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<行動科学の目で見る>
戦略経営組織論
 ビジネスマンの組織環境

一桁>経営組織論?>一桁>経営組織論?>MAEさん
 

経営形態の問題(経営リーダーとは)

 まず、経営の形態の問題です。
@組織で行動するタイプ
Aワンマンコントロールタイプに大別しましょう。

その@Aは
a)特殊法人的な業態なのか
b)普通営業なのか、

さらには、経営者は創業者なのか、交代者なのかというような、分類をすると大きく経営者の特質について長所短所の見分けがつきます。
 中小企業の創業は元来、周囲のニーズによって成立するケースが希であって、発起人や経営者の創業意欲が、大きく作用しています。つまり経営管理など計画組織運営などに実践主義で望み、結果尊重が重要視されがちなため、好況の時には、見かけ状は軌道に乗ったように見えますが、不況の時には資金繰り以前に諸管理の欠陥から組織が安定しない傾向があります。

 『情報の経営資源化』問題は時代の要請で、避けて通れない問題です。経営上の検討課題は、社長始め経営者の経営【判断の環境問題】であり、社内組織の管理上の問題と全く異質の問題ですから、文頭の経営者の判断環境やその経営環境の診断を的確にしないと、軽々しく問題は取り上げまたは提起は至難ではないでしょうか。

 後文の問題を含め週末じっくりアップしましょう。取りあえず 一桁
一桁>経営組織論?>経営者の条件
 >MAEさんへ

 京都大学の会田雄次先生は、著書「日本的権威の論理」の中で、経営者の条件として、国立民族博物館長の梅棹忠夫先生の言葉「説明できることを説明するのが学者、科学者。

 説明できないことを説明するのが哲学者、説明していけないことを説明するのが宗教者」つぎに福沢諭吉の例の有名な言葉、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」 この二つの言葉をもじって、政治家と経営者の相違を述べています。

 まず福沢諭吉の言葉をもじると、政治家は天が造らなかった筈の「人の上に立つ者」であるが、経営者は「人の前に立つ者」なのだと言っています。さらに、梅棹先生の言葉を引用、人間の行為は三つのタイプ、三段階に分かれている。

「出来ること」「出来ないこと」「してはならないこと」の三つであるとしています。
 当たり前のことですが、並みの人間とは、つまるところ「出来るところをやる人間」でありますし、並みの人間では精神負担が重くて「出来ないこと」をやるのが、経営者。この「出来ないこと」と言うのには決断力とか責任を負う能力とか、その人の資質の有無によるものですが、この中には、人をリードすることなど不遜に感じて出来ないと言う道義的なものも含まれます。

 最後に、「してはならないこと」をやってしまうのが政治家ということである。「人の上にたつ」と言うことは、その「してはならないこと」の最もたるものでしょう。誰も自分の上に立ってくれと頼んでもいないのに、勝手に立つのだから、それは、まさに「してはならないこと」の優たるものである。と論じています。

 この、「してはならない」「人の上に立つと言うことをしている人物」である政治家は、正にそこから政治家の使命と義務と責任が生まれてくるのだとしています。裏を返すと、その特異な権力欲望や能力を持たぬ人間は政治家であってはならないと言うことになるのではないでしょうか。

そうした意味合いで企業経営を考えると、戦国時代の武将の戦略が、とかく経営戦略として参考にされ勝ちです。戦闘という多少の偶然性があっても、賭の問題があります。運の問題があります。勝つか負けるか、強いては、自分と組織の破滅か、拡大か、その責めを経営者は負わなくてはなりません。

 政治家であり経営者である武将は、神の代理人を続ける一方で、破壊を繰り返し強大な権力でそれを正当化しています。
 もしこれら政治或いは経営を美濃部さんや、人望の厚い西郷隆盛だったらどうなるだろうか。自由・民主・ 平等・博愛等と、或いは衆知一致などの原則論を政治や経営に通用するはずはない。つまり、経営者の素質条件には武将の資質や政治家の資質も必要とと言う要旨を述べています。続く 一桁