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「赤 い輪」(長 編)
LE CERCLE ROUGE

<ネ タばれ雑談その2>

☆20世紀初頭のアメリカ

 ルパンシリーズはその第一作がアメリカへ渡る船の上を舞台にしていたし、ルパンの父親はアメリカで獄死したという設定もある。それほど強い存在感という わけでもないが、ルパンシリーズでも節々で「アメリカ合衆国」は言及され、あるいは舞台となってはいる。この『赤い輪』はルパンシリーズではないが、全編 がアメリカを舞台としたルブラン小説であるということにも注目してみたい。もとが映画だからそのまんまやった、ということではあるんだけど、ルブラン自身 小説を書くにあたっては彼なりに「アメリカ」というものを想像しながら書いたと思うからだ。
  調べた限りではルブランがアメリカに渡ったということはないようなのだが、初期のルパンシリーズがアメリカで大ヒットしていたということもあり、結構好印 象を持っていたのではなかろうか。先述のように『赤い輪』の前に書いた『虎の牙』はそもそも映画原作を書いてほしいというアメリカ映画会社の要望で、本国 フランスより先にアメリカで出版されてしまったという経緯がある。そのあとの『金三角』もアメリカでは「アルセーヌ・ルパンの帰還」と副題がつけられてい るし、第一次大戦に出征したアメリカ兵士たちがエトルタの別荘にいたルブランのもとへルパン新作情報を求めて押しかけて来た、という逸話もある。

 ただアメリカと言ってもこの小説で描かれるのは西海岸のロサンゼルス。そして一口にロサンゼルスと言ったってかなり広いわけで、小説中では海岸が出てくること以外とくに手がかりがない。「サーフトン(Surfton)」という海岸近くの地名が何度か言及されるが、ネット検索で調べた限りでは実在するわけではなさそうだ。
  物語のそもそもの発端と言っていい、西部の金鉱町での無法者たちの襲撃・戦闘場面は、まさに映画の「西部劇」そのものだ。もちろんフィクションなのだが、 1910年代の20年前と言えば1890年代、「フロンティアの消滅」があってそろそろその終焉が見えて来ていたとはいえ、まだまだ「西部開拓時代」といっ てよかった。金鉱発見、ゴールドラッシュ、無法者、という構図はまだまだリアリティがあったのだろう。
 そしてそういった西部開拓時代をテーマに する「西部劇映画」が生まれ、ロサンゼルス近郊にその製作の地となった「ハリウッド」が生まれたのもだいたい1910年前後。『赤い輪』は西部劇ではない が、回想シーンも含めてその雰囲気を漂わす内容になっているのは確か。舞台がロサンゼルスなのも映画製作地の「地元」だったから、ということかもしれな い。

 映画が公開された1915年といえば第一次世界大戦の最中。アメリカはまだこの時点では参戦していなかったが、1917年に連合国 側で参戦、その際にはハリウッドもドイツへの敵対感情をあおるプロパガンダ映画を作っている。この『赤い輪』の映画公開時にはまだそこまで行ってないころ だが、作中に出てくる悪徳高利貸しがドイツ系であること、シュテルン伯爵なる人物がドイツのスパイとして登場する(最初の場面では某国と名指しはしてないが、最後の裁判部分でドイツと明記されている)など、ドイツが悪役周りであることは注目される。戦争真っ最中のフランスの新聞に連載するのでルブランが手を加えた可能性もなくはないけど、原作の映画がどうなっていたのか確認しようがない。

 ロサンゼルス、アメリカ西海岸といえば、日本人読者としてはどうしても気になるキャラがいる。そう、トラビス家の召使い、日本人少年(青年?)のヤマ君だ。これはファーストネームとは思えず、姓だとしても「山田」とか「山下」の一部なんじゃないかと思うのだが、どのみち映画の作り手は深くは考えていなかったろうし、ルブランも詳しくはないからそのままにしたのだと思う。
  アメリカへの日本人の移民は明治初期から始まっていて、まずハワイ、それからアメリカ西海岸へと広がった。そうした移民の中にはこの小説のヤマのように召 使いに雇われてる者も少なくなかっただろう。幸いにしてこの映画および小説ではこの日本人ヤマはとくに差別的な描写もなく、出番が多めなのは悪役サムに脅 迫され協力させられる場面くらいものだが、20世紀に入り、とくに日露戦争に日本が勝利したあたりからアメリカでは対日警戒感も生まれて、日本人移民に対する 規制の動きも始まっている。このヤマ君がいかなる事情でアメリカにやって来てるのか説明はまったくないが、荷造りしながら日本の小唄を歌っている描写があ り、日本人としてはそのほんのちょっとの記述に胸を突かれる思いもする。

 ルパンシリーズも含めて、ルブランが小説中に日本人を登場させ たのはこれが唯一の例だろう。保篠龍緒からの依頼でルブランが「日本を舞台にしたルパンもの」を書くという話もあったと言われるが、その原稿は見つかって いない。もしそれが存在したら、某作品に一足先駆けた「来日」になるのだが…。
 ところで気になるのが、その保篠龍緒による贋作とみられる短編『青色カタログ』(1920年発表。詳しくは当該コーナー参照)「ヤマ大尉」なる日本人軍人が登場していることだ。このいかにも「外国人が作った日本人名」、ひょっとして保篠龍緒はこの名前を映画「赤輪」から拝借しているのではあるまいか。


☆日本における訳本

 小説『赤い輪』の本邦初訳も、やはり保篠龍緒が手がけていて、確認した限りでは1930年(昭和5)発行の平凡社版ルパン全集に収録されたものが最初ら しい。同じく非ルパンものの『三つの眼』と同じ一冊に収録され、「別巻」という扱いだった。その後も戦後にかけて保篠版ルパン全集の多くに収録され続け、 筆者も1959年発行の三笠書房版を持っている。
 その前書きで保篠龍緒は小説の内容が映画と同じものであると気づきつつも、スリラー・サスペン ス・事件だての手法にルブランの特徴が脈々と流れているとして「ルブランの創作と信じる」と書いている。その上で、この作品をルパン全集に入れることに大 いに異議があることは承知している、としつつも、ルブランの作風を研究する意味でこの特異な一編をこの全集に含めたと断りを入れている。ルブランの非ルパ ンものもルパン登場作品に無理やり改竄してしまったこともあるこの人だが、さすがにアメリカが舞台の作品ということもあり、本作はそのまま忠実に訳してい る。偕成社版のあとがきによると保篠版は格調はあるものの全訳ではないのだそうだが、とりあえず三笠書房版でざっと読み比べた限りではほぼ全訳と言ってい いと思う。

 他の訳本としては、保篠に続いてルパン全集訳者として名高い南洋一郎の ものがある。ロングセラーとなったポプラ社の南版「怪盗ルパン全集」全30巻には非ルパンもののルブラン作品もいくつか含まれていて、本作は『悪魔の赤い 輪』のタイトルで仲間入りさせてもらっている。南洋一郎のルパン全集は児童向けにかなり簡略にリライト、ときおり大幅に話を変えてしまっているのだが、意 外にもこの『悪魔の赤い輪』はほぼ原作どおりで、「ルパン全集」にも関わらずルパンもルパンもどきも一切登場しない全く別種の作品になっている(ルパンの「変身」が活躍、と前書きでことわっているが)。「ルパン全集」と思って読んだのにガッカリした子供も少なくないのでは。
  それでもいじっているところはある。例えばフロレンスとその母親は受刑者の更生活動をしているが、南版では「天使園」なる「愛のホーム」を作るといった具 体的な話になっている。「天使園」というネーミングはいかにも南洋一郎的だ。また、原作ではジムが息子ボブをガスで殺して自身も自殺するが、南洋一郎とし ては「父の子殺し」を認めるわけにはいかなかったようで、父子の死はガス漏れによる事故に変えられている。あと、日本人のヤマが出てくるのは原作通りだ が、サムが彼を見て「ジャップ」と蔑称を言う記述が付け加えられている。

 南版といえば表紙絵が印象的だが、手に赤い輪が浮かんだフロレ ンスの下にレイマー博士を「ちょっとルパンっぽい人」に描いてルパンものに見せかけている(笑)。そして口絵のイラストは岸壁の洞窟に住む隠者ゴードンを 描いたものになっていて、ここだけみると何の話かわからない。挿絵ではメリー(メアリー)がちゃんと黒人に描かれていて、これは南洋一郎自身が映画を見た 記憶から指示したものと思われる。原作を読む限り彼女の人種までは分からないので、これは貴重だ。
 残念ながら現行のポプラ社版「シリーズ怪盗ルパン」では非ルパンものは全て除外されており、『悪魔の赤い輪』も読むことができない。

 現時点で最新の、といってもすでに20年以上も前の訳だが、偕成社「アルセーヌ=ルパン全集」の最終巻(第30巻)が榊原晃三訳の『赤い輪』で、もっとも原典に忠実な全訳である。偕成社版といえば1980年代に刊行されたもっとも原典に忠実なルパン全集だが、その最後を飾った最終巻が『赤い輪』だった。もちろんルパンは登場しないので「別巻5」という形だったが。
  偕成社版全集は「知る人ぞ知る」の存在で、児童書であることと児童書と言うとどうしても南版に圧倒されてしまうこととで、書店や図書館で不遇な扱いをうけ ているのだが、細々ながらもしっかり四半世紀にわたって版を重ねている。偕成社版『赤い輪』は今も入手は容易だし文章も読みやすいので、未読の方はそちら をお薦めしたい(ここはネタばれ雑談なんですけど、この小説は読んでない人が多そうだし)


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