2007年10月、大阪に某フランス料理店が誕生した。その後、ミシュランガイドが大阪版を出した2010年版以来、連続で2つ星の評価を得た。大阪では、同じく2つ星だったルポンドシエルはシェフが変わったこともあり翌年1つ星に降格したし、フランス料理の3つ星店はHajimeのみ(2013年版で2つ星に降格)なので、某店は大阪が誇る名店といってよい。
私は2009年7月に1度訪問したが、体調が優れないこともあり充分に堪能することができなかった。11年8月にその機会が得られ、3週間前に予約してその日を楽しみにしていた。
某店の店名は、「もてなす」「迎える」という意味のフランス語である。フランス料理の食べ歩きをはじめて20年以上になるが、そこで今まで経験したことのないもてなし受け、とても驚いたので、それを記したい。
はじめに断っておくが、以下の記述はそのレストランの「性格」について述べるものであって、それがいいとか悪いとか主張するつもりはない。また、レストラン予約を一種の契約と考えた場合、お店側に瑕疵はなかったことも付け加えたい。
食事や料理は本来生命を維持するための栄養補給という意味があるが、フランス料理店はじめ、ミシュランで星を獲得する店で供される料理は、さらに芸術的意味をもつ場合がある。つまりミシュラン掲載店での食事には、空腹を満たすという意味に加えて、芸術の享受という側面がある。
1回の食事が1万円や2万円というと、とても高額で贅沢であると思う人も多いだろうが、世界最高峰のオーケストラ演奏会やオペラと比較すれば、むしろ安いという考えもなりたつ。後者は一度に2000人にむけてひとつの演目を上演するのにたいし、レストランでは一人ひとり個別に「作品」が供されるからである。
それだけでなく「レストラン」とは本来「元気を回復するスープ、元気を回復させる食事処」を意味したため、上質のサーヴィスが提供されるのである。店側としては横柄な態度をとる客、酔い客、調理法や食材の詳細について意味なく尋ねる客、「たかだか」(と敢えて書く)客単価20000円にたいして理不尽と思える細かい要求をする客など、接客に多大な労力をさかれ、ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)に指定したい思いにかられることも多いことと思う。
私の経験では一般に、よい料理を出す店ほどサーヴィスもよく、このうえなく寛がせてくれる。良質のレストランは料理がおいしいことだけでなく、サーヴィスによっても元気を回復させてくれるのである。
しかしそうした名店には、それを支える良質な顧客が層をなして存在する。そのおかげでよいレストランには余裕があり、時に融通をきかせ、客の要求に可能な限り応じてくれるものである。他方で無理な要求をする客ばかりであればレストランはクレーム対応という本来の役割外のことに力をさかねばならなくなるので、そのような客の来店を断ることもあって当然である。
さて、今回のこの店で私はどのような「もてなし」を受けたか。
先に書いたように再訪をとても楽しみにしていたので3週間前に予約し、3日前には予約確認を兼ねて、料理内容のオーダーをする電話をかけておいた。
自宅からレストランまでおよそ200キロの距離がある。移動は車だが、ワインも楽しみにしていたので、店に近い(約800メートル)ホテルを予約した。当日は早めに出発し、ゆっくり行ったとしても、予約時間の30分前である20時にホテルに到着する予定であった。
しかし途中の高速道路でタンクローリーが横転するという不慮の事故があり、予想外の渋滞に巻き込まれてしまった。迂回路の検索など、レストランに少しでも早くつけるよう様々な可能性を考えた。もちろんレストランにはその時点で電話をし、遠方から向かっていること、予定時間に遅れそうなことを伝えた。
結局のところ、ラストオーダーである21時ぎりぎりに着けるかどうかという状況になった。そのためホテルにまず向かい、チェックインはしないでフロントで荷物だけをあずけ、すぐにタクシーでレストランに向かうと決めた。
20時52分にホテルにつき、荷物をあずけ終わり、タクシーを拾おうという時レストランから電話があった。21時きっかりであった。こちらの居場所を告げ、約5分、遅くとも10分後には着けると言ったが「21時にラストオーダーというお約束でしたから、ご予約はキャンセルさせていただきます」という回答であった。
遠方より来ていること、現在レストランから800メートルのところにいること、オーダーはすでに3日前に済ませていることなどを説明したが、何を言っても無駄であった。
繰り返すが、某店の対応は約束とおりのものであり、契約上、何の瑕疵もない。あえていえば、その店にとっての「ラストオーダー」とは、実際に食べるものを「オーダー」することではなく、「来店」を意味するようである。厳密にいえば、オーダーは既に済ませているし、あと5分で着けるのだから、こちらの立場からすれば料理を作りはじめてくれればいいだけである。しかし店にとっては「ラストオーダー=来店」と解釈しなければ経営上難しい問題がおこるのだろう。レストランでの決まりは店が決めて当然であるから、こちらの願いを聞き入れてもらえなくても仕方ない。
「来店」が21時を1秒でも遅れたら予約は自動的にキャンセルというのが同店の掟なのである。個別の事情を考慮する余地は全くない。事故を起こしたJR西日本並みの厳格さ。うらおもてなしの対応。さすが「おもてなし」を店名にしただけのことはある。電車に乗るのではないのだから5〜10分の遅れならなんとかなるだろうと思った私が甘かった。どんな理由であれ、時間内に着けなかった私が悪い。21時00分00秒まではもてなす気持ち満々で待っていてくれたに違いないスタッフの方たちに大変申し訳ないことをした。
だからここから先は、私のたわごとである。
その店に行きたくて3週間前から予約し、200キロ先から訪れ、不可抗力である渋滞にまきこまれつつ近くまでなんとかたどり着き、あと5分で着けるという客にアウトの宣告。こうした店をレストラン(=元気を回復させる食事処)と呼び、しかも「もてなす」と名付けているのは一流のブラックユーモア以外の何ものでもない。
モスクワのボリショイ劇場の夜の公演は、チケットには19時開始と記されているが、19時7分開始がメンバーの共通了解となっており、実際には19時10分前後にはじまる。芸術という文化の世界では余裕が大切にされるのである。人間は時計に支配されるものではなく、人間が時計を使う立場であることは言うまでもない。安全運行上、1分1秒の遅れも許されないJRとは違うのである。
負け惜しみであるが、ラストオーダー時間に入店できたとしても、このように規則が厳格なレストランで寛ぐことは難しかっただろう。客に対してこれだけ時間を厳密に守ることを求める店であるから、店のスタッフは、仕事の上で決められた時間に遅れたり、早すぎたりしたら、日勤教育を課されているにちがいない。
というわけではるばる大阪まで来たが、食べるところがない。とりあえずホテルにチェックインし、思いついたのがブノワ・大阪。調べてみると「ラスト・オーダー」は21時30分。残り時間あと15分。とりあえず電話をし、予約できたのでタクシーで向かった。
が、あと30メートルというところで場所がわからない。そこにお店から電話。21時30分。「現在○○にいるが場所がわからない」と述べると「とりあえず電話でオーダーしてください。行き方は○○です」とのありがたいお返事。実際の入店は21時37分であった。ブノワはビストロという位置づけであるが、快く迎え入れてくれ、心からのもてなしを受けたのは言うまでもない。
レストランの決まりはレストランが作り、客はそれに従わなければならない。だからラストオーダーの時間に1秒でも遅れたら予約はキャンセルという決まりを作っているレストランに行きたければ、絶対に遅れてはいけない。だけど、レストラン誕生の歴史にてらしてみれば、このような杓子定規な決まりをもつ店がレストランと名乗ることにはとても違和感がある。
先にも書いたように、ボリショイ劇場は定刻にはじまらない。でもその方が人間的であると知人の沼野充義さん(ロシア文学者)は私に語ったことがあり、なるほどと思った。アメリカのオーケストラは組合の力が強く、練習時間は厳守だそうだ。しかしベルリンフィルやヴィーンフィルは、芸術的観点から完成したとは思えない状態で決められたリハーサル時間が終了した場合、自主的に練習時間を延長するという。
某店はミシュラン2つ星の名店である。だから連日満員で、5分、10分遅れてくる客を断っても経営的に何の問題もないのだろう。でも技能は特段に優れ、理はあっても情のない店にはレストランと名乗って欲しくないし、こうした「レストラン」が増えないことを望む。
このような経営方針ながら、あえて「おもてなし」と名乗っているのであれば、私は自分の不明を恥じ、お店がブラック・ジョーク方面でますますご発展することを心よりお祈りする。
ちなみのその店は、「人気絶頂」として知られていたが、2012年秋に突然閉店した。誠実なオーナーのことだから、店名が店の性格と合っていないことに気づき、別の名前で再出発することを決意したのだろうか?
(2011年8月)(2012年11月加筆訂正)
言うまでもなく、私の個人的体験に基づいて書いております。私の勘違いなどで事実と違う点があればどうぞ下記までご連絡ください。