今日、今年、はじめてモスクワ大学に行った。
なんとはなしにタマーラ・セルゲーヴナにでも会えればいいなあ。と、思っていたのだ。その矢先。やっぱり、彼
女に今年も会えた。
去年夏も、タマーラ・セルゲーヴナのことを考えつつ、思いいれ深いモスクワ大学へ行ったのだった。ちょうどヘ
ンヘンとわたしは、
「彼女、まだ寮に住んでいるのかしら?」
と、言っているところに、出合い頭に中央塔で彼女に会ったのだった。
「世の中には偶然というものがあるのねえ。」
変なことにわたしは感心してしまっていた。
ただ、彼女の様子はひどく老け込み、神経がピリピリと緊張しているようだった。彼女の口からは真珠のような
歯が3本ほど抜けていて、それをむりやりかくすために笑顔を歪めてしまうためかなあ、と思ったりした。10年近
い月日は人の印象をこうも変えてしまうものかしら・・・と、時間の経過をジカに感じさせられた一瞬でもあった。
8年前の彼女は、品が良く、はつらつとしていて、インテリに特有の自信に満ちたおっとりした感じがあった。濃
い茶色の丸い目はやさしげでしかも少しはかなげな光をたたえていたし、また、みずからの主張はおいそれと
は変えないという芯の強さも併せ持っていた。
胸をはり、頭をもたげ、時に頭を振りながら話す彼女を見ていると、まったくロシア語を解さないわたしでも、な
んとなく説得された。
「こどもは小鳥のようなものよ。巣立っていくまでに大切に大切に親鳥がえさを運んであたためてそだてるも
の。」
彼女の丸く濃い茶色の目は、いつもなつめとわたしを見るたびにそう教えてくれた。
なつめがヴァイオリンを習い始めたのを一番喜んだのも彼女だった。
でも、彼女の名前をたずねる能力も、話をすることもほとんどなかった。
タマーラ・セルゲーヴナは3部屋さきに住んでいた。
なぜ彼女が大学生にはまだ若すぎる息子と2人で大学寮に住んでいるのか、とても不思議だった。
大学の先生の未亡人なのかもしれないなあとか、大学で教えているのかしらなどと、勝手なことを想像した。
でも、そのわりには待遇はあまり良くなさそうだ。
1989年12月10日にあびとを産んで、10日間産院に入院した。当時、ソ連の病院はどこでも外部からの面会は
絶対できないシステムだった。ただ一つ、入院患者の喜びは、見舞いに来てくれる人が、遠く外から大声でよ
んでくれる自分の名前を見つけ出すことと、見舞い客が窓口を通して運んでくれるおいしいものであった。
タマーラ・セルゲーヴナは、夫と娘以外にただ一人、見舞いに来てくれた人である。モスクワ大学から病院まで
地下鉄とバスで1時間以上はかかる道のりだ。その上、もの不足は始まっていた。
彼女は、2度も当時のモスクワではめったにお目にかかることのないグリッシーニやソーセージを届けてくれ
た。
だけど、わたしは彼女の名前すらまだ知らなかったのだ。
彼女は誰にたずねたのか、病院を突き止め、知らないうちに差し入れをしておいてくれた。あとで、メモがきの
中で彼女の存在を知ったのである。
それ以来、タマーラ・セルゲーヴナはわたしにとっては忘れられない人となった。
モスクワ大学、ゾーンVの14階、暗い長い廊下の中に一人の人影を見つけた。
「タマーラ・セルゲーヴナ!!タマーラ・セルゲーヴナ!!あなたじゃあありませんか。」
廊下のはしからわたしは叫んでいた。
「だれなの?だれがわたしをよんでいるのか、わからないわ。ちょっと、待って。」
「わたしです。ほら、日本人の・・・。去年もお会いしたじゃあありませんか。」
「まあ、あなたたちなの。ええ、ええ、もちろん、忘れていませんとも。ああ、去年はごめんなさいね。せっかく、
招いてくださったのに、電話でお返事もできなくて・・・。」
「いえいえ、そんなこと・・・。今年こそ、うちに来てくださいね。3日後、引越しをするんですよ。」
「でも・・・。たぶん、行けないと思います。わたしは今、そんなどころじゃあないんですよ。いつ警察が来て、こ
の寮を追い出されるかわからないんですよ。」
「はあ?」
あまりのハナシで、わたしは彼女の早口のロシア語をわかっていないのかしらと、いぶかった。夫の顔を見る
と、
「最高裁で、モスクワ大学での居住権について係争中らしいよ。」
と、いう。
「こんなところではなんですから、部屋へ来てください。ただ、いつ警察が来て、物と共にわたしたちを追い出す
わからないから、本は積みっぱなしにされているし、お茶だって出せる状態じゃあありませんけど。それでもよ
ろしい?」
「わたしたちのほうこそいいんですか?」
タマーラ・セルゲーヴナの部屋は散らかってはいなかったが、引越しの直前のように本は部屋中に横積みさ
れ、日用品らしきものは、歯ブラシセット以外なにも置いていない。狭いベッドにかけてあった清潔なシーツが
彼女がここで生活をしているということを示していた。
「ここ以外、わたしと息子の住むところはないんです。パスポートがない・・・。」
ロシアでパスポートを持たないことは、どんな市民権も持たないことを意味する。町中で時には警官にパスポー
ト提示を求められる。その時にそれを持っていなかったら、もちろん、しょっぴかれる。市民サーヴィスも受けら
れないし、病気になっても病院にかかることもできない。住民は地区の病院に全員登録されていて、今でも無
料の医療を受ける権利がある。
「でも、それじゃ、あなたたちは一体、’なにじん’になるのですか?出身はどちらなのです?」
思い切ってたずねてみた。
「セリョージャ。ああ、わたしの大切な・・・。」
丸い気弱そうな目がしばたいた。ツゥーと涙が頬を伝って落ちそうになった。
「ウクライナ人ですわ。でも、パスポートのない今、わたしたちはどうしたら、かの地へ行けるというんでしょう。」
皺の入った細い指が、涙を抑えた。
「ごめんなさい。どうしようもないんですわ。わたしったら。」
「なにかできることが、わたしたちにもありませんか。あびとを産んだとき、あなたは病院まで来てくださった。
わたしには忘れることができません。」
誇り高い彼女の涙を、少しでもわたしは受け止めたい。
「いえいえ、なにもできませんわ。テレビで2回、わたしたちの問題が取り上げられました。ヨーロッパのほうで
はその放送を見た心ある人たちが、わたしたちを助けてくださろうと労をおってくれています。署名を集めてくれ
ているんです。ほかに何ができるというのでしょう・・・。」
わたしはそっと手をさしのべた。涙を抑えた彼女の手はすこしぬれてなまあたたかかい。
「それでも何かできることがあったら、おっしゃってくださいね。」
軽く握られている彼女の指に力が入った。
「お祈りしていますの。ここを一度、家財道具もろとも追い出されたとき、修道院に入っていましたのよ、わた
し。」
手はわたしの手を離れ、胸の前でくみあわされた。
「そうそう、セリョージャとわたしのことを詳しく書いた新聞記事がここにありますわ。どうぞ、持って帰ってお読
みください。」
「いいんですか。じゃあ、お借りいたします。」
夫と子どもたちは部屋の外で待っていた。
「ねえ、わたし、お宅に日曜日にうかがいますわ。住所はお聞きした通りですわね。」
「お待ちしています。必ず。」
「引越しのすぐ後でお邪魔じゃありません。」
「いいえ、ちっとも。引越しといっても家財道具のほとんどない引越しですから。遠慮なくいらしてください。」
家へ帰って、夫にその新聞記事(モスコフスキー・コムサモーレッツ1996年12月27日付け)を読んでもらっ
た。
タマーラ・セルゲーヴナの息子セルゲイは、幼い頃から大変な神童でならしたこどもであった。ソ連時代の有名
な新聞「イズベスチア」や「モスコフスキー・コムサモーレッツ」でよく取り上げられたほどだった。
セリョージャは飛び級をして、12歳でモスクワ大学の物理学部に入学した。
タマーラ・セルゲーヴナは離婚したのち、3歳の息子を連れてカムチャツカへ行き、そこで音楽教師をしていた
のだが、セリョージャの神童ゆえに首都モスクワに出てくることになった。
カムチャツカでの住民権はモスクワへ出てきたときに、放棄された。モスクワでは、セリョージャの研究のため
の一時的な住民権を得ただけに過ぎなかった。これを心配したタマーラ・セルゲーヴナは、当時から何度も、モ
スクワ市役所を訪れて、住民権をもらえるよう申請したが、住民課の課長に
「あなたの息子さんは天才として有名じゃありませんか。大学をでたら、国からいいポストを与えられて、まず
地方に派遣されますよ。本来の住民手続きはそれからでも、ちっともこまらないじゃあありませんか。」
と、一蹴されてしまった。
ソ連が1991年に崩壊しなければ、タマーラ・セルゲーヴナ親子にも、モスクワ市の住民課長が言ったように
問題なくソ連の市民権を得られて将来を嘱望されていたかもしれない。
しかし、セリョージャが大学を卒業したのは1992年。ソ連崩壊後だった。
1996年にセリョージャはパスポートを盗まれてしまった。警察にパスポートの盗難登録と再発行を申請したけ
れども、モスクワ市での住民権を持たない彼のパスポートの再発行は拒否され、それ以来、彼は無国籍としか
いいようのない状態におかれてしまったのだ。
タマーラ・セルゲーヴナのパスポートも、一時的な居住権の延長を申請しに行ったとき、延長は認めないという
判が押されてしまったのだった。
結局、彼女たちにはどんな権利も認められていないのである。
いつ、モスクワ大学寮から、強制退去を実行されるかわからない。市民権を持たない限り、仕事もない。アパ
ートも借りられない。
もし、この日記を読んだ方で何かアイディアをお持ちの方は、どうかご一報ください。そして、優しく人間的なタ
マーラ・セルゲーヴナとセリョージャを一緒に助けてください。お願いします。
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