3) 経営リーダーとしての諦観主義者はどうでしょうか。 例えば、自由自在に生きて、悟りを開きます。そして、粗衣粗食に耐えることで自然の生活に溶け込みます。つまり、心の悩みや迷いから解放される喜びを経験すると、必然的にそのような生活様式を、多くの人達に勧めるような立場に立つとしたなら、そのリーダーの存在は、社会を紛糾させることだけに終始する事になります。
4) ルソー式の自然・原始論者 もう一度繰り返しますと、人間は社会的動物である以上、これらの感情的な情緒主義者、虚無主義者、諦観主義者、現世否定論者、自然復帰論者は、社会的組織のリーダーを、望んではないけません。また、そうした人達を社会組織では、リーダーとして、起用してはならないと考えます。 そういう人たちの中には、人間的には優れ能力のある人がいても、それは、権限を持たぬ「相談役」、あるいは、精神安定の役割を果たす補助組織の、シンクタンク的役割に止めるべきであると思います。もし、そういう人が、その限界を逸脱し、現実的権力を持って人を動かす事になれば、かれらの組織や社会を見出すだけであると考えられます。
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