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2009年2月8日

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◆今週の記事

◆カネは天下の回りもの

 当たり前の話だが、人類の歴史において、お金(通貨)が最初からあったわけではない。「文明」発生以前から物流・交易は存在するが、それは物と物とを直接交換する「物々交換」だった。しかし経済が発達してくると物と物を直接交換するより、その仲立ちをする「代理品」があったほうが便利だということに気づく人が出てくる。そこで誰もが一定・同等の価値があると認めるものをその「代理品」として使用するようになる。これが「貨幣」の発明だ。
 その貨幣に何が使われるかはまちまちだが、古代中国においてそれが「貝」(子安貝)であったことはよく知られる。なんといっても僕らが日常的に使っている「買」「賣(売の旧字体)」「購」「費」「賄」「貨」「販」「貸」「貯」「貧」「賃」「賭」…などなどなど、カネがらみの漢字はみんな「貝」の字がついてるんだから。中国の戦国時代には金属貨幣の使用が始まり、唐代には高額貨幣の引換券として紙幣のルーツにあたるものが登場している。元の時代には赤字財政の対策で紙幣の大量発行が行われたためインフレが発生する事態も起きている。この元の紙幣をヒントにして我が国の後醍醐天皇は「建武の新政」で「楮幣(ちょへい)」と呼ばれる紙幣の発行を計画したという逸話もある(計画にとどまり実際の発行はなかったとみられるが)
 最近では「電子マネー」の普及で実体の貨幣が不要になりつつある。僕もJRの「スイカ」を2年前に使い始めて以来すっかり小銭を使う機会が減った。貨幣そのものがなくなるわけではないが、そのうち「金属や紙を使って交換の仲立ちにしていた時代を知ってる世代」などと言われるようになるのかも知れない(笑)。


 貨幣なんてのはしょせんは人間が「交換の仲立ちの道具」として発行するものだから、その額面に書かれた価値がそのまま通用するとは限らない。発行元が信用のできるところで、万一の時に額面に書かれたとおりの価値のある物品と交換してくれることが条件となっているわけで、その信用がなければ額面に書かれた数字はただの数字だ。とくに高額紙幣では下手すると文字通り「ただの紙切れ」になってしまう。貨幣価値が著しく暴落する「超インフレ」状態は、経済が破たん状態の国ではよく起こる現象だ。歴史上有名なところでは第一次世界大戦後のドイツでの「山積みの札束の給料をもらってベンチで呆然とするサラリーマン」「札束の積み木で遊ぶ子供たち」といった写真で知られる超インフレがある。このときは「100兆マルク札」なんてのが実際に出たそうだ。
 さて、現在の世界でその超インフレ状態の凄さで話題を呼んでいるのが、アフリカの国ジンバブエだ。黒人のムガベ大統領のもとで独裁的な長期政権が続いており、植民地時代からの支配層・富裕層であった白人たちから土地をとりあげるといった強行政策を推し進めたことで世界的な悪評を買っている国でもある。政治的混乱・外交的孤立に加えて富裕な白人層が国外へ出てしまったこともあいまってこの国の経済は破たん状態になってしまい、凄まじいインフレが発生して紙幣は文字通り紙屑になってしまった。
 今年に入ってジンバブエ中央銀行はインフレに対処するための超高額紙幣を矢継ぎ早に発行し始めた。1月12日に「500億ドル札」が発行されたが、そのわずか3日後にはなんと一気に「100兆ドル札」が発行されて世界をアッと言わせた(笑)。「100兆ドル札」と同時に「50兆ドル札」「20兆ドル札」「10兆ドル札」も発行されちゃったという。なお、この「100兆ドル札」が発行された時点では、これ1枚で300米ドルと交換できることになっていた。最近円高状態が続いてるから、これはそのまま日本円に換算するとだいたい2万7千円ぐらいということになる。2兆円の予算をかけて支給される定額給付金の1万2000円もらったらジンバブエドルと交換すりゃ50兆ドルになるなぁ、などとバカなことを思いついたものだが、もちろんほとんど無意味な数字だ。間もなく1米ドルとの交換に300兆ジンバブエドルが必要という相場になってしまい(こういうの、もう相場って言わないよなぁ)、「100兆ドル」持っていても単純な日本円換算で30円程度にしかならない事態となった。

 「100兆」というのがどのくらいの数字か実感するために算用数字のみで書いてみると「100000000000000」となる。これが紙幣の上に実際に印刷してあるのか現物を見てみたいものだが、それを確認する間もないうちにもう2月2日に中央銀行から新紙幣の発行が発表されてしまった。今度は「京(けい)」の単位にでもいくのかな、と思ったらさにあらず。「1兆ドルを1ドルにする」という通貨切り下げ、いわゆる「デノミ」を行ったのだ。「0」を12ケタも減らす物凄いデノミだが、実は昨年の夏にも10ケタのデノミが行われているそうで、もう焼け石に水ってやつである。その2度のデノミをやってなかったら今ごろ「京」を飛び越えて「垓(がい)」の領域に入っていた可能性がある。文字通り天文学的数字ってやつだ。
 「100兆ドル紙幣」は今年6月まで使用できる、との発表であったが、そもそも使いものにならないから流通しておらず、国民の多くは外貨を使用しているという。ジンバブエ政府も国民の外貨使用を半ば公式に認めている。それなら何度も新紙幣を発行してる意味はない気もするんだがなぁ。

 
 紙幣の話題はお隣韓国でも飛び出した。1月22日、韓国の中央銀行・韓国銀行は今年に予定されていた新紙幣「10万ウォン札」の発行を無期限延期にしたと発表している。
 現在の韓国での最高額紙幣は「1万ウォン札」で、ハングルの制定者として今や民族英雄レベルに持ち上げられ大河ドラマ化もされ、イージス艦の名前にまでなっちゃった世宗大王の肖像が描かれている。「1万」なら日本の最高額紙幣と額面の数字はおんなじなのだが、おおむね10米ドルぐらいの価値だ。昨年来の世界同時不況のあおりでウォン安円高が急激に進み、いま日本円だと700円ぐらいしか価値がない。このため日本への韓国人観光客が激減、韓国への日本人観光客が激増なんて事態も起こっている。
 そんないささか価値の低い「最高額紙幣」だから外貨との換算や国内での買い物にも不便であるため、さらなる高額紙幣の発行を求める声は高かった。その声に応じて5万ウォン札、10万ウォン札の発行が2006年末に決定され、2009年前半にも発行開始の予定となっていた。ところがこのドタンバに来ての中止だ。韓国政府は「高額紙幣が物価上昇を招く懸念がある」「カードの利用拡大などで、無理に発行する必要が乏しい」といった理由を挙げているが、5万ウォン札については予定通り発行するとされていて、中止されたのが10万ウォン札だけなのが「真の理由は別」との憶測を呼んでいる。
 僕はこの中止のニュースで初めて知ったのだが、10万ドル札はその図案をめぐってすでに議論を呼んでいたのだ。10万ウォン札の表を飾る肖像画にする人物は金九(キム・グ)と決定していた。金九は朝鮮半島が日本に植民地化されていた時期に亡命政権としての「大韓民国臨時政府」に参加、さらに臨時政府の主席となって中国国民党と連携した抗日戦を続けた、いわば「独立の志士」だ。だが日本敗北後、実際に独立を実現する過程で南北統一路線を主張、初代大統領となった李承晩(イ・スンマン)との対立を深め、朝鮮戦争勃発前年の1949年6月に軍人によって暗殺されている(李承晩政権とそのバックにあったCIAの意向との見方が強い。なお、その実行犯も1996年になって金九信奉者によって殺害されている)
 その悲劇的最期もあって、金九は韓国内のとくに南北融和を主張するリベラル系には人気があり、盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領は尊敬する人物に彼の名を挙げている。彼が10万ウォンの肖像画に選ばれたのがその前政権の時なのはむろん偶然ではない。だが一方で韓国の保守系、反共右派系からは何かと批判される人物でもあり、肖像に選ばれた時点で論議を呼んでしまっていた。昨年選挙に勝った李明博(イ・ミョンバク)大統領の政権は久々に政権を奪取した保守系だけに金九の肖像紙幣をイヤがっていたのではないかと言われている。また昨年、この紙幣の図案に入る予定になっていた国土を示す古地図に独島(竹島)が入ってないことが問題となり(そりゃ、「古地図」にあんな絶海の小島が描かれるわけがない)、発行作業は秋に中断していたのだった。
 なお、5万ウォン札のほうの肖像画は朝鮮時代の画家・申師任堂だそうで特にモメてもいないらしい。日本もこのところそうだが政治家じゃなくて文化人にしておいたほうが問題が起こりにくいと思うんだがなぁ。そういや日本でも5万円札発行計画があって坂本龍馬だ、大隈重信だとそれぞれの地元が運動していた記憶があるが、まるっきり話題にも上らなくなったな。


 その日本では自民党の一部に「政府紙幣発行」との意見が出て、にわかに注目されている。
 紙幣の全てに明記があるように、日本で流通する紙幣は「日本銀行券」であって、発行するのは日本銀行。だが過去には日本政府自身が紙幣を発行した例もある。ただし明治新政府樹立直後のまだ日銀もなかった時代とか、第1次大戦や日中戦争時の硬貨材料の不足・高騰に対応するためとか、非常時の一策ばかりだ。まぁ今の状況も「100年に一度の事態」などという言葉が独り歩きしてる状況なので、「非常時」と言い張れば言い張れるのだが…「100年に1度」って表現は確かアメリカの誰かさんが最初に口にしたんだと思うが、世界恐慌から80年しか経ってないからあまり適切な表現とは思えない。どうもそう表現することで「予想外の非常事態」と言い訳してるように見えるんだよな。
 政府が独自に紙幣を発行して市場に出回れば、単純な話「カネの量が増える」。これは国民みんなが「ちょっと金持ち」になることであるから、景気刺激になっていい作戦だ、というアイデアは結構前から出ていたそうだ。日本銀行は世の中の通貨量を見極めて紙幣を印刷・回収しているのだが、政府がこれとは別に独自の紙幣を発行しちゃう。その基となるお金はなんとタダ(印刷代のみ)。国の借金として発行する国債と違って利子もつかない。それを使って定額給付金の1万2000円なんてケチなことは言わない、20万円ぐらいポーンと配っちゃいましょう!というなんだか夢のようなお話が一部に大真面目に語られているそうなのだ。経済学者でも有効な作戦と主張する人がいるそうなのだが、経済学に全く疎い僕には「円天とどこが違うんだろう?」などと思っちゃうところだ(などと書いていたら、政界・マスコミで同ネタ多数であった)。行きつく先がジンバブエじゃなきゃいいんだけどねぇ。
 

 ところで日本では評判の悪い「定額給付金」、かつて実際に配られた「商品券」作戦だが、実はこの世界同時不況のなか日本以外の国でも行われている。台湾でも先日配布が行われてそこそこ好評、との話も聞くが。
 オーストラリアでは昨年12月のクリスマス前に「クリスマス・プレゼント」として年金受給者や低所得者層を対象に1人あたり1000〜1400オーストラリアドル(日本円でだいたい5〜8万円ぐらい)を配布している。ラッド首相率いる労働党政権らしく低所得者に対する素早い対応…と評価する声もあったのだが。
 1月になって報道されたところによると、昨年12月中に同国のビクトリア州内のスロットマシンに賭けられた金額が2億4800万豪ドル(約144億円)という史上最高額を記録していたことが判明。クイーンズランド州内でもスロットマシンの賭け金が前月比で10%増を記録。どうみてもこりゃ給付金をギャンブルに投資した人が続出したとしか思えず、野党議員やギャンブル規制派が政府批判の声を上げているという。うーーーん、まぁ生活の足しにするよりは「うまくいけば増える」投資にまわしちゃうという心理はあるでしょうな。なんせ元流刑地のお国柄だし(軽いエスニックジョークとして受け流して下さい)
 そういえば我が国でも、2月4日に千葉県は船橋競馬場(中山競馬場ではありません)で公営ギャンブルの史上最高記録となる1911万円の馬券が出たそうな。このウルトラ当たり馬券は1票しか買われておらず、買ったお方は100円が1911万円に化けちゃったことになる。わが国でも給付金の多くがギャンブルに流れるような気がするんだよなぁ…中途半端な額なんだし。



◆台湾経由太平洋行き

 現在世界中に散らばっている人間も、先祖をたどればみんなアフリカに行き着くことはもはや常識となっている。現生人類に先立つネアンデルタール人だの北京原人・ジャワ原人だのも全てアフリカで進化し世界各地に拡散したと考えられ、現生人類もおおむね25万年前ぐらいにアフリカに出現し、5万年ほど前に「出アフリカ」をして世界中に拡散していったと推測されている。その拡散の過程で言語の違いができ、文化の違いができ、民族や国家が発生していったわけで…たかだか5万年前まではみんな一緒だったはずなんですよ。そのアフリカの出口あたりがいま世界で一番ケンカが多い地域というのが歴史の皮肉。

 世界中、熱いところから寒いところまで、高いところから低いところまで、実に幅広い地域・多様な土地に人間が居住しているが、あの広い広い太平洋に星のように散らばる島々にもしっかり人が住んでいるのにも驚かされる。当然彼らの祖先は船に乗って何も見えない大海に乗り出し、島から島へと拡散していったのだ。
 南太平洋の島々の人類がどのようなルートで拡散していったのか、その興味深い調査結果が二つ発表された。どちらの調査もアメリカの科学雑誌「サイエンス」の同じ号に掲載されたもので、ひとつは言語的な調査によるもの、もう一つは胃袋の中に寄生するピロリ菌の遺伝子の調査だった(元ネタは朝日新聞の記事から)
 
 どうしても「ピロリ菌」による調査のほうに目が行ってしまう。ピロリ菌は胃酸の中で生息するうえに胃がんなどの原因になるなど厄介な寄生生物だ。ウィキペディアでみた説明によると、かつては世界中の人類のほとんどが胃の中に飼っている細菌だったそうだが、近代以降衛生環境が改善されたこともあり現在は世界人類の約半数が飼っている程度になっているという。日本だと20代で25%程度が感染しているが、40代以上では70%以上が感染するという大きな世代差が存在するとかで、これも生活環境の変化が表れたものだ。
 今回の調査では台湾、オーストラリア、ポリネシアなどの原住民の胃から採取したピロリ菌を培養し、その遺伝子のうち7つの変異を調べたという。人間は数千年レベルの集団の分岐を遺伝子の変化でたどることは不可能だが、ピロリ菌の遺伝子の変異はかなり早いため、菌の方の分岐を特定すればその「飼い主」の人間集団の分岐も特定できる、とまぁ正確な表現かどうか自信がないがそういう調査をしたらしい。

 その結果、いまから五千年ほど前にユーラシア大陸から台湾に渡り、そこからフィリピンへ、そしてポリネシアやニュージーランドへと広がっていく人類の拡散ルートが浮かび上がってきたという。この話の「台湾人」はもちろん漢族ではなく現在も山岳部に住む台湾原住民、かつて日本で「高砂族」と呼ばれていた人々のこと。この台湾原住民がポリネシア系の言語を持っていることは古くから知られていて、太平洋方面から台湾にやって来たのではないかとみる意見があったが、言語学的調査から台湾原住民の方が祖形の言語を使っているとされ、考古学的調査からも台湾から太平洋方面へ拡散したとする見解が有力となっていた。今度のピロリ菌調査はその説を裏付けた形だ。同じ号に載ったというニュージーランド・オークランド大学の南太平洋のおよそ400言語の調査でも同様の結論が出されているようだ。

 またこれとは別に、ニューギニア島からオーストラリア大陸の先住民の動向もピロリ菌により調査された。それによるとこちらにはさらに古い3万7000年前〜3万1000年前の氷河期に、陸続きになっていたスンダ列島をたどってニューギニア、オーストラリアへと拡散した先行グループがいたことが判明したという。
 もっともオーストラリアの先住民アボリジニの先祖にはそれよりさらに古い4万年前にオーストラリア大陸に住みついていた者がいるとみられているし、「出アフリカ」も何段階かあってアボリジニの先祖はそのかなり初期段階でアフリカを出たものではないかという説もある。

 それにしても人間の拡散と共に、「腹の虫」も世界中に拡散してた、ってわけですな。
 


◆スペインの「巨人」の正体は

 日本で昨年公開された「宮廷画家ゴヤは見た」という映画がある。「アマデウス」のミロス=フォアマン監督作品なのに歴史映画マニアの僕がついつい見逃してしまった一本なので中身については全く知らないのだが、「家政婦は見た!」のパロディとしか思えない邦題には困っちゃったものだ。原題がGoya's Ghosts」なので直訳だと客が入らんと思ったのは分かるんだけどねぇ…今に始まったことではないが、このほかにも日本公開の外国映画の邦題には「それはないよ」と言いたくなる例が多い。

 さて、この映画で登場するゴヤ(1746-1828)といえばナポレオンと同時代を生きたスペインの宮廷画家。1780年代から国王つきの宮廷画家となりこの時点でスペイン最高の画家の地位を手にしていたが、その後病により聴力を失うという個人的苦悩、さらに1807年からのナポレオンのスペイン侵略という動乱にぶつかり、その独特な迫力をもつ怪奇・幻想的作風と、ナポレオン戦争という歴史的事件の証言者として歴史に名を残すことになった。
 とくに美術書のみならず歴史書にもしばしば飾られる「マドリード1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での虐殺」があまりにも有名だ。ナポレオン軍に抵抗したマドリード市民がフランス軍の銃兵隊に処刑されるシーンを描いた、一度見たら忘れられない強烈な絵画だ。もちろん作り手のゴヤは目撃者の立場(まさに「ゴヤは見た!」)から当時のフランス軍に対する抗議の意思をそこに込めているわけだが、強大な権力・暴力によって無残に押しつぶされていく無力で名もなき人々を描いたそのテーマは時代も空間も超えた普遍性を持っている。とくに絵の中央で、銃を向けられ助けを求めるように両手を掲げた男性(この絵の主役といっていい)のその手をよく見ると掌に赤い傷がついているのが分かる。これは明らかにイエス・キリストが十字架に架けられる際に釘を打たれて手に開いた穴「聖痕」のイメージで、よく見れば両腕を広げた姿勢も明らかに磔刑とだぶってみえる。名もなき虐殺の犠牲者を殉教者および救世主そのものと重ね合わせて描いているのだ。ゴヤにはこのほかにも兵士たちが市民を殺害・暴行する残酷なシーンをリアルに描いた「戦争の惨禍」という作品もあり、軍隊の暴力そのものを絵の素材とするという「報道カメラマン」の先駆ともいえるのだ。
 この絵はマドリードのプラド美術館に展示されていたが、130年後にスペイン内戦のおりに空襲を避けるため移送される途中で一部が破損する運命に見舞われた。この破損部分は2004年になって修復作業がほどこされている。

 さて、ゴヤの絵画は歴史的事件のものばかりではない。美術史上初の「実在人物をモデルにしたヘアヌード絵画」として当時から物議を醸した「裸のマハ」も有名だ(同じ女性をモデルに服を着たバージョンもある)。また彼が晩年に自身の別荘である「聾者の家」の壁を飾るために描いた「黒い絵」と呼ばれる一連の作品は怪奇性に富んだ摩訶不思議なテーマの連作となっていて、中でも「我が子を食らうサトゥルヌス」はホラー絵画のはしりとも言える。なんでこんな絵を描いたのか分からないが、天才とナントカは紙一重、感性においても普通の人ではなかったのだろう。その後自由主義者弾圧を避けてフランスに亡命し(読んだ本によっては病気の治療のためとなっていたが)、フランスのボルドーで客死している。
 そんなゴヤの怪奇幻想傾向の代表作の一つとされていたのが「巨人」という作品だ。暗く重い空のもとの荒野の上に、恐らく避難民と思われる逃げ惑う人馬の群れが小さく描かれている。そして背景の山の稜線の向こうに全裸の巨人がそびえるように立ち、片方の拳をふりあげて画面左奥の方向をにらみつけている。なんだかウルトラマンとか怪獣映画を思わせる構図のこの作品はナポレオン戦争時に描かれたものと考えられ、戦争に翻弄され逃げ惑う市民たちを守るためにスペインの守護神であるかのごとく「巨人」が侵略軍に立ち向かっている様子、と解釈されることが多かった。見ようによっては怪獣の如く暴れまわる巨人から逃げる避難民たちと見えなくはないのだが…

 ところがこの「巨人」、「ゴヤの作品じゃないんじゃないか」という疑惑が近年持ち上がっていた。確かに言われてみれば他のゴヤの作品と比較してかなり荒いタッチの「やっつけ仕事」に見えなくもない。そこで所蔵するプラド美術館は専門家による調査を進めていて、昨年6月の中間報告ですでに「ゴヤの作品ではない」との判断を出していた。そして今年の1月26日、「『巨人』はゴヤの作品ではなく弟子のアセンシオ=フリアの作品である」との最終調査報告が発表された。
 最終報告によると「巨人」は、その肉体描写や光の表現、色使いなどにゴヤのものとは思えない「技術的未熟さ」があるという。そして絵の左下に「AJ」という署名があり、これがゴヤの弟子アセンシオ=フリアの頭文字にほかならないことが決定打となった。って、サインもちゃんとあったのに今まで誰も気づかなかったんかい!ネット上で「巨人」の画像を集めて拡大して調べてみたけどそんな署名は確認できなかったのでかなり目立たない形で書いてあるとは思うんだけど…
 もしかして、と思いついた「真相」が右の漫画です(^^; )

 なんでもこの「巨人」がプラド美術館に「ゴヤの作品」として持ち込まれたのは1931年のこと。この年スペインでは左派が選挙に勝利して政権を取り、王制廃止を実現している。しかし右派の巻き返しも激しく、国内は激しい対立と混乱が進んでいた。やがてこの混乱が拡大して第二次大戦の前哨戦、1936年からのスペイン内戦に突き進んでいくことになる。その内戦はこれまたスペインの巨匠・ピカソの代表作でゴヤの「プリンシペ・シオの丘の虐殺」と何かと比較される「ゲルニカ」を生み出したが、それは余談。
 そういう混乱状態だったので美術館側も絵の調査が十分できなかった、と報告書は書いてるらしい。また当時はゴヤの弟子たちについての情報も不足しており、作品の雰囲気から「ゴヤ作」と判断しちゃったところもあるようだ。弟子なんだから似てくるのは当然といえば当然なんだが。



◆社会主義国あれこれと

 またチェ=ゲバラの名前が出てしまう。昨年ゲバラの娘さんが来日した時の話題をとりあげたし、年明けから公開になった映画「チェ」2部作も第1部のほうはすでに見てきた。キューバ革命から50周年(バチスタ政権崩壊は1959年1月)の節目となる今年はさらに彼の名前を見ることになるだろう。かつての革命の同志で昨年引退したフィデル=カストロ前議長もはや重体説から死亡説まで流れる状態で、もしかすると今年がもう一つの節目になってしまうのかもしれない。
 
 そんなゲバラがらみの話題のなか、毎日新聞が載せた記事は驚かされるものがあった。「キューバにはゲバラが命名した『イナジロウ・アサヌマ工場』がある」という、分かる人には「へぇボタン」連発のトリビアなのだ(そろそろこの表現も分からん人が出てきそうだな)
 「イナジロウ・アサヌマ」すなわち浅沼稲次郎とは、かつての日本社会党委員長。その巨体と愛嬌のある人柄、社会党内の右派・左派だけでなく時には保守系政党とも手を結ぶ左右取り交ぜたバランス感覚と、「人間機関車」「演説百姓」とあだ名されるパワフルな演説上手とで人気の高かった人物だ。「60年安保闘争」では岸信介内閣を退陣に追い込み、その勢いで政権を奪取する可能性もあったと言われている。しかし社会党から右派が民社党として分離、波乱の総選挙を控えて3党合同の演説会が行われた1960年10月12日、演説中に突進してきた17歳の右翼少年・山口二矢に刺殺された(山口も11月2日に鑑別所内で自殺する)。戦後において政治家が政治的意図をもったテロに倒れた例はこれしかなく(近年の石井紘基刺殺事件で疑惑がささやかれてはいるが)、この刺殺の瞬間を写したショッキングな映像や写真は何かと目にする機会が多い。
 当時は日本のみならず世界が冷戦の真っただ中で、左だ右だと政治的に沸騰していた。キューバ革命が同時期であるのも偶然ではない。キューバ革命と同じ1959年に中華人民共和国(もちろん当時日本政府はまだこちらを承認せず台湾の中華民国と国交を持っていた)を訪問した浅沼は「アメリカ帝国主義は日中両国人民の共同の敵」という彼にしては踏み込んだ発言を行い、国内の右翼の猛烈な反発を買っていて、これがテロの標的とされる大きな理由となったとされている。一応この17歳の少年のまったくの単独犯行ということで片付けられているが、より政治的な背景があるんじゃないかとみる向きも多い。

 昨年も書いた話だが、ゲバラは革命直後の1959年7月に日本を訪問している。当時はまだ日本ではゲバラブームは起こっておらず、てんで注目されなかったためゲバラの名も顔も知っていても来日の事実を知らない人は多い。ゲバラは当時急速に工業国として経済成長をしていた日本に大いに注目しており、短い訪問時にもスケジュールを縫って各地の工場を見学、自らカメラでバシャバシャ写真を撮っていた。翌年ゲバラはキューバ工業相となり、キューバを日本のような工業国にするのを夢見ていたとの話もある。しかしそれはキューバの後援にたったソ連の意向もあって果たせず、嫌気がさしたゲバラはさらなる革命を起こすべくコンゴへ、そしてボリビアへと彷徨い行くことになる。
 キューバ東部のオルギン県にある二万人の田舎町ヒバラにある紡績工場にゲバラが「イナジロウ・アサヌマ」と名付けたのは浅沼の死の翌年の1961年のこと。毎日の記事によると当時工業省でゲバラの顧問をしていた人物は「チェはキューバが日本のように発展することを願って、新工場にアサヌマの名前をつけた」と明言していた。彼自身は「イナジロウ・アサヌマ」が何者であるか知らなかったが、「殺された日本の社会党の委員長だ」とゲバラ当人に教えられたと語っている。ゲバラは来日時にのちに首相となる池田勇人通産大臣とは通商関係の交渉のために会談しているが、調べた限りでは浅沼と顔を合わせる機会はなかったのではないかと思う。ただ工業国・日本を意識していたゲバラがその国でテロに倒れた社会主義系政党の党首の名前を強く記憶していたことは十分ありうる。そのゲバラも6年後には自身が「殺された革命家」として日本はじめ世界的に名を残してしまうことになり、「浅沼稲次郎」の名が日本国内ではほとんど忘れ去られてるような状況(社会党の名もなく、後継政党は共産党以下の弱小になっちゃったし)を思うと、ゲバラが命名した「アサヌマ」工場が今も元気に稼働中、という記事には歴史のめぐりあわせの皮肉を感じてしまう。
 この工場、2年前に大幅な経費削減に成功して国家から表彰されているそうで。冷戦崩壊後、キューバの社会主義政権もいつまでもつかとずっと言われ続けているのだが、現在の世界同時不況のなか資本主義諸国(社会主義国のはずの中国含む)が大変な事態になってる目の当たりにすると、なんだかんだでしぶとくやってくような気もする。

 
 このところ南米では反米意識(正確にはアメリカの新自由主義に対する反感)の強い左派政権が多いが、中でもベネズエラボリビアは堂々と「社会主義国」の旗印を掲げ、強烈な反米を唱えてにぎやかだ。先日もイスラエルと断交したりしてたっけな。ベネズエラのチャベス大統領はカストロ前議長にも私淑しており、そのキャラクターは今の世界の指導者でもっとも強烈と思うのだが、政権10周年の記念日を国民の祝日にするとか聞くと、スターリンまであと何歩かな、なんて気もしちゃう。
 チャベス大統領が敬愛するシモン=ボリバルの名を国名とし、ゲバラの最期の地であるボリビアでは初の先住民出身となるモラレス大統領の政権が、同国の重大な資源である天然ガス事業を国有化するなど「社会主義」政策を進めている。そしてさらにその政策を推し進めるための新憲法案に対する国民投票が1月25日に行われ、60%の賛成多数で承認されることになった。
 その新憲法の目玉は、社会主義政策とともに先住民の権利拡大の明記にあるようだ。この国でも白人系(クリオーリョ)が大地主の富裕層で、先住民系の人々は最貧のレベルにあえいできた。そこで新憲法では土地所有の上限を定めて大土地所有・土地投機を禁止、鉱産資源は国有とし、これまでのスペイン語に加えて30以上の先住民言語を公用語と認め、さらに国会議員に一定数の「先住民枠」を設けるといった内容が盛り込まれた。この内容には先住民系は圧倒的に賛成したが、当然白人系は猛反発し、とくに鉱産資源を抱える白人系の多い東部地域では反対が賛成を上回り、一部には分離独立の動きすらあるという。


 東ドイツという社会主義国がかつてあった。ベルリンの壁が崩壊したのが20年前、その翌年に東西ドイツが統一(東が西に吸収された、というのが正確だが)されているから、もう20代以下の人には実在の覚えがない国家となっている。ベルリンの壁と東ドイツの崩壊を知らぬまま長い眠りから目を覚ました母親にショックを与えないため家族が奔走する悲喜劇を描いた「グッバイ・レーニン!」という映画があって、先日放送されたのを録画して「史点」執筆までに見る予定だったのだが、その暇がなく…当時、僕の知人でまったくテレビも新聞もみておらずベルリンの壁崩壊を知らぬまま一週間を過ごして後でビックリ仰天していた人がいたのを思い出す(笑)。
 そんな映画を地で行くような報道が1月29日にあった。CNN日本版に出ていたもので、旧東ドイツ内の都市ライプチヒで「ベルリンの壁崩壊前そのままの状態のアパートの一室が発見された」という話題。アパートを改築するため建築家が空き部屋に入ってみたところ、部屋の中にあったカレンダーは1988年8月のまま。しかも部屋の中にはのコーラ「ヴィータビータ」、マーガリン「マレーラ」、たばこ「ユーヴェル」、ウオツカ「クリスタル」の瓶といった旧東ドイツの懐かしの商品がそのまま残されていたという。宛先を書き切手を貼ったハガキも部屋に残されていて、理由は不明だが何か唐突な事情が起こり、投函されなかったとみられている。
 この部屋の居住者について調べたところ当時24歳の青年で当局となんらかのトラブルを抱えていたらしいことが分かったという。1989年5月にこの青年についての捜査令状が出ているのが確認できる最後の情報だというが、秘密警察にでも連行されたんだろうか。生きていれば今は44歳を過ぎてることになるが、名乗り出たりしないだろうか。
 部屋に最初に入った建築家マルク=アレツ氏は「ドアを開けたとき、まるでツタンカーメンの墓を見つけたハワード=カーターのような感じだった」と新聞の取材に答えたという。そして「ひどく雑然としていたが、歴史的な発見のようで、過ぎ去った時代への入り口に立っているようだった」と語っている。まさに「タイムカプセル」そのまんま。改築しないで「遺跡」として保存するというのはどうだろうか。


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