富士見村データベース |
村の木 くろまつ | 村の花 れんげつつじ | 村の鳥 きじ | 村章 |
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郷土の偉人、船津伝次平翁が、江戸時代末期に赤城山南麓に植えた「くろまつ」の林は、長年にわたって富士見村に大きな恵みを与え、また、災害から守ってきた。その力強い樹形と緑は村民の理想である。 | 「れんげつつじ」は、つつじ科17種ほどの中の1種で、本村では古くから馬つつじとも言われ、赤城山山頂付近に群生している。6月、山肌を淡朱色(たんしゅしょく)に染める花のかれんさは多くの人々に親しまれている。 | 「きじ」は、富士見村の山野に広く生息していて、昔からよく知られた鳥である。その姿は、高い気品とすばらしい活動力にあふれ、日本の鳥としても代表的で、国鳥にも指定されている。 | 富士見村章は、村民からの公募で昭和53年につくられました。 富士見(三)村の輝かしい歴史の伝統と、村民(老若男女)の和(輪)を協調し、村の力強い発展を 希い、村民の豊かな心を表現しています。 |
わたくしたちのふるさと富士見村は、赤城山の豊かな自然に抱かれ、先人たちのたゆまぬ努力と英知によって発展してきました。
わたくしたちは、この歴史と自然を誇りとし、更に豊かな、文化の薫る村づくりに努めるため、ここに村民憲章を定めます。
- わたくしたちは、祖先を敬い、歴史を尊び、富士見村民であることを誇りとします。
- わたくしたちは自然を愛し、教養を高め、心豊かな人間になります。
- わたくしたちは、体をきたえ、いたわりあって、明るい家庭をつくります。
- わたくしたちは、きまりを守り、心の触れ合いを大切にして、住みよい村をつくります。
- わたくしたちは、仕事にはげみ、産業をおこし、豊かな村をつくります。
昭和58年3月27日制定
古代、中世については、文献も少なく、遺物もわずかな仏教関係石造物が遺されているだけで、詳しいことははっきりしない。
近世に至っては、田島、引田、横室、原之郷、小沢新田、不動堂、中島、小暮、皆沢新田、石井、漆窪、市之木場、山口、米野の14の村が、前橋藩主であった平岩、酒井、松平氏の領分としてその治下にあった。
明治二年六月、前橋藩知事、さらに同四年七月には前橋県管下、同十月群馬県管轄となった。
明治五年六月、大小区の制が敷かれると、第三大区に属し、第四区に、不動堂、中島、小沢新田、小暮、皆沢新田、嶺、勝沢、小明神と共に属した。第五小区は横室、原之郷、引田の三カ村、第六小区は、米野、漆窪、市之木場、山口、石井、田島の六カ村で編成された。
明治六年六月、熊谷県管轄となり、北第三大区と称した。
明治九年、地租改正に際し、不動堂、中島の両村が合併し、時沢村となった。
明治十一年十二月、県布達により、今までの大小区制を廃し、郡制となり、南勢多郡に属し、聨合戸長役場制によって行政がなされた。その聨合村は次のようである。
○小暮、嶺、時沢、小沢新田、皆沢新田、勝沢その後、明治二十二年の町村制施行に伴い、田島、引田、横室、原之郷、小沢新田、時沢、小暮、皆沢新田、石井、漆窪、市之木場、山口、米野の十三カ村が合併して、富士見村が誕生したのである。 村名の由来は、村内の各村から富士山を望むことができること。また、日本の象徴とされる霊峰富士山は、上野、下野、常陸、下総、上総、安房、武蔵、相模、信濃、伊豆、甲斐、駿河、遠江の十三カ国から望むことができるため、古来富士見十三州という言葉があり、新しく誕生した村が、富士山が見える上に、十三の村が合併したもので、この富士見十三州にちなんで、村名を富士見村としたという。
○原之郷、引田、横室
○石井、漆窪、市之木場、山口、田島
○米野、箱田、真壁、上箱田、下箱田
(○印は戸長役場所在地)
地区(小学校区) | 大字 | 行政区 |
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原地区 | 田島 | 田島 |
引田 | 引田 | |
小沢 | 小沢 | |
原之郷 | 原上、原中、原東、原西 | |
米野 | 米野一、米野二 | |
横室 | 横室 | |
時沢地区 | 小暮 | 高松、辻、梶谷、所替戸、受地、畜試農村 |
時沢 | 時東、時中、徳沢、中島 | |
石井地区 | 石井 | 石井一区、石井二区、石井三区 |
漆窪 | 漆窪 | |
市之木場 | 市之木場 | |
山口 | 山口 | |
白川地区 | 皆沢 | 皆沢 |
赤城山 | 大洞、新地、天神平、西大河原、箕輪 |
関東平野の北西に、美しい円錐火山の赤城山がそびえている。この赤城山は、南に見事な裾野をひき、富士見村はその赤城山の山頂から西南部にわたって位置し、南は県都前橋に接している。
地形は複雑で、赤城山の標高1828メートルから、南部丘陵地帯の140メートルにいたる、5〜15度の傾斜地帯で、東西6キロメートル、南北19キロメートルと細長く、その面積は69.63平方キロメートルである。
村域の北部約二分の一は山林となっており、南部丘陵地帯のうち、東部は白川による扇状地を形成し、西部は細ヶ沢川、法華沢川等の河川が流れ、低地は水田となり、大地はほとんど畑で、土質は赤城火山灰質の土壌である。
集落はほとんど南部の地帯に散在し、主として米・麦、養蚕、畜産を中心とした農業を営んでいるが、近年、前橋に接する南部地域、主要地方前橋赤城線沿線では都市化の影響が強く、農用地の多目的利用が目立っている。
年間を通じて晴天の日が多く、降雨量は少ないが、六月から九月にかけては激しい雷雨等により多量の雨を降らせる。
十一月から三月にかけては、赤城おろしとよばれる強い北西の季節風が吹き荒れ、乾燥した晴天が続く。
また、赤城山頂付近はふもとに比べ寒暖の差が大きい。
富士見村の集落は、農村発生的集落として村内に散在しているが、基礎集落は三十三集落(一集落あたり平均人口470人)に分けることができる。
役場から6キロメートル以遠の集落は、大字赤城山の西大河原、箕輪、大洞の三集落で、ほかはすべて5キロメートル以内にある。
また、小学校通学距離が4キロメートル以上の集落は、箕輪の一集落である。
種別 | 名称 | 区分 | 指定年月日 | 所在地 |
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天然記念物 | 横室の大かや | 国 | 昭8.4.13 | 横室 |
時沢の夫婦松 | 県 | 昭27.11.11 | 時沢 | |
原之郷のサンゴ樹 | 県 | 昭36.9.15 | 原之郷 | |
重要文化財 | 横室の歌舞伎衣装 | 県 | 昭36.9.15 | 横室 |
小鳥ヶ島の宝塔と納境経筒浅欠 | 県 | 昭52.10.20 | 赤城山 | |
珊瑚寺の板碑と多宝塔 | 村 | 昭36.5.6 | 石井 | |
萩林庵の阿弥陀像 | 村 | 昭45.5.25 | 原之郷 | |
横室の宝篋印塔 | 村 | 昭46.2.11 | 横室 | |
時沢の仁王と多宝塔 | 村 | 昭47.7.3 | 時沢 | |
不入の蔵骨器 | 村 | 昭48.3.21 | 石井 | |
史跡 | 船津伝次平の墓 | 県 | 昭26.10.5 | 原之郷 |
九十九山の古墳 | 村 | 昭49.12.1 | 原之郷 | |
皆沢の焼窯跡 | 村 | 昭51.6.14 | 皆沢 | |
旧赤城神社参道松並木 | 村 | 昭62.9.30 | 時沢 |
総数 | 男 | 女 | 世帯数 |
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21,001人 | 10,380人 | 10,621人 | 6,145世帯 |
総数 | 卸売業 | ||||
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商店数 | 従業者数(人) | 年間商品販売額(万円) | 商店数 | 従業者数(人) | 年間商品販売額(万円) |
114 | 517 | 863,570 | 13 | 71 | 169,422 |
小売業 | 飲食店 | ||||
商店数 | 従業者数(人) | 年間商品販売額(万円) | 商店数 | 従業者数(人) | 年間商品販売額(万円) |
101 | 446 | 694,148 | 41 | 172 | 121,790 |
事業所数 | 従業者数(人) | 年間製品出荷額等(万円) | 1事業所あたりの製品出荷額(万円) |
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35 | 484 | 913,101 | 26,089 |
総数 | 貨物車 | 乗合車 | 乗用車 | 特種用途車 | 小型二輪車 | 軽自動車 | 1世帯あたり |
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17,666 | 2,767 | 34 | 9,163 | 528 | 280 | 4,894 | 3.18 |