韓国旅行記 【友達と会う韓国旅行5】1997年5月 2日(金)ソウルの赤線地帯?程なくして市場の入り口に到着する。以前、飛行機で隣に座った韓国人夫婦の息子さんがやっているメガネ屋を探して歩き回ったが、結局見つからなかった。 「私の名前を言って、この名刺を見せると安くなるから」と言われていただけに残念だった。電話番号だけは分かっていたのだが、電話しても土地勘がないので、「***ビルの近く」とか「**バス停から歩いて・・・」とか説明されても結局見つけだすことができなかったのだ。(もちろん日本語を喋れる人はいない)これに時間がかかってしまい、ここでワダノリさん、とっけびさんが脱落することになる。二人とも用事があるということだ。とっけびさんはテグ(大邱)での密会に続いて、ソウルでも女性と密会するらしい。やはりとっけびさんは韓国人女性との交友関係が広いようだ。うらやましい限りだ。一方のワダノリさんは、ヨンセ大学に留学中の「うり丸さん」(男性:韓ポメンバー)とそのお友達と会う予定とのこと。僕らも会うつもりなんだけど・・・・。とにかくそれはそれとして、あしやんと僕は、なんとしてもメガネを買いたかったので、さらに2人でさまようことにした。 ナンデムンシジャンからソウル駅方面に向かってさらにさまよう。これで「そのおじさんの息子のお店」が見つからなければあきらめて適当なところに入ることにしよう。そう思いながら路地を歩いていると、道の真ん中におばちゃんが立っていて、こちらに近づいてきた。そして目を合わせないようにして小声で話しかけてくる。 「女の子どうかね?」 「えっ? お、女の子・・・ですか?」 「あっ、君ら日本人か」 「・・・・・・」 なんと、ポン引きのおばちゃんだった。改めて周りを見回してみると、ヨグアン(旅館)がたくさんある。そうか。ナンデムンシジャンとソウル駅の間がそういう地帯なわけだ。ヨグアンのほかにも日本料理屋もたくさんある。なるほど、納得いった。しかしそのおばちゃんは警戒したのか、どこへともなく去ってしまった。あしやんは何が起こっているのかよく分からないようだったけど、説明するとよく分かったようだった。 問屋でメガネを作るさて、そこからさらにソウル駅の方に向かって歩いていって、ついに駅前に来てしまった。やはり「おじさんの店」は見つからなかった。仕方ない。どこか安そうなところに入って買うとしよう。実はこのナンデムンシジャン(南大門市場)とソウル駅の間はメガネ卸売りの店が密集しているのだ。そこに行けば、それなりに安く買えるだろう。それも条件の悪いビルの2階とかそういうところが特に安いに違いない。表通りの店は基本的に「卸」ではなくて「小売り」のはずだ。そう思いながら歩いていると、おあつらえ向きの建物があった。汚らしいビルで、同じフロアーにたくさんの「メガネ卸」だけが入っている建物だ。これは安いに違いない。しかし、あしやんは、 「さっきの表の店、若い女の人が検眼していたよ。あそこに入ってみいひん?」 と、表の店に入りたがっていた。「・・・・・・」 とりあえず「見るだけ見てみない?」と、あしやんを説得し、その汚らしいビルの階段を上ってみる。すると複数のメガネ屋だけがフロアーを占める、何とも不思議な空間が広がっていた。2人が入っていくと、早速店の人たちの激しい呼び込みが始まる。実のところ僕らのほかには客がいなかったからだ。これは「飛んで火にいる夏の虫」なんだろうか? ま、とにかく値段だけでも聞いてみよう。 おじさんは、早速メガネの説明を始めた。メガネのフレームのこと、レンズのこと、その他諸々だ。総合すると、時間は視力検査などレンズがあっているかどうかの調整・加工などをすべて含んで20分程度、値段は紫外線カットのコーティングレンズ使用でフレーム代、加工賃も込みで28,000ウォン(約4,000円)でできるというのだ。ううむ、これは安いかも知れない。日本で同じものを作ると、2〜3万円はかかるのではないか。あしやんは完全に作る気になっている。どうしようかと思っていたら、いきなりあしやんが検眼を始めたのだ。おお、ここで作るのか。さすがあしやん、手が早い、じゃなかった素早い。さっきまでは店にはいるのをいやがっていたくせに・・・。この変わり身の早さはメガネだけではなくて・・・いや、その話はまたこの次にでも。 この店で作るとなると、一人でやっている店なのでおじさんはしばらく「あしやんのメガネ」にかかりっきりになるだろう。僕は隣の若い男女のやっている店を覗いてみることにした。 僕が近づいていくと二人の顔がぱっと明るくなり、さっと立ち上がった。そして商品の説明を始める。フレームは似たり寄ったりで、違いは感じられなかった。ということは値段だ。値段を聞くと35,000ウォン(約5,000円)だった。こちらの方が高い。 「向こうの店は28,000ウォンで作るって言ってるよ」 「えっ? そうですか。でもこちらは紫外線カットのコーティングレンズを使用していますから・・・」 「いや、それは向こうもそうみたいですよ」 「そうですか・・・・」 「・・・・・・・」 ここで一旦店を後にして、あしやんのメガネ製造現場に戻ってみる。するとあしやんは何故か缶コーヒーを飲んでいた。お店のサービスらしい。もう目の検査は終わっているようだった。缶コーヒーは僕も分もあるのでもらって飲む。しばらく間を置いて、もう一度さっきの店の前に戻ってみる。すると、にいちゃんが声をかけてきた。 「・・・・じゃ、28,000ウォンに・・・」 ふふふ。安くなってしまった。でも僕のメガネの度数を調べると、どうしても35,000ウォンじゃないとできないらしい。考えて見れば1000円しか違わないし、あしやんのメガネができてから僕の検眼を始めて作るとなると時間もかかってしまう。実は、うり丸さんとの約束時間をかなりすぎていたのだ。これ以上長引かせるのはまずい。ここは一つ、こっちの店でやってもらうとしよう。 気に入ったメガネフレームを選び、次に目の検査をする。一応機械が入っていて、自動的に視力をはかることができるのだ。これは日本と同じだ。そして視力表による微調整をする。この時にはもちろんハングルが読めないといけないし、数字をハングルで素早く答えないといけない。でも自身のない人は数字だけにしてもらい、英語で答えればいいだろう。穴の開いた方向を指で指すのもいい。ただ、乱視検査用の棒の見え具合などは、やはり韓国語ができない人には辛いかも知れない。具体的に「上の方がぼやけて見える」とか「間が詰まって見える」などと答えないといけないからだ。一番いい方法は、自分のメガネと同じ度にしてもらうこと。或いは日本のメガネ屋で処方箋を書いてもらうことだろう。 そうこうしているうちに、あしやんの方が完成する。僕の方も加工工程にはいっていた。今度は僕が作ってもらった店のサービスのジュースを2人で飲む。 うり丸一派との宴会さて、僕の方のメガネも完成したのでお金を払い店を出る。急いで「うり丸」さんとの約束の場所まで行かなければならない。地下鉄に乗ってシンチョン(新村)まで移動。シンチョン駅の公衆電話に並んで、うり丸さんに電話を入れた。 連絡がすぐに取れて駅のコンコースで待ち合わせることになる。そしてそこにワダノリさんも合流し、程なくして「うり丸さん達御一行」が現れた。 うり丸さんはヨンセ語学堂に留学中の男性で、現在大学の近くに下宿している。このシンチョンの駅からも近いらしい。年齢は、とても若い。細身で見た目的にも韓国人にとけ込んでしまう感じだ。因みにカラオケのパワーは他の追随を許さない。特に「カン クン ナムジャ」(「肝っ玉男」とでも訳そうか)を歌う時は何かに取り付かれたんじゃないかと思うくらいだ。「ガニガニガニガニ・・・」(肝っ玉が、肝っ玉が、肝っ玉が、肝っ玉が・・・)という部分は、この世のものとは思えないパワーを発揮する。あのパワーの源はなんなんだろう? キムチだろうか? それともハングクヨジャ? 山田さんは同じく留学中で、うり丸さんと下宿が同じらしい。年齢はよく分からない。ま、僕より下なのは確実なんだろうけど。僕も同じなのだが、目が大きく、典型的韓国人の風貌からはかなりかけ離れていているので、黙っていても見た目で日本人とばれてしまうタイプだ。これは顔かたちがそうなのだから致し方ない。 そしてチョンさんという韓国人女性も一緒に来ていた。日本語を勉強中撃ニいうことで、少し日本語をしゃべることができるようだった。鈴木杏樹似の美人だ。ぐりぐりに化粧をしていない。最近の韓国人女性の流行なんだろうか? さすがうり丸くん。連れて来る女性にそつがない。韓国でも神聖モテモテ王国(C少年サンデー)なんだろうか? そしてこの7人でシンチョンの街に繰り出していった。今日の料理は、プデチゲ(部隊チゲ)だ。お店はシンチョンの繁華街の中にあった。ところで、プデチゲというのは「ソーセージ」とか「ラーメン」などが入っている珍しい韓国風鍋物のことだ。「プデ」は部隊、つまり軍隊のこと。「チゲ」というのが「肉・野菜・豆腐などを煮込んだ鍋」のことを意味する。これがなかなか美味しい。まずはビールで乾杯し、鍋を囲んだ。 7人なので鍋は3・4に別れることになった。女性2人、うり丸、あしやんグループと、Morris.、ワダノリ、パイザのグループだ。さすがあしやんはそつのない行動で、女性の方に行ってしまった。さすが、あしやんだけはある。(以下略) ノレバン(カラオケボックス)へさて、鍋も食べ終わってノレバン(カラオケボックス)へと移動する。ノレバンはそのプデチゲの店からすぐのところにあった。うり丸さん達の馴染みの店らしい。しかし、そこは一見普通のノレバンのようなのだが、驚いたことに日本の歌謡曲が備えられていたのだった。スナック系の店ならいざ知らず、ノレバンに日本の曲があるとは。最近はそういうものなんだろうか? 因みに誰も日本の曲を歌うことはなかったんだけど・・・。 しかし今になって思うのだが、少しは日本の曲を歌った方が、チョンさんにとっては良かったんじゃないだろうか? 確かに知らない曲になってしまうのかも知れないけど、実は少しはそういうのを期待していたのではないだろうか? 会話にしても「日本語と韓国語とどちらがいい?」という質問に「日本語」と答えていたし。 反対の立場に立って考えてみると分かりやすい。例えば韓国の人が日本に来た場合、日本の歌を上手に歌うのを聞くとびっくりはするだろうけど、やはり韓国のいい歌も歌って欲しいと思うものだ。特に韓国に興味を持っている僕らはそう思うだろう。そう考えると、日本に興味を持っている彼女も同じような考えを持っていたのではないか。僕らにはそういった気配りが少し欠けていたような気がする。韓国語の歌ばかりを歌いまくっていた僕らは、結局自己満足をむさぼっていただけなのではないか? 日韓交流をする上で、ぜひとも気をつけたい点だ。自分が気持ちよくなるだけでなく、相手の気持ちも推し量りながらやるべきだろう。もちろん彼女がどう思っていたか分からないのだが、そういう可能性は指摘しておきたい。相手の国ことのを知るにはまず自分の国のことを知らなければならない。韓国でカラオケに行く機会のある方は、是非日本の歌「も」磨いておいて欲しいものだ。 さてカラオケの方はというと、うり丸君の絶唱をはじめ、Morris.さんのトロット系からワダノリさんのマニア系まで、様々な歌が繰り出された。 カラオケが終わり、僕とあしやん、ワダノリさんは帰ることにした。Morris.さんはまだ残って飲んで帰るらしい。今日のメンバーとはここでお別れだ。 カンファジャンに戻ってみるといつものメンバーが戻っていた。 次に韓国に来るのはいつになるのだろうか? また今回の旅のように多くの出会いがあればいいと思う。
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