管理者には、管理する全ての資源を、有効に活用することによって、最高の成果を挙げる義務があります。
人材である部下は、経営上の資源ですから、これを動機付けで、「最善の努力をさせる」ことが、管理者として、成功する鍵となります。
現代の工業社会が始まってから、企業が労働者に職を与えて、仕事をさせる動機づけの主力武器は金でした。
経営者は、管理者や労働者にたいして、彼らが行った労働に見合う「賃金、または給料」を支払うことによって、彼らが「最善の努力をする」ことを期待しました。更に、より以上の一層の努力を、盛り上げたいときは、昇給を約束したり、給料の高い職務に昇進させます。そして、時には、ボーナスを出すなどをしました。
一方で、労働者が期待通りに働かないと、賃金を悪くしたり、給料を減らすことや、昇進・昇給を停止したりするなどもします。
この「成績が良ければアメ、悪ければ罰」スタイルの、労働者を動機づける主力武器モチベーターとして、金を使うことの背景にある基本的な考え方は、労働者は「金のためにしか働かない」と言う既成概念です。
事実人は、「額に汗して食物を稼がねばならない」といった宗教上の戒めが、長い間「動機づけ理論」を支配していました。
産業革命の初期においても、生産様式の一層複雑化が進んでいる現代にあっても、生産に対しての報酬は、賃金で報いるという方式が、賃金による動機づけを、益々強化なものにしました。
工場の出来高払いの仕事は、自分の生産に対して、直接受けられる保障の一種になります。また、同じように、セールスマンのコミッションにしても、直接動機づけの方法に、含まれるものです。この種動機づけは、様々な形となって、多くの事業所に採用されております。
この様な報酬の仕組みは、労働者に、生産を増やそうと言う気を起こさせる「健全な刺激」を与えるものと思われています。
つまり、生産を増やせば増やすほど、労働者の所得も増えてくることになります。
金がモチベーターの中で、最も効果的なものとして、期待できるならば、これらの「動機づけの仕組み」は、最善を尽くすように労働者を「動機づける」上で、全て成功するはずです。
ところが、これまでの歴史的経験では、金はモチベーターとして、限られた価値しか持っておりません。
もちろん、金は労働者の行動に「大きい影響」を、及ぼすことは、言うまでもないことですが、行動科学者の研究によると、金は一般に考えられるほど、強いモチベーターでないことが明らかになっています。
生産管理者も、
『労働者に働けば働くほど「賃金が貰える機会」を与えたところで、実際には、生産を増やす「動機づけ」にならない』
ことを再三経験しています。
また、セールス・マネージャーにしても、より懸命に、より長く、あるいは、より効率の良い働きをすれば、収入が大幅に増える筈のセールスマンが、そのような実例をたくさん知っています。
要するに、労働者を「動機づける」ものは、金だけではないのです。
その理由の一つには、労働者とその労働者が属する集団の関係があります。
工場の金銭的な「動機づけ」の増産奨励策は、おおよそ不成功の結果に終わりがちです。
労働者たちは「横紙破り」と思われることを嫌がるからで、殆どどの集団においても、生産割当に対しては「サバ」を読んでいます。
しかも、この作意的な生産量を越える者は、仲間から、横紙やぶりと見なされて排斥されたり、嫌がられたりする傾向が強くあります。
労働者たちは、定められた生産量は必ず達成しますが、たとえ、生産を増やし、多くの金を稼ぐことが出来たとしても、特別な努力はしない傾向が強いです。
彼らに取って集団の圧力は、金を稼ぐより重要になります。また、工場以外でも同じように、集団行動としての活力を、維持するための制約があります。
一部の会社では「働き蜂」のように、懸命に働く作業者がいると、同僚が彼を傍らへ呼んで、もっと気楽にやるように注意します。
これは、金で釣って必要以上に働かせようとしても、うまくいかない心理的な理由の一つです。
多くの人は、ある一定の所得水準に達すると、生活上の別の満足‥‥。彼らにとって金以上に意義のある満足‥‥。を、求める他の心理的理由があるからだです。 つづく
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