第15展望室
その公園のように内装された展望室にあるベンチに数人が腰掛け話し込んでいた
「ねえ その前いたところって 何が美味しかった?」
話しかけるバルキリーに隣に座っている女性が しょうがないなと言わんばかりの表情で返す
「もう バルキリー 食べ物の話ばっかり」
「ええー でもエノアぁ食は重要だよぉ」
すぐに言い返した まるで子供のように
「そうだ バルあれ見せてあげてよ」
そう言ったのは新しくこの船に来たロム・ディ・ハルシオンをはさんで向こう側にいるキュア キュア・ハルシオーネ・ラルクだった
「でも・・・」
思わずうつむいてしまうバルキリー
「あれって?」
ロムの質問にキュアが説明する
「私たちの姉でもある バルキリーは通常形態が今の形態とは違うの」
「ふうん どんなの?」
「すごく綺麗よ まるで美術品のように・・・ でも」
「でも なに?」
「本人が それを認めないところに 問題があるのよねぇ できればそのまま美術館にでも飾っておきたいんだけどなぁ」
ちょっと自分の世界にはいてしまっているキュアを横目にエノアは
「バル 私もあなたのあの姿は綺麗だと思うわ それに 自己紹介として ね」
「でも・・・」
「大丈夫 嫌いになんかならないから」
キュアはエノアが場違いな言葉を言っていると思ったが バルキリーは納得したのか ベンチから立ち上がり みんなから少し離れて振り返り
「これっきりだからね」
そう言ってゆっくりと宙に浮き上がる 床から自分の身長の倍程度の高さに静止した 彼女は目を閉じる
ほのかに明るい光が彼女を包みその背中に純白の4枚の翼を形作り スカートの裾からは足がアクアマリンの光沢を放つ鱗に覆われながら長くのびた そしてそこには2対の鰭と2対の翼を持つ人魚の姿あった 彼女はしばらく静止した後 宙を泳ぐようにみんなの前に近づく 優しく羽ばたいた翼から抜け落ちた数枚の羽が宙を舞い 静かに淡い光を放ちながら溶けるように消えて行く
「バル 綺麗」
「そうね 下半身が足だったら 元気な天使様ってところね」
「すごい」
それぞれ感想を述べるがバルキリーは不安な面もちで
「ねえ もういい?」
「うん ありがとうバル」
「元に戻るね」
安心したようにバルはそう言った 彼女の長くのびた鰭が空気に溶けるように消え その中から通常形態になる前にはいていた靴と靴下をはいたままの足が姿を現す その足で床に着地しベンチの座っていた席に歩く その間に背中の翼も空気に溶けるように消えた 何もなかったかのようにベンチのもといた席に腰掛けるバルキリー
「私は この姿が一番合ってるのに・・・」
そうつぶやくバルキリー
「ごめんなさいね バル」
そのころ
「さすがに 今日はおとなしくしておくか・・・」
ユウロスはそう言って亜空間に存在する自分の研究室を自室につなげた
彼はバルキリーが休暇を取っている時には外出を極力避けた 外宇宙を長期にわたって航行する船だけあって かなり大きいのだが 船のスペースの大半をエンジンに取られているので 居住区の大きさはあまり大きい方ではない だから結構簡単にバルキリーと出くわしてしまう せっかくの彼女の休暇を妨げないためにそうしているのだ
いま彼が手がけているのは図書館の拡張である 後にガルフブリーズに移転されることになるその図書館は1階が本 2階がコンピューターデータで占められている 空間を拡張すると同時に2階部分を3階とし 新たに2階を作成するのが彼の予定である
とりあえず彼は亜空間を維持するために必要なエネルギーを供給しているジェネレーターが既に臨界を迎えているので 新しいものに変えるべくその代替物を用意するのであった
数時間後
ユウロスの耳にバルキリーの帰りを知らせるアラームが鳴る 彼は作業をきりのいい所まで進め 亜空間から自室に戻った時間を確認する 夕刻になっていた そろそろ夕食の時間だと思いながら部屋を出る
リビングやキッチンは暗く明かりがまったく灯っていなかった 少し不審に思ったが深く考えることもなく彼はキッチンの明かりをつけ
「今日は何にしようかな」
そんなことをつぶやき夕食の用意に取りかかるのだった
彼のユニットのキッチンは船内でも数少ない調理の出来る部屋になっている
ほとんどの人は機械に任せて食事を作る手間を省いている ちなみに船内で最も働き蜂であると思われるリディアはおおよその予想を裏切るかのように朝昼夕と全三食を自分で作っている 本人曰く「落ち着いて考え事が出来るから」だそうだ
ユウロスのキッチンは地球文化の色合いがとても強く 地球での料理はたいていの物を作ることが出来る 本人が知らない物は彼の所有しているデータから検索されてレシピや作り方が表されると言う代物だ
「まあ塩焼きでも作ってみるか」
食材は合成物である 合成物と言っても分子一つ一つの状態まで細かく再現する物なのでいつでも新鮮な食材が手にはいる今ユウロスが取り出したのは30センチ級の真鯛 調理そのものは昔住んでいた新巣町で覚えた物で バルキリーの好物でもある 彼はそのまま鱗をはぎ内臓を取り出して 下準備を始める
焼き上がった鯛を皿に盛り 食事の準備を終えたユウロスはエプロンを脱いでイスに掛け
バルキリーの部屋の戸をノックする
もう一度
返事がない
「バル いないのか?」
やはり返事がない
「おかしいな」
そうつぶやき思考をすすめる 先ほどバルキリーがこのユニットに帰ってきた後出て行った形跡はない事を確かめ バスとトイレも確認するが そこにもいなかった
普通ならバルキリーの部屋をまず確認するだろうが そこは彼女のパーソナルエリアであるために躊躇したのだった
再び ユウロスはバルキリーの部屋の戸をノックする
やはり返事がない
「バル 入るぞ」
戸はロックされておらず すんなりと開いた
「バル?・・・」
明かりが点けられていない室内 ユウロスの背後 廊下の明かりが部屋に差し込む 僅かな灯りに部屋の奥にあるベッドの上に彼女がいることが見て取れた
「バルキリー」
部屋の明かりをつけ ベッドの上にうずくまっている彼女の側による
「どうしたの?」
そのユウロスの言葉に彼女は顔を上げた ユウロスははっとしてしまう
彼女はずっと泣いていたのだろう 真っ赤に充血した瞳 目元は腫れあがっている そしてその口は何かを言いたげに動いている そのまま彼女は何かを言おうと息を吸うが 言い始めるよりも先にその瞳に涙がたまって行く
「おいで」
あふれ始めた涙のままにバルキリーはユウロスに抱きつき 彼女は堰を切ったかのように泣きじゃくる 必死でしがみつくように抱き付き泣きじゃくる彼女に 何があったのか聞くことも出来ず 彼は優しく包み込むように彼女を抱きしめた 無力感のままに 彼にはそれしかできないのだから・・・
小一時間程してやっと落ち着いたのか彼女は顔を上げた いまだその体は全てにおびえるように震えている だが彼にはなぜ彼女がここまでなりふり構わない行動に出るのかが分からなかった 仕方なく
「何があったんだい?」
ユウロスが優しく問いかける
「取られたの」
「何を?」
「マスタぁがコアって呼んでいる」
「バルキリーの全バックアップを常時とり続けるって言う? あの球体か?」
「はい 取られたんです そしたら そしたら急に怖くなって 感情が抑えられなくなって 怖いんです どうしようもなく怖いんです だから 側にいて下さい お願いします」
ただ恐怖におびえると言うよりは 恐怖という感情に押しつぶされた そんな彼女の表情 まだその腕は震えながらもユウロスを放すまいとしている
「よしよし」
ユウロスはバルキリーの部屋に自分の研究室をつなげ その中へとバルキリーを抱えたまま入って行く
亜空間 一般にそう称される空間にユウロスの研究室はある 小さな小惑星サイズの空間はほとんどが今まで作った物が収められている倉庫になっている 実際にラボとして使用されているのは2%程度の空間でしかない
ラボの中に入った二人 ユウロスは彼女を抱えたまま音声入力のみでラボのシステムをチェックする システムが全て正常であることを確認すると彼はセキュリティーレベルを7+まで上げ 研究室から自室の端末を介してリディアを呼び出すのだった