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2002年6月10日

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 ◆今週の記事

◆「かく」もこの世は住みにくい

 当初この記事のタイトルは「ディープ・印パクト」だったんですがね。どっかの国の話が絡んできちゃったもんでタイトル変更と相成りました。どっちにしても苦しいタイトルではありますけど。

 インドとパキスタンの両国の関係がカシミール地方をめぐって緊張しているのは何も昨日今日に始まったことではない。だがヒンドゥー教徒とイスラム教徒の何百年にも渡る対立の歴史があるのかというとそうでもない(パレスチナ問題でも結構平気でこういうこと書いている人がいるんだよな)。つい先日、インドのパジパイ首相が「我々はもともと同じ根から出た者どうしだ。だから向こうの考えていることはよく分かる」と言っていたように(ホントに分かってるかどうかは別として) 、お互いもともと広い意味での「インド人」であり、ムガル帝国の支配にも見られるように両宗教の信者は多少の対立はありながらもそれなりにうまく混住していたのだ(今だって双方で混住している人はいる)。イギリスの植民地支配から独立していく過程で宗教対立が噴出して結果的にインドとパキスタンという二つの国家を作っちゃったわけなんだけど(そこにイギリスの思惑があったのも事実)、「独立の父」であるガンジーは分断に反対し両者の和解を説き続けている。そのためにヒンドゥー過激派から「裏切り者」とみなされて暗殺されることになったのだが。
 両国の間で今なお紛争の種になっているのがカシミール地方(「カシミア」の由来の地でもある) 。この地域はもともと住民はイスラム教徒が多数派だったのだが藩王がヒンドゥー教徒で、インド・パキスタンの分離独立にあたって藩王がインド側に入ることを選んだために紛争が起こることになってしまった。第一次印パ戦争は1947年、第二次は1965年、第三次は東パキスタン=現在のバングラディシュの独立問題もからめて1971年に戦われている。その後衝突は日常茶飯で続いているものの、両国の全面戦争はとりあえず回避されてきた。だが1998年にヒンドゥー至上主義政党出身のパジパイ政権が核実験を実施、ただちにパキスタンも対抗して核実験を行い、ここ数年また緊張が高まってきていたわけだ。

 さらに昨年の「9.11テロ事件」がこの紛争に新たな影を落とした。アメリカはアフガニスタンに「報復戦争」を仕掛けるためにパキスタンの協力を半ば脅迫的に要求し、従来アフガンのタリバン政権を支持してきたパキスタンのムシャラフ 大統領はひとまずおとなしくこれに従い、国内のイスラム過激派の動きを封じ込める動きに出た。一時このムシャラフさん危ないんじゃないかという観測も出たが、なんとかヤマ場は切り抜けてタリバン政権の崩壊、アフガニスタン新政権の樹立とアフガン国内についてはひとまずの落ち着きが見えてきていた。ところが12月にインドの国会議事堂を襲撃するイスラム過激派のテロが発生、カシミールをめぐってまたしてもインドとパキスタンの間に険悪なムードが流れ始めた。一時すぐにも開戦かという空気が流れたが(タージ・マハルを迷彩で覆うって話もあったっけね)、アメリカなどの仲介でなんとか開戦は回避された。しかしその後もインド国内で両宗教の衝突・虐殺事件が起こるなど頭の痛い事件が続き、いよいよこれまで押さえ込まれてきたパキスタン国内の強硬派(軍部にも多いと思われる)の突き上げがムシャラフ大統領を揺さぶり始めた、ってところじゃないかなと思っている。世界がやめろと言っているのにミサイル実験を連日強行したのも、そうしないと政権自体が保てないというところまで追い詰められているということなのかもしれない。

 カシミール地方ではイスラム過激派(あのアル・カーイダも一枚噛んでいると言われる)がテロ攻撃を仕掛け、これにインド側が「テロリストの背後にパキスタンあり」とみなして反撃するといった、どこかイスラエルとパレスチナの対立パターンと似たような展開になっている。だがインドとパキスタンの場合、双方がかなり強力な軍隊を持っており、なおかつ双方とも核兵器保有国であるという点で、より破滅的な状況を招きかねない。双方の政府とも「先制核攻撃はしない」とは言っているのだが、実際に戦争になってみれば何が起こるか分かったものではない。いざ戦争になってしまえば「最も効果のある兵器をなぜ使わない」という意見が出てくる可能性もあるし、やや偏見かもしれないが両国とも他の核大国より核使用への歯止めが弱いようにも感じられる。
 インド・パキスタン双方がカシミール地方の軍事境界線付近の軍隊を増強し、一部では戦術核が装備されたんじゃないかという物騒な報道も流れている。欧米諸国でも「ここ数十年で最悪の状況」と判断し、話し合いを呼びかける一方で自国民の両国からの退去を進めている。仮に両国の間で核戦争が起こった場合、限定核戦争でも300万、最悪の全面戦争なら1200万の死者が出るという恐ろしい試算も出ている。

 インドとパキスタンの核戦争まぎわの緊張状態に日本政府も双方に冷静な対応を呼びかける、といった動きは見せている。しかしそんなさなかに日本で核兵器がらみのひと騒動が勃発していた。いわゆる「非核三原則見直し発言」である。そもそも「非核三原則」とは、

1.核兵器は人間に危害を加えてはならない。
2.核兵器は第一条に反しない限り、人間の命令に従わなくてはならない。
3.核兵器は第一条、第二条に反しない限り、自分の身を守らなければならない。


 三行も使ってブラックなパロディをやってどーすんだ(汗)。もちろん正しくは「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の三原則である。1967年に当時の佐藤栄作首相が国会答弁で述べたもので(いちおう彼がノーベル平和賞を受賞した理由の一つにこれが挙がっている)、以後「被爆国日本の国是」として社会科の授業でも叩き込まれる必須事項である。

 今回の騒ぎの発端は安倍晋三官房副長官が5月13日の早稲田大学での講演で「戦術核を使うと言うことは昭和35年(1960年)の岸総理答弁で『違憲ではない』という答弁がされています。それは違憲ではないのですが、日本人はちょっとそこを誤解しているんです」という発言をし、「法理論と政策論は別だが、核兵器の使用は憲法上、問題ない。非核三原則という政策的判断によりそれをしないだけだ」 という趣旨の意見を述べたことが、週刊誌「サンデー毎日」にスッパ抜かれたことにあった。これがどのような文脈で出てきたものかは良く見定めないとならないところがあるが、あくまで憲法論上の話をすれば日本国憲法に「核兵器を使ってはいけません」とはどこにも書いていないのは事実。っていうか、そもそも「戦力」が持てないんだから核兵器なんて憲法じゃ想定外なんですがね。
 安倍さん自身あとから必死に弁明していて、「別に核兵器を持とうなんて考えは毛頭無い」と述べて、逆にスッパ抜いて大騒ぎしたマスコミを批判している(盗聴・盗撮とまで騒いでいたが…「個人情報保護法案」か?) 。まぁ確かにこの説明を読んだ限りでは安倍さんは従来の政府見解を説明しただけで、別に核を持とうと率先して言ったわけではないし、騒いだマスコミも表面的なところだけを取り上げてさも大事件のように報じたところはある。ただこのお祖父さんの答弁自体、核保有にある程度の含みを持たせたものと言えなくも無いんだけどな。だいたい「小型のものなら自衛のために原爆を使っていい」という見解もそこにはあるんだから。こんなの拡大解釈すれば何でもアリだって。
 だいたいこの手の「核兵器だって持っていい」発言は自民党政治家(自由党の政治家でも最近いたが)から過去にも何度も出たものだし、そもそも安倍さん自身、その講演の中で答弁を引用した岸信介首相のお孫さん。安倍さんは先日の瀋陽総領事館亡命騒動で中国側と折衝に当たっていて結局中国に押し切られてしまったことで「やっぱり軍事力がないからなめられるんだ」という思いを強くしてあんな発言をしたんじゃないかな、と勘繰られるところはある。
 その後の国会での安倍副長官および福田康夫官房長官の答弁にも出てくるが、政府の公式見解としては1978年に出された「自衛のための必要最小限度を超えない限り、核兵器であると、通常兵器であるとを問わず、これを保有することは、憲法の禁ずるところではない」 というものがある。ま、前にも書いたことだが「使っていい兵器」「使っちゃいけない兵器」って区別があるのが妙といえば妙なわけで、憲法の拡大解釈により自衛隊という名の軍隊を持ち通常兵器も持っている政府としては当然こういう見解になる。安倍さんの今回の発言もそれに乗っかった形なのだが、日本の政権党の中に「核を持ちたい願望」が深く静かに流れていることを改めて見せ付けたようにも思える。インドとパキスタン、さらには世界の核保有国・疑惑国を見てても政権握ってる人たちってそういう発想になりやすいんじゃないかと思えるところがありますね。

 さて、さらに騒ぎが大きくなったのはこの安倍発言にからめて「政府首脳」なる人物が5月31日に、「非核三原則今までは憲法に近かったが、これからはどうなるか。憲法改正を言う時代だから、非核三原則だって、国際緊張が高まれば、国民が『持つべきではないか』となるかもしれない」 と発言した、と報じられたところからだ。これまたあくまで「かもしれない」という発言であって仮定ならば何でも言えると思うところもあるのだが、やはり「政府首脳」の発言となると穏やかではない。この「政府首脳」が福田官房長官ご本人であることは最初から明白だったのだが、官房長官と記者会との定例懇談で出た発言はオフレコ扱いで、発言者は「政府首脳」と表現するという摩訶不思議な慣例があったらしく、しばらくマスコミは「政府首脳」という表現を続けていた。福田官房長官自身も会見で「『政府首脳』に真意を問いただしたところ、そのようなことは言っていないとのこと」 といった珍妙な一人二役を演じていた。結局「正体」を明かすことになるんだけど、福田長官は「発言をマスコミに誤解され報じられた」とマスコミ批判を行っている。まあ実際の発言が上に書いたとおりの文章だったとするとあくまで「可能性」に触れただけであり政策転換に言及したわけではないので「非核三原則見直しに言及した」と騒ぐのはちと的が外れている気もしなくはないが、本音のところその「可能性」は排除しておきたくないんだろうな、政府としては。とくに「非核三原則」のうち「持たず、作らず」は政策的判断として堅持するが(だいたい親分アメリカ様が認めてくれるわけがない)「持ち込ませず」についてはアメリカの威を借るなんとやらでグレーゾーンにしておきたいところなんじゃないか。
 ってなわけで安倍さん、福田さんと発言が続いて次第に騒ぎが大きくなったものの、逆に本人たちや首相が「そんな意図はない」「非核三原則は堅持する」と言ったことで、むしろ「非核三原則は日本の国是」っていうことを再確認する、という妙な結果になったところもある。それに焦ったのか、それとも単に騒ぎを起こしたい虫がそうさせたのか、どっかの都知事が福田長官に「核兵器は持てる」と激励していたとの報道が一部で流れている。ホントかどうかまだ不明確な話なんだけど(実際、多くのマスコミは無視した)、なんかそれっぽい話ではある。

 ところでこの騒ぎの中で、小泉首相はといえば「どうってことはない」とか発言してるんだよな。どうも最近このパターン、都合の悪い話が出てくると話題を小さく扱うか無視するような発言が多いような。低迷してきたメールマガジンの復活策として藤原紀香さんを始めとするタレント・有名人を登場させるなんて話が出てきたり、ダービーに唐突に登場するなどワイドショー的イメージ回復作戦を発動しているようですけど、夢よもう一度ということですかいな。

 あ、そうそう、核兵器がらみでもう一つ。
 ついに始まったサッカーワールドカップだが、あのアルゼンチンの英雄・ディエゴ=マラドーナ氏が過去の麻薬問題を理由に日本入国を拒否されおかんむりだった(韓国は特別にビザを発行したので入国できた)。で、彼はTVのインタビューに「私は、米国がやったように原爆を落とすわけではない。米国は2つも原爆を落としているのに、米国人は何の問題もなく、日本に入国できている」と発言したそうな。その後日本でも特例措置がとられて結局入国できたんだけど、思わぬところで原爆の話が出てくるものだ。そういややはり原爆投下のことをウンヌンしたオサマ=ビン=ラディン氏はどうしているのだろうか。



◆宗教用語は要注意

 上記の記事にも出てくるが、世界において宗教という奴はともすると問答無用の激しい対立を誘発しやすい。宗教ってのは本来人間が作ったもののはずなんだけど、その教義・信仰の根拠が人間を超越したものに置かれているために実験・観察・考察による検証が事実上不能であるから、信じる信じぬに理屈はいらず、食い違いが生じればそれはそのまま妥協の余地の無い対立になってしまうこともある。
 そんななか、日本人はしばしば「宗教的にルーズ」と言われる。確かに仏教のお寺でも神道の神社でもキリスト教の教会でもさして変わらぬ感覚で出入りしちゃうところがある。結婚式は教会で、七五三は神社で、葬式はお寺でという程度の区別はするが、宗教的動機とはおよそ言えないかなり気分的な使い分けもする。だいたい一国の首相が靖国神社に関して「死ねばみな仏」って言っちゃう国だもんな。まぁ僕はそういうルーズさが好きでもあるんですがね。
 ところで先日僕はイギリスに行っていた。訪れた町で、仲間三人でふらりと近くの教会に入ったところ、掃除をしていたおばさん(管理人さんというのか?)とちょっとおしゃべりすることになった。こちらは三人とも英語は今ひとつだからまず我々が日本人であると言うことを説明するだけで大変だったのだが(文章は作れたけど発音がいかんかったらしい)、そのおばさんは我々が日本人だと知ると、まず「Are you Christian?」と聞き、僕らが「No」と答えると、「Are you Buddist?」と尋ねてきたものだ。「バディスト」という単語に一瞬僕らは「はて?」と思ったが、「ああ、仏教徒かって聞いてるんだな」と合点して「Yes」と答えておいた。だがそのとき(俺ってホントに仏教徒かな?)という若干の躊躇のようなものがあったことは否定できない。一応先祖の墓は曹洞宗のお寺にあるけどねぇ、日ごろ仏教徒だと自覚したことはやはり無い。でもあちらからみれば広義の仏教徒ではあろうと思い「Yes」と言った次第だ。無宗教と言うよりはマシという話も聞くしね。

 という枕を置いた上で本題に。
 話は広告に関係している。オリンパスの商品の新聞広告に「他力本願から抜け出そう」というキャッチコピーがあった。これがある宗派の逆鱗に触れちゃったりしたのである。そう、浄土真宗だ。浄土真宗の10宗派が属する「真宗教団連合」(公式HPはhttp://www.shin.gr.jp/)はオリンパス社に対し「広告の表現は多くの門徒の心を踏みにじる」として抗議文を送っている。オリンパス社は思わぬ事態に慌てて「浄土真宗で使う言葉の意味を知らず、一般で使う他人の力をあてにするという意味で用いた。配慮が足りなかった点をおわびしたい」と平謝りの体のコメントを出している。

 さて、ではこの広告のどこに真宗側は怒りを覚えたのだろうか。
 「他力本願」という言葉を、僕らはしばしばオリンパス社の釈明にもあるように「他人の力を当てにして自分は何もしない」という否定的なニュアンスで使っている。しかしその語源である浄土宗、浄土真宗といった念仏系宗派においては「他力」というのは教義の根本をなす、かなり前向きな姿勢としてとらえられているらしいのだ。
 「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え、極楽浄土への往生を願ってひたすら阿弥陀仏の慈悲にすがる、というのが傍から見たかぎりの念仏宗派のイメージだ。こうした念仏の発想は10世紀ごろには現れており、鎌倉時代に入って法然「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」、つまりひたすら念仏を唱えよ、ただそれだけでよい、という教えを説き始める。彼の段階で「念仏は一回すればいいのか、たくさんすればいいのか」って論争があったぐらいで見かけは単純明快な割に一筋縄ではいかない論理があるのが念仏というやつで、この法然の弟子である親鸞はこの発想をさらに推し進めて徹底して阿弥陀仏にすがる「絶対他力」を強調し、さらに有名な「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という、いわゆる「悪人正機説」にまで到達する。
 はたから見ているとひたすら阿弥陀仏にすがり、それだけで良しとする他人任せの安易な宗教、それこそ「他力本願」(一般的な使用例でね)と見られてしまう念仏宗であるが、その親鸞の流れである浄土真宗グループに言わせると、「他力本願とは、仏の願いに生かされ力強く生き抜く、という意味である」のだそうだ。教義の根幹に関わる話だけにたかが新聞広告と見過ごすわけにはいかなかったというところなんだろうな。

 この「他力」の実は前向きな姿勢については作家の五木寛之さんあたりがあれこれ書いていたような覚えもある。このあたり僕などが下手に解説するとそれこそ真宗側から抗議(講義?)されかねないので深くは突っ込まず、他の詳しい方の解説をアテにしたいと思う。これぞまさしく(以下略)。
   


◆おフランスのドロボーさん2題

 おフランスのドロボーさんといえば、アルセーヌ=ルパン。日本などではあの超有名漫画・アニメの主人公のお祖父さんというぐらいの認識しかないのだろうが(コミック版ではアルセーヌじいちゃんご本人が出てきたりするんだよな)、聞くところによると最近EU各国共同制作で新作TVドラマになるなど、なんだかんだ言って不朽の人気があるようだ。

 そのルパンの故郷フランスから、まさにルパンをほふつとさせるドロボー話が伝えられてきた。
 フランス東部アルザス地方のミュールーズという町に住むレストランのウェイターをしているステファヌ=ブライビーゼル (31)という青年がいる。このステファヌくん、なぜか熱烈な17、18世紀の絵画美術愛好家で、愛好する余り博物館などからそれらを盗み出し、自宅に飾って悦にいるというホントにルパンみたいな趣味があったのだ。昨年11月にスイスのワーグナー博物館で年代もののホルンを盗んだ容疑で逮捕されたのだが、その後の調べでこの七年間にフランスやベルギーなどの博物館からブリューゲル、クラナッハ、ワトー、ブーシェなどそうそうたる有名画家の作品ばかり、予想被害総額1000万ユーロ(12億円!) もの盗みをはたらいていたことが判明した。絵画マニアの彼は専門書を読んで研究に没頭し、博物館に通いつめて盗みを繰り返し、盗んだ絵は業者に特注した額縁に入れて自宅に飾っていたとか。ちなみにルパンも同じようなことをしているが、事前に精巧な偽造品を作っておいて本物を盗み出す代わりにそれらを博物館に置いてくる「完全犯罪」をやったりしてるんだよな。
 この話にはさらに面白いオチがついていた。このステファヌくんには同居している母親がいるのだが、彼女はこれら美術品の価値を全く理解しておらず、「家の整理」のためにブリューゲルなどの名画を切り刻んでゴミ箱に捨てたり、工芸品を運河に投げ捨てたりしていたというのである!ステファヌくん、博物館の警備の隙を突くのは得意だったが自分の身の回りの警備がいい加減だったような。まさに灯台もと暗し(笑)。発覚後、警察があわてて運河の中などを捜して工芸品に関してはいくらか回収されたというが、多くの絵画は永遠に失われたとのこと。なお、この母親も先月15日に逮捕されている。
 ルモンド紙はこのステファヌ君を「アルザスの怪盗ルパン」と報じたそうで。ルパンは美術品を盗みはするけど大切に管理したんだけどねぇ。ところでこのニュースを報じる記事に「少年小説の主人公にちなんで」って説明がついていたけど、ルパンは本来はレッキとした大人向けの小説だったんですぜ。途中から作者のルブラン自身が少年向けを意識したフシはあるらしいけど、「少年小説」とか決め付けられるとルパンファンとしてはちょっとムッとしたりします(笑)。


 で、やはりフランスからもう一題。しかもこれまたアルザス地方だったりするから面白い。
 この地方のモンサントオディール修道院の図書館から15〜16世紀の貴重な書籍が次々と紛失するという奇怪な事件が起こっていた。この修道院の図書館はフランス革命などの激動を潜り抜けた貴重な希覯本(きこうぼん)を3000冊も収蔵しているなど、まさに歴史的な図書館なのであるが、2000年8月にヨーロッパ活版印刷の創始者グーテンベルク 時代のものを含む一角の本がごっそりと盗まれたのを皮切りとして、本の紛失が相次いでいた。修道院では図書館の鍵を取り替えるという対抗策もとったが、それでも紛失が止まない。こうなると内部の者か図書館利用者の犯行ではないかということになりその方面での調査も行ったが、それでも盗難は続いた。そこで図書館内に監視カメラをひそかにとりつけたところ、ついにこの「怪盗」の正体とその手口を明らかにすることができたのだった。なんとこの図書館には修道士の誰も知らなかった秘密の抜け穴があり、「怪盗」はそこを通って図書館を出入りしていたのである!なんかルパンシリーズにもあったな、こんな話。結局盗まれた書籍は合計1000冊にものぼったという。
 書類送検(逮捕ではなかったらしい)された「怪盗」はストラスブールに住む32歳の男性(実名も報じられていない)。工業技術の教授資格も持つインテリだそうで、そもそもラテン語の本を読むことが出来る古書マニアだったという。彼は大学の図書館で専門雑誌の記事を読んでいるうちにこの修道院の抜け穴の存在に気づいたそうで(どうやって気づいたのか非常に興味があるんだけど元記事からは分からなかった)、それは二階の図書館へと通じる幅60センチほどのもので修道院の外の壁の一部を押すと出現するという凝ったものだった(どういうつもりで作られていたのかも興味のあるところ)。男はここを通って夜間に自由に図書館に出入りし、事前に専門書などで古書の品定めをしてから盗みに入っていたという。だが彼はそれらを売り飛ばしたりするのではなく古書マニアらしく自宅に丁寧に保存して一人で楽しんでいたのだそうで(このへんも上の話と似てるな)、書類送検で済んでいるのもそれが理由なのかな。

 アルセーヌ=ルパンは「我は盗む、ゆえに我あり」とヌケヌケと言って(もちろんデカルトのパロディ)、半分趣味の職業として泥棒稼業をやっていたが、やっぱりフランス人にはルパンを生み出す素地があったんだろうか、と感じさせる2件でありました。



◆おイギリスの経営難2題

 そういえば「おフランス」という言葉があっても(「おそ松くん」のイヤミ以前の例があるのかどうか知らんけど)、「おイギリス」という言い方は無い。なんかキリギリスみたいで言いにくいってのもあるんだろうけど。

 このところ何度も書いていることだが、一ヶ月ほど前、僕はロンドンにでかけていた。ロンドンといえば歴史好きとしては「大英博物館」を訪れぬわけにはいくまい。結局二日ここに足を運んだのだが、やはり歴史好きにはやたら居心地のいいところで、もう何日か泊まり込みたい気が起きるぐらいの所ではあった。
 この博物館、「ブリティッシュ・ミュージアム」とはいいながら、展示のメインとなっているのは「大英帝国」が征服した世界各地から分捕ってきたお宝の数々。とくにエジプト、メソポタミア、ギリシャといった中近東を中心とする古代文明のお宝がこの博物館の目玉である。その他の地域の文化遺産もまんべんなく取り扱ってはいるのだが、やはりいまひとつ地味だし見物人も多くはない。肝心の地元イギリスからの展示品についてもそんな感じだ。
 この博物館の売店でお土産品としてやたらに売られているのが「ロゼッタ・ストーン」グッズ。ロゼッタ・ストーンのチョコ、ロゼッタ・ストーンの筆箱、ロゼッタ・ストーンのマウスパッド(ちなみに僕はこれを買いました)などなどなど、あの手この手のグッズが売られていて、いかにロゼッタ・ストーンがこの博物館の大スターであるかを思い知らされた。「ロゼッタ・ストーン」についてはもはや説明不要とも思うがあえて説明しちゃうと、あのナポレオン がエジプトに遠征した際に同行した考古学者たちが発見した、同じ文がエジプトとギリシャの三種類の文字で刻まれていたためにエジプト象形文字解読の手がかりになった考古学史上重大な意味を持つ石である。しかもその後の英仏両国のせめぎあいの中でたまたまこの石がイギリス側の手に渡り、結局大英博物館に入ることになってしまったという、存在そのものが数奇なドラマを抱えている石でもある。どこの国でも世界史の教科書の最初のほうにこの石の写真が掲げられているもんだからその知名度はまさに抜群(みんな最初の方はちゃんと読んでるからね)。この石を見るためだけに大英博物館を訪れているという観光客も少なくない。
 ところで以上のような経緯があるためにフランスにしてみれば「あの石はもともとはウチが見つけたのに!」という怨みがある。イギリスにとられなければルーブル美術館にでも入っていて世界中の観光客をそっちに集めただろうからその怨念はかなりのものがあると思われるが(その怨念の成果かこの石の解読の手がかりをつかんだシャンポリオンはフランス人である)、そもそもフランスだって人の土地に入り込んで勝手にこの石を持ち出したのである(パリにあるオベリスクもこのとき持ち出している) 。「本来、この石はエジプト人の手にあるべきではないか…!」との主張は依然としてエジプト側から出されていて、ロゼッタ・ストーンに限らず大英博物館に納められている数々のエジプト文化遺産は返還を要求され続けてもいる。もちろんイギリス側はその要求を完全に拒否し続ける、というより相手にしていない。なんせあれ全部返したら博物館は最大の目玉を失って、相当数のお客に逃げられてしまい、それこそ経営難に陥ってしまうのだ。

 そう、実は大英博物館は現在深刻な経営難に陥っている。あれだけ世界中から観光客がやってくる名所が経営難ってのは理解に苦しむ人もいるかもしれない。理由は簡単、実は大英博物館は入館料をまったく徴収していないのである。あれだけのお宝を見物させながら完全にタダなのだ!そうなったのにはこの博物館の歴史的いきさつがあるらしいのだが、詳しくは知らない。とにかくこれまでは政府からの補助金と売店などの売り上げ、そして見学者のカンパ(確かに博物館のあちこちにカンパ箱が置かれていた)でなんとか運営をまかなってきていたのだ。しかし現在の政府が補助金を削減したため、いよいよ大英博物館も有料化を含めた経営改革に乗り出さねばならない事態になっているという。
 そんな話が出る中、5月26日付の英紙「サンデー・テレグラフ」が驚くべきニュースを報じた。大英博物館の館長が長年ギリシャ政府から出されていた「エルギン・マーブル」 の返還要求に対し、初めて話し合いに応じる意向を示した、というニュースである。これにはその三週間ぐらい前に「エルギン・マーブル」を見物していた僕もぶったまげた。「エルギン・マーブル」とは大英博物館の目玉の一つで、パルテノン神殿などからひっぺがしてきた古代ギリシャの大理石彫刻群のこと。当時ギリシャはオスマン帝国領だったのでオスマン皇帝の許可を受けたイギリス研究者エルギンが持ってっちゃったものなのだが(パルテノンの彫刻を全部ひっぺがしたのはさすがに拡大解釈だったらしい)、ギリシャ政府は「民族の宝」ともいうべきこの彫刻群の返還を百年以上求め続けてきた。しかしイギリス側は全く話し合いに応じず、大英博物館の中にパルテノン神殿をイメージした巨大な展示室を作ってそこにこれらの彫刻群を陳列している。
経営建て直し大作戦  その「エルギン・マーブル」返還の話に、あの大英博物館が応じるかもしれないというのである。それだけ経営的に追い詰められているということかと憶測が飛び、「エルギン・マーブル」を返す代わりに有料で見せる文化財をギリシャからもらうんじゃないかとの話まであるそうで。ただ、僕などはそれでも返還はしないだろうなと思っている。だって一度返還の前例を作っちゃったらエジプトやらイラクやらが一斉に強硬な返還要求を突きつけてくるだろうしな。

 と、ここまで書いてからニュースサイトを確認したら、大英博物館の経営難がいかに深刻であるかをさらに認識させるニュースが流れていた。なんと大英博物館の人員整理などの合理化に反対する従業員たちが、6月17日にストを決行するかもしれないというのである!ストが実行されれば、博物館創設以来249年目にして初めての「休館」ということになっちゃうらしい。どうなることやら…こんなことなら1ポンドぐらいカンパしておきゃよかったな。


 さて、イギリスの経営難ネタはもう一つある。こちらはすでに手遅れでつぶれてしまったんだけど。
 イギリスの隔週刊風刺雑誌「パンチ」が5月27日号をもって廃刊となってしまった。このニュースは僕などには大英博物館以上にショックなものがあったかも。この「パンチ」って漫画史を語る上で欠かすことの出来ない歴史的な雑誌なのだ。創刊はなんと1841年の7月17日。160年も前に出版された雑誌なのだ。1841年といえばビクトリア朝時代、清とアヘン戦争なんかやってるころですよ。そんなころに出たこの風刺雑誌、売りは風刺カートゥーン、つまり一コマ漫画にあった。以後「パンチ」といえば風刺漫画の代名詞的存在となり、常にその時代の第一級の漫画家が寄稿する一流雑誌となった。明治時代の日本に来ていたワーグマンというイギリス人がこの雑誌の日本版ともいうべき「ジャパン・パンチ」を創刊したことをきっかけに日本でも一コマ風刺漫画の歴史が始まるが、このワーグマンが「PUNCH」を「ポンチ」と表記したために日本ではしばらくこうした漫画を「ポンチ絵」と呼ぶようになった(このためかなり古い世代の方々は漫画全般のことをポンチ絵と言ったりしたらしい。なお、明治時代には「月とスッポンチ」というふざけた名前の漫画雑誌も出ている) 。今も新聞に載る一コマ風刺漫画のルーツ的存在とも言え、この雑誌に載った一コマ漫画の名作の数々は世界史の教科書にも載せられて今の僕らに綿密な資料以上に時代状況をストレートに教えてくれる。その漫画史の輝く名物雑誌がついに廃刊となっちゃったわけで、僕をはじめ多少でも漫画に関わる人間はまさに「パンチ」を一発くらったようなショックだ(みんな、言ってるんだろうな、これ)
 「パンチ」は1940年代に最盛期だったらしく、この時期には17万部もの部数を誇ったが、1980年代に部数が激減。1992年にはとうとういったん廃刊に追い込まれている。この「パンチ」を救ったのが、ムハンマド=アルファイド氏。「はて、どっかで聞いたような」と思ったあなたは鋭い。この人、イギリスの名百貨店ハロッズのオーナーであり(王室御用達の看板は最近返上したそうだが)、あのダイアナ元皇太子妃の恋人で一緒に事故死したドディ=アルファイド氏のお父さんである。アルファイド氏は「パンチはイギリスの社会的資産」として「パンチ」救済に乗り出し、1996年に復活させていたのであった。いやはや、それにしても思わぬところで思わぬ話のつながりをみせるもんですな。だから歴史は面白い。
 「パンチ」の復活は多くの人から大変な歓迎を受けた。しかしアルファイド氏いわく「その好意が部数に反映しなかった」のが大問題。結局先月段階で6000部を切るという同人誌並みの発行部数で、ついに廃刊を余儀なくされた次第。今後はインターネット上で「パンチ」を存続させていくとのこと。URLはhttp://www.punch.co.uk/


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