序章 RSC時代のホンダRS250R  ’78〜

ホンダ技研のモータースポーツ・サービス部門”RSC/Racing Service Center.Co”は
1978年にオフロード・マシン「エルシノア」系の空冷2サイクル単気筒エンジンを搭載した
ロードレーサー「ホンダRS250R」を発売しました。

1967年以来の長いグランプリ・レース活動休止期間を経て、久々に開発されたGP250ロードレー サー
しかしまだ「カワサキKR250」や「ヤマハTZ250」などと対等に戦い得るマシンではなかったようで す。

78年発売の「ホンダRS250R」
星型コムスター・ホイールが当時をしのばせます


「ホンダCR250R」から受け継いだ、空冷ピストンリードバルブエンジン。


コムスターさんからお送りいただいた、現存するRSC製ホンダRS250Rの画像です。
 
オリジナルの姿を保った車体にRCBカラーが施されています。
ブレーキがCB400Nのパーツでダブル・ディスク化されています。



78年型、ホンダRS250Rの諸元表
全長 1,928mm
全幅 500mm
全高 920mm
軸距 1,310mm
半乾燥重量 90kg
最低地上高 150mm
キャスタ 27°
トレール 90mm
リアサスペンション スイングアーム
タイヤ F:3,00−18 / R:3,00/3,25−18 
エンジン形式 空冷2サイクルピストンリードバルブ単気筒
総排気量 247cc
ボア×ストローク 70×64,4mm
最高出力 40ps以上/9,000rpm
最大トルク 3,37kg−m/7,500rpm
潤滑方式 混合式
始動方式 押しがけ
変速機 常時噛合式5速リターン
完成車販売価格(RSC工場渡し) \498,000


ちなみにGP125マシン「ホンダRS125R」も、元の素性はモトクロッサー生まれです。


78年型の「ホンダMT125R−V」
現行RSの遠いご先祖様ということになります。


プロトタイプの開発  ’84

ライバルメーカーのロードレーサーに対抗し得る、本格仕様のRS250Rは、
2輪レース部門が”HRC/Honda Racing Corporation”に改組された後の84年型からです。

水冷90度V型2気筒ピストンリードバルブエンジンで、
市販車の「ホンダNS250R/F」と同時開発されました。

RS250Rの元祖?84年型の市販車、「ホンダNS250R/F」

「時は戦国、天下分け目の関が原」じゃなかった、HY戦争の余波も残るころ。
当時ワンメイクレース的様相を呈してた、「ヤマハTZ250」の対抗馬として84年の全日本GP250に登 場。
ワークスをはじめ数チームが参戦し、半年のうちにめまぐるしく仕様が変わっています。

84年全日本第11戦筑波
#33ヤマハTZ250/奥村裕選手(プレイメイトRT)と、
#4ホンダRS250R/小林大選手(TEAM HRC)のトップ争い


’84全日本第2戦筑波に初登場した、RS250Rの開発初期モデル。
アルミ角パイプのダブルクレードルフレーム。
F16インチタイヤ。前後に分かれた排気管。
市販車のNS250Rとほとんどおんなじ仕様です。
これは坂口彰選手/MOTOR HOUSE RACING DIVISIONのマシン。
小林大選手/TEAM HRCの、’84全日本チャンピオンマシンもこれ をベースにしたものです。

世界GPには第3戦スペインGPから、数チームが参戦しています。

R・フレイモント/パリジェンヌのRS250R。やはり排気管が上下に分かれています。


84年の鈴鹿・日本GP。
HRCの開発ライダーだった、阿部孝夫選手/TEAM HRC専用のホン ダRS250R
目の字断面のツインチューブフレーム。このころは”ULF/Ultra  Light  Frame”と呼称していました。
F17インチタイヤ。両気筒前方排気の排気管。
これが翌年からの市販に向けた最終仕様。
ちなみにこのマシンで、ホンダRS250Rの初優勝を決めたのも阿部孝夫 選手です。


ND5 ’85〜86

最初のHRC製、市販「ホンダRS250R」です。

85年型
70ps/11,750rpm

85年型の市販RS250R(ND5)です。
このカラーリングは、ナイジェルマンセルのレプリカっぽいですね。

ULFフレームにプロリンクサスという車体レイアウトは、
ワークス・マシンの「ホンダNSR500」と同時に採用されています。

前後のホイールは、板状のスポークをトルクスネジで組み上げた
「NSコムスター」というこの時期のホンダ独特のものです。
カタチが「ダビデの星」に似ていて、ちょっと意味深なかんじもします。
ホイールサイズは前後18インチが標準で、オプションでF17インチも用意されていました。

「ホンダNS250F」や「ホンダVT250F」など、市販車のホイールは少しカタチが違って

こちらは「ブーメラン・コムスター」と命名されました。

Fブレーキはシングルディスクで、アンチダイブ機構の”TRAC”を備えています。

Fブレーキをかけるとブレーキキャリパーがローターに引きづられて
振り子状に動き、Fフォークに実装されたスイッチを押してノーズダイブを抑えます。


ピストンリードバルブの90度一軸Vツインエンジン

このころは「レースガス」という有鉛ハイオクガソリン(リサーチ100オクタン程度)を使用していま した。
エンジンレイアウトは、後方シリンダーが後方排気から前方排気に変更されているのが
開発ベースモデル「ホンダNS250R/F」との大きな違いです。


キャブレターは、このときから”RS250R”や”CR125/250R”の標準キャブになった
”KEIHIN PJ”フラットバルブ。
吸気バレル径は36mmでした。

ホンダの2ストローク・レーシングエンジンは 既にほとんどが「ニカジルメッキ」のシリンダーを採用していました。
当時ホンダでは「NSシリンダー」と命名していました。
四輪のF1エンジンやGPのワークスマシンなどは、 商品ではないため特許の網がかからない
という事情から、
こぞってこの技術を採用しはじめていました。
ドイツのマーレー社の特許技術だと、どこかの雑誌で読んだおぼえがあります。

NSシリンダーのカット写真。(市販車のNSR250Rのものですが、基本的におなじものです)

アルミのシリンダーライナー…というかシリンダーそのものに 「ニッケル・シリコンカーバイド」という素材をコーティングしています。
厚さは、60〜100ミクロンとのコメントが図解にあります。

ニッケル素地にシリコンカーバイド粒子が散りばめられた構造。
柔らかいニッケルのみが先に磨耗し、オイルだまりを形成するので。
潤滑性はたいへん良いそうです。使用中のシリンダーを指で触ってみても
つるつるしていていかにもμ(摩擦係数)が低そうなかんじがします。
またシリコンはダイヤモンドに次いで硬度が高いので、耐久性は半永久的と 言われていました。
他にも、アルミのシリンダーは熱伝導率が高いので、耐デトネーション性で も有利
熱膨張率がピストンとおなじなので、ピストンクリアランスを詰められる、
などなど2ストにはいいことずくめ。
しかし当時としては特殊な処理だったので、
メッキがはがれたときに再メッキを請け負ってくれる工場がまだなかったと いうネガもありました。

NSシリンダーの後を追って、各社の2スト250がメッキシリン ダーを採用しましたが
成分やコーティング法については、各社独自のノウハウがあったようです。


ニ気筒ともに、排気デバイス
”ATAC(Auto-cotrolled Torque Amplification Chamber)”を備えています。
(市販車のホンダNS250R/Fは一気筒のみ)。


ATACの作動原理図(NS250R/Fのカタログから抜粋)
サブチャンバーで低回転時の排気脈動波をコントロールし、
混合ガスの吹きぬけを防ぐ由の解説があります。

推奨オイルの ”Castrol(カストロール) A747”

2ストロークレーサーの潤滑方式は混合給油。
「カストロールA747」等の、ひまし油をベースにした部分合成油を
ガソリン30に対しオイル1の割合で混ぜて使います。
ひまし油は、一般的なモーターオイルに使われる鉱物油に比べて酸化安定性が低いので、
混合済みのガソリンは1日で使い捨てするなど、
特別な気遣いが必要ですが、高温時の油膜保持性は抜群らしいです。
ちなみに四輪のF1レースとかでもカストロール臭いにおいを嗅ぐことがありましたが
やはり植物油がベースになっていたんでしょうか?
さいきんのレーシングオイルは、エステル系の100%化学合成オイルが主流になっているそうです。

’85ND5の諸元表
車名 ND5
全長 1,950mm
全幅 600mm
全高 1,065mm
軸距 1,350mm
半乾燥重量 102kg
最低地上高 105mm
キャスタ 25°5′
トレール 87mm
リアサスペンション プロリンク
タイヤ F:3,25/4,25−18(3,25/4,50−17) / R:3,75/5,00−18 
エンジン形式 水冷2サイクルピストンリードバルブ90°V型2気筒
総排気量 249、2cc
ボア×ストローク 56×50,6mm
最高出力 70ps/11、750rpm(レースガス使用時)
最大トルク 4,3kg−m/11,500rpm
キャブレター PJ36
潤滑方式 混合式
始動方式 押しがけ
変速機 常時噛合式6速リターン
標準現金価格 \1,600,000

ピストンリードバルブのRS250Rでは
HRCの小林大選手が84、85年の全日本チャンピオンを獲得しています。

小林大選手/TEAM HRCの85年型RS250R。
当時はワークス仕様ということで「ホンダRS250RW(RS250R− W)」と呼称していました。

世界GPでは、85年からアントン・マンク選手やファウスト・リッチ選手らが
小林選手とおなじ仕様のRS250RWでワークス参戦しています。

’85ベルギーGP
#5アントン・マンクのホンダRS250RW
後方の#3はカルロス・ラバードのワークス・ヤマハTZ250/ベネモト・ヤマハ


86年型  RS250R−U
71ps/11,750rpm

後にHRC(味の素ホンダレーシング)入りし、
’87全日本チャンピオンを獲得。GPに参戦した清水雅弘選手(TS関 東)のRS250R。

この車両はFホイールが「マグテック」Rホイールが「NSコムス ター」という変則の組み合わせのようです。
チャンバー後端に見える、俗に”ぶたの しっぽ”とも呼ばれるテールパイプは レギュレーション改正に合わせたもの。
(テールパイプは、すくなくとも30mmの長さで、 マシンのセンター軸と水平かつ、平行でなければならない)

キャブレターが、38mm径のPJ38になりました。

ULFフレームの横幅が幾分、狭くなったそうです。
最初の剛性バランスの見なおしということになります。

Fホイールは、17インチが標準仕様となります。
”MAGTEK(マグテック)”と呼ばれる、 マグネシウム鋳造ホイールが採用されたのはこの年からのようです
マグテックホイールは、新日本軽金属と共同開発された6本スポークの内製品
当初の標準カラーリングは白でした。

この画像は小林大選手の86年型「ホンダNSR250」ですが
ホイールの形は概ねわかると思います。


Fブレーキがダブルディスクになり、アンチダイブ機構「TRAC」が省かれています。
カートリッジ式のFフォークが初採用されたのも、このモデルだったと 聞いた覚えあり。(ちょっと自信なし)


フレディ・スペンサーが、85年のWGP250/500でダブルチャンピオンを獲得した 「ホンダRS250RW」は、
実はほかのワークスライダーが乗ったマシンとは全く異なるものでした。

10レースに出場し、ポールポジション6回、優勝7回、コースレコードを記録すること6回。
しかもこれらはGP500とのダブル・エントリー/ダブルチャンピオンを果たしたうえでの数字。
1985年は完全にフレディ・スペンサーの年でした。

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