をあの値段で提供してくれるのは皆様の納めた税金のおかげなんですから)。 さて、この他の北とぴあ国際音楽祭の放送ですが北9チャンネルでは毎日曜日の午前11時と午後10時に特番の枠がありこの中で放送がおこなわれているようです。今月は1昨年の「第3回北とぴあ国際音楽祭 武久源造リサイタル」が3月21日の午前11時と午後10時に放送されるそうです。 今後の予定に関しては北ケーブルネットのHP(http://www.kitanet.co.jp/)を参照なさって下さい。 (宮崎正生様 [a21mm392@pb.highway.ne.jp]) (99/03/09) |
宮崎さん、こんにちは。貴重な情報をありがとうございました。 毎年秋の「北とぴあ国際音楽祭」は古楽ファンにとって本当に貴重なフェスティバルですね。その貴重な演奏が画像で残されているとは知りませんでした。会場にTVカメラが入っていて、ケーブルテレビで収録している様子は見かけたことがあったのですが、全曲、しかも一応とはいえステレオで収録してくださっているとは感謝感激ですね。ただ、惜しむらくは、北区民ではない我々がそれを目にできる機会は今のところ無いという点です。北区民のお知り合いがいらっしゃるかたなら何らかの方法があるかもしれませんね。(お便りから察すると宮崎さんも北区にお住まいのようですが・・・。) ともあれ、あの素晴らしい音楽祭を税金で(?)支えてくださっている北区民のみなさまに感謝を捧げたいと思います。 昨年の音楽祭では、私はレ・ボレアードにはうかがえなかったのですが、ヘレヴェッヘとコレギウム・ヴォカーレの演奏会には3回出かけました。特に、高田あずみさん率いるレストロアルモニコ東京との共演で演奏されたフォーレの「レクィエム」は絶品でしたね。これなんかも収録されているのでしょうか・・・。それから、過去のものでも、例えばお便りにある'94/11/21の「北とぴあ国際音楽祭プレ'94 オープニングコンサート、BCJ“ヘンデルの「メサイア」”(北とぴあ さくらホール)」なども何か残っているのでしょうか・・・。このときのアルト・ソロはたしか、当時BCJデビューしたばかりの米良さんでしたね。豊かな表情の歌声に感銘を受けた記憶があります。 いずれにせよ、「北とぴあ国際音楽祭」のますますの発展と、残されているかもしれない貴重な資料が日の目を見るときがくるのを祈りたいと思います。 (矢口) (99/03/14) |
104 | 《鈴木雅明指揮BCJ 第37回定期演奏会(2/13 オペラシティコンサートホール)》 ここでは2月13日(土)東京オペラシティコンサートホールで行われた、鈴木雅明指揮のバッハ・コレギウム・ジャパンの第37回定期演奏会の報告をいたします。 プログラム J.S.バッハ:カンタータ「心せよ、神を恐れることが」BWV179 J.S.バッハ:カンタータ「主よ、裁かないでください」BWV105 J.S.バッハ:カンタータ「つまずくな、おお魂よ」BWV186 ソリスト ミア・パーション(S)、ロビン・ブレイズ(C-T)、櫻田亮(T)、ペーター・コーイ(B) この日の演奏は、彼等がイスラエルへの演奏旅行から帰ってきた後の、最初のコンサートになります。今回の成果が音楽に直接反映されるのには、少し時間がかかることかもしれません。でもきっとそれはこの団体の今後にとって、プラスになることはあってもマイナスにはならないだろうということを強く印象付けられた、今日の演奏はそんな演奏でした。今回のことが今後も定期的に行われることを私は強く希望します。 それは単に海外での評価を確実にする(既に彼等のディスクの海外での評価はすこぶる高いことは御承知だと思いますが)だけに留まらず、彼等の音楽の中にヨーロッパの精神風土の底に流れているもの(もちろんキリスト教における)を実体験することによって、より高次の音楽表現が可能になると思われるからです。 さて今回の3曲のカンタータはその題名を見ても分かる通り、自らの信仰における神との関係を深く考えるものです。決して悲愴的ではありませんが、深く静かな音楽がどちらかというと淡々と続いていくその音楽はとても美しいものです。こういった曲で一晩のコンサートのプログラムを組むというのは場当たり的な考えではとてもできません。はっきりとした音楽家の見識とそれを十分に聞き取ることができる聴衆がいなければ成り立たないのです。 この日の演奏にはその両方があったのです。声に深みを持つようになった合唱とそれを支えるニュアンス豊かなオーケストラ(オーボエの二人が大活躍でした)。彼等はこのホールの響きのポイントがようやく分かりかけてきたようです。 そしておそらく今までの彼等と共演したソリスト達のなかでは、今日の4人がもっともバランスがとれていました。ほとんどがソロの曲でしたのでもっとアンサンブルを聞きたかったなんてちょっと欲もでましたが(最後のSとC-Tの二重唱がとても素敵でした)。 終演後の聴衆の反応も決して盛り上がるものではありませんが、とても暖かいものでした。これはこの日の演奏にはとても相応しい。どうしてもコンサートというと私達は一期一会的な熱演でブラボーのあらしを期待してしまいますが、一方でこういったいつものように始まって、いつものように終わるけれども演奏者も聴衆も十分満足して家路につけるといったものもとてもすばらしい。そう私は思います。次回はおそらく今日よりもっと素晴らしい演奏をしてくれるかもしれないという期待もそこにはあるわけです。 なおこの日はアンコールにカンタータ第200番という一曲のアリアが演奏されました。C-Tと4人の奏者によるこの演奏は私に至福の時を与えてくれたことを最後に付け加えておきます。 (けいいち様) (99/02/14) |
今回のご感想も、けいいちさんが「クラシック井戸端会議」の中の掲示板(BBS)「コンサート見聞録」に上記の日付で投稿されたものを、お許しを得て掲載させていただいたものです。けいいちさん、いつもありがとうございます。 アンコールのカンタータ200番「われは彼の名を告げん」(アルトのアリア:伴奏はVn2、Vc、オルガン)についてもお書きいただいておりましたので、神戸公演の終了を待っての掲載とさせていただきました。神戸でもアンコールにこの200番が演奏され、やはり素晴らしい演奏でした。神戸ではこの他にも、後半のBWV186の前にバッハによる『ルカ受難曲』(作者不詳)のコラール「深き淵よりわれ汝に呼ばわる」への加筆(テノールと通奏低音のみの原曲に、新たに弦楽パートを加えたもの)が、櫻田さんのテノール独唱とBCJの弦楽合奏で披露されました。このBWV200と『ルカ受難曲』からのコラールは、いずれも小学館の『バッハ全集』第15巻のために録音されたとのことですので、この6月には聴くことができるようになることと思います。お楽しみに! 久々のカンタータのみのプログラム、私もオペラシティで、そして神戸:松蔭で堪能させていただきました。イスラエル公演後初の定期ということでしたが、いつも通りのBCJトーンでカンタータが奏でられ、心が洗われた思いです。神戸での終演後の懇親会で雅明さんからイスラエル公演でのお話をお伺いできましたが、その中で「今回のツアーがとても好評をもって迎えられオファーもいただいたので、今後もイスラエル公演を行えるでしょう」とのお話がありました。それから、BCJがイスラエルにいた時に、コープマンもカンタータプログラムでイスラエル公演中であったり(イスラエル国内に4台しかないオルガンの奪い合いになったとか・・・)、他の古楽グループもイスラエル公演中で、時ならぬ古楽フェスティバル状態であったそうです。この懇親会では「フォーラム」にいつもお便りをくださっている北九州の大庭さん(秀美さんの5本指の靴下の証拠写真を見せていただきました!)や久保さんにもお会いできました。他にもトランペットの島田さんから今回使った「シマダ・ダ・カッチャ(?)」制作のお話などもうかがえ、とても楽しいひとときでした。 さて松蔭の印象ですが、ひとことで申し上げれば「やはり信仰の場なのだなぁ」ということでした。もちろん音の響き方の素晴らしさ(響きが豊かなのにはっきり聞こえる)も大きいのですが、私にとってもっとも大きな要素に感じられたのがその雰囲気でした。日差しの変化にともなって刻々と変化するステンドグラスの美しい色合い、まさに音が降ってくると感じられる天井の高さ。祈りが立ちのぼっていくその瞬間に立ち会っているという感覚でした。ここでの演奏あってのBCJと、納得した次第です。 聴衆のみなさんの様子も、この雰囲気にいかにもマッチした感じでした。(東京から聴きに行った私などが一番舞い上がっていたのかもしれません) その集中と共感は、演奏者と同じ“祈り”を共有しているかのようでした。それがけいいちさんのおっしゃる「いつものように始まって、いつものように終わるけれども演奏者も聴衆も十分満足して家路につける」コンサートの実現に結びついているのではないか、と思います。これは東京でも神戸でも変わらない印象でした。ここにも仲間がいるな、という感じです。 しかし、それにしてはチャペルにまだ空席があるのがもったいない。(もっとも、満員だったら私などは入れなくて困っていたでしょうが・・・) 神戸のみならず、お近くの関西圏の“お仲間”がもっと増えないものかなあ、と思いました。神戸公演後援会のますますの発展を祈らずにはおれません。 神戸の感想とごっちゃになってしまいましたが、とにかく今回のカンタータコンサートではBCJの真髄を堪能させていただきました。さあ、次はいよいよマタイです! (矢口) (99/02/23) |
103 | 《雅明さんin立川「たのクラ」》 6日に立川市民会館で行われた楽しいクラシックの会(略して「たのクラ」)のミニ・コンサートへ行ってきました。鈴木雅明さんが¥1000!!こんなにコスト・パフォーマンスのいい演奏会、学生は逃せません。 このコンサートには、カンタータの訳詞・解説でBCJにもおなじみのI教授がトークで登場しました。以降、「I教授の家」の2/7付け談話も合わせてお読みください。 最初にI教授が1人で登場してひとしきり雅明さんを紹介する・・・っていうか褒めちぎる。”日本のバッハ”も飛び出しましたよ。そして「誤解の無いように言っておきますが私よりずっと年下の方です」と断ってから雅明さんをステージに呼びました。 そして前半のオランダものへ。何となく雅明さんって”バッハ弾き”の印象が強いから、こういう曲を聴けてラッキー。可憐で愛らしい、でもちょっと哀調をもった曲+演奏でした。それを聴いてのトークでI教授、褒めながら「聴いていてPCゲームの音楽を思い出しました」。雅明さんが“何じゃそりゃ”って顔をしたので、「いや、ピコピコしたのではなくてファンタジーの世界のですねぇ云々」とあれこれ弁解。同じゲーマーとしては言いたい事すごくよくわかるんですけど・・・。雅明さん「そっちの音楽は 疎いもので」って苦笑い。 休憩では大勢が楽器に群がる。いつもの”ボート型”フレミッシュでした。皆さんその歪みに興味津々。 後半はバッハ、”アルビノーニの主題によるプレリュードとフーガ”に”クロマティック・ファンタジーとフーガ”。普段あまり好んで聴く曲ではないのですが、雅明さんが弾くと一気に聴かされてしまいます。 雅明さんがチェンバロでバッハを弾くと、ドイツ語の発音みたく聞こえますね。流れるようなパッセージでもキチンと子音が入ってる。しかもその子音にちゃんと優劣があるから、ホントにバッハがしゃべってるみたい。BCJ合唱団の歌の理想もきっとそのへんにあるのでしょうね。降参です。 そしておしまいのトーク。イスラエルの感想も聞かせてくださいました。 終演後は再びチェンバロに黒山の人だかり。少しすると雅明さんが楽譜を取りに戻ってきて、ついでにチェンバロ・レクチャーまで。ジャックのシステムとか2段鍵盤の説明とか。そして小さな女の子に「弾いていいよ」。ためらいながらも鍵盤に触れたその子はキョトンとした顔。「何弾くの、インヴェンション?」と鍵盤に触らせるんですが、やっぱり不思議そうな顔をされる。その子、ピッチの違いを知らなかったんですね。出てくる音が半音低いのでとまどったようです。 そんな様子を遠巻きに見つめるI教授。「ああやってお客さんに反応してくれるからうれしいんだよ。普通はそうはいかないよ。」と、とっても嬉しそうでした。 以上、「たのクラ・ミニコンサート」の様子をお伝えしました。 (赤塚健太郎様) (99/02/08) |
10000番の赤塚さんによる1000円コンサートのレポートでした。どうもありがとうございます。 お便りの中にあった「I教授の家」の2/7付け談話には写真入りでこのコンサートがリポートされています。是非合わせてご覧ください。ちなみにこの晩(2/6)、雅明さんは、ブライアン・アシュレーのオルガンコンサート(オペラシティ)にいらっしゃっていました。いやぁ、タフですねぇ! この「たのクラ」、なぜか第1土曜日の昼間なんですよね。第2か第4土曜なら私も行けるのですが・・・。雅明さんのオランダものも、是非聴いてみたいです!(もちろんバッハも) 最近AHさんが「ひとりごと」で、秀美さんの音楽の“語り”の要素について書いていらっしゃいましたが、お兄さまの雅明さんにもまったく同じことが言えるのですね。BCJ合唱団&オーケストラも、今回のカンタータでそのドイツ語の子音のニュアンスをきっと表情豊かに聴かせてくれるでしょう。期待が高まります! 赤塚さん、是非またお便りくださいね。 (矢口) (99/02/11) |
102 | 《イスラエルの写真》 矢口さん、こんにちは。 BCJ初の本格的海外演奏旅行もつつがなく終わり、26日にボローニャに帰ってきました。他のメンバーも無事に日本に戻ったことと思います。テルアビブ郊外のリション・レ・ツィオンで4回、エルサレムのマリア永眠教会でテレビ録り1回の計5回公演でしたが、聴衆は連日ほぼ満員でしたし、現地の新聞評も非常に好意的なものでした。個人的にはツアーは大成功だったと思いますし、「BCJのCDがイスラエルでよく売れているらしい」という噂は本当であったのか!と実感しました。もちろん僕にとってもソリストとして参加する初めての海外演奏旅行でしたので、最後まで体調を崩すこともなく良い演奏ができたことになによりも満足しています。(中略) さてイスラエル・ツアーの詳しい模様は秀美さんの「L.P.B.C.J」におまかせするとして、僕からは写真をお送りします。 それぞれの写真の簡単な説明をします。「Int-Conti」は我々が宿泊したホテルの外観。「地中海」はヤッフォの方からホテルの方を眺めた景色。「リション・リハ」はメサイアとVn/Obコンチェルトのリハーサルの様子。「昼食」と「嘆きの壁」はオフの日にエルサレム観光に出かけた時の模様、(中略)「永眠教会」はテレビ収録の模様です。「打ち上げ」はホテルからそれほど遠くないワインバーで行なわれました。 他にも撮影した写真もありますので「こんな写真はないか」とか「もう少し詳しく状況が知りたい」などお気軽にどうぞ。 それではお元気で。 (櫻田亮様) (99/01/29) |
櫻田さん、ありがとうございました! いただいた写真をもとに特集ページをつくってみました。是非こちらをご覧ください! 出発が心配されたこともあった今回のツアーですが、「イスラエル」「エルサレム」と、カンタータの歌詞にも何回となく出てくるその土地をメンバーのみなさんが“体験”してきたことは、これからのBCJの音楽に計り知れない財産になるものと期待しています。考えてみればバッハ自身はエルサレムにはもちろん行っていなかったはずですから、面白いものですね。 「メサイア」のビデオは日本では見るチャンスは無いのでしょうか。写真を拝見すると、とても雰囲気の良い教会での収録のようですね。是非日本国内でも入手できるようにしていただきたいと思います。それでは、2月のカンタータでの櫻田さんの名唱も楽しみにしています。 (矢口) (99/02/01) |
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