リリカルなのは、双子の静　第十五話

　海鳴市中丘町、八神家。6月4日、お昼過ぎ。
「おかしいわね」
　しっかりと時間の打ち合わせをしたにもかかわらず、八神家には人の気配が全くなかった。
　本来ならば、今日が誕生日であるはやてが待っているハズなのだ。
　心配になってサーチャーを飛ばし、中の様子を見てゆくが、屋内には誰一人としていなかった。
　主のいない車椅子が、ぽつんとベッドの横にある以外は、異常は無かったと言っていい。
「どういう事かしら」
　仕方なく静が訪れたことを示す伝言をメモに書き、新聞受けに挟み込む。
「病院に問い合わせ…　てみるかな」
　はやての生活の事情を組み込んで、ありそうな事象を考えてみる静だが、ほとんど何も浮かばなかった。
　唯一、海鳴大学病院に、はやての主治医がいる事から。静の主治医であるフィリス経由で調べて貰えないかと思いついたのだ。
「近くに公衆電話は、無いわね」
　記憶から周辺の情報を掘り起こし、近くに公衆電話がない事を確認すると、静は一路自宅へ向けて走り出した。

　海鳴市藤見町高町家。
　帰宅した静は、すぐに病院に電話し、フィリスへと取り次いで貰った。
「どうしたの静ちゃん、検査なら次の月曜日の予定だけど、急に用事でも入ったのかな？」
「いえ、少しお願いがあるのですが。このまま5分程お時間いただけませんか？」
「分かったわ。今は時間があるから、どうぞ静ちゃん」
「ありがとうございます」
　静はそこから簡潔にはやてとの間柄を話し、今日がはやての誕生日である事、そして約束をしてはやての家に向かったのに誰もいなかった事を話した。
「…心配するのは分かるわ、でも何処かに出かけていると言う事はないの？」
「それならば、ベッドの側に車椅子があり続けるのはおかしいですから」
「…、確認してみるわ。静ちゃんははやてちゃんのおうちに電話して確認してみて」
「分かりました」
「そうね、20分経ったらこっちからお電話するから、それまで待っててね？」
「はい、お待ちしてます」
　切れた電話から何回か電子音を聞いた後、はやての家に電話をかける。同時にはやての家にサーチャーも飛ばした。
　返事はなかった。
　はやての家は相変わらず、誰もいなかった。
　サーチャーを回収し、電話の側に座り込む。
　壁掛け時計の音がやけに大きく感じる。
　今、高町家には静一人しかいない。両親と恭也と美由希は店に出ており、なのはは友人の家に遊びに行っている。
　フィリスが指定した時間まであと12分。
　時を刻む時計の音と共に、静の心に不安が募る。
　雪のように降り積もる不安の欠片は、いくつもの杞憂という名の像を形作っては消えてゆく。
　ほとんど表情を変えることなく、無意識のうちに不安をかみ締め耐えていた静が、電話のベルの音に気付くのは、コールが4度ほど鳴り響いた後だった。
「はい高町です！」
「静ちゃん、落ち着いて聞いてね？」
「はい」
　短く答え、大きく息を吸い込みながら、思考を一度切り替えるべく、空の景色を思い起こす。吸いきった空気をはき出しながら、海の景色を思い起こし、空気をはき出しきると、一呼吸置いて受話器を当てた。
「お待たせしました」
「先に結論を言うわね。はやてちゃんは今朝には家に戻ったの」
「…続きを」
「うん、昨夜親戚の付き添いで急に運ばれてきて検査を受けたんだけど、特に異常はなくて今朝方には退院したのよ」
「親戚の付き添い、ですか」
「うん。何でも外国の親戚なんですって、だから心配しなくても良いわ」
「分かりました。どうも、ご心配をおかけしました」
「いいのよ、大切な親友なんでしょ？石田先生から聞いたわよ」
「はい、また電話をかけてみます」
「うん、じゃあ次は診察の日に会いましょう」
「はい、ありがとうございました」
　受話器を置いた静は、いつの間にかその場にへたり込んでいた。
　外国の親戚が誕生日祝いに来る。
　少なくとも静ははやてから知らされていない。その外国からの親戚がサプライズが好きなのならば、はやてに知らせずに来るというのは十分に考えられる。
「…それにしても、栞は海外の親戚ばかりね」
　彼女の生活の面倒を見ているのは、グレアムという人物であるのは、はやて本人から聞いている。
「とりあえず、留守電にメッセージだけは残しておかないといけないわね」
　立ち上がろうとするが、足に力が入らなかった。
「本当に…」
　心配してたのね。との言葉を語る代わりに苦笑して、ふわりと宙に浮かび上がった。
　受話器を上げ、電話番号を押して待つ事一瞬。
「話し中？」
　受話器を置き、一分ほど待ってからかけようと時計の秒針を見つめる。
　少なくとも八神家に誰かがいるのだろう事は分かった。
　先程までの慌てようが嘘のように落ち着いているのも自覚できる。
　そして、これほど取り乱した自身が、何をしていたか検討する。
「リスティに、ネタにされるわね…」
　ため息を一つ吐き、再び電話をかける。
「もしもし、八神でございます」
　はやての声に静は安心する。
「こんにちわ、栞」
　落ち着いて言った静の声が、とても冷淡に聞こえたのか、電話口の向こうのはやては、慌てて謝罪の言葉を並べ始めた。
「栞、怒ってはいないわ。心配しただけよ」
「なおさらアカンやん！」
「さて、前置きはこのくらいにして」
「うん」
「そっちに向かっても良いのかしら？」
「ええよ。親戚も来てるから、ちょい狭ぁなったんやけどなー」
「良い親戚じゃない、大切にしなさいよ」
「…、うん。ほんまに大切にするわ、当然や！」
「じゃあ、今から向かうわね」
「待ってるでー」
　電話を切り、鍵をかけて家を出る。向かうは八神家、作るはバースデーケーキ。
　まだ見ぬはやての親戚に思いを馳せながら、静は走り出した。

　海鳴市中丘町、八神家玄関。
　呼び鈴を鳴らすよりも早く、玄関が開けられた。
「いらっしゃい、さっきはごめんな」
　にこやかに謝罪を述べるはやてとは対象に、静は目を見開いて驚いく。
「お…」
「お？」
「お姫様だっこ！？」
「ああ、これな。すごいやろ」
「初めまして、シグナムと言います」
「あ、はじめして。高町静と申します」
　お姫様だっこされているはやてに驚いて、はやてを抱いている人物に気付くのが遅れた静は、ばつが悪そうに返事を返した。
　一目見て、この人も戦う人なんだと、静は思った。纏っている雰囲気が近いのだ、静の父士郎や美由希に、何より美沙斗に。
　誘われるままにリビングまで来て、更に二人と一匹の紹介を受けた。
「はやてから聞いてる。ヴィータだ、よろしく」
　なぜか敵意を隠そうともしない、同年代の少女と。
「もうヴィータったら。シャマルって呼んで下さい」
　おっとりとした印象を与える女性。
「んで。こっちの大きなわんこがザフィーラや、強そうやろ？」
　ザフィーラと呼ばれた大型犬が、どことなくアルフの狼の姿を彷彿とさせるが、静は気のせいよねと思いながら。二人と一匹に改めて挨拶をするのだった。
「早速かかるわ、予定通りテーブルを使わせて貰って良い？」
「オーケーや、こっちのテーブルはケーキが出来るまで静専用やで」
「ありがとう。早速準備するわね」
　そそくさとエプロンを掛け、昨日運び込んだ道具を出す。
　使用する機具を洗い、水気を拭き取り、テーブルの上に丁寧に並べてゆく。
　一通り道具を並べ終えると、次に材料を一つ一つ確認してゆく。
「ん、問題なし」
「なぁ」
　さてこれから作り始めようかと思った矢先、側に寄ってきたヴィータに話しかけられた。
「何？」
「ケーキって美味いのか？」
「そうね。美味しいと思うわ、今回は素人の私が作るんだけど、今度お母さんが作ったのを持ってきてあげるわね」
「本当に美味いのか？」
「ヴィータ。ななせはウチのために、作ってくれるんや。それを美味しいかどうかで困らせたらアカン」
「はやて、ななせって誰だよ」
「わたしの愛称よ」
「そうや、ウチは栞、静はななせなんよ」
「そっか」
「で、栞」
「なんや？」
「ヴィータはケーキ自体が美味しいかどうか。それを聞いてきたんだから、ケーキ全般から答えないとおかしいと思うんだけど？」
「そーやけど…」
「気になるんでしょう。出来上がるまで待っていて欲しいんだけどね」
「そう言う訳や、ヴィータ。ななせのおかんの作るケーキは、そらもーすごく美味いんや。せやからななせの作るケーキも美味い。　…と、思うで」
「はやては食べたことあるのか？　ななせのケーキ」
「無い。だから食べたいんや！」
「そう言う訳で、これから作るのよ」
「んー、不安だけど待っとく」
　やや不承不承という感じてはあるが、ヴィータはリビングの方へと戻った。

　オーブンから焼き上がったスポンジを取り出す。
「失敗はないわね、よし」
　静が作るケーキは、二層のクリームで包まれたスポンジの間と上にイチゴを添える。と言うものだ。
　スポンジを二つにスライスし、下の段からクリームに包んでゆく。
「ええ香りやなぁ」
　夕飯の支度を始めたはやてが、車椅子を押して側にやってきた。
「食後にみんなで食べましょう」
　明るい声で言う物の、静の手は全く止まることなく、スポンジに丁寧にクリームを塗りつけて行く。
「なんや手慣れとーなぁ」
「栞の料理ほどじゃないわよ」
「ウチは必要があったから覚えたんやもん」
「あら、わたしもよ。栞の誕生日ケーキの為に覚えたの、年季はないけどね」
「ほな、来年もお願いできるんやな？」
「栞がそう望むのなら」
「ほなお願いや」
「しかと承ったわ」
　会話が止まり、二人はそれぞれの作業を続ける。
「そう言えばななせ、さっきの言葉なんやけど」
　思い出したようにはやてが呟く。
「なぁに？」
「さっきの『あら、わたしもよ。栞の誕生日ケーキの為に覚えたの』って言葉。ウチが男の子やったら、ななせを押し倒してたわ」
「大丈夫よ、いつでも栞をはり倒す準備は出来ているわ」
「むー、おっぱい触っても怒るし」
「当たり前でしょ、わたしはそう言うのが大嫌いなのよ」
「せやかて、抱きしめるのは平気なんやん」
「そうよ。別におかしい事じゃないわ」
「なんや、日本人離れしとうなぁ」
「それは、知人に外国人が多いからね」
「そうなん？」
「ええ、イギリス人のフィアッセっていう人なんだけどね。家族ぐるみで付き合いがあるのよ」
「イギリス人ならウチと一緒やな、グレアムおじさんイギリス人やし」
「栞も、キングスイングリッシュを勉強した方が良いんじゃない？」
「きんぐすイングリッシュ？」
「イギリス英語の事よ。国王ならキングス、女王ならクイーンって言い換えるらしいわよ」
「物知りやなぁ」
「これは漫画からの知識よ」
「ななせって漫画も読むんやなぁ」
「兄さんが友達から借りたのを読ませて貰ったのよ」
「真面目そうな本読んどおイメージが強おて」
「人は見かけによらないのよ」
「一番不思議なんは。こうやっておしゃべりしながらでも、全く止まらないななせの手なんやけどな」
　はやての視線の先の静の手は、はやての言葉通り、全く止まることなくケーキの仕上げに入っていた。
「そう言う栞だって、手が止まっているとは思えないけど？」
「ウチみたいに、料理を見る間に手の動きが止まるのとは訳が違うで。ななせの手はずっと動き続けとおやんか、すごい集中力やで？」
「…そうなの？」
「素で返されてもた。しかも手ぇ止まってへんし」
　虚を突かれたように言葉が止まり、真顔で訪ね返す静だが、そのデコレーションにかかっている手は全く止まっていない。その事にはやてはもう呆れるしかなかった。

　楽しい夕食を終え、ケーキを皆で食べた。
　甘さを抑えた静のケーキは、好評の内にみんなの胃の中へと消えた。ヴィータからはまた作ってくれとせがまれもした。
　後片付けも手伝おうとした静だったが、はやてにやんわりと断られ、帰宅する事になった。
　今、ザフィーラを連れたシグナムと、すっかり暗くなった海鳴の町の坂を下っている。
　食事の団らんの際に、皆で笑い合う姿を思い出す。
　はやてとの意思疎通に、ややぎこちない面を見せていた外国からの親戚達。
　隣を歩いているシグナムにしても、はやてと笑い合う姿は、庇護愛に溢れた物だった。
　その姿を思い出して、久々に訪ねてきた親戚との団らんに、無理に割り込んでしまったのではないかとも静は思う。
「なんだか申し訳ないわね。折角海外から来たのに、無理に割り込んでしまって」
「いえ、はやても喜んでいましたから」
　短く返されるシグナムからの言葉は、幾つかの戸惑いと感謝の入り交じったものだった。
　静はその言葉からシグナムの中にある感情を読み取っていた。
　それは比較的同じように言葉少なく話す傾向のある、高町家長男恭也の様子に近かったからだ。
「少し話しませんか？」
　小さな公園の入り口に差し掛かったところで、シグナムの言葉が静に投げかけられ、ザフィーラが静の前を塞ぐように回り込む。
　ザフィーラにぶつかりそうになって立ち止まった静と、ザフィーラの目があった。
　まるで睨み付けるようなその目に、交戦時のアルフの目を思い出し、そのままシグナムの様子が気になって振り返った。
「さあ」
　短くも圧力のある言葉と、強制を強いる圧力のある視線が返された。
　静は、促されるままに公園の中へと入ってゆく。
　小さな公園の中央まで静が進むと、辺りが結界に包まれた。
　静は思わず頭を抱え、深くため息を吐く。
　頭を抱える事になった思考は主に三つ。
　一つは、はやてが魔法の世界に足を突っ込んだであろう事。
　一つは、こんなところで結界を張り、それが観測される事の影響。
　一つは、この結界が知らない種類の結界である事。
「どうしようもないわね」
「聞きたい事がある。貴様、魔導師か？」
　吐き捨てるように呟いた静に、シグナムは鞘から剣を抜きながら問いかけた。
「職業を指して言うのならノー、能力を指して言うのならイエスよ」
　シグナムに背を見せたまま静は答える。
「では、管理局の手の物か？」
「あなたたち犯罪者か何かなの？」
　予想外の質問に、静は思わず振り返って問いかける。
「質問に答えろ！」
　だが帰ってきたのは、眼前に迫る剣の切っ先とシグナムの言葉だった。
　対処方法を考えながら、ゆっくりと質問に答える。
「先日の事件では管理局に協力したわ」
「そうか、管理局の手の物か。ならば、主はやての為、消えてもらう」
　静には、シグナムが一瞬悲しそうな瞳をした様に見えた。だが彼女は迷い無く剣を振り上げる。
「待ちなさい」
「問答無用！」
「ああ、もう！」
　叫びながら10m程を一気に飛び退く静。同時に念話で、自分とはやての関係と、この世界の実情と、自分と管理局の関係と、ジュエルシード関係の事件の概要を並行してシグナムに送る。
　途端に、間合いをつめ振り下ろそうとしていた剣の切っ先が止まった。
　静は更に追加して、先程頭を抱えることになった思考と、現状を念話で一気に説明する。
　シグナムはザフィーラと視線を合わせ、その剣を下ろしながら静に視線を戻した。
「管理局の手の物ではないのか？」
「関係はしたけど、そうであるなんて言ってないわよ。敢えて所属を言えば、わたしは国際救助隊管理下の異能力者。ただそれだけよ。それと、今すぐに結界を解きなさい。見つかったら色々と面倒よ」
「我らをかばおうと言うのか？」
「違うわ、面倒が嫌いなだけよ。それにこのご近所で面倒を起こさない、この世界では平和な生活を送る。そういうのなら、たとえ管理局の敵であろうと、わたしは何一つあなた方に危害を加える理由はないわよ？」
「何故だ？　管理局に協力した者が何故そうまで言える」
「そうね。わたしにとっては、このご町内に影響が出なければ、他の世界が滅ぼうと関係ないのよ。逆にこのご町内に危機が訪れるなら、世界に影響が及ぼうとも、力の限り救おうとするわ。ジュエルシードの事件がそうだったようにね」
　何でもないように言い切った静の言葉に、シグナムは冷笑を浮かべる。彼女にとって静の考え方はとても利己的であり、人物としては小物も良いところであったからだ。
「だがそれでは、管理局に伝わる恐れがあるな」
「ここで私を殺せば、貴方達は自らを焼く時限爆弾のスイッチを入れることに他ならないのよ？　貴方達に残された対抗策は逃走のみ。しかも栞を連れてね」
「我が主だ、最後まで守り通してみせる」
「そうして逃亡生活の中、社会経験の乏しい、ひとりぼっちの、心も成長しない暴君を作り出す訳？　待っているのは破滅か摩滅ね」
「貴様」
「ここは管理外世界。そしてこここは、この星で最も文明が進んだ地域の一つ。私が殺されるか、行方不明になれば、必ず捜査される。私の身分上の理由で、国際救助隊の名と危機管理の名の下にね。そしてそれが魔導師がらみの物であれば、時空管理局の知る所となる。時空管理局の捜査能力は異常だわ。結果、貴方達は坂道から転げ落ちるようにして安寧を失う。そして逃亡生活なんてものは、怯えながら暮らし、いつか終焉を迎える物なのよ。栞に、八神はやてにそれを強いるのは許さない」
　ゆっくりと、言い聞かせるような静の言葉にザフィーラは口を開いた。
「高町静、我が主を思う事は理解した。だが、なぜ我らを見逃すような真似をする」
「はぇ？」
　ザフィーラとしては、真面目に質問したのだが、静はそれまでの張り詰めた空気が崩壊したように、唖然とした表情でザフィーラをまじまじと見つめてしまった。
　あまりにもこの場にそぐわない静の表情に、何か間違ったのだろうかとザフィーラは自問自答する。
　そんなザフィーラがが答えを出す前に、静はぶんぶんと顔を左右に振り、表情を引き締めた。
「驚いて悪いわね、この世界では人以外は話さないのよ」
　わりと律儀なんだなと、ザフィーラが静の人物像を修正する。
「理由はそうね…　二つあるわ。一つはさっき言ったとおり、面倒は嫌いなのよ。もう一つは、栞が貴方達に全幅の信頼を置いているように見えたからよ」
「そうか」
「早く決めなさい。結界を展開している以上、時間がないわ。長引けば長引くほど、この結界を観測される可能性は上がるわよ？」
　静は決断を迫る。そして、多分自分はここまでなのだろうと、静は思った。
　数にして２対１、個々の力量にしても多対一だ、結界の中にいる為、逃げることも出来ない。
　シグナム達は、静が管理局に通報するだろうと思っている。事実それはとても簡単な事だ。そして静の言葉から、この場で静を処分しても、逃亡者となる事はほぼ確定すると彼女らは理解した。
　そして静は、以前管理局に協力したと言い、現在も管理局との繋がりがあると言った。
　唯一静に有利な条件は、静が彼女らの主、八神はやての親友である。ただその一点のみだ。

　出会ってしまったが為の不幸。
　静はそう結論を出す。
「ごめんね…　約束、守れなくなったわ」
　呟かれた静の悲痛な呟きは、ザフィーラにのみ聞き取る事が出来た。
　だがザフィーラは何も言わない。
　高町静からは、殺気も闘志も、そして感情そのものも感じなくなっていた。先程まで感じていた緊張感も、今は感じなくなっている。
　それらの事を、将であるシグナムが気付かない訳はない。
『どう思うザフィーラ』
『おそらく、この少女が主を思う心は本物だろう。そして主の親友である事は疑いもない』
『そうか』
　シグナムは迷っていた。彼女自身、まだこの世界の詳しい情報は持っていないのだ。
　この世界はとても平和で、主はただ家族である事を望んだ。
『シグナム！　魔導師が一人、そっちに接近中。陸上を車に乗って向かっているわ』
『なんだと！？』
　外部から結界を維持しているシャマルからの念話に、シグナムは焦る。

「急ぎたいのは分かるが、道交法を無視できないんだ」
　赤信号に止まる車の運転席で、リスティはリアーナに説明する。
「はい」
　二人は現在、結界の発生場所に向かっている。
　事の発端は、管理局駐在武官リアーナが設置した装置が、市内で正体不明の結界を感知して警報を鳴らし始めた事だった。
　サーチャーで結界の特徴も分析してはいるが、持ってきたデータベースには近しい物すらない状態だった。
　警報が鳴ってから５分も経たないうちに、連絡を受けたリスティと知佳が駆けつけた。
　そして相談の結果、リスティの運転する車でリアーナが現場に向かう事になり、現在に至っている。
「正体不明というのが、気になるね」
　もしかしたらこちらの世界の結界かもしれない。そう思うリスティだが、言葉にするにはあまりにも状況が分からなさすぎた。
　信号が代わり車が走り出す。程なく住宅地に入り、街路樹の整えられた道を進む。
「止めて！」
　交差点を曲がったところで、リアーナは急に叫んだ。リスティがすぐに車を停止させる。
「この先に結界があるわ。そうね、だいたい20メートルくらい先かしら」
　リアーナの説明に目を懲らすリスティだが、リスティの目には何も見えていない。
「隠蔽を目的とした結界はこんな物よ」
　そう言って車から降りたリアーナ。
「ここで待機している、何かあったら呼んでくれ」
「分かっ、逃げられたわ。結界も消失、周囲に魔力反応無しよ」
「手慣れているな」
「全くね」
　リスティの視線の先、結界があった場所は何も変わらない。ただ、住宅街の中の小さな公園があるだけだ。

　海鳴市中丘町、八神家。
「良いお湯やったな」
「ああ」
「どうしたんやヴィータ、元気ないなぁ。あ、分かったで。冷蔵庫のアイス食べてもうたんやな？」
「違うはやて」
　ヴィータがはやての前に立ち、悲しい顔をしてはやてを見つめていた。
　リビングに通じる扉が開かれ、剣を持ったままのシグナムがはやての前に来ると跪いて頭を垂れ、高町静を捕らえた事を報告した。
「え？」
「魔導師、高町静を捕らえました」
　高町静が、ななせの本名であることに気が付くのに数秒。そしてそれが魔導師だと言われた事を飲み込むまで数秒を費やした。
「…どういう事なん？」
「こちらへ」
　シグナムははやてをリビングへと案内する。
　リビングのテレビの前の空間に、ぐったりと倒れている静の姿があった。
「ななせ！」
　車椅子を静の前に止め、はやては車椅子から飛び出し、静を揺り動かす。
「ななせ、ななせ！」
「魔法で眠っています。すぐには起きません」
　説明したシャマルに、はやての視線が突き刺さる。
「なんでや！？　なんでななせがこないな目に会わなあかんのや！？」
「高町はおよそ一月の間、管理局に協力しており、現在も繋がりを持っております。我らは管理局からは追われる身、通報されてはやっかいです」
　発狂するようなはやての声に、シグナムは努めて冷静に答えた。
「だから何なんや？　殺せいうんか！？」
「主の御心のままに」
　怒りを隠すこともなく問いかけたはやてに、シグナムは跪いて答える。だがそれははやての怒りに火を付けるだけだった。
「アホぬかせ！　そないな事できへん。私は言うたはずや、家族として平和に暮らして欲しいて、それからまだ半日しか経ってへん、なのにこの有様はなんや！？」
「ごめんなさいはやてちゃん。でも…」
「でもやない！　ななせを殺すんやったらウチも殺し！　ななせはウチのたった一人の友達なんや！」
　心からの叫びを上げたはやては、静に覆い被さり、声を上げて泣き出した。
　ジグナムは跪いたまま途方に暮れていた。今までの通りとは行かない主にどう対処して良いか分からないのだ。
『ヴィータの言う通りにしておいた方が、正解だったかもしれんな』
『今更、どうしようもあるまい』
『まって、静ちゃん起きるわ』
『ちゃんと魔法かけたのかよ？　シャマル』
『何も失敗してはいないはずよ』
　静に覆い被さっているはやてが、静がもそもそと動いたのに気付いた。不自由な足を引きずるようにして、はやては静の顔をのぞき込む。
「ななせごめん！　ウチのせいでこないな目に合わせてもうて、本当にごめん！」
「わたし、まだ生きてるんだ」
　はやての目が、眠たげな静の目と会うと、静は寝ぼけたまま、無味乾燥に呟いた。
「ちょっ。ななせ、しっかりしてーな！」
　はやては慌てるままに、静を揺さぶる。
　はやての慌てぶりと、車椅子生活で年頃よりも強い筋力が加味され、静は盛大に揺さぶられた。それはもう、ガクガクと。
「起きた、起きたからぁーっ！」
　たまらず声を上げ身を起こした静と、はやての視線が合う。
「あ、あのな静」
「ごめんね、栞。出会ってしまって」
　一から説明しようとしたはやての言葉は、寂しそうに笑みを浮かべた静の言葉に遮られた。
　はやての思考は、静の言葉を理解できなかった。
「わたしが一人で消えれば、全て済むことだから」
　二の句が告げられたとき、はやてはようやく静の言葉が理解できた。
「なんでや！？　何で静までそないな事言うんや！？」
「栞は、状況が整理できてないのよね」
　静につかみかかり、半ば恐慌状態のはやてに、静は仕方がないなと思いながら、言葉を返した。
「はやて。静は、時空管理局の関係者なんだ。そして、あたしらはその管理局に追われる立場なんだ」
「時空管理局って何やねん！？　追われるって何をやったんや！？」
　ヴィータの簡潔な説明がはやてに為されるが、次から次へと入ってくる新情報に、はやての頭は完全にパニックに陥っていた。
「時空管理局に関して、わたしが知っているのは、およそ1.5世紀ほど前、大戦からの復興の形で成立した組織である事。幾つもの世界を政治的、武力的に管理する、一種の統治機構に近いものだと言う事よ」
　だからそんな静の説明も、パニックに陥ったはやては上手く飲み込めずにいる。
「これは参ったわね」
「はやてが落ち着くまで、待つしかないじゃんか」
　困ったままの表情でヴィータへと振り向く静に、ヴィータは困ったように答えるのだった。

Ende