読売新聞大阪本社主催「第5回 旅のノンフィクション大賞」佳作入選作品

プッカンサン(北漢山)の寺を訪ねて

 韓国の首都であるソウル市内から北の方を眺めると、奇妙な形をした岩山が見える。「プッカンサン」(北漢山)と呼ばれている山で、ソウル市の北方に鎮座している国立公園指定の名勝だ。標高がそれほど高くないわりには変化に富んだ山で、手軽に楽しめるハイキングコースがたくさん設定されており、四季を通 じて市民を楽しませてくれている。
 前々からプッカンサンの噂を聞いていて、一度登ってみたいと思っていたのだが果 たせないでいた。しかし今回、韓国語の分かる僕が通訳をかって出るかたちで、旧知の友人である松田夫妻と三人でソウルを旅行することになり、念願のプッカンサンに登ってみることになったのだ。すでにソウルに何度も来ている松田夫婦も、その一風変わった「海外での山登り」は望むところだったようだ。
 年齢がほぼ同じの松田夫婦とは、以前にも香港を一緒に旅するなど気心が知れた間柄で、一緒にいてストレスを感じないいい関係を保っている。季節は初夏で、ハイキングをするには少し暑いかも知れないが、それも旅のいい思い出となることだろう!

 我々一行三名は、まず「ウイドン」と呼ばれているソウル北部の街まで市内バスで移動し、そこから登り始めることした。以前、プッカンサンへの登り口があるという話を聞いたことがあったからだ。後から考えると山を登るにしてはずいぶんずさんな計画だったのだが、「まぁ行けばなんとかなるやろ」というノリで、地図も持たずにいきなりやって来てしまった。
 ウイドンで市内バスを降り、道なりに山の方に近づいてみると、山裾にプッカンサン全体を描いた大きな観光案内地図が立てられているのが見えてきた。案内役を買って出た手前、内心ホッとながら観光案内地図を覗き込んでみる。
 まずは全体像を把握しようと看板に描かれている登山道を目で追ってみたのだが、これが網の目のように、くっついては離れくっついては離れと予想以上に複雑で、しかも山頂までの距離が表示されていなかったので、山頂までどれくらいかかるのかさっぱり分からなかった。標高はそれほどないと勝手に思いこんでいたのだが、ウイドンから見るプッカンサンは岩のドームをうっそうとした森の中からにょきにょきといくつも覗かせていて、ひどく険しそうに見えた。現在すでにお昼過ぎになっていることを考えあわせると、山頂まで上がるのはとりあえず保留にしておいて、適当な場所に当面 の目標を設定した方がいいようだ。そう思って看板を見返してみると、「ヨンドクサ」(龍徳寺)という「お寺」が目に飛び込んできた。山頂までの四分の一くらいのちょうどいい距離にあったので、ここをとりあえずの目標にしてみることにした。

 まずは看板横の緩やかな砂利道を二十分ほどぶらぶらと登っていく。すると小さな売店が現れ、その前に車が何台も停まっていた。ここまでは車が入ってこられるようだが、ここから先は徒歩のみのようだ。気を取り直して売店の横にあった山道をさらに登っていったのだが、ここからは先ほどの砂利道とはうって変わってまるでケモノ道のような細さで、木の根を足がかりにしながら登っていかなければならない険しい道だった。
 ところで、森の中に入ってしまうと、もう韓国にいるのか日本にいるのか分からなくなってしまうから不思議だ。韓国と日本では植物相がほとんど同じなので、生えている植物が基本的に同じなのだ。いつしか森の香りも木漏れ日も聞こえてくる虫の音も、そして頬をなでていく風の感触さえ日本と同じように感じてしまう。ただ、所々にある道しるべのハングル文字だけがここが韓国だと主張しているようで、「あ、やっぱり韓国にいるんだよなぁ」と我に返ってしまうのだ。
 僕は山道を行くのは比較的慣れているので、余裕を持って登っていけたのだが、松田夫婦の旦那の方は百キロ近い巨漢の持ち主で、歩みを進めるごとに汗が吹き出ていた。一方の奥さんの方は小柄なので、こちらはよろよろとしながら登っていた。

 登り始めて一時間ほど経ったころであろうか、木の間越しにちんまりとした建物が二つ並んでいるのが見えてきた。屋根や壁の色合いからして、お寺であるのはほぼ間違いないようだ。その建物の前でお寺の関係者らしいおじさん二人と、灰色の僧衣を着た若い男性が立ち話をしていた。この寺の修行僧だろうか? そう思いながらその横を会釈しながら通 り抜けると、お寺の建物全体が視界に入ってきた。手前の建物はよく分からないが、奧に見えているのがお堂のようだ・・・どうやらこれがヨンドクサらしい。
 予想よりは多少早かったが、ここまで一時間ほどかかっているし、山頂まで行くには時間と体力と双方に問題がありそうだった。とりあえず今回はここまでにして、寺を見学して帰ることにしよう。そう思いながらふらふらと境内に入っていくと、色とりどりの洗濯物がたくさん干してあるのが目に入った。・・・その横に谷川がちょろちょろと流れている!
 「たにがわっ!」
 暑さでへとへとになっている僕らは、それを見るともう我慢できなくなって、我先にと小川に向かって走り出した。川岸に陣取って小川の水をすくってみると切れるように冷たく、顔を洗うととても気持ちが良かった。 あぁ、リフレッシュ! やはり山の水は気持ちがいい。

プッカンサン
北漢山の登山道

 顔をタオルで拭いながら寺の建物をじっくり見てみる。どうやら手前の建物は住居スペースのようだった。そしてその横に観音様のレリーフが彫り込まれている岩があったので、まずはそこでお祈りする。お寺を訪れたなら、見学などを始める前にお祈りするのが礼儀というものだ。
 お祈りが終わって写真でも撮ろうとカメラをお堂に向けた瞬間、不意にお堂の中から三人のおばちゃんたちがわらわらと現れた。パーマ、小太り、地味な柄スカートと三拍子そろったおばちゃんたちだ。韓国のおばちゃんたちは、なぜかこういうスタイルが多い。そのおばちゃんたちは我々一行をめざとく見つけると、
 「どこからきたんか?ようきなさったなぁ」
 と気さくに声を掛けてきた。おばちゃんの人なつっこさは、世界共通のようだ。我々が韓国語で日本から来たことを告げると、
 「ほぉー、そりゃー遠いところから来たねー、がはははは!」
 「あんた、日本人かね。ウリマル(韓国人は韓国語のことをこう呼ぶ)上手だね!」
 と豪快な笑いとともに、ひとしきり感心した後で、
 「まあ、まあ、お堂の中に御入りなさい」
 と我々を招き入れてくれた。建物の中を見てみたかったので、これ幸いと二つ返事で中に入れてもらうことにした。
 お堂の中は、天井をびっしりと埋めた紙灯籠の淡い光とほのかな線香の香りで、とても幻想的な雰囲気だった。正面 には大きな仏像がきれいに飾り付けられ、鎮座していた。まずはその仏像にお参りする。
 おばちゃんたちが座布団を出してくれたので、腰を降ろして休んでいくことにした。しかし、先ほど帰ろうとしていたはずのおばちゃんたちは、なぜか我々一行の横にどっかと腰を下ろして、喜々として質問攻勢を浴びせかけてくるのだ。君ら帰ろうとしてたんとちがうんかい。
 「君たち三人は友達同士なのか?」
 「えっ? ええ、そうなんです。でですね。こちら二人は夫婦なんです」
 「ほぉ、あなた達二人は、夫婦なのか?」
 いきなり韓国語で話しかけられた松田夫婦がきょとんとしている。
 「彼らはまだ、あまり韓国語上手じゃないので・・・・あ、夫婦かって言って・・・」
 「いつ結婚したのか?」
 松田夫婦に説明するまもなく、次の質問が飛んでくる。
 「あ・・・えっと・・・三年前くらいらしいですよ」
 「子供はいないのか?」
 「おばちゃん、子供はいないのかっていってるけど・・・あ、いないんです」
 とりあえず、分かる質問は答えておくとして。
 「なぜ作らないのか?」
 「え? ・・・・なぜ作らないのかっていってるけど」
 「いや、なぜって言われてもなぁ・・・・別になぁ・・・」
 興味津々のおばちゃんたちの質問はとどまるところを知らなかったので、休むどころではなかった。こんな山奥の寺に外国人が来るなんて、よっぽど珍しかったのだろう。でも、素直に興味を示してくれるのに悪い気はしない。いや、妙に心地いい。しかし、質問が集中している松田夫婦は、たじたじの表情だった。
 おばちゃんたちの質問攻勢に撃沈寸前になりかけたとき、先ほど寺の前で立ち話をしていた若いお坊さんがすっとお堂に現れた。この寺で修行しているお坊さんの一人かな、と勝手に思っていたのだが、なんとこの寺の住職だった。住職というと、白髪のおじいさんかでっぷりとした中年というイメージなのだが、どう見ても二十代から三十代でとても意外な気がした。早速、居住まいを正して挨拶をする。住職が現れるとおばちゃんたちは「じゃ、私達はこの辺で」と、潮が引くように去っていってしまった。一体何だったんだろう!

 住職の話によると、昨日は「釈迦誕生日」(プチョニム・オシンナル)という韓国仏教界で最も重要な日で、このお寺でもその「釈迦誕生日」のお祭りをしていたそうだ。先ほどのおばちゃんたちはその後かたづけをしていたらしく、たくさんの洗濯物もお堂内の提灯も、その名残だそうだ。
 住職は我々が日本人で、しかも韓国語を流暢に喋るということにとても驚いたようで、
 「食事をしていきませんか?」
 と誘ってきた。いきなりでビックリしてしまったが、韓国のお寺では初対面 の人に対して、ごく自然にお誘いすることがあると前に何かの本で読んだことを思い出した。残念ながら昼食をとったところだったので丁寧にお断りすると、
 「では、お茶でもどうですか?」
 と誘ってきた。もちろん、呼ばれていくことにした!


観音様のレリーフ

 


お堂入り口

 住職に従ってお堂から出て、もう一つの建物である住居の方に移動した。長屋のように部屋が一列に並んだ平屋だての建物で、その中の一つを住職が居間として使っているようだった。黄色い土壁が美しく仕上げられていて、とても清潔な感じがする。招き入れられるまま中に入った。
 部屋は典型的な韓国式のオンドル部屋で、クリーム色をしたビニール敷きの床と白い壁の本当に小さなものだった。部屋の中程に住職、松田夫婦、僕の四人が車座になって座ると、住職は早速お茶の準備を始めた。
 住職がまず用意したお茶は「ポイチャ」(ポイ茶)というもので、よく見てみると香港などでよく飲まれている「ポーレー茶」だった。「飲茶」をするときによく出てくる、色の濃いカビ臭いお茶で、日本では「プーアール茶」といった方が通 りがいいかも知れない。昔、遊牧民などが馬に乗って移動するときに携帯しやすいよう、茶葉を円盤状に固めて発酵させたもので、この固まった状態のお茶を少しずつぼろぼろと崩しながら使うのだ。発酵させる過程で、わざとカビを生えさせることで知られており、そのカビが独特の風味をかもし出している。年数が経てば経つほど円熟味が増してくるというお茶なのだ。
 円盤の大きさは様々で、大きいものはフリスビー大になる。住職が用意したのはフリスビーよりもさらに大きい特大サイズだった。紙にくるまれた状態で中華街などの店先で売られているのを何度か見たことがあったのだが、実際に目の前で入れてもらうのは初めてだった。
 それから茶器のセットもこれまた中国式だった。茶色で光沢感のある急須が一つと、小さな「ぐい呑み大の器」が人数分用意され、お茶専用の台の真ん中に置かれた急須のまわりを囲むようにこの「ぐい呑み大の器」を並べるのだ。お茶の入れ方ももちろん中国式で、一回目にとったお茶は「ぐい呑み大の器」の上からどばどばとかけて、器を暖めるためだけに使って捨ててしまい、二回目以降を飲むというわけだ。台湾の土産物屋でも同じような入れ方でお茶を飲んだことがあるので、伝統的なやり方の一つなのだろう。
 ところで、この「ポイ茶」は、本当かどうか分からないが九十年もの!ということで、安っぽいカビ臭さが消えており、とてもマイルドな仕上がりになっていた。これはうまい。住職に勧められるまま、何杯も飲んでしまった。

 お茶を一緒に飲むごとに心もほぐれていき、自然にお互いのことを話し始めていた。住職は三十代の後半で、一人でこの寺に寝起きしながら寺を守っているとのことだった。当然のように独身で、仏に一生を捧げるらしい。日本と違い、韓国の僧侶は妻をめとる習慣がないのだ。仏教の成り立ちを考えてみれば当然のことだと思うのだが、日本の仏教に慣れてしまった僕には、ちょっと厳しすぎるように思えた。しかし、一生仏に仕えると決心したその心は一体どこから、どういうきっかけで出てきたのだろう。八十歳まで生きるとしても、まだ四十年以上あるのだが、僕にはとうてい想像できない世界だった。何かきっかけがあるだろうと思うのだが、結局聞くことは出来なかった。しかし、そういいながらも、お茶のような趣味を持っている。お茶に関するシンポジウムなどにも参加しているらしく、英文で書かれた研究報告のコピーなども見せてくれた。英語の方も堪能のようで、山寺の仏の道を究める住職というイメージとのギャップが激しい。僧侶としてはあくまでストイックな生き方をしながら、趣味に関してはとことんアクティブなのだ。

 「今度は抹茶はどうですか?」
 と住職はさらに勧めてきた。もちろんOKだ。
 住職はどんぶり鉢大の大きな器と茶筅を取り出すと、日本の「茶道」と同じように茶筅でゆっくりと泡立つようにお茶をたてだした。住職の説明によると、その器はソウルの南にある陶芸の街「イチョン」(利川)在住の有名な陶工が焼いた名のある品だそうで、なるほどそういわれるとありがたく感じてしまうのは、小市民だからだろうか? 薄灰色をしたシンプルな器で、日本の茶道具にも通 じるものが感じられ、すっきりと上品な印象を受けた。
 お湯を入れる作法などは自己流のようだったが、出来上がった抹茶の方はかなり本格的だ。しかし、最後になぜか牛乳を入れた上で出してくれた。これでは濃い茶でも薄茶でもなく、抹茶ミルクだ。飲みにくいと思ったからだろうか?

 全員が抹茶ミルクを飲み終えると、その住職は
 「このように出会ったのも何かの縁ですから、この器を差し上げましょう」
 と言いながら、今使ったばかりの器をきれいに拭い、てきぱきと紙で包みだした。え?そんな高価なものを今日会ったばかりの僕らがもらっていいのだろうか。あまりの急な申し出にビックリしていると、
 「夫婦円満を祈念して差し上げますから、ぜひ受け取ってください」
 と付け加えて、松田夫婦にすっと差し出したのだ。そのあまりに自然な振る舞いにかえって当惑してしまい、すぐに返事が出来ない。
 「いや、でも、それは誰かからのいただきものではないんですか?」
 そんなセリフしか出てこない。我々が顔を見合わせながら恐縮していると、雰囲気を察した住職はさらにこう付け加えた。
 「仏に仕える身は、私有という概念がないのです。どうぞもらって下さい」
 そう言われて、松田夫婦はありがたくそれをもらうことにしたようだった。
 「では、あなたにはこれを差し上げましょう」
 住職は僕に向かってそう言いながら、数珠を取り出して手首にはめてくれた。
 それからさらに時間の経つのも忘れて話が弾んだのだが、気がつくともう夕暮れの時間が近づいてきた。日が暮れる前に下山しないと山道は危ない。後ろ髪を引かれる思いで住職にいとまを告げると、
 「次に来るときは泊まって行きなさい。いつでも大歓迎ですよ」  住職はそう言いながら見送ってくれた。我々三人はどんぶりを抱えながら急いで山道を下っていった。

 登山口のウイドンまで降りてくると、もうあたりは薄暗くなっており、喧噪が支配するいつもの日常が待っていた。何だか不思議で非日常的な体験だったが、どんぶりと数珠があるからには現実に違いない。
 しかし、「私有の概念がない」というのには驚いた。仏教というのは、元々すべてを捨て去るところから始まるわけだから、考えてみれば当たり前のことなのかも知れないが、しかしそれを実践しているというのはなかなかないと思う。今回の住職との出会いは、人間の生き方について激しく揺さぶられる経験だった。人間って何なのか。人間は誰かに支えてもらわないと、一人では生きていけないものだと思うのだが、住職にとってはそれが仏であり信仰なのだろう。しかし、そう思えてしまう信仰の力とは、本当に計り知れない。住職という立場からすると、これから一般 の人の悩みを受け止め続けなければならないし、並の神経ではやっていけないだろう。
 世界には聖人と呼ばれる人は昔からたくさんいて、実際にノーベル賞を受けるような人までいる。しかし、あのソウルの山の片隅にいる住職はどうだろう。きっと世界中にはもっともっとたくさんのそういう人がいるのかも知れない。ああ、まだまだ知らない世界がたくさんある。
 住職は「これも縁ですから」という言葉をしきりに使ったのだが、不思議とそう思えてしまう。あの寺に行ったのは「たまたま」だったと思うのだが、本当に「たまたま」だったのだろうか? 観光案内図の看板で見つけた「ヨンドクサ」という文字は偶然見つけたものなんだろうか。これが縁というものなのか。
 旅をしていて一番楽しいのは、人との出会いだ。そしてそれは本当に不思議なもので、こういう出会いがあるからこそ、また何かの縁を期待しつつ旅にのめり込んでしまうのだ。

 


お茶を入れてくれる住職