「はじめに」
能率問題の権威者が口をそろえて力説するのは、もし、自分の仕事の内容を、ハッキリ書き出すことが出来るならば、その人の能力は非常に大きな進歩を遂げるだろう、と、いうことです。
もし、自分の仕事の全貌、沢山の個々の仕事相互間の比重の違い、自分の仕事と部下の仕事、また、同僚、上司の仕事との間の相互関係を、職務記述として書き出すことが出来るなら、ビジネスマンの個人生活やビジネス活動両面において、めざましい
向上を示すだろうと断言しています。
この原理は、会社の仕事をする場合に限らず、我々個人の生活に合理性を持たせるときに当てはまります。
つまり、学習しながら行為を繰り返えすことによって、スキル(習熟)が完成するわけです。仕事とその消化ツールであるテクニックを、文書や言葉などの情報として与えられても、スキルは、簡単に身につくものではありません。
私達は、あらゆる方向から考えることを奨励されています。学校に行ってる十数年間、あるいはそれ以上も、先生方は、口を酸っぱくして頭を使えといいます。社会に出ても全く同じです。事務所工場には、「考えよ」と書いた紙片さえはってあります。私達は、「何かを生み出す考え」という美徳の虜になっています。
ところが、色々なうたい文句はありますが、それでは、どの様にすれば、より能率の良い考えをする人間になるか、テクニックの問題についての助言は殆どなされておりません。もっと考えたいという気があっても、有り難い文句を百万べん聞いても、
実際的な「このようにすればできる」方法一つに劣るのです。
ビジネス社会では、仕事を進めるために、聞く、読む、話す、書く、そして、行動をする仕事の基本があります。
人間の判断行動は、根本的には、一つの本能です。しかし、読書の場合と同様に、考えるということもある程度は、自由にコントロールできるプロセスであるのです。
われわれは、成長するにあたって、色々な環境においての生活経験を経てその能力を色々な具合に伸ばします。
しかし、ある種の方法によれば、例外なく全ての人の能力を飛躍的に伸ばすことができるとしています。ここでは、思考改善や段取りのテクニックなど、仕事の進め方を色々な角度から検討してみたいと思います。
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