微妙に、終戦後の混乱そのものを直截に描くことを避けてきた節がある風太郎が昭和21年の戦後風景をバックに描いたミステリ。復員兵で今は闇屋をやっている男が焼け跡で会った清らかな聖母の如き娼婦、鏡子。彼女との奇妙な交情を重ねるうちに、男が悟った真実。ハードボイルド的なといってもいい冷徹な文章、娼婦/聖女という風太郎のモチーフがもっとも劇的な形で反転する構成の妙、「私」の微妙な心情のうねり等一点の無駄もない研ぎ澄まれされた名作。真相を知って走り出す「私」の姿には、ラストで大切なもののために走り出す男たち「妖異金瓶梅」の応伯爵や「幻燈辻馬車」の干潟干兵衛の姿が揺影する。
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信州で暮らす若妻ぎん子19歳は、貧しい暮らしに飽きたらず、出奔。あこがれの東京で見たものは
夢のようなサクセス・ストーリーと、裏腹な貞操の危機だった…。ラストで背負い投げを喰わされる山風版O・ヘンリといってもいい作品だが、これ本当にハッピーエンドなのでしょうか。
大久保長安の三男雲十郎は、山中で奇怪な童に挟箱を盗まれ、これを追ううち、関ヶ原で戦死したはずの参謀島左近、左近の主君石田三成の遺児狭霧姫の住む隠れ里に遭遇する。練達の大衆文芸スタイルで描かれるカラフルな物語。スタイル、内容ともに、「いだ天百里」の予告編の趣あり。
鼻のあるべきところに陰茎がぶらさがっている花野大次郎クンが、愚妹な女の代表である女房の元から家出して、真・善・美の女神を求めて放浪する…。まさに風太郎奇想小説を代表する一編。芥川の「鼻」のパロディでもあるのだろう。「超現実的で、暴君的なゲテモノ、黙示録めいた大怪物」をぶら下げて、美の天使(女絵描き)、真理の女神(女医)、信仰あつい聖女(修道女)を遍歴する聖杯探求の果てに、花野クンは、予期しなかった女性たちの神となる。風俗ギャグが古びてしまっている部分もあるが、女医とのやりとり等のおかしさは、まさに筒井康隆の先駆け。聖杯探求譚としては「棺の中の悦楽」の先駆け??
第1話「超名探偵」、第2話「大完全脱獄」からなる探偵小説パロディ。第1話の方は、完全な密室で殺人の謎に悩む名探偵エラリー・ヴァンス!が殺人前後の犯人の姿を見るために、超高速のロケットを発明し、犯人から出た光を求めて宇宙空間にに旅に出るという、何ともぶっとんだ設定。そこへ(どこへ?、凡庸なフータロ探偵が登場し、意外な犯人と密室の謎を解明する。第2話は、「思考機械」ヴァン・デューゼン博士が名作脱獄物「13号独房の問題」に再チャレンジする。前回の反省を踏まえ、隙間がまったくない独房で丸裸にされた博士は、約束の7日目には、再び忽然と消え失せていた…。いずれも、ルーフォック・オルメス探偵譚のようなナンセンスミステリだが、考えようによっては、究極の密室物でもある。
ある意味で、「黒い聖母」と相補的な関係にある傑作。アプレ遊郭の経営者、欣一郎は、愛する義妹冬子を妊娠させた父親探しに狂奔するが、病弱な彼女は、口を割ろうとしない。「犯人」の決定的な証拠が得られないうちに、冬子は子供を産み落とすが・・。遊郭の退廃、欣一郎のすさんだ心情の後にお腹の子の父親探しという異色ミステリの骨格が姿を表し、山風ヒロインの極、冬子の肖像もあいまって、緊張が最後まで持続する。そして意外な真相。ラストの出産場面とそれに続く牧師と医師の会話は、人間の尊厳を最後の最後で肯定する、山風作品中でも屈指の美しいシーンだろう。
現在入手困難なので、あら筋をやや詳しめに書いておく。
昭和二十×年師走、カーキ色の軍服を着た中年男が銀座の東洋新聞社を訪れた。台湾義勇軍の秘密募兵に関する重大情報を売りたいというのだ。だが、男は、一度拳銃密輸に関するガセネタをもちこんだことがあり、これに懲りた社会部長は男を追い出す。東洋新聞記者の真鍋は、その日、恋人素子の働く喫茶店で、命を狙われていると怯える軍服の男に再会する。さらに驚いたことに、素子は、この軍服の男と何らかの関わりがあるようだった。素子の後をつけた真鍋は、経堂の屋敷町で、こともあろうに素子に拳銃をつきつけられる。彼女のそばに転がっていたのは、人間の眼球だった・・。同じ頃、失踪を遂げていた保守党の大物大臣杉村が暗殺された。無惨にも眼球をくり抜かれて・・。事件に絡むは、怪人落語家、黒衣の歌姫、ストリッパー、新宿のボスなど曰くありげな人間たち。関係者は次々と謎の死を遂げていく。犯人を追うのは、真鍋と新宿の怪人医者荊木歓喜。裸女と怪人が、追跡と推理が、師走の東京の街に炸裂する。荊木歓喜、神津恭介、二人の名探偵が暴く復讐鬼の正体とは。
春陽文庫の扉なみに!を連発したいようなスリラー系統の作品。とにかく人がバタバタと死んでいく。少なくとも山風の系列からは異色だし全体として出来は芳しいとは言い難く、再刊されない理由もわからぬでもない。が、出来のよくない理由を含めて色々と興味深い長編には違いない。
第1に、山風作品で、唯一の合作長編であること。合作の相手は、探偵小説界では、唯一の親友と認める高木彬光。高木は、昭和22年「刺青殺人事件」でデビュー。その後「能面殺人事件」「呪縛の家」で、この時期には戦後本格の騎手の位置を不動のものにしている。必然的に両者の持駒である名探偵の競演ということになるが、神津恭介は最後の方で登場するだけ。その分、荊木歓喜は、途中から出ずっぱりとなり、これだけでも、歓喜ファンには楽しめる。ただし、歓喜は、連続殺人を止めることができず、かなり情けない役回りだ。両者の勝負の結果は伏せるが、大物レスラー対決にありがちなスモールパッケージホールド的な決まり方を見せる。
第2に、ミステリ的趣向。前半、とにかく人目をひく展開を見せ、そのとっちらかり具合に結末が心配になるが、最後で一応全体の辻褄は合わせてあり、なかには面白いアリバイトリックもある。
第3に、風俗。山風ミステリは、風俗部分が古くて、といい方をよくされるけど、時代とともに風俗部分が古びてしまうのは、あたり前のこと。むしろ50年昔のレトロな東京を楽しむべきだろう。特に、クリスマスの狂騒の描写は圧巻。渋谷の街頭で踊り子が裸の舞を踊る仰天シーンもある。(彼女が舞台で演じているのは何と「金瓶梅」の潘金連)。
それに随所に感じられる山風らしさ。容疑者が集まってくる伊豆の別荘の名が「無情荘」とくれば、大向こうから声をかけたくなってくる。
本編の成立事情が不明な現段階で最大の謎は、両者がどうやって執筆を分担したか。二人の普段の文体は全然違うにもかかわらず、恥ずかしながら、文章の継ぎ目がよくわからなかった。ここは風太郎調というところは明らかにあるのだが、それ以外のところが高木ともいいきれない。この辺、研究の余地あり。
(追記)連載開始時の「作者の言葉」を入手したので、多少長くなるが、引用してみる。
「合作探偵小説というのは、日本では、殆ど試みられたことのない企てであり、二人にとっては一生の大仕事だと思う。それだけに、思い立ってから一年、毎日のように顔を合せて構想を練って来たが
、ようやくにして第一回発表の自信を得た。合作では、世界最高と言われるエラリー、クイーンを凌ぐ傑作を、日本の読者にお贈りしたい、というのが私達の願望です。現在の日本を象徴するいろんな型の人物を登場させ、探偵小説としても本格であると同時に、文学的にも香り高いものとにしたい。回を追うに従って、ますます興味が深くなるようなものにしたい。男女年齢をとわず、出来るだけ多くの読者を楽しませたい等々、非常に欲張ったことを考えています。」
んー「作者の言葉」本当にどちらかが書いたのかな。