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2009年1月26日

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◆今週の記事

◆年末年始も休まずに

 コンビニやスーパーの話ではない。紛争・戦争というやつには盆も正月もないのである。
 昨年の末から、パレスチナ情勢がまたもやキナ臭い展開になっている。この記事を書いてる時点で、ひとまずイスラエル側もハマス側も停戦を表明してようやく「正月休み」になりそうな感じではあるんだが…(「旧正月」?)

 「史点」を書き始めてぼちぼち10年になるんだが、その間何度も繰り返されたのが、イスラエル軍の侵攻というやつだ。正直なところ「またかい」というぐらい、ニュース的には新鮮味がない。この10年間ほとんど進歩がないんじゃないかと思うぐらい。
 昨年末、12月19日にガザ地区を支配するイスラム原理主義組織ハマスとイスラエルとの間で結ばれていた半年間の停戦が失効した。停戦を仲介したエジプトは停戦の延長に動いたが、ハマスはこれを拒否、イスラエルに向かってロケット砲による砲撃を開始した。この砲撃によりイスラエル兵1名が死亡し、それへの反撃という形で12月27日からイスラエル軍はガザ地区に対し大規模な空爆を開始した。イスラエル軍が本気を出して軍事作戦をやってしまえば、ハッキリ言ってゾウとアリの戦争、ほとんど一方的な攻撃になり、停戦までの3週間で1300人余りの死者が出た。その大半はガザの一般市民で、400人ほどが16歳以下の子供であると言われている。ほとんど「虐殺」と断じる声もあるほどだ。
 
 どっちが正しいとか間違ってるかという話になると、僕は率直なところ「そもそもあそこにイスラエルを建国したのが間違い」という意見なんだが、それは今さら言ってもどうしようもないとも思う。こんなこと半世紀以上もやってるんだから、いいかげんパレスチナ人や周囲のアラブ諸国もどうにか共存の道を開こうとして、冷戦終結以降、紆余曲折ではあるがそれなりに平和模索は進んではいるわけだ。しかしそういう動きが進めば進むほど、そこに矛盾が生じてさらに火種を呼ぶことにもなる。
 「ハマス」という組織はパレスチナ難民の間で育ってきた宗教的自助団体といったところから始まったそうで、皮肉なことに当時アラファト率いる「ファタハ」を中核とするPLO(パレスチナ解放機構)と戦っていたイスラエルが世俗的なファタハに対抗させるためにハマスを援助・育成した過去もある。その後PLO主流派がイスラエルとの和解・共存に傾くなかハマスはそれに反発してイスラエルに対する攻撃(とくに自爆攻撃)を強めることになったわけで、この辺の事情はかつてアメリカがソ連に対抗するためにアフガニスタンのタリバンやアルカイダを後方支援して後に「手を噛まれた」歴史とも似ている。
 イスラエルとの共存を進めたファタハはパレスチナ自治政府を代表したが、政治腐敗やイスラエルに対する妥協が批判され、パレスチナ人たちの支持はファタハよりもハマスに集まることになった。選挙ではハマスがパレスチナ国民の強い支持を受けて議会で第一党となり、国家元首(大統領)はファタハのアッバス議長がつとめるが内閣はハマスという二重構造に。結局これは無理になってファタハはハマスの排除に乗り出し、ハマスはガザ地区を武装占拠して事実上の内戦・分裂状態を作り出した。これに対してイスラエルはガザ地区を占領、あるいは封鎖して経済的・軍事的に孤立させつつ、ハマスの壊滅を狙ってその幹部の命を直接狙う「暗殺作戦」を繰り返してきた。ハマスの創設者の一人であるヤシン氏暗殺を実行した時のことは「史点」でも書いていて、当時のイスラエル首相で、パレスチナ和平を破壊に追い込んだ張本人とも言えるシャロン氏は、あのころの「史点」の常連登場人物だったものだ。そういえば事実上死んだようなものだが、亡くなったとはまだ聞かないな。
 
 ナチスをはじめヨーロッパで迫害され続けた過去があるせいか、はたまた現実問題として「周りはみな敵」という状況にある切迫感があるせいか、イスラエルが国家として繰り返す手段を選ばぬ作戦行動はこれまでにも何かと物議を醸してきた。かつてのナチス残党の追及ぶりや、スピルバーグ監督の映画「ミュンヘン」でも描かれたテロに対する報復テロ、イスラエルの核保有情報を暴露しようとした技術者の誘拐作戦など、情報機関モサドによる他国主権の侵害も辞さない数々のスパイ大作戦は語り草だ。またイラクに核開発疑惑が起こった時はその原子力発電所を直接爆撃、破壊したこともある。イランの核開発疑惑に対しても「直接攻撃」が噂されていたが、やっぱり昨年に核施設攻撃作戦を実行に移そうとしてアメリカのブッシュ政権から必死に止められていた事実が明るみになっている。
 レバノンやガザ地区その他への軍の侵攻作戦は誤爆も何もあったもんじゃなく無関係の一般市民を多数殺害した。イスラエル側に言わせると「テロリスト」がそういうことをするから、ってことになるんだが、今度のガザ侵攻を見てもわかるように軍事力では比較にならないほど圧倒的に強大な力で、一方的にやってる観は否めない。そして今度の侵攻でも実のところ最初から見えていたことなんだが「どっか適当なところでやめて引き上げる」ことになって、結局いたずらに無関係の死者が出るだけの結果になる、というパターンを繰り返している。イスラエルが本気で「テロ」を根絶するにはそれこそ「ホロコースト」を実行しなきゃならないのが現実だからだ(白旗持って出た住民を射殺したとか、建物の中にわざと大勢収容させて爆撃したとか、ホントに「ホロコースト」みたいな話も報じられてるけどね)

 そもそもこの侵攻作戦の実行は、「選挙が近いからじゃないか」という見方も強い(「銀河英雄伝説」にありましたね、このセリフ)
 イスラエルの総選挙は2月10日に迫っている。侵攻作戦直前の世論調査による選挙結果(総議席120)予想では、与党の一角をなし元首相で現在国防相をつとめるバラク氏が党首をつとめる「労働党」は8議席、かつてシャロン氏が党首だった右派「リクード」が30議席、シャロン氏がリクードを離れて作ったやや中道とされ連立政権の中核となっている「カディマ」が20議席という予想がなされていた。軍人出身者が多いがラビン元首相のようにパレスチナ和平を推進する穏健派の志向を示す労働党はラビン氏暗殺後急速に支持を失い、ほとんどジリ貧まで追い詰められていたのだ。
 ところがガザ侵攻がバラク国防相の指揮のもとで実行されたことで、直前にニューヨーク・タイムズ紙に「生ける屍」と評されるほど不人気だったバラク氏の株が急上昇。その電撃作戦ぶりに労働党員は「イスラエルのマッカーサーとまで評し、最新の世論調査では労働党は一気に支持率を回復して当初の予想より倍増の16議席をとる勢いだとされている。もちろん現在の首相はカディマを率いるオルメルト氏だからことは単純ではないのだが、放置していたらリクードその他の右派・極右政党に政権を奪われる可能性が高く、それならこちらが先手を打って強硬姿勢を、という考えにはなると思う。実際、イスラエル国民の9割がガザ作戦を支持しており、以前シャロン政権で実行した強硬策の時にみられた反対意見は今のところ影をひそめている。
 その情勢に内心面白くないのだろう、有力な極右政党のひとつ「我が家イスラエル」リーバーマン党首は講演の中で、「第二次大戦中に米国が日本に対して行ったのと同様、ハマスとの戦いを続けなければならない」と発言、ハマスの力を徹底的に排除、屈服させるすべしと力説したという。ところでマッカーサーの例えといい、なんで第二次大戦時の日本の例えがよく出てくるんだろう?自爆攻撃とか玉砕のイメージでも重なってるのかしらん(日本では右派系でイスラエル支持者が多いんだが面白いぐらい同床異夢)
 …もしかすると今度の侵攻は選挙前の景気づけ、「定額給付金」みたいなもんだったのかもしれない。それで殺されるほうはたまったもんじゃないが。

 そして、毎度のことだが圧倒的な力を持つイスラエルが暴走をできるのも、後ろ盾にアメリカ合衆国があるから。国際世論がどんなに非難しようと、アメリカ政府だけは絶対にイスラエルを擁護する。過去にイスラエルを非難する決議が何度となく国連安保理でなされたが、そのたびにアメリカが拒否権を発動してつぶしてきたものだ。アメリカ国内の経済界・政界に影響力をもつユダヤ系国民の後押しがあるためとさんざん言われているのだが、こうした姿勢が「イスラエルとアメリカは一体」とみなすアラブ・イスラム諸国の視線につながり、ひいては「911テロ」にまでつながっている。そういえば今回のガザ侵攻を受けて、南米の反米政権の急先鋒であるベネズエラボリビアがイスラエルとの国交断絶を表明していた(正直、あまり意味がないと思うが…)
 今回、国連安保理で停戦を求める決議案の採決ではアメリカはさすがに反対はせず、「棄権」という対応をとった。一時は法的拘束力のない「安保理議長声明」という形を模索したが、アラブ諸国が反発、アメリカが拒否権を発動しようとイスラエルのガザ撤退明記を含む決議案を提出した。結局イギリスが間にたって折り合いを付けた「ガザ撤退」明記の決議案で1月8日に採決が行われ、賛成14の棄権1で成立。まもなく政権交代を控えるアメリカは反対はさすがに避けたのだ。それでもイスラエルは軍事作戦をすぐには止めなかった。どうもこのあたり、イスラエル自体が満州事変の折の日本に似てくる。
 イスラエルが一方的に「停戦」を表明したのは1月18日。これに応じる形でハマス側もひとまず停戦を表明、イスラエル軍はガザ地区からの撤収を開始した。念入りなことにオバマ新大統領の就任式までに撤収を完了する」とはっきり表明しており、当初からささやかれていた「この侵攻作戦はブッシュ政権終了間際の“駆け込み”じゃないのか」という見方を自らアッサリと認めてしまった。なお、この見方は1月14日にネット上で公表されたオサマ=ビンラディンと思われる男の声明でも言及されている。
 もちろんオバマ・民主党政権がイスラエルに反対する姿勢をとるとは思えない。実際、ガザ侵攻が世界の注目を集める中でもオバマ氏はほぼ沈黙を守り(ギリギリで発言はしたが状況を憂慮するといった表現にとどめた)、大統領に就任してからも最初に言ったのは「イスラエルの自衛権を支持する」というありきたりなものだった。なにやら意外がる声がマスコミなどで見受けられたが、過去の民主党政権での発言をみれば十分予想できるはず。ただブッシュ政権ほどイスラエルを甘やかさないであろうことは予想され、大統領になって最初の外交活動がイスラエル・パレスチナ首脳との電話会談だったことは何らかの「チェンジ」を起こす可能性はあるかもしれない。
 
 で、結局この騒ぎはなんだったんだ。
 イスラエルは選挙前の景気づけに成功し、ハマスは国際社会へのアピールとパレスチナ国民の支持獲得に成功。はた目にはイスラエル軍がハマス戦闘員の増加に一役買ってるようにも見え、「マッチポンプ」という気もしてくる。



◆前24世紀のマミー

 僕は一本も見たことがないんだが、「ハムナプトラ」という変なタイトルの人気シリーズ映画がある。見たことがある人はご存じだろうが、この「ハムナプトラ」は邦題で、英語原題は「MUMMY(マミー)」という。「MUMMY」とは「ミイラ」のことで、これじゃあ原題のままで公開する気にはならないだろうな。
 エジプトといえばピラミッド、そしてミイラが名物だ。ピラミッドはさすがにデカいのを作った時期はそう長くはないのだが、死後の魂の不滅を信じた古代エジプト人たちは魂の戻るところである肉体を保存するためミイラづくりに躍起になった。2002年に僕はロンドンの大英博物館を見物してきたことがあるが、ミイラだらけの展示室には少々呆れたものだ(笑)。発掘された墓はあらかた盗掘されているため宝物の類はあまりなく、ミイラしか残ってないからという事情もあるんだろうけど。

 昨年11月、エジプトはカイロ近くのサッカラにある、第6王朝の初代ファラオ・テティ(在位:前2345―前2333?)の墓のそばから一つのピラミッドが発見された。ピラミッドといっても高さ14mほどのもので、テティの墓の「付属墓(日本の古墳で言うと「陪塚」)」だとみられている。こうした「付属墓」はその中核となる墓の主の親族が葬られてるのが普通で、テティの墓のそばには彼の妃であるイプトクイトのピラミッドがすでに見つかっているという。このたび発見された3つ目の付属墓も妃の一人か…と思いきや、見つかった当初から被葬者の有力候補は決まっていた。テティの母親、シェシェティ女王だというのだ(英語表記をみると「セシェシェト」と読むようだが、日本の記事では全部この表記だったので従っておく)
 
 新王朝を開いたファラオの母親だから、いわゆる「国母」であるわけで別に「女王」になった事実はないらしいのだが、その当時かなりの権勢と影響力をほこった女性だったと考えられている。息子のテティは母親を敬愛すること激しく、自分の娘に全て母親と同じ名前をつけたといい(「本名」を同じにして「通称」を別々にしたらしい)、政府の高官の葬儀のための収穫物をとる「葬祭領地」の名前が彼女の名にちなんでいるケースも2つ確認できるという。詳しくは分からなかったが、当時のものである石片や、当時の高官の墓の中にある文章に彼女についての記述があるそうで、単なる「国母」以上の存在であった可能性が高いとみられていたようだ。
 そもそも彼女の息子・テティは第6王朝を開くまでにいささか複雑な経緯があったものと推測されている。この時代は記録があまりない(墓の中に碑文を残しておく習慣がこのころようやく始まるそうで、シェシェティの墓にも碑文がない)ためはっきりしたことがわからないのだが、前の第5王朝の最後のファラオ・ウナスには男子が生まれず、その娘と思われるイプトと結婚することでテティが新たなファラオとなり王統を引き継いだと考えられるらしい。最近日本の皇室でも話題になった「女系相続」で、エジプトでもこれは「新王朝」と認識したわけだ(日本では継体天皇のケースがこれによく似ており、「新王朝」説がある)。しかしテティの出自はいま一つ不明で、僕が参考に読んだあるエジプト史本ではテティの母・シュシェティがウナスの妃で、テティはウナスにとって妃の連れ子かあるいは実子かと思わせる記述があった。ずっと後年のクレオパトラも弟と結婚してるからテティとイプトが父が同じきょうだいであった可能性もあるんだろうけど、それだと「新王朝」と認識する理由もなさそうに思う。とまぁ、とにかくはっきりしたことが分からないわけで、どうやらこの「王朝交代」劇のなかでシェシェティが重要な役割を果たしたのではないかと推理されているということのようだ。

 シェシェティの墓と思われるピラミッドの中からは亜麻布にくるまれた女性のミイラの一部(頭部・脚・骨盤・胴体の一部という)が発見され、調査・分析の結果が今年1月8日にエジプト考古学評議会から発表された。同評議会のザヒ=ハワス会長は「ピラミッドの中に女王の名前を見つけることはできなかったが、あらゆる痕跡は遺体がシェシェティ女王であることを示している」と事実上の断定表明をした。王朝のファラオたちとのDNA鑑定などは特に行う予定はないとのこと。
 それにしても…テティにしてもシェシェティにしても、紀元前2300年代中ごろ、つまり現在から4300年以上の前の人なんだよね。日本があのてんでアテにならない神武天皇の建国話でせいぜい2669年前の話だぞ。そんな大昔の人物がちゃんと確定できて墓も「当人」も見つかるとは…



◆20年も経つと

 今年は平成21年。平成もとうとう20年やってるわけだ(一見アレっと思うけど、「0年」ってのは存在しないからなぁ)。今年から平成生まれの成人が登場する。「昭和」の記憶自体がまるでないという世代がドンドン増えていってるわけですな。
 昭和天皇が亡くなったのは1989年1月7日早朝。その日のうちに「平成」の新年号が発表され、公式には翌1月8日から「平成元年」となった。この「昭和最後の日」のTVはNHKも民放も昨年来用意していた「昭和回顧番組」ばかりになってしまったが、国民の大半は新元号以外はあまり興味もなく、見るものがないからレンタルビデオ屋に殺到した。「平成」に変わる瞬間に何かイベントがあるんじゃないかと皇居前広場にやって来て何もやってなくてガッカリして帰るギャルたちがいた、なんて報道もあったっけな。
 このときの首相は竹下登。そう、最近ではDAIGOのおじいちゃんとして有名である(笑)。「平成」の新元号を発表したのは当時の官房長官でのちに首相となった小渕恵三。いずれもすでに故人であり、その死去の話題は「史点」でもやっている。「史点」もかれこれ10年になりますからねぇ。
 この竹下内閣は「消費税」を初めて実現した内閣で、この年の4月1日から3%の消費税がスタート、リクルート事件の余波もあって支持率が消費税税率なみに下がってしまった竹下内閣は6月に総辞職する。次の首相は宇野宗佑となったが女性スキャンダルにより参院選敗北で2か月で辞任。続いてまったくノーマークだった海部俊樹が後継首相となり、意外やこれがそこそこの長期政権になっていく。この年、日本は三人も首相がいたことになるのだが、世の中はまだまだバブルの夢の中。「昭和元禄」の余波を楽しんでいた頃である。まるで「昭和」とつきあうように、手塚治虫美空ひばり古関裕而松下幸之助松田優作田河水泡…と、時代を象徴するような各界の大物が次々と世を去った年でもある。

 この1989年は世界的なオオゴトの当たり年として有名だ。とくに秋以降、東ヨーロッパの社会主義政権が次々と倒れる「東欧革命」、そのなかで冷戦の象徴であった「ベルリンの壁」が崩壊したことは、どんなに鈍感な人でも「時代の劇的な変化」の風を感じさせた。12月にアメリカのブッシュ・父大統領とソ連のゴルバチョフ大統領とのマルタ会談で「冷戦の終結宣言」が出されている。
 そして中国では4月に胡耀邦総書記が死去、その死を悼む学生らの集会が民主化要求運動となっていき、6月4日にこれを武力で鎮圧する「天安門事件」が発生した。去年のチベット騒乱の時にも書いたが、正直なところあの時点で20年後の現在の中国の状況を予想した人はほとんどいなかったんじゃないかと思う。

 今年2009年は、中国にとっていろいろと重大な節目となる年だ。まず「中華人民共和国」成立からちょうど60周年。そしてトウ(ケ)小平による「改革・開放路線」のスタートから30周年(厳密には1978年12月の党大会からだが)、そしてその「天安門事件」から20周年というわけだ。昨年なんだかんだ言われつつ無事に北京オリンピックを成功させた中国が節目の今年どうなるのか、いろいろと注目されてるわけだが、今場所の朝青龍を見れば分かるように「専門家」の予想なんて、てんでアテになりませんから(笑)。
 ただ僕が見ていて、いくつか注目される動きはある。インターネットの発達により以前よりも中国における発言の自由度が上がって来ているのは確かで、当局が目を光らせているとはいえ限界はある。その中ではっきりとした政府批判、というより正確には「改革を求める声」がおおっぴらに表明される動きが出てきている。

 昨年12月9日、中国のネット上で「零八憲章」なるものが発表された。「零八」とは2008年のことを指しており、「世界人権宣言」の発表から60周年になる12月10日を期して発表した形になっている。しかし中国の人権状況の改善と憲法改正・一党独裁の廃止・人民解放軍の国軍化(人民解放軍は元来共産党の軍隊である)などを含む、大胆かつ具体的な民主化改革要求であり、当局の弾圧は必至であったため前日の発表となった。直後に載せたブログやサイトは削除され中国国内では読むことができないとされるが、なんだかんだでかなりの人が目にしたであろうと言われる。
 とくに注目されるのは、この憲章の完成度もさることながら303名もの実名の賛同署名があったことだ。人権活動家や反体制活動家などすでに当局から監視されてる人々も多いが、学者・文学者・ジャーナリスト・法律家など広範囲にわたっている。主にネット上での発表とはいえ、安全圏から騒ぐだけで何にもしないどっかの国のネトウヨのたぐいとはまるで違う。あの国で実名を出すことの勇気には恐れ入るほかはない。すでに署名した何人かは逮捕あるいは監視下に置かれたとの報道もあるが、中国もかつてと違って海外の目が常に光っているから無茶な弾圧はできまいという計算もあると思われる。
 
 年が明けた1月12日、追い打ちをかけるように、「嘘ばかり流して洗脳を行う国営中央テレビ(CCTV)の視聴をボイコットする」という宣言が、若手学者や弁護士など22名の署名と共にネット上で発表された。僕は詳しくは知らないが、これに名を連ねた人々にはメディアで論客として名をはせてる有名人も多いそうで、いわゆる「反体制」と目されてるわけではないという。しかしCCTVは人民日報・新華社通信とともに中国共産党政府の公式メディアだ。それをまともに批判してるんだから、かなり思い切ったことをしたとは思う。もっとも共産党そのものの批判ではなくCCTVを批判する形なのでやや安全、という見方もされているようだが…日本だと国営放送にあたるNHKは左右双方から「政府御用達」「偏向」と批判されたりしてますが(笑)。あのアメリカだってFOXテレビがかなりひどい報道をしてるとか、「自由の国」でも嘘が流れないとは限らんわけで。
 報道によるとこの声明では「ニュース番組は民衆の集団抗議など社会矛盾を取り上げない」「国内報道は紋切り型の慶事報道に偏重している」「大量の宮廷ドラマは征服された側の民族感情に配慮していない」などが批判されている。前の二つはまったくごもっともであるが、歴史映画・ドラママニアとしては「大量の宮廷ドラマ」とは何を指しているのかちょっと気になるところだ。僕が中国で見た、あるいは日本に輸入されたものを見た限りでは満州族宮廷を描いた清代ものがかなり多くて(日本で江戸時代ものが多いのと一緒)、むしろ漢族が征服された側になるような気もする。これまで見たものではどちらかというと少数民族に非常に気を使ってる(実態がどうかはともかくドラマとしては)印象が多いんだが…。その清だって新疆ウイグル・チベットを支配した王朝だからこれまた単純ではないけどさ。
 発起人の一人のマスコミ人は産経新聞の取材に対し、「報道の自由を求める中国の若手知識人の声をより多くの人に知ってもらいたい」と述べていた。彼自身も当局から事情聴取を受けたというが、「私たちの行為は憲法で認められている言論の自由の枠を越えていない」と主張したという。そう、「中華人民共和国憲法」では日本国憲法と同様に言論・出版・結社など表現の自由は明記されている。ただし共産党が主導する社会主義国家という体制も憲法に明記されていてそれをゆるがすようなことは許されない、という論法になる。だから「CCTV視聴をボイコットする」という主張自体で逮捕されることは一応ないはずなのだ。「上に政策あれば下に対策あり」とはよく言ったもので、この調子でジワジワといければ…しかしこの取材をしてるのがいつも「体制より」な新聞であるところが皮肉(笑)。

 1月19日、北京市内の会社役員汪兆鈞氏(60)が、ブログ運営業者を相手取って訴訟を起こした。汪氏が自身のブログで「全国人民に告げる書」と題する民主化改革を訴える文書をアップしたところ、即日アクセス不可となってしまったというのだ。もちろんネット言論に目を光らせる当局による措置(あるいはブログ業者が自主規制でやったかもしれないが)だが、ブログ業者を相手取って公然と訴訟を起こした点が注目だ。
 それとこの「人民に告げる書」の内容がまた面白い。とくに昨年秋以降の世界的な金融危機を背景に、中国経済の問題を共産党の政治腐敗の問題としてとらえ、民主化を進めなければ冤罪が増加し社会矛盾も拡大すると強く警告、そして「台湾の民主化にならうべき。民主化すれば中国は大きく飛躍できる」とまとめる。確かに、台湾だって中国の天安門事件と同時期にようやく戒厳令が解かれてから徐々に民主化が進み、政権交代が可能となって今日があり、中国民主化の方向の一つのモデルになっているのだ(ま、政治腐敗問題はこっちも深刻だけど)
 
 これから20年後というと、2029年。そのころ中国が、あるいは世界がどうなってるかなんて結局予想はできないんだけどね。90年代初頭に「中国は南北に分裂する」と予測したCIAがつい先日「2025年には中国・インドが台頭、世界は米・中・印の三極になる」なんて予測してますから。あ、この予測によると少なくともわが国での一党支配体制は完全に終わるそうです。



◆いよっ!大統領!

 アメリカ合衆国第44代大統領、初のアフリカ系大統領、「史点」史上3人目の大統領(笑)といろんな肩書きのつくバラク=フセイン=オバマ氏が1月20日に就任式を行い、ついにアメリカ大統領になっちゃった。1年前にはまだまだダークホース扱いだったから、世の中というのはなかなかわからないものだ。
 国務長官になったヒラリー=クリントンさんとの壮絶な民主党候補争いを勝ち抜いて初の黒人候補になっただけでも驚かせたが、あれよあれよという間に大統領に当選。直前に金融危機が発生したことが「ブッシュ=厄病神」観を余計に強めてしまい、それがなおさらオバマ人気を舞い上げてしまった。就任式が行われる首都ワシントンには200万人もの見物客が殺到して宿泊施設は満杯、直前に発行されたアメコミ雑誌ではスパイダーマンと共演(ただアメコミに時事ネタが入る例は多いようで、僕もロンドンの漫画店で911テロが描かれたヒーローものを目撃したことがある)、「Change」と「Yes, We Can」は世界的な流行語になり、オバマグッズが世界中でバカ売れなど社会現象を引き起こしてしまった。日本でもオバマ氏の演説集が爆発的に売れ(版元は宮澤りえのヌード集「サンタフェ」以来の売れ行きとはしゃいでいた)、福井県小浜市でのお祭り騒ぎも世界中に報じられている。ところで日本のお祭騒ぎはなんでいつも「○○まんじゅう」が登場するのだろう(笑)。

 オバマ新大統領は「初の黒人」とはいっても、父親がケニアからの留学生、母親はアメリカのカンザス州生まれの白人という混血児で、アメリカに住む黒人の大多数である「アフリカから連行されてきた黒人奴隷の子孫」というわけではない。それでも人種というのはあくまで外見上の特徴から見分けられるものだから、あの外見はどうみても「黒人」「アフリカ系」であろう(先日見終えたドラマ「ルーツ」でも出てくるが、「黒人」とされる人々にも白人の血が入ってるケースは少なくないようだ)。両親が出会ってオバマ氏が生まれ育ったのもハワイというアメリカ領土のなかでは人種雑多で特殊な地域だし、聞くところによると当人も幼い時は母方の白人家庭で暮らしたせいもあって特に自分を「黒人」と認識することはなかったという。
 オバマ氏が生まれて間もないうちに両親は別居やがて離婚し、父親はケニアに帰って政府のエコノミストとなったが1982年に事故がもとで亡くなっている。この父親がケニアの多数派であるイスラム教徒であり、オバマ氏のミドルネーム「フセイン」もイスラム教徒としての名に由来するが、オバマ氏自身はプロテスタント信者になっている。この「フセイン」というミドルネームが選挙中なにかと攻撃の対象にされたこともあったようだが、注目された宣誓式ではきっちり名乗っていた。
 オバマ氏の母親はその後インドネシア人と結婚し、息子を連れてインドネシアのジャカルタに移住、バラク少年は10歳まで4年半、この地の小学校に通っている。この小学校がイスラム神学校ではなかったかとの「疑惑」がささやかれたことがあるが、これは否定されている。もっともインドネシアはイスラム教徒がほとんどだからバラク少年がそういう環境に育った意味は小さくないかもしれない。ここで同級生たちから現地語で黒人を蔑視的にさす言葉で呼ばれたことで自らが「黒人」であることを自覚したという。このジャカルタ時代に異父妹が生まれていて、この妹はその後マレーシア系中国人の息子のカナダ人というこれまたかなりグローバルな男性と結婚している。
 その後母親は再び離婚して一家はハワイに戻るが、母親はその後仕事でインドネシアに滞在を続け、オバマ氏はハワイの母方祖父母のもとで育てられた。オバマ氏の少年時代は成功物語にありがちな苦労話はあまり出てこず、おおむね裕福な家庭に育って順調に進学、人権派弁護士から政界転身、イリノイ州議員から連邦上院議員、そして大統領、とトントン拍子に出世した、絵にかいたようなエリートコースを歩んだと言えるが(それはそれで確かに「アメリカンドリーム」だ)、複雑な家庭環境と幼い時からの人種・民族・文化が入り乱れる国際的な状況のなかで育ったことが彼の際立つ個性に大きな影響を与えているのは間違いないだろう。

 彼自身、自らの「出現」をアメリカの歴史上重要な意味をもつと考えているフシがある。あるいは意図的にそう演出しているとみるべきだろうか。大統領就任に向けての一連の彼の言動に「アメリカ史」がしばしば顔を出すのが「史点」執筆者としては見ていて興味深かった。
 とくにオバマ氏は南北戦争の時の大統領エイブラハム=リンカーンをなにかと引き合いに出す。リンカーンが「初の西部生まれの大統領」であり、「奴隷解放宣言」を発して黒人奴隷の歴史を終わらせ、民主主義の原則を唱えて分裂したアメリカを再統一した人物であるため、「初の黒人大統領」として歴史的危機に国民の結束を訴える立場の当人は強く意識せざるをえない。偶然なのかどうか、オバマ氏の地盤であるイリノイ州はかつてリンカーンが地盤にしていた州でもある。
 1861年に就任式を行ったリンカーンはイリノイ州から特別列車を仕立ててワシントン入りした。この「故事」にならって、オバマ氏はフィラデルフィアから特別列車を仕立ててワシントン入りするという演出を行った。イリノイからではなくフィラデルフィアなのは、このフィラデルフィアがアメリカの建国を告げる「独立宣言」が発せられたアメリカにとって「最初の首都」であるからにほかならない。
 ワシントンに入ったオバマ氏はリンカーン記念堂で「我々は一つ」と銘打った記念イベントを開催、「建国の父たちの夢は生き続ける」として、アメリカが現在置かれている「国難」に対して国民が不屈の精神を発揮してほしいと呼びかけている。

 就任式の宣誓では聖書が使われることになっている。以前から「非キリスト教徒が大統領になる時はどうするんだ?」との声があるのだが、オバマ氏もほとんどの歴代大統領と同じプロテスタントということで今回も問題にはならなかった(非プロテスタントならアイルランド系カトリックであったケネディの例がある)。しかしこの宣誓に使う聖書にまで「リンカーンが宣誓で使用した聖書」を博物館から引っ張り出して持ってくるとは、ずいぶん念入りな演出をするもんだと半ばあきれもした。
 僕も物好きだから夜中の2時に生中継で見物していたが、ヨー=ヨーマの録音再生込み演奏(北京五輪の開会式の「吹き替え」を連想する声もあったが、他の五輪でも似たようなことをしていたことが次々明るみになってて、実は「式典」ではよくやることなんだそうな)のあとで、ようやく予定より10分ほど遅れて大統領の宣誓式になった。そのとき思ったのが、宣誓をして初めて「合衆国大統領」になるんだから、この遅れた時間の間に何か大事件が起こったらどっちの政権が対処するんだろうということだった。あとで聞いたら宣誓そのものではなく1月20日の正午きっかりで政権移譲と決まっているんだそうだが。
 宣誓の言葉などはほとんど聞き取れなかったが、リンカーンの聖書に手を置いたオバマさんがバカにニヤニヤしてて、「リラックスしてやっとるなぁ」なんて思ったのだが、これ、実は宣誓の先導をする最高裁長官が語順を間違えてしまい、オバマ氏がちょっと困惑しつつそれに従っていた、ということだった。それで宣誓が無効になるということはないのだそうだが、念のため翌日に大統領府内で宣誓式のやり直しが行われたという。これも過去に何度か前例があるそうで。

 注目された就任演説でも「歴史」が濃厚だった。これまで演説パフォーマンスのうまさで人気を集めてきたオバマ氏だけに何か歴史に残るような「名演説」をするのではないかとみられていたが、実際にはキャッチーな名セリフもなく、かなり堅実な、とくに派手さはないものだった。強調されるかと言われた「初の黒人大統領」という点は「60年前ならレストランから追い出されたような父親をもつ息子がこうして…」と語るところにチラッと出てくる程度だった。
 全体的に、現在置かれている状況が状況だけに「国難」を強く訴え、それを国民が一丸となって乗り越えよう、と重々しく呼びかける内容となっていた。そしてそこに「国難を乗り越えてきたアメリカの歴史」が強く重ね合わせられる。
 とくに、演説終盤のこのくだりが「史点」的に注目だった(朝日新聞サイトに掲載された訳文)

  さあ、この日を胸に刻もう。私たちが何者で、どれだけ遠く旅をしてきたかを。建国の年、最も寒い季節に、いてついた川の岸辺で消えそうなたき火をしながら、愛国者の小さな集団が身を寄せ合っていた。首都は放棄された。敵が進軍していた。雪は血で染まっていた。独立革命の行く末が最も疑問視されていたとき、建国の父は広く人々に次の言葉が読み聞かされるよう命じた。
 「将来の世界に語らせよう。厳寒のなか、希望と美徳だけしか生き残れないとき、共通の危機にさらされて米全土が立ち上がったと」
(Letit be told to the future world...that in the depth of winter, whennothing but hope and virtue could survive...that the city and thecountry, alarmed at one common danger, came forth to meet)

 アメリカよ。共通の危機に直面したこの苦難の冬の中で、時代を超えたこの言葉を思い出そう。希望と美徳をもって、いてついた流れに再び立ち向かい、どんな嵐が来ようと耐えよう。私たちの子供たちのまた子供たちに、私たちは試練のときに、この旅が終わってしまうことを許さなかった、と語られるようにしよう。私たちは後戻りも、たじろぎもしなかったと語られるようにしよう。そして、地平線と神の恵みをしっかり見据えて、自由という偉大な贈り物を受け継ぎ、未来の世代にそれを確実に引き継いだ、と語られるようにしよう。

 アメリカ国民の大半にはおなじみなのだろうが、日本人の大半にはおなじみではない歴史の一場面が描写されている。この首都が放棄され、雪と氷におおわれた川岸で露営する苦難の場面は、アメリカ植民地がイギリスからの分離独立を目指した「独立戦争」の1シーンで、ジョージ=ワシントン率いる大陸軍が敗北を重ね、1777年秋に当時の首都フィラデルフィアをイギリス軍に占領され、最大のピンチに陥っていた時の話だ。演説中の「建国の父」がもちろん初代大統領ワシントンで、そのワシントンが人々に読み聞かせた文章は、独立革命に理論的根拠を与えた「コモン・センス(常識)」の著者トマス=ペインが書いたもので、その名もずばり「アメリカの危機」と題するパンフレットにあるものだ。今や世界の超大国となっているアメリカだって、こんな苦しい出発点があったじゃないか、ということをアメリカ国民にも思い出させようとしているようだ。社会主義国でよく見受ける「革命神話」の想起という気もするな。

 ところでこの演説の中で、アメリカがさまざまな信仰の人々が集まってできてる国だと強調するくだりがあり、僕にはちとひっかかるものが。

 我々はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒とヒンドゥー教徒、そして無神論者からなる国家だ。
(We are a nation of Christians and Muslims, Jews and Hindus - and non-believers.)

 えーと…「世界三大宗教」でありアメリカにもそこそこの信者がいるはずの「仏教徒」は無視ですか?ハリウッド・セレブに多いチベット仏教信者が抗議行動するんじゃないか?
 可能性は二つある。一番有力なのが「ヒンドゥー教徒と区別がついてない」可能性。ありうる、ありうる。仏教も世界中でピンキリだからなぁ。インド由来となるとゴチャゴチャに考えてるんじゃないかと。「インドに配慮したんじゃないか」との憶測もあるそうだが、現在のインドは首相がシーク教徒であり、むしろ反発を招く可能性すらある。
 もう一つの可能性が「仏教は宗教じゃない」とみている可能性。最後に配慮から付け加えられている「無神論者(無信仰者)」に入れられてる可能性がある。ちょうどこの演説の直後に曹洞宗の道元の生涯を描いた映画「禅」を見たもので、そこで描かれるほとんど無神論・唯物論的な曹洞宗教義に、そんなことを思いついた。なお、僕の先祖は代々曹洞宗の寺の檀家であり、イギリスの教会で宗派を聞かれた時も「仏教徒(バディスト)」と答えた僕であるから、演説のこの個所にはひっかかりを覚えたわけだ。草稿を書いたのは27歳の若者っていうからな〜。ま、仏教徒だとそうキツいイチャモンはつけないだろうが。


2009/1/26の記事

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