ブラザース・フォアの楽譜 |
ブラザース・フォアはどんな楽譜を使っていた(いる)のであろうか?ブラザース・フォアに限らず、一般にはあまり公開されないので分からない。そこで少し探ってみた。 |
(1)レコードに見る楽譜 |
「SONG BOOK」アルバム添付の楽譜 |
このアルバムには収録全12曲の楽譜が添付されている。 |
この楽譜は本国作成の物で正確と思われる。レコードは普通より半音高い音程で収録されており(記事はここ)、楽譜もその高い音程に合わせて書かれている。というか逆に楽譜に合わせて歌っている。しかし、この楽譜は主旋律だけでコーラスパートが書かれていないので、メンバーがこれを見て録音したとは思えない。 |
「THE BEATLES SONGBOOK」アルバムにある楽譜 |
このアルバムの初期販売盤には付属の日本語歌詞シートに]楽譜の一部が掲載されている。 |
楽譜は「IF I FELL」のほんの一部の抜粋だが、4パートと楽器に分かれて記載されている。 |
スワッ、これがブラザース・フォアの使っている楽譜か!!・・・と思わせるが、これはそうではなく、日本のある出版楽譜からの引用であることが記されている。その楽譜(本)とは日本音楽出版株式会社刊行 日音コーラス傑作集シリーズ 「ブラザース・フォア コーラスブック」第2集です。 |
この楽譜本は全体では3作あり、その内の第二部がビートルズアルバムを掲載している。この一連の楽譜はブラザース・フォアから情報提供を受けてはいないと推測され、日本でレコードから採譜したものであろう。 しかし、ブラザース・フォアもこの様なパート別に記載されている楽譜を使用した(している)と推定することは間違いないだろう。 |
「TODAY AND YESTERDAY」アルバムの写真 |
このアルバムの前半曲6曲は日本での録音であり、その時の風景とおぼしき写真が2枚、日本語歌詞シートに掲載されている。その内の一枚に楽譜が見えるが、残念ながら中身までは鮮明でない |
これは実際の録音中の写真ではなく、練習中の写真と推定する。なお、この楽譜は写真には写っていないジョンさんとボブさんがこれを見て歌っている。 |
(2)展示会での楽譜展示 |
2014年5月の来日公演の時に東京の東洋文庫にてブラザース・フォアの楽譜の展示があった!!展示曲目は「北京の55日」(1963年)、「ラ・マンチャの男メドレー」(1968年頃)、「Where have all the flowers gone」(1964年頃)の3曲。楽譜は本に囲まれたデスクの上のガラスケースに展示されていた。楽譜は一部のページだけでなく曲まるまるの豪華太っ腹展示でした。 |
少し楽譜の内容が違うので各々について説明します。 「北京の55日」 ①楽譜はヒアノ伴奏で書かれている②レコードより内容が長く、歌詞・音程が一部異なる③主旋律の1列とピアノ伴奏2列の合計3列の構成④コーラスパートは記されていない⑤Cm調で記載(レコードはA#m調) ・・・ということでこの楽譜はブラザース・フォアに渡されたが、最終的に演奏に使われたものではなく、途中段階での検討・調整用の物と推定する |
「ラ・マンチャの男 メドレー」 ①楽譜はコーラス譜面で楽器パートは書かれていないがコードは書かれている②レコードと同じ音程、同じ構成の楽譜③コーラスは2部になるところは2列、3部になるところは3列、ユニゾン部は1列で書かれている④細かい部分に手書き調整がかなり入っている。 |
・・・ということでこの楽譜は実際にレコーディングで使われたものと推測できます。この曲の最初のレコーディングは日本での収録と思われ、その時に使われたものかも知れません。 |
「Where have all the
flowers gone」 ①~③はラ・マンチャの男と同じ④エンディング部分のディックさんの追っかけが記載されていない⑤手書き書き込みはほとんどない。 ・・・ほぼ楽譜通りのレコード収録となっている。 |
(3)その他、個人所有の楽譜 |
ファンの方の中にはブラザース・フォアのメンバーから個別に幾つかの楽譜のコピーをもらったりしていて、それらは基本的に上記「Where have all the flowers gone」と同様な構成となっている。 |
(4)楽譜は誰が作ったのか? |
楽譜はブラザース・フォア自身が作ったものもあるだろうが、多くは作曲家・編曲者からブラザース・フォアに渡ってきた。その中でも特に60~70年代ではミルト・オクンMilt Okunという編曲者の物が多く見られる。その特徴的な字体からすると「SONG BOOK」に掲載された楽譜も全て彼の文字に似ている。彼がそのアルバム全曲を編曲したわけではないが、レコード用添付楽譜としてまとめて記載したのは彼かも知れない。彼は「ハリー・ベラフォンテの指揮者であり、ジョン・デンバーをスターダムに押し上げ、彼の最も愛されたヒット曲を生み出したピーター・ポール・アンド・メアリーの編曲家兼プロデューサーである」。もちろん、ブラザース・フォアにも大きな影響を与え、例えは、「TRY TO REMEMBER」も彼の編曲である。いつか彼のことをもっと詳細に調べてみたい。下はスコアに残される彼のサイン(Arr(anged) by MILT OKUN) |
(5)一般発売されさた楽譜 |
日本音楽出版株式会社1972年刊行 日音コーラス傑作集シリーズ 「ブラザース・フォア コーラスブック」第1~3集 知っているブラザース・フォアの楽譜集としてはいちばん良く出来ているが、完璧ではない |
第1集 |
第2集 |
第3集 |
全音楽譜出版社 1965年刊行 「THE BEST OF THE BROTHERS FOUR」 コードは記載無し コーラス譜となっているがどこまで正確かは未検証。なお日本語タイトルは「ベスト オブ ブラザーズ フォア」(・・・ザースではなく・・・ザーズと濁っている。濁らないのが正しい) |
米国出版 1963年頃 「THE BIG FOLK HITS THE BROTHERS FOUR」 内容については音階やコードの相違が多く、正確性は日本の物より劣るだろう。 |