§古い同窓会誌から |
同窓会報 80 吾が紅もゆる 三輪 佳之(1994)
と言い渡された。別に反戦とか反軍思想を意識していた訳でもないが、皮膚感覚に忠実に(というか、グータラに)生きてきたせいで、教練の点はいつも特及ぎりぎりの四十点だったので、『ごもっとも』と思ったし,事の重大さを感じていないまま と退散した。
と、一週間ほど毎日、京大の結核研究所に通わせ、風邪が治った頃 で合格させてくれた。難民救済のため、何とか三高生にしてやろうという入学試験のようで、こんな学校があったのかと、感激の中で入寮、すっかり三高に惚れ込んでしまうことになる。
と飛び込んできた。誰にも代返を頼んだ覚えもないし、「ふーん」と気のない返事をすると で済ませたが、半時間ほどで配属将校(と思う)から呼び出された。
ゾル(編者注:軍人)四人に囲まれ と責められた。言葉の端々に、どうも中学の配属将校から要注意人物の通報があった様子。「罪を認めれば穏便に済ますが、さもないと学校まで大変な事になる」とも脅された。どうもここでもゾルとは相性が悪いという思いと、新聞記者をしていた親父の『戦争も来年春まで』という言葉が引き金になって と答えて席を蹴った。
と校医の腎臓炎の診断書を見せられた。これが穏便な処分かと思ったが、石橋先生のご尽力のせいだと聞かされた。翌年四月には無事復学させてもらった。
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同窓会報 16 思い出1 番匠谷 英一(1959)
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同窓会報 17 思い出2 番匠谷 英一(1960)
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同窓会報 87 ドイツ語の勉強 杉原 四郎 (1998)
予習復習で一番時間をとるのはドイツ語で、とりわけ文法の勉強は気をゆるめると授業についてゆけない。私は二年の夏病気になり、九月を一ヶ月休んだが、ちょうど接続法に入るところだったので、その間のブランクをうずめるのが大変だった。講読でもリルケの『ロダン』は予習しても意味がつかめないところところだらけで、後年岩波文庫で訳が出たとき、それが以前に出ていたらどんなに助かったろうにと思った。文乙ではドイツ語のためにドッペる(注:落第する)者は稀だったが、理乙ではドイツ語の上に数学や物理などの重圧が重なるためか、ドッペるケースがよくあると聞いた。
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同窓会報 4 「思い出の二三」から“学問について” 堀 経夫(1954)
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