レーヌワール通りからセーヌ河岸にいたる広大な邸宅は残念ながら見当たらず。 広い敷地・円形の東屋・花壇・石段がそろっているこちらパッシー公園をエサレス=ベイ邸のモデルと仮定しました。残念ですが噴水はありませんでした。 | セーヌ川から砂山はなくなり、現在は河川道路になっています。 造船所はありませんが、頻繁に船が行き来していました。 あ!ノンシャラント号だ!(笑) |
レーヌワール通りからベルトン通りに入ってみると 右手になにやら見覚えのある国旗がはためいていました。 なんと在フランス・トルコ大使館でした。 | 裏門側には、ツタの生い茂った壁やら別館やら小説内のキーワードがウジャウジャ! いつ頃からここにトルコ大使館が存在していたのか未調査ですが「金三角」への影響を感じずにはいられませんでした。 |
なお、通りすがりのムッシューが教えてくれたのですが 「ここ、昔、王妃様の友達が住んでたんだよ。首切られちゃったけどねハハハ」(じゅんさん通訳) なんと「宝冠事件」のランバル公妃の屋敷だったのです。 そのためか、後年になって敷地を貫くように作られた通りはランバル通りの名が冠せられています。 | レーヌワール通りからセーヌ川へ下っていくベルトン通りは幅2mほどながら非常に雰囲気のあるすばらしい場所でした。 |
ベルトン通りに加えて、現在はアンカラ通りになっている道までがかつてはベルトン通りであったことが1921年の古い地図で確認できました。 これならば、確かにレーヌワール通りからセーヌ川にくねくねと曲がりくねった道だといえる! | 以上より「影の合図」の「デルヌモンの庭」は現バルザック博物館かトルコ大使館の周辺ではないかと推測しパッシー探索を終えました。 個人的には、石塀でツタの生い茂っていたバルザック博物館をデルヌモンの庭に推薦したいですね(笑) |
ビクトル・ユゴー通りの端にある、ラマルティーヌ広場の左手の食堂が広場に面した一軒家……という条件に唯一当てはまった家。 「水晶の栓」のドーブレック邸に認定! カーテンの影に隠れて見つかるのも無理はない こじんまりしたお屋敷でした。 | クルヴォー通り8番地。隣の6番地とそっくりすぎる。 |
ルブラン先生の旧居かつフェリックス・ダベイ氏のカラクリ部屋はこのあたりでしょうか? | ペルゴレーズ通りにあった唯一の一軒家。 2階以上を増設したガニマールのお屋敷はこちら? |
デュポン別荘地区へ入る門。 門が2つとも開いています! | 最奥に見える建物に一直線に向かったこちらが2014年9月12日現在のアルテンハイム邸です! 信じたくはありませんが取り壊し中でした……。 諸行無常。 |
| |
め、めげないぞ! 裏の環状道路側から見れば何か変わっているかも! (そんなわけありません) 悲しみの中、セルニーヌごっこを厳かに執行。 クッキーを2つに割ってから神妙な顔つきで食べてきました。 (じゅんさん撮影) アルテンハイム邸をごらんになりたい方はお早めに。 |
パリ・モンパルナス墓地に眠っている モーリス・ルブランの墓標を訪ねてきました。 | 時間を越え、文化を越え、海を越えて、 今なおルパンシリーズが愛されていることを墓前にお伝えし、 魅力的な物語を生み出してくれたことに感謝をしてきました。 |
アバンチュリエ登場編上巻「王妃の首飾り」より 冒頭の1コマ目のアングルから撮影した一枚。 | ルパン荘がいつの間にか撮影可能になっていました。 ルブランの書斎。 |
マリー・アントワネットの祈祷書。 あの暗号が入っていたことになっています。 | 親分のベッド。 案外シンプル。仮眠室でしょうか。 |
変装の部屋。 | 在りし日のフレフォッセ砦。 |
ルブラン生誕記念祭にて。 颯爽と登場するアルセーヌ・ルパン氏。 | ルブラン生誕記念祭にて。 左から、エーグルロッシュ伯爵、カリオストロ伯爵夫人、 アルセーヌ・ルパン氏、ドロレス・ケッセルバッハ夫人、 ボーマニャン、ドーブレック代議士。 エーグルロッシュは望遠鏡を握り締め、 ドーブレック代議士はクロロホルムつきのハンカチを 大事に持っていらっしゃいました(笑) |
アヴァルの断崖から見たエトルタの日の出。 | 干潮時間を計算して、 アヴァルの断崖の洞窟くぐりをしてきました。 |
岩の根元から。 こんなに近づくことができます! この写真だけで雰囲気をお伝えできない大きさと存在感です。 | マンヌポルトの下から。 |