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「三 つの眼」(長 編)
LES TROIS YEUX

<ネ タばれ雑談その2>

☆「三つの眼」が見せた地球の記録

 作中で「三つの目」のオープニングのあとに「上映」される映像群、それぞれ地球上で実際に起こった事件ばかりなのだが、どうしてもフランスに集中して いて(送信側も見る側を配慮しているの だろう)、日本人にはピンとこないものも多い。それぞれの映像について、補足説明をしておこう。

 作中で主人公ビクトリアンが最初に目撃する映像は、イーディス =カベル(Edith Cavell,1865-1915)と いう女性がドイツ軍に処刑される場面だった。ビクトリアンが一目で彼女だと分かったように、当時は非常に有名だった実在女性だ。「ミス・カベル」という呼 び方をしていることから分かるように、彼女はイギリス人女性。赤十字に属してベルギーの戦場におもむいて敵味方の区別なく看護活動にあたっていたが、その 立場をうまく使って英仏兵士やオランダ・ベルギーの人々の逃亡を助けたことがドイツ軍から利敵行為とみなされ、1915年10月12日に処刑されてしまっ た。彼女の行動は英雄的行 為として連合国側で称えられ、反ドイツ感情を燃え上がらせるプロパガンダの材料にもされている。戦後間もなくのこの時期ではかなり生々しい記憶だったろ う。

 イーディス=カベルの処刑は映画発明後のことなのでその映像があることに不思議はないが、トラファルガー海戦の模様の 映像となれば当然そんなものはあるはずがない。これは1805年のナ ポレオン時代にフランス海軍とイギリス海軍が戦い、流れ弾でネルソン提督を戦死させながらもイギリス軍が勝利を得た戦いだ(ノエルもネルソン戦死の瞬間を目撃する)。 ルパンもホームズ(ショームズ)相手 の一戦に臨むにあたって「トラファルガーの復讐」と言ったように、フランス人にとっては対イギリスの屈辱の敗戦として強く意識されている。

 続いてフランスのモンゴルフィエ兄弟(ジョゼフ1740- 1810、エティエンヌ1745-1799)に よる気球実験の模様が映し出される。この二人の兄弟は暖められた空気が周囲の空気より軽いことに気づき、後の熱気球のルーツになるものを発明し、1783 年6月5日に飛行実験を成功させた。確認される限り、人類で空を飛ぶことに成功したのはこれが最初となり、どうやら「金星人」もそれを興味深く見守ってい たと いうことになる。
 そして「三つの目」の映像はその発明の先にあった第一次世界大戦の戦闘機同士(単葉機と複葉機)の 空中戦を映し出し、人類の発明がもたらした悲劇的側面をも見せつける。ところで偕成社版の訳本では、この場面のドイツ軍戦闘機に「ハーケンクロイツ(鉤十 字)」があると書かれているが、ハーケンクロイツは第二次大戦時のナチス・ドイツのマークなのでかなり問題のある誤訳。創元推理文庫版の「鉄十字」が正し い。

 フランス北東部の都市ランスに ある大聖堂の建築から戦争による破壊までが一気に見られる「記録映像」も登場する。ランスはフランク王国のクローヴィスが西暦496年にキリスト教の洗礼を受け た地で、これがきっかけとなって歴代のフランス国王はランスの大聖堂で戴冠式を行うのが恒例となった。この「三つの目」の映像で映される大聖堂はこの町に ある「ノートルダム大聖堂」の ことで、13世紀の1211年から建設開始、13世紀末に基本部分ができあがったものの、百年戦争による中断もあって全体が完成したのは建設開始からなん と260年も経った1475年のことだ。
 そして第一次 世界大戦が始まった1914年の9月19日、ドイツ軍による砲撃を受けてノートルダム大聖堂は破壊され、炎上してしまう。大戦を通じて何度か戦火に襲われ ているようだが、この小説で描かれているのは1914年9月の攻撃の場面と思われる。その攻撃の現場にドイツ皇帝ウィルヘルム2世その人が姿を見せていて、ルパン・シ リーズでは『813』『オルヌカン城の 謎』への登場でおなじみだが、実際に彼がランス攻撃の現場にいたのかどうかは現時点で未確認。フランス人にとっては「心のふる さと」的な存在であったランスの大聖堂がドイツ軍に破壊されたことは当時フランス国民の愛国心とドイツへの敵愾心を激しく燃え上がらせたと言われ、本作で の描写にもその気分が非常に強く反映されている。

 歴史的名場面として、フランス革命の際のルイ16世の 処刑の映像も映し出される。ルイ16世が処刑されたのは1793年1月21日のこと。この映像が映された時は天候がよくなかったため映像が断続的になった が、王妃マリ=アントワネットの姿が みえたという客もいたとある。ルイ16世とマリ=アントワネットもルパン・シリーズでは『女王の首飾り』『おそかりしシャーロック=ホームズ』 『奇岩城』でおなじみだ。

 最後に映し出された映像は、イエス=キリストの 磔刑の場面だった。西暦30年ごろに起こったと推測される出来事で、新約聖書が伝える名場面そのままの「本物の映像」が出るわけだが、なにぶん大昔の話で あるし、当然後世の脚色もたぶんにあると見られているので、金星人が記録したイエス処刑が本当にこんなふうだったかは疑問もある。それとその顔を見ただけ でみんな「キリストだ」とすぐ認識しているようにキリスト教世界ではイエスの顔のイメージがだいたい固定されているけど、実際にああいう顔だという証拠も ない(少なくともよくあるヨーロッパ白 人的な顔立ちではなかったと推測される)。まぁそこまでいちいちツッコんでいては話が進まないし、ここはイエス処刑場面まで金 星人が目撃し、しかもどうやら金星にも同様の人物がいたらしく、深い共感をもって見つめていた、という設定のほうに素直に驚くべきだろう。

 その最後の映像の前に、太古の昔から現代にいたる、恋する男女のキスシーンが次から次へと映し出されていく場面がある。「金星人」の「性」がどんなもの なのか、という問題もあるが、ともかく「金星人」は地球人の男女のこの行為を興味深く「覗き見」していたわけである(笑)。それにしてもこのキスシーンが 次から次へ…という場面、はるかのちに作られたイタリア映画「ニュー・ シネマ・パラダイス」のラストシーンに瓜二つで、僕はビックリした覚えがある。ひょっとするとヒントぐらいにはなってるんじゃ なかろうか。


☆映画草創期の印象

 「ニュー・シネマ・パラダイス」の話が出た流れで、本作と「映画」の関係についても触れておこう。
 創元推理文庫版『三つの目』を翻訳した田部武光氏 は、「訳者あとがき」のなかで「金星か らムードンのスクリーンに投影される像は、映画が登場してさほどたたない頃の人々の新鮮な印象をよく反映していると思われる」と 書いている。確かに、スクリーンに映写する現在のような「映画」が発明されたのはルブランやルパンがまだ若かった1894年のこと。発明者はフランスのリュミエール兄弟で、翌1895年からさっそく劇場で 上映する興行が始まっている。
 その最初の映画が「工場の出口」という、ただ工場の出口に人が出てくる様子を写しただけの「ドキュメント」映画で、つづいて上映された「シオタ駅への列 車の到着」は駅のホームに入って来る列車を映したこれまた「ドキュメント」映画だった。当時の白黒で無音声の映画を初めて見た印象を、ロシアの作家ゴーリキー「まるで黄泉の国を見ているよう」と 表現していて、『三つの眼』の中で映像の出現が降霊術の幽霊にたとえられているあたり、ルブランもよく似た感想をもったのかもしれない。

 1902年には初めて本格的なストーリーがあるジョルジュ=メ リエスのSF映画「月世界旅行」が公開されていて、この中で初歩的ながらトリック撮影による映像表現が始まっている。そういっ た映画という表現の発展をリアルタイムで見て来たからこそ、ルブランは「異星人が撮影し、投影してくる映像」というアイデアを思いついたのだろう。「金星 人」からの映像が同一テーマの二部構成になっているとか、時間の流れを巧みに編集しているといった、まさに「映画的手法」そのものがなされていることも注 目点で、ルブランも当時確立されつつあった映画独特の表現技法というものをちゃんと把握していたことが読み取れる。

 ところで作中で指摘されているように、動く映像、映画というものは連続した静止画像を次々と映すことで「動いている」ように見せるものだ。その後の多く の映画は1秒24コマで撮影されているが、初期の映画は1秒間16コマで撮影されていた。青年技師プレボテルが計測したところによると「金星人」の映像 も仕組みは同じ、ただし地球の映画より高速で、1秒28 コマで撮影されていた(偕 成社版の訳文ではなぜか「一秒間に十八コマ」となっているが、原文は「vingt-huit」で明らかに「28」。校正時のミスか)。 1秒16コマの時代の28コマだから、かなりの高速ということになるわけだ。


☆金星という星

 中学校の理科でも習うが、金星は太陽系の中で地球のひとつ内側を公転する「内惑星」であるため、地球上から見える時間は限られている。金星はそれ自身で 光を放つのではなく太陽の光を反射して輝くため、地球からは日没時の西の空か、日の出の前の東の空にしか見えない。真夜中には観測者が金星の反対側を向い てしまうことになるし、一番近づいているときは地球の昼間の時間に太陽の方向にあることになるため見られないためだ。だから金星には「宵の明星」「明けの 明星」といった異名がつくことになった。
 
 プレボテル技師は映像が出現するのが朝方か夕方であること、その方向が東か西であること、そしてモンゴルフィエ兄弟の気球実験が午後四時に行われたこと などから「金星人」という推理を導き出すのだが、映像が映し出された事件の全てがその時間帯におこったわけでもなく(調べた限りではルイ16世の処刑は昼間だった)、 また金星の位置にもよるがこれだけの技術なら地球の昼間に「上映」をすることも十分可能とも思え(無理なのは地球の夜側に上映することと、金星が太陽の 向こう側にある場合)、かなり穴のある推理だ。アイデアはよかったんだけど、ルブランもそこまで科学考証をつきつめられなかっ たようだ。

 ところでノエルのダイイング・メッセージ、「ベ ルジ(BERGE)」が何を意味しているのかが、本作のミステリとしての読ませどころだが、その答えは「Berger」。「Étoile du Berger(エトワール・ドゥ・ベルジェ)」で日本で言う「宵の明星」、すなわち「金星」を意味する言葉になるのだ。この 「Berger」について、偕成社版の長島良三氏 の訳文は「涯(はて)」と 訳し、創元版の田部武光氏は「羊飼い」と 訳していて、大きく分かれている。手元にある仏和辞典をひく限りでは「Berger」には「羊飼い」の意味しか見当たらず、転じて「聖職者」にあたる言葉に なる場合があるとは出ているが、「涯」というのがどこから出てきたのか謎。ここは田部訳文のように「羊飼いの星」と訳して、それは金星のこと、と説明する のが妥当だと思う。
 なぜ金星のことを「羊飼いの星」と呼ぶのか、実のところよく分からない。「羊飼い」が聖書においては聖職者、さらにいえばキリストそのものを指す場合が あり、イエス・キリストが生まれたときに空に輝いたという「ベツレヘムの星」のイメージと重なりあっているんじゃないかな…と推測しているだけだ(実際「ベツレヘムの星」の正体を金星とみなす説はある らしい)。さらに深読みすれば、ルブランは金星人がイエスの誕生からずっと見つめていて、「ベツレヘムの星」も実は…なんて意 味まで含めているのかもしれない。

 最後に、主人公ビクトリアンの専攻研究について。
 偕成社版では「東洋語学」、創元版では「東洋学」となっていて、原文では「orientaliste」。この言葉だけだとどちらともとれるのだが、なんとなく広い意味での「東洋学」なのではないか、と推測する。もちろん東洋研究にはその地の語学が必須だろうけど。
  では「東洋」ってどこなんだ、ということになるのだが、ハッキリ言ってしまえば「アジア」全域がその対象になってしまう。本文中から彼の専攻がどの方面な のかは読みとれないが、広い意味での「東洋学」というジャンルの本場は長いことフランスにあった、という歴史もある。僕は大学で中国史畑に属していたが、 二、三世代前の中国史研究者はフランス語の読み書きが必須だったと聞かされたものだ。

 ところでこの小説はこのビクトリアンが東洋学者と して名をなし、すでに亡くなっている段階で彼の遺稿をまとめたという形式をとっている。偕成社版だと事件自体が20世紀半ばに起きたように書いているのだ が、これは誤りで、創元版のように事件についての回想録が20世紀半ばにまとめられた、ととるべきだろう(第一次大戦の記憶が明らかに最近のものとなっているため)。 恐らくビクトリアンは19世紀末の生まれで、50代を過ぎたころに事件についての回想をまとめたという設定なのだ。その彼がすでに亡くなっているというこ とは、この小説の書かれた時点は20世紀の後半、1970年代以降だと思える。そういう「執筆年代」の設定自体がすでに「SF」だったのだ。


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