怪盗ルパンの館のトップへ戻る

「バール・イ・ヴァ荘」(長編)
LA BARRE-Y-VA

<ネタばれ雑談その2>

☆バール・イ・ヴァ荘を探せ!

 「そんなことは先刻ご承知さ!セーヌ河の河口も、コー地方のことも!ぼくのこれまでの生涯が、つまり、現代史そのものが、そこで展開されてきたんだぜ!」(偕成社版、大友徳明訳)

 ベシュから電話でノルマンディーのラディカテルを知っているかと聞かれたラウール、つまりルパンは即座にこう答えている。すでに『奇岩城』のネタばれ雑談で詳しく書いたように、この地方の出身であったルブランはルパンシリーズでしばしばこの地方を舞台にしており、ノルマンディーのコ―地方はルパンのホームグラウンドといっていい。『バール・イ・ヴァ荘』はルパンシリーズの中にあってそれら「コー地方もの」の系譜に属する最後の作品となる。

 舞台となる「バール・イ・ヴァ」の領地はリルボンヌタンカルビルの間にあり、キユブーフとセーヌをはさんだ対岸にあって砂州のある「ラディカテル村(Radicatel )」だ。
 このラディカテルについて、偕成社版の解説で訳者の大友氏が「かなり詳細なフランス地図をみてもみつからない」として「架空の地名のよう」と書いているが、ネット地図を参照するとちゃんと小説通りの位置に実在していた。ただしそこにあるというセーヌの支流「オーレル川( l’Aurelle)」はさすがに架空の川のようだ。だいたいそんな川が実在したら小説の読者が殺到してしまう(笑)。
 もともと「塩辛い川」という名前が「オーレル」に変わった理由が「金が採れる」から、というのは本文からもなんとなくわかるのであるが、フランス語の「金」は「or(オール」で発音はともかくスペルはぜんぜん違う。ちゃんと確認したわけではないのだが、ラテン語に由来するようだ。フランス語の辞書を引くとスペルの近い単語で「aurifère(オーリフェール=金を含む)」「aurifier(オーリフィエ)=歯に金を詰める」があり、「champ aurifère(シャン・オーリフェール)」で「金採掘地」の意になる例が見つかる。ともあれ辞書で見た限りではそう良く使う言葉でもないらしく、それと絡んだ「オーレル」の名前の由来に住民たちが、そして小説の読者たちがすぐには気付かないのも無理はないようだ。

  上の地図をみれば分かるように、先ほど書いた実在する「バール・イ・ヴァ」はラディカテルよりもっと上流にある。また小説ではこの地のセーヌ沿岸に大きな 砂州が広がっている描写があるが、現在の航空写真を見るとすっかり畑が広がる農地となっており、大規模な治水干拓がおこなわれて様変わりしてしまったらし い。
 タンカルビルといえば『カリオストロ伯爵夫人』の クライマックスの舞台となった灯台を思い出す人も多いだろう。この地には1959年に巨大な吊り橋「タンカルヴィル橋」が完成し、セーヌ川を車で横断する ことが可能になった。さらに1995年にはもっと河口に近い位置に「ノルマンディー橋」が完成して、この地方のセーヌ渡河はますます便利になっている。

 買収された公証人書記ファムロンが飲んだくれているルーアンは、ルブランの故郷であり、『バカラの勝負』の舞台ともなったところ。作中何度か登場するルアーブル『ルパン逮捕される』の大西洋横断客船の出発地としての言及以来しばしば出てくる港町。罠に落ちてどうにか救出されたルパンが一時静養する「サン・タドレス」は「ルアーブルのニース」と呼ばれる別荘地となっていて、印象派の画家モネもこの地をテーマにした絵画をいくつも描いている有名な土地だ。

 ラディカテルから最寄りの都市であり、公証人役場もあるリルボンヌ(Lillbonne)は、物語の終盤になって実は重大な謎ときのヒントを秘めていたことが明らかになる町だ。
 本文中でルパン自身がそのまんま説明してくれているが、この地は紀元前1世紀ユリウス=カエサルによるガリア(ほぼ現在のフランスに相当)征服によりローマ帝国の支配下にはいり、この地方の中心都市として建設され「ユリウス」の名を冠したユリオボナ(Julio-Bona、なぜかルブランは「Juliabona」と表記している)がリルボンヌの前身だ。リルボンヌには三千人も収容できる古代ローマ劇場の跡が残り、19世紀に見事なブロンズのアポロン像が発掘されてルーブル美術館に所蔵されたこともある。
 ローマ帝国によるフランス支配時代(紀元前1〜後5世紀)を「ガロ・ロマン時代」と呼ぶのだが、やがてゲルマン民族がこの地域に侵入してきて5世紀に西ローマ帝国が滅亡、ルパンの言う「中世の混乱期」に突入してゆく。そのセリフで言っている「北方民族の侵入」とはノルマン人=ヴァイキングの侵入を指し(だから「ノルマンディー」になる)、「イギリスとの戦い」とは百年戦争を指す。これら中世の動乱の中でローマ総督が隠した黄金の秘密は伝説の彼方に忘れられてしまった、というわけだ。


☆ミステリとしての「バール・イ・ヴァ」

 『バール・イ・ヴァ荘』はヒロインが恐怖にかられる奇怪な事件の連発、そしてそれと同時に起こる衆人環視のもとでの謎の殺人事件と が発端となり、そこに錬金術やら、発狂した老婆の謎の言葉やら、移動する三本柳やら、神出鬼没の大きな帽子の怪人やらといったややオカルトチックなギミッ クを絡めつつ、最後には暗号を解いての「古代のお宝探し」になるという、文量が少ない割になかなか盛りだくさんな小説となっている。ルパンシリーズでいう と『奇岩城』『三十棺桶島』『カリオストロ伯爵夫人』の系譜につながると見ていいだろう(実際、ルパン自身が『奇岩城』『カリオストロ』に言及している)
 し かしそれぞれの要素の料理の仕方が薄味なこともあってかルパン・シリーズ中あまり印象に残らない作品でもある。だが今回僕はこの文を書くために改めて読み こんでみたら、これが意外に面白く読めたので自分でも不思議になってしまった。二度、三度と噛み直すと美味しくなってくる小説なのかもしれない。

 くどいようだが、このコーナーは「ネタばれ雑談」、原作を読み終えていることを前提にしてますので、ご注意を。
 この物語を「ミステリ」としての最大の読ませどころは冒頭で描かれるゲルサン氏射殺のトリックだろう。衆人環視のもとでの殺人、しかも犯人は煙のごとく消え失せている、というシチュエーションは『八点鐘』中の「テレーズとジェルメーヌ」にも通じる密室殺人の変形版といえる。現場が「密室」ではないせいか本作を本格ミステリ扱いしている評にお目にかかったことがないのだが(まぁルパンシリーズ自体がそういう扱いだけど)、僕は最初に南版『ルパンと怪人』を読んで以来、その「真相」に今なお新鮮に驚かされている。ミステリ史には詳しくないので本作のようなトリックをこれ以前に発案した作品があるかどうか、ぜひ知りたいところ。
 この殺人のトリックは「機械仕掛け」であり、実際にはほとんど「事故」と呼んでいいものなので、種明かしをされると「なーんだ」と失望する人も多そうだ。ただ「犯人」がすでに死去している人物であること、その仕掛けた動機がいわば「妄執」であるところがユニーク(そういえば『虎の牙』を連想しなくもない)。衆人環視の殺人の場面で、最終的な事件の犯人が目撃者の側にちゃんといることも読者を幻惑させるテクニックとして注目してほしいところだ。

 もう一つ注目したいのは、この事件の「偶然性」だ。ヒロイン・カトリーヌが恐怖にかられるのは「三本ヤナギ」の件のほかに、ドミニック、そしてボーシェルばあさんの 変死がある。読者もこれが連続殺人に違いないと思って読み続けるわけだが、ルパンの解答はなんと「単なる事故」。推理小説を読んでるつもりの読者としては 「そりゃないでしょう」と文句を言ってしまうところで、恐らくそれが本作の評価を下げてる一因とも思うのだが、この「偶然の連鎖」にむしろリアリティを感 じる、という読み方もできるはずだ。これと同様の性格をもつ作品に『バーネット探偵社』英語版にのみ収録された一編『壊れた橋』がある。

 この小説、「犯人探し」という観点からみるとなかなか難度の高い方だろう。いわゆる「意外な犯人」というわけではないのだが(その線で行けばベルトランドが一番怪しいし、実際中盤では読者をそちらに誘導しようとしている)、読者にとってはほとんど存在すら忘れてしまうような人物が実は…というアイデアは確かにユニーク。冒頭の殺人現場では目撃者の側にいるし、途中でカトリーヌが襲撃されるシーンでもバッチリ「アリバイ」工作をしている(いや、読者はそれがアリバイであることにすら気づくまい)。おまけに「事故に見せかけた攻撃」を受けたことがさりげなく(←ここがポイント)書 かれているため、終盤ギリギリまで真犯人に気づく人はほぼいないんじゃないかと思う。それに「真犯人」といっても実はやってることは「犯罪」かどうかすら も微妙なもので、謎の連続殺人に見えたものも実は単なる偶然の積み重ねというオチなのだ。そのせいで拍子抜けしてしまう人が多いのも無理はないとも思う が、「複数の思惑が交錯した結果の怪事件」という仕掛けで読者を幻惑させるという作者の狙いは成功しているとも言えるのだ。

 なお、この犯人がどこにでももぐりこんでしまう「怪人」であることが、「サーカスのアクロバットをやっていて、狭い樽の中に体を入れたりすることができたから」で いとも簡単に説明されてしまうことへの不満の声もあがりそうだ。これは実際にサーカスで披露されることがある「軟体芸(コント―ション)」というやつで、 最近では中国雑技団のものが日本人にはなじみがあるかもしれない。だからといって水道管や地面の穴など、どこへでももぐりこめるというものではないんじゃ ないか、という声はあがりそうだ。

 この「骨なし男」という設定がすっかり気に入っちゃったんじゃなかろうか、と思われるのがポプラ社版 全集の南洋一郎。『バール・イ・ヴァ』を原作とする『ルパンと怪人』でこの「ぐにゃぐにゃ人間」設定を原作以上に強調している。まぁ児童向けということもあるし、子どもの怪奇 趣味をそそりそうだという狙いはあっただろう。しかし後年ボアロ=ナルスジャックが書いたパスティシュ『ウネルヴィル城館の秘密』を翻案した『悪魔のダイヤ』のなかでなんと原作終盤を改竄してわざわざ真犯人を「骨なし男」に変更してしまった、のはもう趣味でやったとしか思えない(笑)。
 そこでは以前ルパンが似たようなやつと対決したことがあるとして、『ルパンと怪人』の犯人について「そいつはナマコかプリンのように全身がぐにゃぐにゃして、どんなせまい穴の中へももぐりこめる、きみの悪いやつで、しかもおそろしく執念ぶかいやつだった」とまで書いている。ただ「ルパンと怪人」ではそこまで悪く書いてはいなかったはずで、南自身が『虎の牙』の犯人(これも南版では「骨なし男」と強調される)と 混同したか、編集部が「ルパンと怪人」の話と思いこんで注をつけてしまった可能性もある。さらにいえば『悪魔のダイヤ』の犯人は技巧的なものではなく完全 に体質的奇形としてすこぶる不気味に描かれており、これは現在の児童向けとしてはそのままの再刊のネックになりそうだ。
 

☆暗号解読として

 そして『バール・イ・ヴァ荘』は暗号解読小説と いう性格も持っている。この点でも『奇岩城』『813』『カリオストロ伯爵夫人』とつながる系譜上にある作品なのだが、古い時代から伝わるものではなくつ い最近書かれた暗号であり、しかも数字だらけということもあってか、割と解読は簡単。実際、作中でルパン以外にもアルノルドが解いている。
 その暗号とは「3141516913141531011129121314」と いう数字の羅列。まずはパターンを見つけ出すことが解読のカギになる。目につくのは「1」がしばしば出現する点だ。それを手がかりに数字を区切っていく と、「3−14・15・16、9−13・14・15、3−10・11・12、9−12・13・14」という組み合わせが浮かんできて、これが月と日を指し ていると読み取れてくる仕掛け。アルノルドもここまでは到達したのだが、肝心の金の出所について潮流と「ローマ人の丘」と結びつけるところまでは達しな かった。その一歩のひらめきにはルパンに言わせると「天才」が必要だったのだそうだが(笑)。自分のひらめきの良さをヌケヌケと自慢するあたり、ルパンの 真骨頂でもある。

 この小説に確実にヒントを与えているのが、作中でルパンも言及するエドガー=アラン=ポーの小説「黄金虫」だ。この小説は推理小説史上初の暗号解読テーマ作品と呼ばれ、暗号を解読して海賊が埋蔵した宝物を探し出す内容となっている。ルブランは自身が影響をうけた作家として唯一ポーの名前だけは明言しており、『奇岩城』の暗号解読のお宝探しもたぶんに「黄金虫」を意識している。
 「黄金虫」だけではない。ルブラン、いや小説中の人物であるルパンも確実にポーを愛読しており、これまでにも何度かその作品に言及している。『山羊皮服を着た男』は明らかにポーによる史上初の探偵小説「モルグ街の殺人」へのオマージュだし、『水晶の栓』もポーの「盗まれた手紙」を強く意識して書かれ、作中でルパン自身が「盗まれた手紙」の内容に触れている。
 余談ながら、本作の冒頭、助けを求めに深夜訪れたカトリーヌに、ルパンが「シャーロック=ホームズをベーカー街の自宅に訪ねるような」と言っている。これがあのルパンと対決した名探偵当人かどうかは別にして、ルパンが「小説としてのホームズ物語」を読んでいることは確実で、『獄中のルパン』『女王の首飾り』で名探偵の代名詞としてホームズの名前に言及している。

 物語前半でボーシェルばあさんが口にする「三つのショール」という言葉も一種の暗号といっていいだろう。この「ショール」は原文では「Chaule」となっている。それではなんのことか分からないのだが、実は「Saule(ソール)」つまり「やなぎ」の訛りだった、と判明する。
 この手の言葉の謎かけは翻訳が難しい。保篠龍緒は面倒くさいとみたか、ボーシェルばあさんにそのまま「三本柳」と言わせている。石川湧の創元社版は何とか日本語化してやろうと努力し、「三つやぎ」という言葉をひねりだしてみせた。大友徳明の偕成社版は発音をそのまま「ショール」と記して、あとで「ソール」のいい違いと気付く、という展開にした。
 南洋一郎のポプラ社版では「シャウル」と発音させ、ルパンが「Chauleと書くのかな」と思ってわざわざ仏語、英語、スペイン語の辞書をあたってみたがそんな単語はないことを確認する記述が加えられている(僕も試しに手持ちの仏日辞書をあたったがやはりなかった)。これは児童向けならではの親切な追加で、「オーレル川」の由来についても「ラテン語のオーレオルス(金色に輝く)、またはオーレウス(黄金でつくられた)から出たんじゃないか」と いう原作にはない語源説明を追加している。さらにオーレル川の前の名前「ベック・サレ(塩からい川)」の語源について「ベック」が「くちばし」の意に通じ ることから「ローマ人の丘」に推理をつなげる、という記述もあるのだが、これも原文にはない。だから妥当な説明なのかどうかちょっと気になるのだが…


☆その他いろいろ

 この作品にほんのりと怪奇趣味を加える素材となっている(あまり狙いは成功してないが)のがミシェル=モンテシューが熱中していた「錬金術」だ。その起源はイスラム世界にあり、「錬金術」を意味する「アルケミー(仏語では「アルシミー)」も アラビア語に由来する。さまざまな物質をあれこれ操作すれば純金を生みだすことができ、さらには不老不死も可能とするという技術で、西ヨーロッパでは十字 軍時代に持ち込まれてから半ば魔術、半ば科学として盛んに研究がすすめられた。もちろん実際に金ができるはずもなく、その大半は詐欺的なものであったり、 怪奇オカルトの一種として扱われたりすることになるのだが、その研究過程で物質に関するさまざまな知識が積み重ねられて近代以降の「化学(仏語では「シミー」)」の基礎となったことも否定できない。作中でも公証人が「シミー」と口にするとラウールが「アルシミーでしょ?」と口をはさむ場面がある。
 近代に近づいてきても「錬金術」はしばしば顔を出し、ルパンシリーズでおなじみのカリオストロ伯爵も錬金術師を称していた。20世紀に入ったこの時代にもモンテシュー氏のように錬金術に入れこむ人がいなかったわけでもなさそうだ。もっとも彼の場合は結局別の方法で金を採取していたわけだが。


 「きみの顔色は、以前より褐色というか…赤銅色になっている。まるで、南フランスの男みたいじゃないか」
 「数日前から、この顔さ。ペリゴール地方の古い貴族出の人間なら、古いれんがのような顔色をしていて当然じゃないか」(偕成社版、大友徳明訳)

 上記は久々の再会の直後のベシュとルパンのやりとり。ルパンが登場するたびに違う顔、違う恰好をしていることは伝記作者「わたし」も何度か記しているが、ここにもその実例を見ることができる。いろんな貴族に化けているルパンだが、ちゃんとそれぞれの「設定」に基づいてきちんと変装しているわけだ。
 つまりラウール=ダブナックはぺリゴール(Périgord)地方の出身という設定ということ。ぺリゴール地方というのは現在のドルドーニュ県に相当する地域で、世界三大珍味のひとつ「フォアグラ」が名物として知られる。この地方の人間がみんな赤銅色の顔なのかどうかは知らないが…
 本文によるとこの物語の舞台となるノルマンディーの人々はよそ者のことを「オルサン(horsains)」と呼んで警戒する傾向が強いという(仏語辞書を引くと「hors」で「外」「よそ」の意)。 ノルマンディー出身のルブランが言うんだから事実だろうし、だいたい洋の東西、田舎というのはそうしたものだ。しかしラウールは調査にあたって見事に彼ら の警戒心を解きほぐす話術をみせたというから、ルパン自身もノルマンディー育ちの可能性が高いとも考えられるのではなかろうか(映画「ルパン」では完全にそうしてた)『ルパン逮捕される』によると母親の実家アンドレジー家はポワトゥ―地方(フランス中西部の大西洋岸)らしいのだが…もっとも単に『カリオストロ伯爵夫人』以来ノルマンディー・コ―地方とは縁が深かったから、とも思えるけど。
 ところでエピローグでダブナック邸を訪れたカトリーヌに応対している「女執事といったようすの年配の婦人」って、明記はないけどビクトワールにしか見えませんよねぇ?


  物語の冒頭、自宅に帰ったラウール=ダブナックが入口の小部屋の鏡に映る自分のたくましく均整のとれた体格にほれぼれと見入っている描写がある。まぁこれ ばかりは変装でどうにかできるものではないだろうし、ルパンが自身の外観に相当に自信がありかなりうぬぼれていることは『地獄の罠』でも明白だった。いきなり深夜におしかけてきたカトリーヌに「またいつものアバンチュールか」と喜んでしまっているように、日々大変なモテモテ状態なのも確かなようだ。ルパンシリーズ自体が初期からその傾向があったとはいえ、とくに『緑の目の令嬢』以降の作品ではルパンのモテモテぶりに拍車がかかっている気もする。とくにかなりお手軽な、割り切った印象の「女遊び」が目につくのだ。

 そんなラウールことルパンは、本作では美人姉妹に二股をかける。恋愛要素は途中までほのめかされもしないのだが(妹の方は婚約者あり、姉のほうは未亡人になったばかりだし)、 中盤に事件解決までのんびりと過ごすなかで三人そろって夢中になってしまい、終盤は事件解決などどうでもよくなり(笑)、姉妹がラウールを奪い合い、ラ ウールもどっちにしようか迷いまくってかなり露骨に「どっちも」なんて勝手なことを言う始末。カトリーヌはキスだけですんだが、さすがに直接的描写は避け ているもののベルトランドと最後に会う場面の「2時間」の空白時間に何が起こっているかはほぼ明白と思われる。
 その「お仕置き」として、ルパンは結局どっちにもフラれる。というより姉妹の方が心は惹かれつつも混乱を恐れて逃げ出したと言うべきか。ルパンが明白にフラれた前例は『おそかりしシャーロック=ホームズ』ネリー=アンダダウン『水晶の栓』クラリス、やや微妙だが『ルパンの結婚』アンジェリクのケースがあるきりで、今回はフラれ方の豪快さ(まぁ二人分ですし)、ルパンのガッカリぶり、動揺ぶり、情けなさはシリーズ中随一といっていい。このところのルパンのモテモテぶりに「いいかげんにせい」と読者の声でもあったか、あるいは作者ルブランもそう思ったか(笑)、たまには盛大に失恋させてやれ、ということになったのかもしれない。
  このために本作のラストシーンはシリーズ中でも際立って印象に残るものとなったのだが、例によって例のごとく、南洋一郎はこの展開を全て削除し、仲たがい していた姉妹にルパンが「人生の錬金術」を説き、仲良く暮らすようにとまるで聖職者のごとく諭して去っていく形に変更している。


 最後に本作の映像化作品について。ジョルジュ=デクリエール主演のTVドラマ「怪盗紳士アルセーヌ・ルパン」の第2シリーズの一編「黒い帽子の怪人」が、この『バール・イ・ヴァ荘』を原作としている。
 冒頭、ルパンが心臓発作による急死を偽装し、ハーロック=ショーメス(もちろんホームズそっくりのあの人)ゲルシャール(ドラマにおけるガニマール)ら がその葬儀に参列、ルブランが「君のおかげで私があった」と弔辞を贈るという人を食ったオープニングになっていて笑わせてくれるが、そのあとルパンの自宅 にカトリーヌが押しかけてきて…というあたりからは原作に沿ってくる。なぜかこの回は年代物の複葉機が実際に飛びまわって大活躍するシーンが多く、航空史 ファンには必見ではなかろうか。
 このドラマシリーズはなるべく残酷描写を避ける意図があるせいか、ゲルサン氏射殺の要素はいっさいない。だが 「三本やなぎ」の植え変え、数字の羅列の暗号、ローマ時代の墳墓に隠された黄金、といった要素は原作そのままに使われていて、「大きな帽子の男」は「黒い 帽子の男」に変更されてルパンと対決している。ベシュは登場しないが、レギュラー出演者であるゲルシャールがその役回りで、犯人側に色仕掛けでたぶらかさ れるあたりは原作に近い。そしてアルノルドとシャルロットを登場させず、それをカトリーヌの姉夫妻(名前は変更された)に置き換えることで一時間の枠内で収まる小粒ドラマに仕立て上げていた。


怪盗ルパンの館のトップへ戻る