2003年4月16日(水)から27日(日)迄、俳優座劇場(六本木)で再演され
ました。
三高時代の鈴木氏の友人役を演ずる田村智明 さんからメールを頂きました。劇中で
「紅もゆる」が印象的に使われているそうです。田村さんは役作りに三高のことをいろいろ調べられている過程で、この「三高私説」に
出会われ、参考にしていただけたようです。
この劇の原作は「ピーチ・ブロッサムへ―英国貴族軍人が変体仮名で綴る千の恋文」
(葉月 奈津 , 若林 尚司 共著:藤原書店(1998) ¥2,400)で、昭和62年
夏NHKラジオの特別番組「日本人になりたかった男」として物語が放映されたこともあって、鈴木氏一家の波瀾に満ちた人生は、
真実の重みをもって多くの人達の胸を衝き、大きな反響を呼びました。
1902年駐日武官として赴任したアーサー・シノットは桃花の下に佇む下町育
ちの鈴木まさ(劇では小川まき)を見初めピ−チ・ブロッサムとあだ名して愛するよう
になる。武官は赴任先の女性と結婚を禁止されていたので、正式な結婚はできなかったが
ひとときの幸せな世帯を持つ。退官後の正式結婚を考えていたアーサーであったが、その
後アジア各国へ転任 させられ、日本語による千通に及ぶ手紙がまさに送られる。第一次
世界大戦勃発に伴いアーサーは従軍し、西部戦線で師団長・旅団長として ドイツ軍と
死闘のうちに砲撃を受けて両足を失い日本へ行くことができなくなり、身の回りの世話を
してくれる女性と結婚する。二人の子供である清は留学先のフランスでアーサーと会うが
、日本へ戻らない父を恨み頑な態度を取る。しかしアーサーがまさの写真を部屋中に
貼って、変わらぬ愛を持ち続けているのを知って心も和む。まさはその後アーサーの
病死と清の戦死で最愛のものをすべて失うが、膨大なアーサーの手紙を嫁の清の妻哲子
(劇では麻理子)に託し一生を終える。という筋です。
田村智明さんからのその後のメール・便りから:
(3月27日のメール)"鈴木清さんについてもう少し書かせて頂きますと
三高に入学後陸上部に入られ、第六回の一高対三高戦で1600mリレーのアンカー
で出場し、この競技で四連敗していた三高を奇跡の逆転勝利に導きました。
その後、未公認ながら日本新記録を出すなど三高陸上部の黄金時代を湯浅祐一氏や
鈴木茂氏と共に築いたそうです。
卒業後は京都帝大法学部、東京帝大文学部と学びソルボンヌ大学の哲学科に留学しました。
帰国後に召集され、太平洋戦争後にシベリアで抑留中に亡くなりました。
以上は葉月奈津さんの著書からの抜粋なので、御存知でしたら大変失礼致しました。
僕が演じるのはこの第六回対一高戦の場面なのです。と言っても勝利後の話なので、三高
生は清を含め三人しか出ませんが。衣装は二人は学生服ですが、僕はTシャツに短パンと
いったいでたちです。Tシャツは当時の写真を参考に、胸に大きく校章が描かれています。
場面は「紅萌ゆる」の歌で始まります。
「紅萌ゆる」は他にも、父子が和解するきっかけに使われたり、ラストシーンで流れた
りします。ラストで流れる物は三高私説で聞けるのと同じ物です。
長々説明してしまって申し訳ありません。
以上が芝居中の三高に関する大まかな内容です。
(2003年4月7日のメール)
御参考までに初演時の『遠い花』の舞台を録画した物を送らせて頂きました。
何分、実際の舞台の臨場感もないし、芝居自体もいいとは言えない日の物ですので
お見苦しいとは思いますが、話の中身はわかって頂けると存じます。
僕の演技も未熟でお恥ずかしいのですが。
今回はヂンヂロゲの歌と、応援歌の最後に入っている対一高のエールを
使う事になりました!
ビデオでは帰る時に紅萌ゆるを歌っていますが、今回はヂンヂロゲです。
(2004年9月20日 サンフランシスコから)
今、僕は公演でアメリカに来ています。
来年「遠い花」の地方公演が決まりまして、また三高生を演じることになりました。
(昭和23・理)