ある特定の考えに固定されているエネルギーを、他に移す方法があります。
それは運動と名のつく身体のためになる健康法のことです。この方法は、悪い考えになるエネルギーの矛先を転換させるのに素晴らしいやり方の一つです。
屋内でよし、屋外でよし瞬時の精神集中は、ストレスの緩和に大いに役立ちます。しかし、この他にも、対人的な精神的威圧感を和らげる方法があります。
妻、夫、女友達、男友達、両親など、身近な人に話すという感情を発散する方法です。
多くの人は、欲求不満を人に話すことは、自分の弱さを表すと考えている節が多くあります。ところが実際には、これを話さないことの方が弱さの証拠になります。
知り合いの医者は、身体に故障の口実をつくってやっくる本当の目的が、「誰かに自分の話を聞いて貰いたい」ことだと指摘して、短時間診療の矛盾を嘆いたことがあります。
こうした患者は、次から次へと医者や病院を変える「憂欝患者」として、医者仲間には良く知られる存在であるといわれます。近親者や友人から得られないものを薬に求めようとしているのだと思います。
他方で感情を他人に打ち明けるのを気持ちの弱さだと言われますが、それは不思議な話です。仕事で困ったことが起きた時には、胸に仕舞い込んでトラブルを大きくしないようにします。尊敬する誰かに話し、傷ついた気持ちを癒すことが先決です。
アメリカ西部の笑い話があります。
捕まった馬泥棒が、首に縄をかけられてから、保安官に言われました。「何か言い残すことはないか」するとと、馬泥棒は「ひどく勉強になったぜ」と、答えたと言うのです。
これでは困ります。社会性を持った人間だからこそ、生きている間に、悲しみや、耐え忍ばなければならないことがある時には、苦しみを分け合って小さくし、嬉しさや喜びがあればみんなでわけ合って、大きく喜ぶ人間らしさが必要です。
謹言実直に、改まった話にすることが出来ないのも困ります。けれども、多少の如才なさが固い雰囲気を和らげます。笑いの中でこそ裏のない本音の話を、することができるということを考えたいと思います。
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