岡潔は和歌山県粉河中学を経て三高で学び、京大理学部数学科を1925年卒業した。卒業と同時に同数学科の講師に就任し、それから同助教授、広島文理科大学助教授の道を歩むが、1940年病気のために文理大を退職.
爾来、郷里で研究に専念するが、1949年奈良女子大学家政学部教授となり1964年定年まで在任した。さらに1969年には京都産業大学にも教授として就任した。1978年3月1日没。
1929年より3年間フランスに留学したが、多変数関数論を生涯の研究分野に定め、ことに1934年暮れこの分野の状況を分析したH.BehnkeとP.Thullen共著の本に接し、この分野に未解決の問題三つが残されていることを知ると、以後終生この解決に研究を集中し、1953年第\論文で当初の主要問題すべてを解決した。その功績に対し日本学士院賞をはじめ権威ある各賞が贈られたが、1960年遂に文化勲章を受章した。
この文には功績が認められるに至る友情の経緯も書かれている。
私の三高在学中にも学者としての岡先生への賞賛が聴かれたが、他面、生活面での奇矯さも耳に入ってきた。曰く「靴下が表か裏かは問題にされない」「ほかの先生の講義中でもずかずかと教室に入られて、黒板で計算をされまた出て行かれる」「頭に響くといってゴム長を愛用されている」等々であった。その真偽のほどは知らないが、天才の持つ異常さ、非日常性、非常識さを持っておられたのは事実であろう。この岡を支えた三高の学友たちの友情がこの文に描かれている。九州大学大学院数理学研究院講師 高瀬正仁氏は昭和26年のお生まれで、三高の卒業生ではないが寄稿された。