香港ソウルオフの旅7 ソウル編

1995年8月19日

【風呂屋でアカスリ体験】

 朝、目覚める。今日はペンパルのキョンさん(景貞淑さん)らと天安の独立紀念館に出かける日だ。約束はキョンさんのオフィスがあるカンナム(江南)のKOEX(韓国総合展示場)のロビーに12時である。今日は土曜日なので半日だけ仕事があるのだ。従って午前中は自由時間?と相成る。いすさんや白ベコさんは買い物をしたいとのことで、それぞれデパートに行くようだ。僕はというと特に買いたいものもないので、今泊まっている宿であるカンファジャンヨグアン(光化荘旅館)の横にあるモギョクタン(沐浴湯=つまり銭湯)であかすりをすることにした。明日の帰りのフライトが午後なので買い物がしたくなれば明日すればいいしね。

 そのモギョクタンの入り口はカンファジャンの裏口の隣にある。とりあえずタオルを持ってのぞいてみることにした。韓国の銭湯モギョクタンは日本の銭湯のように中に入ってから番台に金を払うといった方式ではなく、受付?で金を払ってから中に入る。とりあえず受付にいるおばちゃんに

「テミリやりたいんだけど」           ※(あかすり=テミリ)

と言ってみると、                 

「中に入っておじさんに言ってくれ」

とのお言葉。入浴料分だけ金を払って中に入り、靴を脱ぐ。すると従業員のおじさんがさっと寄ってきて靴を持っていってしまう。これは帰るときにおじさんに言えば持ってきてくれるシステムなんだけど、追加料金を払わないで帰る客を防ぐためなんだろうか? この件で以前えらいトラブルに見舞われたことがある。長くなるのでここには書かないけど、気をつけた方がいい。さて脱衣場だけど、ロッカーも含めて広く、日本で言う大きな温泉のようだ。脱衣場の端の方に受付のような台があって、さっきのおじさんが座っている。その他に散髪コーナーなんかもあって、早速散髪しているおやじがいた。朝っぱらから・・・・ま、僕も朝風呂は入りに来ている身なのでお互い様だけどね。

 とりあえず、さっきのおじさんにあかすりを頼む。おじさんは中に入ってろ!と言うので、服を脱いで中に入り湯船につかる。あぁ、極楽極楽。朝風呂は気持ちいいのだ。因みにこうやって湯船などにつかることによってふやけたところを擦り落とすという案配なんだろう。それからこのモギョクタンだけど、日本の銭湯とは随分雰囲気が違う。日本で言えば健康ランドなんかと感じが似ている。サウナなんかもあるしね。

 ところで日本の銭湯にも関西式と関東式の二種類あるのをご存じだろうか?以前大学生の時、東京は国立にある高校の時の友達の下宿に遊びに行った時、風呂屋に行って随分ビックリしたものだ。ドラマで出てくるのは大抵関東式である。湯船が一番奥にあって、洗い場が湯船と出口の間に縦方向に並んでいるといった感じ。それに対して関西式は湯船は真ん中にあり、洗い場は基本的に周囲の壁に湯船に背を向けるようにして「コの字型」に並んでいる。湯船から溢れるお湯が平等に行き渡るきわめて合理的な造りだ。温泉宿のお風呂もたいがいこの方式だ。(でしょ?)韓国のモギョクタンもこの関西式であった。

 しばらくつかっていると、さっきのおじさんがあかすり用のグッズを手に現れ、端の方にある台の上に寝るように指示した。台の上に寝転がると、あかすり用?の手袋のようなものをつけて、拍手をするようにパンパン!といわしながら構えたかと思ったら、やおらあかすりを始めた。ゆっくりではあるが力強く擦られる。なかなか気持ちがいい。ある程度擦り上がるとお湯をばさーっとかけられ、またゴシゴシやられるのだ。裏表全部擦り上がると、今度はマッサージが始まる。全身をもみもみして終了だ。すっきりした。もちろんフルチン状態でやてもらうわけだけど、この開放感が醍醐味でもあるようだ。

 すっかり満足して風呂から上がった。パンツ一枚で脱衣場をうろうろしていると、端の方にあるエレベーターに目がとまった。脱衣場にエレベーター?? カンファジャンを含めたこのオンボロビルにエレベーター?・・・よく見てみると「ヒュゲシル」(休憩室)と書いてある。こんなところに? とりえず乗ってみることにした。エレベーターは一挙に3階まで上がる。出てみるとなんとだだっ広いただの部屋があって、数人が地べたに寝転がってグーグー寝ているではないか。しかもパンツをはいてないやつらばっかりだ。なんなんだ、これは?朝だというのに・・・・。24時間営業しているんだろうか?それとも朝早くから来て、そこで風呂はいって、そしてここで眠りこけているとでもいうのだろうか? 謎なのだ。無造作に陳列?されている大韓民国男子のやきいもを眺めながらそう思わずにはいられなかった。窓は開け放たれていた。風邪を引くぞと思いながら外を見てみると雨が降っていた。

 さてエレベーターを降り、さっきのあかすりおじさんに金を払い宿に戻った。


【天安の独立紀念館へ】

 集合場所のKOEXは地下鉄2号線サムソン駅の上にある。白ベコさん、あらへさん、いすかんだ〜りあさんと4人で待っていると、間もなくキョンさんが現れた。約束の時間を少し回っている。でもこんなことでいちいち目くじら立てていたら韓国ではやっていけない。(らしい)韓国の約束時間に時間通 り現れる方が珍しいことなのだ。(らしい)

 キョンさんは友達とあのアシアナ航空の制服姿で現れた。赤と白の! そしてここで大紹介大会となる。そしてちょっと着替えてきますと言って一旦フェードアウト。再び現れてから一緒に食事をとることになった。

 僕たち4人、キョンさんとそのお友達の計6名はエスカレーターで地下のレストラン街へと向かった。そして適当な店に入る。席についてからあらためて紹介などを始める。しかし問題なのはキョンさんとそのお友達が韓国語しか喋れないこと。そして僕ら4人の中で、まがいなりにも韓国語が分かるのは僕だけだと言うことだ。もちろんあらへさんも白ベコさんもそれなりに単語などは知っているみたいだけど、会話スタイルになるとちょっと問題があるようだった。

 聞いてみると、食事時間が終わったぐらいにもう一人友達がリムジンでここに来るそうで、我々に合流するようだ。ご存じのようにKOEXと金浦空港はリムジンバスで結ばれている。ってことは空港で働いているのだろう。「飛行機おたく」のいすかんだ〜りあさんには全くと言っていいほどおあつらえ向きな女性なのに・・・今度は韓国語勉強して来なはれ。

 とりあえず会話は弾み???、なごやかに食事時間は過ぎていった。キョンさんは相変わらず「コギ(肉)がだめなので・・・」と言いながら肉をよけて食事をしていた。肉が駄 目な韓国人もいるのだ。さて食事も済み、再びエレベーターでロビーに戻る。今一緒に食事をしていたお友達の方はここで帰るという。なんだ、交替するのか。そこまでは僕の語学力ではよく理解出来ていなかった。(^^;で、そのリムジンで現れる友達はまだ現れないので喫茶店に入って時間つぶしをすることにした。。僕はアイスコーヒーを頼んだが、白ベコ&あらへはめざとく「パピンス」(氷あずき)を見つけて、それをしゃこしゃこ食っていた。うまいらしい。夏場に韓国に行かれる人はぜひ一度試してみて下さい。それにしてもあらへさんは「食い物」に関する単語はホントによく知っている。

 さて間もなくして友達が現れたので6人は独立紀念館へ向かうことにした。まずは地下鉄でバスターミナルのある駅まで移動する。駅からターミナルまでは歩いていく。どうも雨が上がったようだ。ほっとする。ターミナルで天安までの切符を買い、バスに乗り込んだ。

 バスは間もなく高速道路に上がり、疾走し始めた。途中急にスピードが鈍くなってきたので、事故か?!と思ったら工事だった。しかしおかげで渋滞になりかなり時間がかかってしまう。そうこうしている内にバスは高速道路を降り、しばらく走ってチョナン(天安)に着いた。どうもキョンさんは独立紀念館にダイレクトに着くと思っていたらしく、「ターミナルに着いてしまいましたねー」などと大ボケをかます始末。大丈夫なのだろうか? 女の子なんだから仕方ないか。でも今日はそう言うこと、いいっこなしで彼女に任せていたので、

「そうだねー」

などと言いながら後についていくことにした。

「あそこに行ったら独立紀念館行きのバスがあるかなぁ」

「あるでしょう」

などと言いながら建物の中に入って聞いてみるとバスはいっぱい出ているらしい事が分かった。

 大通りに出て、停まっているバスの運ちゃんに聞いてみると独立記念館に行くというので、あわてて乗り込んだ。バスに乗ってしばらく揺られていく。天安からは結構距離があるようだ。なかなか着かない。と見る間に一天にわかにかき曇り、雨がざーざー降りだした。ううむ、困ったのだ。でも傘持ってきているからとりあえず大丈夫だろうけど。


【独立紀念館】

 そうこうしている内にバスは独立紀念館前に着いた。やれやれ。でも雨はまだぱらぱらと降っている。とりあえず紀念館へ急ぐことにした。因みに僕らが降りた後、バスは何人か客を乗せてさらに奥へと走り去っていった。今思えば、あれは韓国のジャンヌダルクと言われている「ユガンスン紀念館」に行ったのかも知れない。でも当時はそんなこと知らなかったので、何処に行くんだろう?と思うだけだった。

独立記念館 バスを降りた6人は独立紀念館の入り口へと向かう。何と言ってもまず目を引くのは2本の柱状のものを天に高く突き上げたようなかたちの巨大なモニュメントだ。とにかくものすごく大きい。「キョレエ タプ」といい、日本語にすると「同胞の塔」「はらからの塔」「民族の塔」といったところか。関西育ちの僕なので、巨大モニュメントと言えばすぐ大阪万博の「太陽の塔」が思い浮かぶんだけど、それより大きいかも知れない。(写 真はパンフレットより)

 さて、それに目を奪われつつもチケットを購入し、ゲートをくぐる。ゲートといっても広大な敷地に贅沢に立てられたものだ。雨のためか、人はそれ程いなかったのだが、賑わっていれば博覧会の会場のような雰囲気だ。ゲートをくぐると広大な広場、いや広大な公園が目の前に広がる。中央部には広くゆったりと敷石が敷き詰められ、それが前方に見えるこれまた巨大な門へと向かってのびていた。入り口のゲートは背の低い横長の建物だったが、正面 の門はとてつもなく背が高くて大きい。威圧感がある。朝鮮民族は巨大な建造物が好きなのだろうか? 北朝鮮でもパリの凱旋門よりちょっと大きい凱旋門を建てたり、例の巨大キム・イルソン像なんかを造ったりしている。もしかして、これもパリの凱旋門より大きいのかも知れない。

 この巨大門をくぐると独立紀念館の本体が見えてくる。急いで中へと入ることにした。建物の展示物はそれぞれ時代ごとに別 棟に分けられているらしく、近代以前から朝鮮半島の歴史を順々に追えるようになっている。展示物の説明はハングル、英語が併記されていた。キョンさんらとは、

「あ、これは日本と同じだ」とか「朝鮮半島から日本に入ってきたんでしょうね」

独立記念館内部など、韓国人が最も喜びそうな話題で話に花が咲いた。つくられた当時のハングル文字など、なかなか興味深い展示物も多かった。

 そうこうしているうちに、気がつくとなんと閉館時間になってしまっていた。おぉ、まだ肝心の日帝時代(日本の植民地時代)の部分に行き着いていないではないか!しかし周りの他の入館者たちは全く動じることなく見学を続けている。時間を間違えているのだろうか? それともこれが大陸式なのだろうか?とにかくさらに進み続けて、やっと問題の独立運動関係の建物に入る。

 この頃になってやっと追い立てが始まった。しかし日本に比べたらゆったりしたものだ。ところで、展示物だけど噂どおり日本の残虐な拷問方法の数々を蝋人形を使ってグロテスクなまでに再現している。血を流す人、泣き叫ぶ人、諦めの表情の人、グッタリした人・・・。また日本人によるミンビ(閔妃)殺人事件の再現をしたり、はねた首をぶら下げた写 真を展示したりと、日本人には少しきつい内容だ。その他アンジュングン(安重根)の手形など興味深い資料も多い。

 ここに来てみて思ったのだが、子供を連れてきている韓国人が多く、子供に熱心に語って聞かせている親の姿がとても印象的だった。そして盛んにメモを取る子供たち。不幸な出来事があった場合、それを極力忘れようと努力し、忘れることの出来る人を「徳」とする日本人とは対照的に、彼らはそれを子へ孫へと語り継ぐように努力し、忘れないように「語り継ぐこと」こそ「徳」としているのだ。彼らは決して忘れることはない。そして日本人はもっともっと語り継ぐ努力をし、忘れないように努めなければならないと思う。「早く水に流して忘れてしまおう」「あれは親、おじいさんの世代がやったことで我々には関係ない」というような日本式発想は、世界的に見ても、もはや通 用しないということに気がつかなければならない。そしてそれは決して卑屈なものではなく、真に勇気のある立派な行為であるということも、併せて考える必要があるように思える。歴史は歴史でしかない。しかしそれを正しく後の世代に伝えていくことが出来て初めて歴史・過去と正しく向き合うことが出来るのではないかと思う。「早く忘れたい」「関係ない」という態度は歴史と正しく向き合う機会を失うばかりか、いつまでも過去を歴史としてではなく「現実の問題」として我々に突きつけ続ける要因となっているように思えてならない。

独立記念館 さて、独立運動の建物を出たところで閉館となってしまった。全部見ることが出来なかったのが残念だが、ま、それは仕方ないことだ。雨は上がっているようだ。さぁ、ソウルへ戻るとしよう。

 先ほど同じように巨大門をくぐってゲートに戻る。と、また激しく雨が降り始めた。あわててバス停に急ぐ。途中売店があったので「光復50周年」のバッチなどを買う。

 バス停で確認するとソウル直行便があったのでそれを利用し、ソウルに戻ることにした。ソウルへ向かうバスの中は、みんな旅の疲れが出たのか眠りこけてしまった。そろそろ旅も終わりに近づいたようだ。バスは豪雨の中をひたすら疾走し、ソウルのバスターミナルに着いた。そしてここで食事をして別 れることにした。ターミナルの食堂街は寂れた雰囲気だったが適当な店に入り、最後の食事を楽しんだ。

「紀念館はどうでしたか?」

キョンさんが訊ねてきた。僕は思わず言葉に詰まってしまった。

「・・・・勉強になりました」

とだけ答えた。キョンさんは「ふーん」という反応だった。

 その後地下鉄の駅まで行って全員で記念撮影をし、そして別れることにした。キョンさんたち2人と僕ら4人は、ちょうど帰る方向が逆だったのだ。キョンさんは別 れ際に、

「お会いできてとても良かった。また機会がありましたら会いましょう」

と言ってくれた。我々も同じだ。両側のホームに別れて待っていると、間もなく我々の方に地下鉄がやってきた。乗り込むと地下鉄は静かに走り始めた。手を振り・・・・そして見えなくなっていった。

「紀念館はどうでしたか?」

あの時の質問はどういう答えを期待していたのだろう? そして僕は正直に答えただろうか? ・・・今でもよく分からないのだ。しかし小さな1歩ではあるが、確実に前進したなという手応えを感じていたのだった。 (おわり)

 

香港ソウルオフの旅   1995年8月13日 〜 19日
第1話 香港 8月13日(日)  香港入国から宿探し 友達のホテルを訪ねる
第2話 香港 8月14日(月) HISを探して、雨の香港徘徊 夕食はグース
第3話 香港 8月15日(火) KCR(九廣鐵路)でシンセンへ
第4話 香港 8月16日(水) 朝粥のあと黄大仙、鉄路博物館、大埔、元朗訪問
第5話 韓国 8月17日(木) 韓国・ソウルへ移動 旅館探し
第6話 韓国 8月18日(金) 鉄道博物館、水原カルビ、蚕室野球場で野球観戦
第7話 韓国 8月19日(土) 朝風呂アカスリのあと、天安の独立紀念館へ

 

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