〜’90 ヤマハTZ250とカワサキKR1
 
 

水冷のホンダRS250Rが全日本に登場したのと同じ頃
WGPでは、「リアル」や「コバス」、「ペルノー」、「アプリリア」等々の
ワンオフスペシャル的な、ヨーロッパ製・GP250マシンが「ヤマハTZ250」に挑戦し
ワークス、プライベーター入り乱れた乱戦の様相を呈していました。

’84WGP第3戦スペインのトップ争い。
先頭から、アルフォンソ(シト)・ポンス/コバス・ロータックス、アントン・マンク/ヤマハTZ 、
クリスチャン・サロン/ソノート・ヤマハTZ、アラン・カーター/ヤマハTZ、ジャン・フランソワ・バルデ/ペルノー。

このレースはポンスがGP初優勝。

ヤマハユーザーは、
”HH(ハンス・ヒュンメル)”製のスペシャルシリンダー(おそらくニカジルメッキ?)
や「OWシリンダー(ヤマハワークス製のスペシャルシリンダー)」などで パワーアップを計り、対抗していました。

クリンチャン・サロン/ソノート・ヤマハTZ250
84年のWGP250チャンピオンです。

クロモリ鋼管ダブルクレードル・フレームにモノクロス・サスペンション。
伝統的なヤマハ2ストロークの基本形です。
ピストンバルブの並列2気筒エンジンは、
セルジュ・ロセのワークスでチューニングされたスペシャルで、
「HHシリンダー」に”YPVS”を追加装備。
 
 

85年からは並列ニ気筒のままながら
「ヤマハYZR500」で開発された「クランクケース・リードバルブエンジン」となりました。
おなじく500ゆずりの「デルタボックス・フレーム」をワークススペシャルとして投入。

全日本第5戦菅生に登場した’86ヤマハTZ250プロト(奥村裕/プレイメイトRT)
デルタボックスフレームで、リアサスもリンク式の「ニュー・モノクロス」に進化しています。

86年型からは市販”TZ250”もデルタボックスになりました。
これらのコンセプトは、ヤマハらしく市販車にも反映され、
名車「ヤマハTZR250」一型(1KT)として発売されました。

ホンダRS250RW+フレディ・スペンサーの独走ぶりに危機感をましたヤマハワークスは、
市販車とワークスマシンは同一路線で開発すべきというコンセプトをくつがえし、
市販TZとは構造を異にするアンチNSRウェポン「ヤマハYZR250」を、
85年のイギリスGPから、ワークススペシャルとして投入しました。

YZR500のV4を縦割りした、ニ軸Vツインエンジン。
片山信二選手が’86全日本チャンピオンを獲得、GPではカルロスラバー ドがチャンピオン
サンマリノGPで平忠彦選手が優勝。

市販”TZ250/TZR250”は、88年型から
並列ニ気筒ながら、ストレートなチャンバー形状を取れる後方排気のレイアウトに変更し
パワーで押しまくるホンダ陣営に対抗します。

本間利彦選手/レーシングチームUCC・ヤマハの
88年型「ヤマハTZ250」
このマシンはフレーム、スイングアームを始め、
かなりの部分にワークスチューンが施されているらしいです。


カワサキワークスも、クランクケースリードバルブVツインの ワークスマシン「カワサキKR−1」を
80年代末から90年まで全日本250で開発していました。
散発的な参戦で、話題にならぬままにけっきょくお蔵入りになったため、
あまり知られていませんが、当時のGP250の開発競争の過熱ぶりをものがたるエピソード。

この画像のライダーは塚本昭一選手でしょうか?
 
 

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