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2009年1月8日

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◆今週の記事

◆あけましておめでたい

 前回の「史点」更新が9月の末。結局3か月もほったらかし、気がついたら年が明けてしまった。この間に世界はいろいろと大騒ぎになっていた。アメリカ大統領選挙は予定通りのことだったが、日本の解散総選挙のほうは結局来年以降に持ち越しの気配だ。3か月もサボってしまうとニュースな話題もだいぶ古くなってしまったので、昨年のニュースハイライト終盤戦編みたいな感じで。

 さてなんだかんだ言っても「世界の王」的立場であるアメリカ大統領選挙は注目された。今年前半は民主党の候補者の座をめぐって、初の女性大統領候補となるヒラリー=クリントンと、こちらは初の黒人大統領候補となるバラク=オバマの両氏によるデッドヒートが繰り広げられ、下馬評を覆してオバマ氏が候補者の座を射止めた。僕などはアメリカのこれまでの歴史からすると黒人大統領より先に白人女性大統領のほうが実現が先ではないかなぁ、と思っていたのでこの結果は正直に驚いた。またもともと知名度も人気のあるヒラリーさんのほうが候補として有利なのではないかと思っていたのだが、なかなかどうして、黒人(母親は白人だが)のオバマ氏はその若さと新鮮さも手伝って共和党のマケイン候補をほぼ一貫してリードした。
 共和党も9月の党大会でカンフル剤として保守系にウケのいいサラ=ペイリン・アラスカ州知事を副大統領候補に持って来て一時的に支持率を上げたが、ペイリンさんは「おバカキャラ」としては大人気になったものの(アメリカでは今年googleで一番検索された名前になったそうで…)「万一の時の大統領」としては大不人気で共和党の足を引っ張る役割を担ってしまい、結局終わってみれば事前の下馬評どおりにオバマさんの勝利となった。

 黒人による公民権運動が盛り上がったのが1960年代。まだ40年前の話で、その後もアメリカにおける根強い黒人差別の話はなにかにつけ聞かされてきた(ちょうどいまTVドラマ「ルーツ」を観賞していて、その凄まじさを改めて思い知らされている)。今度のオバマ大統領の誕生についても「自分が生きてるうちにこの日が来るとは」と驚く公民権運動時代を生きた黒人の声もよく聞かれた。だが今になって思い返すと、1990年代に入ってからハリウッドのインテリ二枚目スター・デンゼル=ワシントンとか、天才ゴルファーのタイガー=ウッズとか、それまでの「アメリカの黒人」のステレオタイプからは脱却した「かっこいい黒人」の活躍がチラホラ目立っていた。政治の世界でもブッシュ父子二代の政権に国務長官として参加したコリン=パウエルコンドリーザ=ライスといった黒人政治家たちがいた。そうした流れを考えれば、オバマ大統領の出現にはちゃんと歴史的な流れがあったとも思える。もちろん黒人差別が根強い部分もあるのは確かだが、ジワジワと状況は変わって来ていたのだ。なお、「日本人の知らないアメリカの…」といった著作を次々と書いている日高義樹氏は「ペイリンブーム」の時点で「黒人大統領出現にはあと一世代、30年はかかる」などと書いてたっけ。

 2000年のあのハチャメチャな選挙で選ばれたブッシュ政権の8年は「史点」の連載時期とほぼ重なる。なんだかんだでブッシュ大統領の登場回数は「史点」史上一位なんじゃなかろうか…日本の首相もよく登場しているのだが、小泉純一郎さん以降短期政権が続いているから、ブッシュさんが抜いちゃっていると思う。思い返せばとかく話題の多い大統領ではあった。
 選出された選挙からして歴史的大騒ぎで発足したブッシュ政権は、2001年には911同時多発テロに遭い、「テロとの戦い」としてアフガニスタンに侵攻した。当時アフガニスタンを支配していたイスラム原理主義タリバン政権は速攻で打倒したが、その指導者であるオマル師、そしてテロの首謀者とされたオサマ=ビンラディンはどういうわけかその消息すらつかめていない。2003年には大量破壊兵器がどうのとインネンをつけて「テロとの戦い」とは本来何の関係もないイラク戦争を開始、サダム=フセインの政権は打倒したものの、イラク国内の混乱と武装勢力の攻撃は延々と続き、「大量破壊兵器」も見つからず(これについては今頃になってブッシュ大統領本人が「誤った情報を信じたことが最大の遺恨」などとのたまってるが…)、そうこうしているうちにアフガン情勢がまたまた不穏になってくる(タリバンが全土の7割を支配してる?とか…)など、一連の戦争も結局何だったのか分からない状況になってしまった。戦争以外でも京都議定書からの離脱など「一国主義」を突き進んでEU諸国とも対立したし、中南米諸国は気がついたら反米左派政権ばやりになってしまった。イラクにはいいがかりで戦争を仕掛けておいて核兵器を持っちゃった北朝鮮にはテロ支援国家指定も解除した上に結局何の成果も上がらず、中国でチベット騒動が起こった時に真っ先に北京五輪開会式出席を表明してサポートしてたのもこの大統領の話だ(日本の保守系論壇では民主党政権になると米中接近と騒ぐ傾向がなぜかあるんだが、振り返ると共和党のほうが熱心なんだよな)

 政権運営以外でもブッシュ大統領本人におバカイメージがついてまわった。数々の失言や無知・勘違い発言も話題になったし、「プレッツェルのどづまり事件」なんてものもあった。また、べつにブッシュさんの責任というわけでもないが、スペースシャトル・コロンビアの空中爆発ハリケーン・カトリーナの大被害などアメリカの威信を傷つけるような事件が相次いだのもこの政権の特徴だ。末期に向かって支持率は下がりに下がり、そして最後の最後、トドメのようにに9月以降の金融危機。1929年の「世界恐慌」を思わせる展開には、その1929年の新年演説で「資本主義の永遠の繁栄」を謳い後年厄病神扱いされたフーバー大統領の姿をブッシュ大統領に重ねる声も聞かれた(そしてオバマ次期大統領の経済政策にはかつての「ニューディール政策」の匂いが濃厚)。実際いろんな意味でアメリカはおろか世界中から厄病神扱いされた政権だったと言っちゃっていいだろう。支持率は史上最低、不支持率はあのニクソンを抜いて史上最高で8年間をしめくくることになったわけだが、一時は90%を支持率を出し、再選もさせたのもアメリカ国民なんで「自業自得」という気もするな。
 最後の最後にイラクを電撃訪問、イラク戦争の「成果」のカッコウをつける狙いであったが、記者会見中に記者からプレゼントとして靴を投げつけられ見事にかわすという、彼らしく意外性と情けなさに満ちた印象的な場面となった。彼の政権の8年間を漢字一文字で表すと「靴」になるのかもしれない(笑)。
 8年間、「史点」にネタをバンバン提供してくれて御苦労さん…とも思うが、ほとんどロクな話題じゃないのが困ったところ。あれだけのことしておいて何の責任もとらずに楽隠居できるんだもんなぁ…後世の史家の評価まで待たずにしっかりと酷評しておきたいものだ。なんでもブッシュ・パパさんは本気で次男も「三人目のブッシュ大統領」にする気らしいし…


 さて一方の日本はと言うと…前回「史点」更新から今度の更新まで麻生太郎内閣はもつのかしらと思いつつ時が過ぎている。
 前任者が「お前じゃ選挙は戦えない」と引きずり降ろされ、自民人気盛り上げのために総裁選もやってみたけど盛り上がらないまま選ばれた本命の麻生さんだったが、政権が始まってみるとあることになっていた人気はてんで低かった。さらに発足直後の国土交通大臣の失言更迭でつまづき、そこへアメリカ発の金融恐慌で総選挙どころじゃないと解散をどんどん先送り。公明党の強い希望で定額給付金のバラまきも決まったが、その方法をめぐってドタバタ。そして航空幕僚長のトンデモ懸賞論文→更迭騒動が追い打ち。これに加えて当初から懸念されていた首相当人の失言が封印を破ってしまい(笑)、さらに村山談話をフシュウするといったミゾウユウな誤読がハンザツに出現するという分かりやすいチョンボもあって12月に入って支持率もテイマイ、早くも前任者の末期に追い付いた。この事態に党内ではポスト麻生が取りざたされるわ、新党計画まで噂されるわ、たばこ税や消費税でも首相の指示が党に無視され、解散を遅らせたことと消費税上げ明言をしたことで連立相手の公明党を怒らせ…とまぁ、大変な年末となっていた。年明け早々、書き初めで「平成廿十一年」とさっそく話題をふりまいてくれ(自民党HPトップに掲げてある奴がしっかり修正されていたのが笑えた)、「派遣村」で物凄い空気の読めない政務官発言、定額給付金はやっぱり高所得者も…なんてなんかみんなで足を引っ張ってる気もしてくるな。
 それでも前回書いた東久邇稔彦内閣の在任記録「54日間」は選挙先送り作戦で見事に乗り越え、、羽田孜内閣の「64日間」、石橋湛山内閣の「65日」、宇野宗佑内閣の「69日」も次々に超える快進撃(爆)。次の目標は林銑十郎内閣の「123日」を超えることだ。この調子でいくとホントに任期切れまでやっちゃうのかもしれない。ついでにいえば解散がズルズルのびちゃったおかげで河野洋平衆議院議長の議長在任期間が史上最長を更新するおまけもついた。かつての派閥の親分のプレゼントしたってわけでもないんだろうけどねぇ。


 ところで、このところ思っていたこと。
 そのむかし、幕末の有名人・勝海舟はアメリカから帰国した直後、将軍から「わが国とアメリカとのもっとも大きな違いは何か」と問われて「かの国の役人は地位の高さに相応して賢い」と答えたという逸話がある(本によっては「我が国と逆で身分が上になるほど賢くなる」と答えたことになっているが、将軍を前にしてそこまでストレートな皮肉は言わんと思う)。要するに世襲で役職が決まる当時の江戸幕府体制に対し、アメリカでは大統領も選挙で選ぶし学歴なり能力なりがなければ出世もできない、したがって「身分相応に賢い」、と海舟は見たわけだ。
 祖父や父が首相だった人物が三代も続けて首相になり、その取り巻きまで二世三世だらけの状況でアタフタと混乱のうちに短期政権が続く状況、世襲ではないが仮にも「空軍」のトップになった人間が軍事的に考えて明らかにおかしい陰謀史観を披露してみたりまさに「コミンテルン史観」(爆)。当人は「日本はよい国だと言ったのに」などと言ってるが、あれじゃ当時の日本指導部のバカっぷりがさらに際立つだけなんだが…)といった様子を見ていてふと勝海舟の言葉が頭に浮かんだ。まぁブッシュ政権を見る限り「海舟の法則」はすでに例外があるとわかるんだが、あれも世襲政権だったからなぁ…

 「ゴルゴ13」で世界情勢を勉強していると実際に国会で発言している麻生首相だが(この人の「漫画好き」がどこまで本当なのか僕は以前からかなり疑っているけど…)、一応は会社の経営者でもあったし「経済通」というのはある程度信用していいんじゃないかと思っていたんだが、それすらも怪しいと思う報道が11月はじめにあった。11月1日に麻生首相が書店で本を買ったというニュースで、新聞では「漫画は買わなかった」という程度の扱いだったが、購入した「経済・外交関係の堅めの本」のなかに長谷川慶太郎「大局を読む2009」があって「こりゃダメだ」と僕は確信してしまった。実は長谷川慶太郎氏の著作については10年ほど前(連戦氏を台湾次期総統と断言して持ち上げたあたり)から注目していて…「大局を読む」「世界はこう変わる」という予測本を毎年年末に2冊も出しているというヒットメーカーなのだが、その予測の外しっぷりは見事なまでで、古本屋や図書館で数年分読むとかなり笑える著作を連発しているお方なのである。あれだけ毎年ハズしていて熱心な読者が絶えないのも不思議だが(実際ネット書評でも驚くほど信者がみつかる)、この人の予測は「日本はよくなる」の一点張りで素晴らしいまでに楽天的だから安心して読め(笑)、おまけに短いフレーズで簡単にまとめてくれるから(インタビュアーが聞き書きする形式のため)非常に読みやすく、そこが人気の理由だろうとは理解できる。しかし予測本で予測を外しまくるのは問題だろう(一応フォローしておくと当たり障りのない予測は当然当たる。大胆な予測はほぼ100%外してるけど)
 とくに今年の「大局を読む」は深刻で…リーマン・ブラザーズの破綻が9月中で、その時点で「大局を読む」は原稿アップギリギリだったとは思われる。いきなり第一章から「サブプライム問題は終わった」「アメリカ政府は公的資金投入はしない」などなど、刊行の時点で完全に事実と異なる内容が書かれちゃってるのも「不可抗力」という言い訳はできるだろう。僕などは「毎年のことだが今年はタイミングが凄いな」と苦笑して感心(?)しているぐらいだったが、その刊行時点で古本同様のクズ本と化してしまった本を11月時点で購入するとは驚いた。チラッと立ち読みすらしなかったのだろうか。恐ろしいことに麻生首相のみならず公明党の太田明宏代表までがこの本を読んだとブログに書いていたのだが、やっぱりなんの疑問も持たず、感心すらしているぐらいなのだ!ちゃんと中身読んでるのか、この人たちは?

 なお、11月1日に麻生首相が購入した書籍のラインナップは読売・毎日によるとその「大局を読む」のほか、日下公人高山正之日本はどれほどいい国か」、御厨貴表象戦後人物誌」、村井哲也戦後政治体制の起源 吉田茂の『官邸主導』」だったという。うしろの2冊はおじいちゃんの政治運営も参考にする気があったんだろうかとも思えるが、最初の一冊って単なる日本万歳の自慰本じゃないですか。さらに怖い話をすると、ほぼひと月後の11月30日にまた同じ書店を訪れた麻生首相が購入した本は朝日の報道によると日下公人・竹村健一渡辺昇一「強い日本への発想」、ガルブレイス「大暴落1929」佐道明広小宮一夫服部龍二「人物で読む現代日本外交史」、日下公人・高山正之「日本はどれほどいい国か」の4冊であったというのだ。…そう、同じ本をまたお買い上げになっていらっしゃるのだ(汗)。これが事実だとすると記憶能力の方にも問題を感じてくるんだが…こういう人達って同じような内容の本を年に何度も出すから区別がつかなくなっちゃうのかもしれないけどさ(笑)。「強い日本への発想」の著者の一人なんて先日更迭された幕僚長に元ネタ吹き込んでるお方なんだけどねぇ…まぁこういう本ばっかり読んだ結果がアレなんだと分かるので、その意味では結構なことかもしれない(これを書いた後で知ったが、毎日の報道によると村井氏の吉田茂本は刊行時に麻生事務所に献本されていたそうな)



◆ラスト・エンペラーの世界

 「ラストエンペラー」といえば1988年に公開され、その年度の米アカデミー賞作品賞を受賞した一作。この作品のヒットにより「ラストエンペラー」といえば愛新覚羅・溥儀の代名詞として今も使われてしまっているほど。昨年秋から年末にかけてなぜかその「ラストエンペラー」がらみのニュースが続いたので、それをまとめてみた。 

 映画「ラストエンペラー」の序盤、幼い溥儀を次の皇帝に指名してその場でお亡くなりになっちゃうのが西太后。清朝末期に権勢をふるい、中国史上の「女帝」の一人に数えられる有名人だ。映画のように溥儀を指名したその場で死んじゃうようなことはなかったのだが、先代の皇帝・光緒帝が死去した翌日に西太后自身が死去し、そのあわただしい中で溥儀の指名が行われたというのは事実。
 光緒帝は西太后の甥にあたり、もちろん西太后の意向で即位させられた皇帝だ。だが成人した光緒帝は西太后のコントロールを脱しようとし、1898年に日本の明治維新を意識した近代化改革「戊戌変法」を進めた。この動きに危険を感じた西太后は軍人・袁世凱の協力を得てクーデターを起こし、たった三ヶ月で戊戌変法をつぶしてしまった。変法推進者の多くは処刑、あるいは亡命し、光緒帝自身も退位は免れたものの監禁状態におかれてしまう。それから10年がたった1908年11月14日に光緒帝は死去するのだが、その翌日に西太后も死去しているので、「自分の死後に光緒帝が復権するのを恐れた西太后が光緒帝を毒殺したのではないか」との疑惑は当時からささやかれ、なかば「史実」とみなされていた。
 中国政府は2003年からこの件の調査を進めており、昨年11月にその結論が出され、それが一斉に報じられた。それによれば光緒帝の遺髪や衣服から大量のヒ素が検出され、「やはり毒殺」との結論が出たようだ。ただし西太后は犯人の有力候補ではあるものの、袁世凱が実行した可能性もあると言われている。
 なお、中国政府は2002年から伝統的な紀伝体の国家正史「清史」の編纂作業を進めており(中華民国期に編纂された「清史稿」がこれまで仮に正史扱いされてきたが、「中華人民共和国」として改めて編纂している)、この調査もその作業の一環という面があったようだ。報道によれば今回の結論も「清史」に反映される予定とのこと。


 上の話題が報じられた直後、こんな記事を目にした。

「29歳英国貴族が愛人!?西太后68歳、驚きの美しさは真珠・人参・鳥の…―中国」(レコードチャイナ)
http://www.recordchina.co.jp/group/g25643.html

 記事の方は各自詳しく読んでいただくとして(大した文量ではないが)、要するに西太后は68歳でも独自の美容法で美貌を維持し、若いイギリス貴族の愛人まで作ってました、という内容。話としては面白いのだが、最初にこの話題を載せたのがファッション専門サイトで、この記事に出てくる清朝史の専門家・向斯という人も書いてる本が「慈禧太后養顔長寿秘笈」という、ちと専門書とは思えない本であるところがひっかかる。さらに中国史をやってれば常識的に考えて後宮にいる太后がイギリス人を愛人するなんてことはまずありえないと思うところだ。
 ではこの記事に出てくる、西太后と愛人関係にあったという「エドモンド氏」とは何者なのか。西太后68歳の時というと1903年ごろ。このときに29歳で中国がらみの本を書いてる人というと、と調べていくと…いた、いた。エドモンド=バックハウス(Sir Edmund Backhouse、1973-1944)というのが。Wkipedia英語版に彼の項目があり、プロフィールをあたってみるとかな〜り胡散臭い人物とされていることがわかる。これがまたなかなか面白いんだ。
 彼はロシア語と日本語と中国語に通じ、1899年に北京に入って以来、死ぬまでの人生をほとんど北京で過ごしている。1910年に「西太后治下の中国(China Under the Empress Dowager)」、1914年に「北京宮廷の年譜と回想(Annals and Memoirs of the Court of Peking)」という本をいずれもイギリス人ジャーナリストと共著で出し、ひところ中国研究専門家として注目されたらしい。バックハウスはオックスフォード大学の教授職を得ようと同大学のボードリアン・ライブラリーに中国関係の原稿を山のように送りつけたが(1913〜23までに合計8トンに及ぶという)、結局この運動は失敗に終わる。すでにこの時点で彼の原稿の内容には疑念がもたれていたようなのだ。
 例えば彼は「西太后治下の中国」の情報源を、義和団事件の混乱の中で発見した宮廷高官の日記にあるとしていたが、当時からそんな日記の存在自体が専門家からは怪しまれていた(結局存在してないことが判明している)。また1916年には清朝宮廷の代表と自称して「アメリカン・バンク・ノート」(アメリカの紙幣・切手製造企業)と「ジョン& ブラウン」(イギリスの造船企業)に取引を持ちかけ、宮廷から金が出ないと知った両社がバックハウスに連絡を取ろうとしたら彼は中国国外に逃亡しており、1922年に北京に戻るまで消息不明になっていたこともあるという(逃亡先から原稿を送っていたのかな?)。
 1973年になって歴史家ヒュー=トレヴァー=ローパーはバックハウスの回想録の原稿を調べたが、そこではローズベリー伯アーチボルド=プリムローズポール=ベルレーヌオスカー=ワイルドレフ=トルストイサラ=ベルナールなどなど当時の世界の著名人たちと面識があったことになっていたり、オスマン帝国皇女や西太后との関係までが書かれていて、ローパーは「まるでポルノ小説だ」と評してその記述がバックハウスの想像の産物だと断じているから、どうもくだんの記事で紹介されてる「手記」とはこの回想録のことと思われる(「オックスフォード大の図書館」とあるし)。以後、バックハウスの中国情報は当時の雰囲気を知るには有効としても学術的に扱えるレベルではないというのが定評になっているようだ。この手の天性の詐話師みたいな人というのは古今東西存在していて、僕も16世紀倭寇世界で活躍(?)したメンデス=ピントという実例を知っている。今だって書店に行けばこの手の人の著作が何冊も簡単に見つかるんだから、世の中そうそう進歩はしない(笑)。
 ネットで調べてみたら、浅田次郎さんの小説「中原の虹」にもバックハウスが登場してるんだそうで。前作「中原の昴」は読んでいたんだが、こちらは未読だった。


 「ラストエンペラー」後半で印象的な登場をするのが、清朝皇族に生まれながら日本の特務機関で活動する「男装の麗人」の女スパイ・川島芳子。「東洋のジャンヌ・ダルク」だの「東洋のマタ・ハリ」などと呼ばれ、存在自体がフィクションっぽいため当人が生きてるうちから小説・舞台・映画になってしまっている。戦後も日本や中国でお話のタネとなり、「ラストエンペラー」での登場もそれをふまえたものだし、僕が中国に旅行した時にはTVで香港製の川島芳子映画を放送していた(あとで確認したところ1990年製作、アニタ=ムイ主演の「川島芳子」だった)。最新の川島芳子ものはつい先日の昨年12月にTV朝日系列で放送した「男装の麗人」だ。小説・マンガで脇役で登場するものも含めたら、それこそ大変な数にのぼり、なかなか人気者なのである。
 その川島芳子は満州国崩壊と日本敗戦後3年がたった1948年に「漢奸」(売国奴)として処刑された。先日のドラマでも描かれていたが、彼女がどこまで日本のために「活躍」したのかは判然としない所が多く、生きているうちにフィクションが多く作られたことで実像を越えた「罪」で裁かれたとの意見もある。また満州を描いた作品では川島芳子とセットで登場するのがお約束になっている女優・李香蘭(山口淑子)が一時「漢奸」の罪に問われながら日本人であることが判明したため命拾いしたため、芳子も川島家の養女の「日本人」であることを主張して処刑を免れようとしていたが、手違いもあってそれがかなわなかったともされている。もっとも芳子の場合は出自が明白に清朝皇族なので処刑は免れなかったと思われるが。
 しかし、これまたそのドラマでも描かれたように「処刑されたのは身代わりの別人で、芳子はその後も生きている」との噂は直後からささやかれていた。銃殺刑であったため顔が判然としなかったこと、また「男装の麗人」という華麗なイメージが過度に広まっていたため獄中で衰えたその姿にギャップがあったことなどから、処刑を取材した報道陣の間から「別人説」が出たものらしい。死んだ後までフィクションみたいな女なのだ。

 その芳子生存説は戦後断続的に浮上していたが、その最新版が浮上したのは昨年11月のこと。今度は妙に具体的なところがミソで、長春に住む女性画家・張さんが「私が小さいころに世話になった“方おばちゃん”が実は川島芳子で、彼女は1978年まで生きていた」と証言したのだ。
 その証言をまとめると、以下のようなストーリーになる。処刑が決定した芳子だったが、満州国警察局で日本語通訳を務めて芳子とも接触があった男性が、関係者二人と共謀して芳子を処刑場で別人(末期がん患者だったとされる)とすり替えた。芳子は男性と共に長春市内にかくれ住み、残留日本人孤児の当時1歳の女の子を引き取って育て、これがその画家・張さんの母親であるという。張さんはいわば芳子の「孫」というわけで、幼いころに「方おばちゃん」から日本語の歌などを教わっていたと語っている。この「方おばちゃん」は「処刑」から30年を経た1978年に亡くなり、一緒に暮らしていた男性も2004年に86歳で他界した。その死の間際に彼は張さんに「方おばちゃんが川島芳子だ」と明かしたというのだ。
 男性の死後、壁に隠されていた箱の中から、芳子が描いたという日本風の絵や関東軍関係の資料、ほかに銀製のかんざし・フランス製望遠鏡など簡単に入手できそうにない物品が見つかっているという。一連の報道は旧満州の吉林省の地方紙が連日のように報じ、かなり話が具体的であるため海外メディアも報じていたが(テレ朝はしっかりドラマ宣伝を兼ねてワイドショーで取り上げていた)、さてどんなもんだか。


 映画「ラストエンペラー」ばかりが有名だが、同時期に中国では溥儀を主人公にした大河ドラマ「末代皇帝」が放映されていた。こちらのほうが時間が長いし地元製作ということもあってより詳細・正確な溥儀の生涯の映像化になっている。なんといっても当時は溥儀の弟・溥傑をはじめ登場人物の何人かは生きており、このドラマの監修にもタッチしていた。近い時代の歴史ドラマはそこが利点なのだが、一方で関係者が多いだけに映画やドラマにはつきもののフィクションがうかつにやるとトラブルになることも多い。
 映画「ラストエンペラー」では溥儀の妃は皇后の婉容と側室の文繍の二人(いずれも満州族)しか登場しない。史実もだいたい映画の通りで婉容はアヘン中毒になったあげく満州国崩壊時に行方不明になってしまい文繍とは離婚してしまっているのだが、映画では登場がカットされた妃が他に二人いた。一人は譚玉玲という満州族の女性で婉容がアヘン中毒になってから妃とされたが6年後に病死(溥儀は東京裁判で彼女の死因を関東軍による毒殺と主張した)。もう一人が長春にいた貧しい漢族出身の女性・李玉琴だ。李玉琴は1943年に亡くなった妃の後釜として関東軍の意向で溥儀の妃となったが(このため「中国史上最後の后妃」ということになる)、2年後に満州国が崩壊し溥儀も刑務所送りとなってしまった。溥儀は獄中でこの「妻」の存在を心の支えにしていたらしいが彼女自身は「売国奴の妻」ということで周囲の風当たりもあって結婚は苦痛でしかなく、溥儀が釈放される2年前の1957年に離婚し、翌年に別の男性と再婚している。この経緯は中国ドラマ末代皇帝」では詳細に描かれていた(出所後の溥儀はまた別の女性と結婚するのだが「末代皇帝」ではそこは描かず、香港映画「火龍・溥儀的後半生」で詳しく描かれた)
 この李玉琴をテレビドラマにしようという動きが、「ラストエンペラー」「末代皇帝」ヒット後の90年代からあったようだ。李玉琴自身は2001年まで存命しており、彼女の長男・黄煥新さんが母親の生涯を生きているうちに形にしようと脚本家にシナリオ執筆を依頼、本人もその内容に納得していた。しかしドラマがなかなか制作されないうちに本人が死去、脚本の使用権も2006年に北京の制作会社に買い取られてしまった。この制作会社が脚本にかなり手を入れて妃に仕立てられるまでの経緯が大幅にカットされ、あたかも玉琴さんが喜んで溥儀に嫁いだような印象を受ける脚色がなされたことに黄さんが激怒、昨年9月にこのドラマの放送を差し止めるよう、放送の許認可権を持つ国家ラジオ・映画・テレビ総局を相手に訴訟を起こしたのだ(読売新聞12月23日記事より)。中国で国家政府の機関を相手に訴訟するのは異例のことで、注目されているという。まぁ勝訴はできないような気もするが…日本はじめ外国でも似たケースがあって、遺族の主張は退けられるケースが多かったように思うし。



◆俺たちゃ海賊!

 もう何年も更新せずにほったらかしになっているが、当サイトには倭寇(とくに16世紀半ばの後期倭寇)をテーマとする「俺たちゃ海賊!」と題するコーナーがある。何を隠そう、ありゃ僕自身が専攻研究とするテーマなんである。倭寇世界にのめりこんだせいもあって、倭寇のみならず世界中の海賊たちも比較検証のために調べてみたこともある。そんな僕だから、近頃世界を騒がせている「ソマリア沖海賊」のニュースにはこの3か月ずっと注目していた。

 ソマリアはアフリカ東岸、紅海を挟んでアラビア半島と向かい合い、インド洋に「く」の字の鏡写しの形で突き出している国だ。僕もこの国についてはとんと知らないといっていい。ただとにかく内戦がひどくて実質的無政府状態が続いていること、以前アメリカ軍が介入を試みたことがあったが、映画「ブラックホークダウン」のモデルともなったヘリ墜落・兵士殺害事件があってもはやアメリカも手を出さないでいること、そしてその混乱の中で目の前にある重要航路・紅海を往来する船舶を襲う海賊活動が活発化していること―などをニュースで聞き知っている程度だ。
 海賊にもピンからキリまであるのだが、国内が戦乱状態で統一国家の体をなしていない時に海賊が発生するというパターンでは日本における倭寇と似ているかもしれない。前期・後期とも倭寇なるものの実態については学術的にまだまだ議論があるのだが、前期倭寇においては日本が南北朝時代、後期倭寇においては戦国時代、といずれも長期の内戦状態であったことが発生要因だったことは疑いない。まぁ後期については当時の東アジア全体の交易活動の活発化という側面もあるんで単純ではないが、前期倭寇に関しては現在のソマリア的状態に似ているんじゃないかと勝手に思っている。

 ソマリア沖海賊がにわかに世界の注目を集めるようになったのは昨年9月25日にウクライナ企業が運航するベリーズ船籍の貨物船が海賊に奪取されてからだ。この時点で2007年中73件目(昨年の1.5倍)、奪取された船舶29隻目、身代金総額も最高予測で3000万ドルという状況だったのだが、この貨物船強奪がとくに大きな注目を集めたのはこの船に旧ソ連製T-72型戦車33台をはじめとする大量の兵器類が積まれていて、これがまるごと海賊たちの手に入ってしまったためだった。そして積み荷をみた海賊たちは捕虜とした乗員(ウクライナ人17名、ロシア人3名、ラトビア人1名)の身代金としてなんと3500万ドルもふっかけてきた。その後相手が交渉に応じないとみると2000万ドルに、さらに800万ドルに値切ってきたが(笑)。なお、この報道が出た時点では1ドル=103円ていどで、交渉を続けているうちにドル安円高が信じられないほど進んでしまったのであえて日本円換算は表示しない。
 このソマリア海賊でもそうだが、古今東西の海賊のほとんどはこういう調子で人を人質にし、身代金を要求して稼ぐ(身代金が出ない場合は人そのものを売り飛ばす)のがパターン。専門にしてる後期倭寇でもその初期にはこれとそっくりなパターンがみられたものだ。海賊だからもちろん乱暴には違いないが、報道で見る限りは沿岸の貧しい漁民たちが「副業」として身代金目当ての海賊をやってるもので、人質にもそうひどいことはしないらしく、実際危害を加えた例は今のところ報告されていないという。副業どころか漁業会社がそのまんま海賊会社に模様替えして「本業」にしてるケースも多いそうで、産経新聞に載ってたAP通信の現地取材記事ではそれまでドン底生活を送っていた村が「海賊産業」で村おこしに成功、村全体が豊かになって海賊たちは尊敬を集めているという少々複雑な気分になる様子が描かれていた。海賊がタンカーを奪取して村にひいてくると村人がこぞってお祝い…なんて描写もあって、まぁこのくらいだとのどかでそう悪くない気もしてきた(笑)。以前、五島列島の福江島や平戸を取材していたとき、江戸時代初頭に沿岸に難破した中国船を村人たちが「当然の権利」と襲撃、略奪したという逸話をタクシーの運転手さんから聞かされたり、「○○さんとこは先祖が海賊でね、昔はむこうでそうとう悪さしたらしいよ」なんて笑って話してくれる宿のオジサンがいたりしたことを思い出す。

 ところでウクライナの兵器を積んだ船がなんでこんなところにいたんだろう。ウクライナは旧ソ連を構成した国だがソ連崩壊で独立、独立後はロシアと何かと微妙な関係になっていて、旧ソ連の兵器類を売り飛ばしているという話は聞いていた。今度貨物船に積まれていた戦車などもそのたぐいのようで、公式にはケニア政府に売却するものとなっている。しかしイギリスBBCなどが報じたところによると、積み荷の送り状には「南スーダン政府」の略称が記されており、表向きにはケニアを経由して、実際にはスーダンの南部勢力が樹立した「南スーダン政府」に武器を横流ししようとしたのではないかとの疑惑がもたれている。スーダンは2005年にひとまず南北間の内戦が停止しているが、この武器によって南北のバランスが崩れ内戦再開の恐れもあると懸念されている。このあたり、武器商人の世界を描いた傑作映画「ロード・オブ・ウォー」を地で行くような話である(あれも主人公がウクライナ出身で、ソ連崩壊後同国から武器をあの手この手で密輸する)。こうなると海賊どものほうがよっぽど「人道的」にすら思えてくるな(笑)。

 11月にはサウジアラビア国営石油会社の超大型タンカー「シリウス・スター」が海賊たちに奪取された。乗組員25人(フィリピン、サウジ、クロアチア、ポーランド、イギリスなど)は人質とされ、タンカーに積まれた原油200万バレル=1億ドル相当も海賊たちのものに。そして海賊たちが要求した身代金は2500万ドルとこれまたかなりふっかけてきた。この交渉でも多少の値切りはあったらしいが、ロイター通信の取材に応じた海賊メンバーの一人は「このタンカーを乗っ取るためにわれわれは多くの費用をかけている」として、実は奪取のために50万ドルの出費があり、要求額はそう不当ではないと主張していた。こう聞くと海賊というのもなかなか大変な「産業」なのでありますな。かのアルセーヌ=ルパンも「一つの町の予算ぐらい出費がある」と発言したことがあったっけ(笑)。
 ところでアメリカ政府も実際に言ってたような気がするが、この手の海賊行為の身代金がソマリア国内にもいるイスラム原理主義などのテロ組織に流れてしまうと懸念する声がある。もちろんその懸念が無いとは言わないが実のところ話はアベコベで、「シリウス・スター」奪取の報を聞いたソマリア国内のイスラム原理主義武装勢力は海賊たちの拠点の村を襲撃、タンカーの解放を試みている。なぜかといえば「シリウス・スター」がイスラム原理主義の心のふるさと(?)サウジアラビアの船であり、莫大な身代金はサウジ政府に多大な損害をあたえるためだ。実際、取材に応じたイスラム原理主義組織のリーダーは海賊との関与を完全に否定している。
 
 ソマリア海賊の跳梁に、各国は軍事的な動きを見せ始めた。ウクライナ貨物船にロシア人が乗っていたことからロシア軍艦も出動したし、武器の流出を警戒してアメリカ海軍やNATO諸国の艦船も出動した。自国民の被害も多く出ていることでインド海軍も出動、インドのフリゲート艦が11月18日にオマーン沖で「海賊船団」を発見、その母船を攻撃・撃沈して「戦果第一号」のように報じられたが、数日後にこれが完全な誤認で、撃沈されたのはタイのトロール漁船であったと判明した。乗組員の大半が死亡・行方不明になったが、カンボジア人乗組員一人が四日間の漂流の末に救出されて真相が判明したのだ。これではインド海軍が海賊行為をしたと言われちゃうわなぁ。
 EUとしてもソマリア沖に海賊対策の大がかりな海上作戦行動をとることが決まったが、それをドイツ海運業界が大喜びしている、という報道も目を引いた(毎日新聞より)。ドイツはEU最大の海運国でありソマリア沖海賊の最大の被害者との話もあるから当然喜ぶのだが、もう一つかの業界では頭を悩ませている問題があったというのだ。それはアメリカやイギリスの「民間軍事会社」からの売り込み攻勢だ。イラク戦争でも注目されたあの「現代の傭兵」連中である。「ブラックウォーターUSA」などの民間軍事会社がドイツの船主たちに武装警備員の搭乗や武装船の随行をしきりに売り込んでいたのだそうで、船主側ではうっかりこういう連中の協力を受けると流血の事態が起こる可能性ありと警戒、業界全体で彼らの売り込みに応じないようにと取り決めをしていたというのだ。ドイツ船主協会の事務局長は「彼らの活動にまともな法的根拠はない」とまで言い切ったという。こういう戦争ビジネスの皆さんも海賊さんたちといい勝負に見えるんだがなぁ。

 ソマリア海賊対策では中国海軍の艦船が出動したのも注目だった。これまでPKOには参加したこともある中国だが、海軍の軍艦が作戦行動としてこんな遠くに来るのは初めてで、中国の新聞などでは「鄭和以来の壮挙」と大きく報じられていたそうな。鄭和とは15世紀はじめに明・永楽帝に仕えたムスリムの宦官で、大艦隊を率いてインド洋各地をまわり、艦隊の一部は東アフリカにまで達したとされている(アメリカ大陸まで行ったとするイギリス人が描いたトンデモ本があったな)。こういう話を持ち出すあたり、いかにも歴史の国・中国だなぁと思っちゃうわけだが(笑)。
 国連安保理の海賊制圧の決議を受けての行動でもあるが、中国が艦船を出動させた直接的なきっかけは中国・天津の漁船がケニア沿岸で海賊たちに拿捕されたことにある。この船には24人が乗り組んでいるが、中国人15人、ベトナム人4人、フィリピン人3人、台湾人1人、日本人1人という、なんとも「後期倭寇」そのまんまな多国籍構成で、それは人質の側なのに海賊史専攻の僕はついついニヤニヤしてしまった。こういうところにも「現代世界の縮図」が見えてくる。
 もちろん中国指導部としては単なる「海賊対策」だけで海軍艦船を派遣するわけではない。はしなくも「鄭和」のフレーズから連想されるように、たぶんに政治・外交的アピールを含んだ「示威活動」の面は大きいだろう。以前から噂されていた空母建造も公式に表明した時期にもあたるし、今度の作戦でアメリカを含むNATO各国軍とも情報交換・共同作戦を行うことが明らかになっている。昨年10月にアメリカが台湾への武器売却をしたことで米中両国の軍事交流は中断したが、これを機に2か月程度であっさり再開。アメリカ太平洋軍司令官までが中国海軍のソマリア出動を歓迎する発言をしていた。

 で、こういうことになると慌てるのが我らが日本。「後れを取るな」とばかりにソマリアへの自衛艦派遣の話が急ピッチで進められた。表向き口にはしないが中国の動きに焦ったような論調がチラホラ、単に「日本も海賊対策しなきゃ」といえばいいのに、なぜか必ず中国艦船の出動を枕詞のように入れていた。何年か前にビートたけし「他の女に乗り換えた男に捨てられそうになった女が、『捨てないで〜』とますます貢ぐような」と的確なギャグで例えていたのを思い出すなぁ。まぁ日本の船舶だって被害は受けてるわけだし、世界各国と協力して海賊対策に乗り出すこと自体は間違ってはいないだろう(実際、ドイツ同様に日本の船主協会も海賊対策は要請している)。ただ、どうも日本政府は「まずアメリカ様に怒られないようにしなきゃ」ってことを第一に考えてそれ以上の構想があるのか怪しくなることが多くて。
 ただし自衛艦の派遣をどのような法的根拠のもとに出すかが結構難しい。インド洋での海上給油みたいに特別措置法を作る、あるいは海賊行為そのものを法的に取り締まる「海賊罪」の創設という手が考えられているが(もしかして、豊臣秀吉の「海賊禁止令」以来設定されてなかった?)、「ねじれ国会」の情勢のなかでは成立に手間取る。おまけに選挙では敵に回せない公明党が慎重姿勢。そこで現行法で無理やり派遣を正当化するため、「海上警備行動」で自衛艦を派遣しようということにするらしい。自衛艦の「海上警備行動」というのはもともと日本の沿岸警備を担当している海上保安庁の手には負いかねると思われる強力な武装をした艦船に対して自衛艦が出動するものをいい、1999年の能登半島での不審船事件、2004年の中国潜水艦の領海侵犯事件の2度だけ適用されたことがある。ただもともと日本沿岸での非常事態を想定した規定だけに、はるか遠くの海上まで適用するのはアリなのか、という議論はある。海上自衛隊のほうでもその調子で無制限にあちこち派遣されるようなことになると面倒と思っているフシがある。
 とりあえず現行法で自衛艦を出動させることにしても、武器使用はかなり限定される。また日本船舶を護衛することのみ限定になるので、他国の艦船が目の前で攻撃された場合どうするんだというイラク戦争の時にも言われた問題が指摘されている。さらに、海賊の身柄を確保したとしても自衛官には犯人の逮捕・送検にあたる「司法警察権」がないためそれ以上の措置ができない。そこでその資格を持つ一等海上保安士以上の海上保安官が護衛艦に乗ることになるとのこと。シーシェパード等のアタックを受ける調査捕鯨船にも海上保安官が乗ってたのと同じことになるわけだが、それでなくてもややこしい関係の海保と海自が入り乱れて外国艦船との連携とか大丈夫なんだろうか、と素人考えながら思う。

 なんだかんだでソマリア海賊の一件をずっと眺めていたら、世界中のいろんな鏡像がそこに浮かび上がって来て、素直に面白いと海賊研究者としては思うのでした。
 


◆初詣代わりに宗教ネタ詰め合わせ

 この記事を書いてる時点で、僕は今年の初詣にはいってない。ひところ近所の寺を三軒ぐらいまわって初詣するようなこともしていたが、このところはすっかりサボっている。それでとくにバチも当たってないし(笑)。神様も仏様も寺や神社にしかいないわけでもなかろうし、正月だけしかお願いを聞いてくれないなんて心の狭いことはあるまいと(笑)。
 そんなわけで、史点をサボっていた間に集まっていた世界中の宗教関係ネタをひとまとめにして、初詣の代わりにしちゃおう。

 京都にはお寺がやたらにあるが、等持院といえば足利将軍家歴代の菩提寺として有名。そもそもこの寺を「等持寺」として創建したのが初代将軍の足利尊氏で、彼の墓もここにある。そしてこの寺の霊光殿にはその初代尊氏から始まる歴代の足利将軍、および次の幕府の創設者(つまり足利家の後継者でもある)である徳川家康の木像がズラリと並んでいるも有名。この木像シリーズは江戸時代初期に作られたもので、幕末に尊王志士によって尊氏義詮義満の三代の木像の首が切り取られ、三条河原にさらしものにされるという事件でも知られる。尊王思想の「水戸史観」では南朝正統・尊氏逆賊が通説になってたし義満も簒奪疑惑や「日本国王」問題なんかがあって逆賊扱いされていたためだが、足利将軍の首をさらすことで「後継者」である徳川将軍家を揶揄する意図もあったとされる。
 その尊氏の木像が昨年9月上旬、またも被害にあってしまった。今度は首ではなく左手首(取り外し可能)がいつの間にか無くなっていたというのである。しかもその数日後には12代将軍足利義晴の手首も取り外されているのが確認された。これらの木像は文化財指定を受けておらず拝観時間中は誰でも接近が可能で、それ以前から木像の刀の柄が抜き取られたこともあったらしい。まぁ尊氏はともかく義晴なんてマニアでも知ってるかどうかというう人を選んでるあたり、特に政治的意図はないイタズラだと思うけど…それから三か月がたつが、「手首」の行方はいまだ不明だ。
 とくに宗教ネタというわけでもないんだが、昨年10月に書くはずだった史点ネタだったのでここに入れちゃおう…と書いていたら、年が明けた1月6日、茨城県古河市にある尊氏の子孫の古河公方・足利義氏の墓所で石塔と石燈籠が倒されているのが発見されたとのニュースが。まさか足利氏を狙う連続テロじゃあるまいな。


 10月はじめ、サウジアラビアのイスラム聖職者が「ミッキーマウスは憎むべきキャラクターで悪魔が隠れている。殺されるべきだ」とするファトワ(イスラム聖職者の宗教見解)を出して、ちょっとした騒ぎになった。イスラム世界では宗教は生活に密着しており、あらゆることがらについて「イスラム的に正しいかどうか」を決めておかないといけない。それが「ファトワ」で、それを決めるのが聖職者(正確にはイスラム法学者)ということなんだが、アニメのキャラクターにイチャモンをつけたのはさすがに初めてじゃないかと。なんでもこの人の見解によると、ネズミは「汚い」ものであるからミッキーも悪魔的なものだということになったらしい。
 もちろん彼一人が勝手に出したファトワであり、イスラム圏全体がそれに従うというわけでもない。エジプトの女性聖職者が「アニメのキャラクターを殺せというのはばかげており、イスラムのイメージを汚す」と批判したとか、クウェートの新聞が「暴力的なアニメではないのに。ほとんどの人は無視するだろう」との記事を載せたとか報じられていた。そもそも中東イスラム圏でもミッキーマウスは大人気で、一昨年あたりにヒズボラだったかハマスだったかの子ども向けTV番組でミッキーマウスのソックリさんが「イスラエルをやっつけろ」って騒いでる映像を見たことがあるぞ。


 同じ10月、アメリカはネブラスカ州で州の上院議員が「神」を相手に訴えた裁判の判決が話題になっている。僕はCNN日本語版で読んだ。
 訴えは一昨年におこされたもので、「神が、自分を含めた住民に対し、暴力的な恐怖を与えた」とし、「広い範囲で死や破壊、地球上の数千万人の人々にテロ被害をもたらした」として損害賠償(?)を要求したものらしい。もちろん本気というわけではなく、この議員は「金持ちでも貧乏人でも誰でも訴訟を起こせることを証明したかった」とか「法律の穴を見つけた」とかヌケヌケと動機を述べている。
 10月14日にあった郡裁判所の判決は、「裁判を進めるためには原告側が被告側と連絡を取る必要があると州法で定められているが、この訴えには被告「神」の住所が記されていない。よって裁判はできない」として訴えを却下、というものだった。訴える方も冗談みたいなもんだから、こちらも冗談で返したというところか。この判決に対し議員は「神は全知全能なんだから、住所に連絡をとらなくても訴えに気がついてるはずだ」とさらに冗談みたいな反論をしているそうな。その後控訴したのかどうかは僕の知る限りでは報じられていない。
 ただこの訴訟で言ってるように、神様がちゃんといるんなら、世界中のさまざまな悲劇も全部神様の仕業ってことにはなるんだよね。それとも黒澤明「乱」のセリフみたいに神は人間の愚行を見下ろして泣いてるだけなんだろうか。


 歴史的にみると、「平和で理想的な世の中を作ろう」という宗教的熱意がかえってケンカや対立、ひいては紛争・戦争の原因になってることのほうが多い気もするのだが…
 エルサレムといえばユダヤ教、キリスト教、イスラム教がそろって聖地としており、その奪い合いの歴史がある。そのうちキリスト教の教会である聖墳墓教会で昨年11月9日、聖職者同士の殴り合いの大ゲンカが発生、その流血の映像が世界に流されるという事態がおこった。聖墳墓教会とはズバリ、イエスが十字架にかけられ処刑されたゴルゴタの丘の跡にある教会で、キリスト教にとっては聖地も聖地。しかしそういう聖地だけにキリスト教諸派(カトリック、ギリシャ正教、アルメニア正教、コプト教徒、エチオピア正教、シリア正教)が同じ教会の中に同居してしまい、近親憎悪というやつなのか狭い教会内でしょっちゅう縄張り争いをやってるんだそうで。それこそ他の宗派の者の足先がちょっとこっちの縄張りに入った、入らない、といった子供のケンカレベルのことなんだが宗教的熱情があるだけに引っ込みがつかなくなっちゃうらしい。この日も、アルメニア正教側がキリスト処刑の十字架に祈りを捧げる行進をしていたところ、ギリシャ正教側がこれを妨害。その儀式でギリシャ正教側がキリストの墓がある聖堂内に自派の修道士を配置するよう要求したらアルメニア正教側に断られたことへの意趣返しで妨害…というんだが、それこそ神様はどう思って見下ろしているのかねぇ。

 
 11月22日、マレーシアの「国家ファトワ協議会」は「ヨガはヒンズー教の要素を強く含んでおり、イスラムの精神を破壊する」とするファトワを公表した。上記ミッキーマウスの話で書いたように、イスラム世界ではこの手のファトワが様々な分野について出るのだが、マレーシアの場合は「国家ファトワ」として公式見解のように出される。法的拘束力はないがマレーシアの国教はイスラム教なので事実上法律に近い。
 まぁ確かにヨガにヒンズー教をはじめとするインド宗教の要素が全くないといえばウソになるだろう。近年欧米や日本などでもてはやされる宗教要素抜きの健康法・瞑想のヨガのほうがむしろ「邪道」という気すらする(もっとも宗教要素ありでオウム真理教が出てきたりもしたんだが…)。ただこういうファトワがわざわざ今頃出るということは、それだけ流行してるってことなんじゃないかと。実際、僕が見た記事でもヨガ教室を40年来やってるというマレーシア人講師が「健康法であり、瞑想をするだけで、マントラを唱えるといった宗教性はない」と今度のファトワに反論を出していることが書かれていた。


 11月22日、バチカンのローマ法王庁の日刊紙「オッセルバトーレ・ロマーノ」はビートルズの2枚組アルバム「ザ・ビートルズ」発売40周年を記念する記事を載せたが、その冒頭でジョン=レノン「ビートルズはイエス・キリストより有名」と発言したことに触れ、
「当時は主にアメリカで激しい憤りを招いた言葉だったが、今日ではエルビスやロックンロールの伝説の中で育った英国の労働者階級の若者が思いもしなかった成功に酔い、つい口をついて出たジョークに聞こえる」としてレノンの発言を「若さゆえのあやまち」として大目に見てやろうという趣旨のことが書かれていたそうで。僕は知らなかったのだが、レノンのこの発言はとくにアメリカ南部のキリスト教保守層の激しい反発を買い、レコードの不買運動やら破壊運動やらがあったんだとか。しかしまぁ今度の記事もまたずいぶん見下した言い方だよなぁ。
 そのバチカンで12月21日に行われた礼拝のなかで法王ベネディクト16世は、16世紀に地動説を唱えて宗教裁判にかけられた科学者ガリレオ=ガリレイの業績について「自然の法則は神の業に対する理解を促した」と表現、その功績を公式にたたえている。ガリレイ裁判については先代の法王ヨハネ=パウロ2世が1992年に公式に教会の過ちを認めて謝罪しているが、ベネディクト16世は枢機卿時代に「ガリレオ裁判は(当時においては)間違ってなかった」と発言して問題になったこともある。法王は「ガリレオの望遠鏡による初の天体観測から400年になる」とも述べていたが、なるほど、ガリレイが天体望遠鏡を製作して宇宙を初めて覗いたのは400年前の1609年のことなのだった。
 地動説がらみでは、11月にポーランドで発見されたコペルニクスの頭蓋骨」とされる骨が、本人の毛髪(著書にはさまっていたそうで)を使ったDNA鑑定によりやはりコペルニクス当人のものだと断定された、なんてニュースもあった。


 12月25日はクリスマス。もともとキリスト教の行事だが(いや、もとをたどるとそもそもキリスト教と無関係という見方が有力)、宗教的にはいい加減な日本をはじめとする東アジア人はもちろんのこと、イスラム世界でもフツーにお祭にしちゃってるところも多い。昨年「独立」を一方的に宣言したコソボはアルバニア系住民が多数派でその多くがイスラム教徒というんだが、どっかの新聞で見た現地リポートによると日本と変わらずクリスマスでお祭り騒ぎしているそうだ。
 イギリスのテレビ局チャンネル4では毎年クリスマスに多彩な人物によるクリスマスメッセージを放送するのが恒例になっているという。女王エリザベス2世が毎年出すメッセージに「対抗」するものなんだそうだが、過去にはアメリカの黒人指導者ジャクソン師、911同時多発テロの経験者、はたまたアニメ「ザ・シンプソンズ」のキャラクター・マージ(!)がメッセージを出したという。で、今年は…なにかと過激な発言で欧米と対立するイラン大統領・アフマディネジャド氏がメッセンジャーに選ばれた。
 放送を見たわけではないが、期待された(?)ような過激なふっ飛ばしもなく、いたって平和的なクリスマス・メッセージであったらしい。クリスマスはイエス生誕の日ということになっていて、イスラム圏でもイエスは預言者の一人として敬愛の対象だから(といってさすがに「神の子」とは認めないが)、アフマディネジャド大統領のメッセージは主にイエスをたたえる内容になっていたようだ。大統領は「イエスは正義と人間愛、暴政や差別、不正に対抗する拳を持っていた」とし、「イエスが今日生きていたら、世界経済や政権の非道な政策と戦うのは疑いない」と述べたといい、欧米への皮肉もしっかり混ぜてあったのだった。


2009/1/8の記事

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