2000年5月31日(水)

今日はとうとう娘のロシアでの学校生活最後の日となった。
試験は土曜日に終わっていた。
その後、昨日の火曜日、学校の大掃除とそれが終わってから、小さな博物館見学への遠足。友達との語らい。
そして、今日、成績発表の日。

娘は見事、優等賞をもらってこの2年を終えた。

ロシアでは、特に特別校扱いの1741番校では、日ごろ行われるコントローリナヤ・ラボータ(普段のテスト)、上半期の成績として記録される12月の試験、下半期のコントローリナヤそして5月下旬に行われる昇級試験。これらにいちいち成績が付けられる。
コントローリナヤがあるのに学校を休んだものは全て「ドボイカ」2が付けられてしまう。
だから、娘はコントローリナヤのある日に学校を休むのを極力避けていた。 が、親は自分の勝手で、旅行に行き、コンサートに行き、家族で彼女と出来るだけ楽しむのをモットーにしていた。
もちろん普段の成績でテストに出られず「ドボイカ」が付いたことがある。上記の成績の総合評価が昨日、渡されたアツェンキ(成績表)のノートに付く。それをおしての総合評価が5であったのは、本当によく頑張ったという他ない。


校長先生であり、クラスの担任でもあるパーブロ・パーブロヴィッチは上の娘に成績を発表し、優等賞を表彰する賞状を渡して下さる時、
「よくやったね。本当によくやった。ロシア語が何も分からなかった君がこの成績を取ったことは名誉あることだ。皆と同じ条件で試験を受けた。私達は君のことを他の生徒と全く対等に扱った。他の誰より大変な思いもしたことだろう。私は君のことを誇りに思っているよ。日本に帰っても、きっと君は頑張るだろう。そして君の未来に期待をしているから。ナツメ、元気で!!」
と、最後の言葉を彼女にかけて下さったらしい。

ロシアの学校で彼女はどんなことを学んだか。全然ロシア語がわからなかった日々の辛さ。それを乗り越えて、今度はロシア語が分かるようになってからのカルチャー・ギャップ。
ロシア人は割合と好き勝手なことを考えないで素直に表現する。
相手がどんなに傷つこうがそれは相手の問題であって、自分の問題ではない。
その手厳しい、時にはイジメているのではないのか。相手の尊厳を全く無視しているのではないのかと思われるような(先生からも・・・)言葉にたびたび出会うたび、彼女はロシアの学校は辛いと洩らしていた。
「日本だったら、あんなことを言うと問題になるよ。いつも先生に罵られてるイーゴリやユーリャが可哀相・・・。」
ロシアでも結構陰湿なイジメはあるらしい。クラスメートがその標的にされているのを見て、悲しい思いが隠せないなつめである。
また、最初、全くロシア語がわからなかった時に、人の言いなりになって行動するしかなかった彼女を、今も少数のともだちはお人形扱いをするという。
最初の印象が決定的になってしまって、そうやすやすとは仲間の中でのお互いの役割を変えられないのだ。

その上、学校の勉強はかなり厳しい。数学、生物、化学、物理は日本の高校レベルである。
それをロシア語で理解しようとすると、かなりの勉強量が必要だった。他の科目にしても一言一句間違えずに完璧に暗記していないと5は付かない。
ロシア語が母国語でない彼女にとってはかなりの負担だ。勉強の方法に想像力の差し挟む余地もないほど詰め込まれること。これも、ロシアの学校への嫌悪感となって現われる原因だったらしい。

「日本に帰って、日本の学校で勉強したいなぁ。楽だろうな。」
「これでわたしはロシアの勉強とはおさらばできるから。はぁ。早く楽になりたい。」
テストの時には、ため息をつきながら、それでもなんとか頑張った。


今は、テストの直後ということもあって、彼女はロシアの学校のことをウンザリしているらしい。
今後、彼女はどんな風にこの2年間を思い出すのだろう。
親から見ても、極限まで頑張りとおした彼女。
彼女が本当に大きくなったなぁと思えるようになるのは、ちょっと時間がかかるかもしれない。

でも、その時が来たら、彼女は本当に本当に一回りも二回りも大きくなれるだろう。

日本へ帰るまで、あと1ヶ月半。
夏休みの間、1741番校のことをどんな風に受け止めて、窓の外、遠くに見える校舎を彼女はみるのだろうか。

これからこそが、楽しみである。

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