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「二つの微笑を持つ女」(長編)
LA FEMME AUX DEUX SOURIRES

<ネタばれ雑談その2>

☆「二つの微笑」のパリ

 『二つの微笑を持つ女』は、事件の発端となるオーベルニュ地方ボルニックを別にすれば、ほとんどがパリ市内で展開される物語だ。またパリの地図を見ながら物語の舞台を確認してみよう。


 発端の事件から15年後、物語本編の冒頭は「金髪のクララ」の到着をゴルジュレが待つサン・ラザール駅のシーンから始まる。パリから北西方向に向かう列車の出発駅で、ルパンのホームグラウンド、ノルマンディーへ向かう場合もこの駅が利用される(「ふしぎな旅行者」など)。「金髪のクララ」と勘違いされたアントニーヌはノルマンディーのリジュー発の列車でサン・ラザール駅に着いている。

 そのサン・ラザール駅からタクシーに乗ったアントニーヌはデルルモン侯爵を訪ねてボルテール河岸のアパルトマンへ向かう。ルーブル美術館とセーヌ河をはさんで反対側にある河岸で、『ジョージ王のラブレター』でここの名物の古書市の話が出たことがある。デルルモン侯爵の住むアパルトマンも一階と中二階の大半が「古物商と本屋」で占められていると描写されている。その中二階の一角に、「ラウール氏」ことルパンが住みこんで、侯爵邸の様子をうかがっているのだ。
  ところで「中二階(l’entresol)」とは何だろうか?ややイメージがわきにくいが、一階と二階の間にあるやや狭いスペースであろうとは予想される。建物の中が実際にどんな感じになっているのか分からないのだが、現在のボルテール河岸の街並みをストリートビューで見てみると(右図。63番地ではないので念のため)、一階が店舗スペースでよくみると二層に分かれている建物がいくつか見つかる。こんな感じのものなのかもしれない。田舎出のアントニーヌはそういう構造が分からなかったようで、はじめ二階と間違えて中二階のラウールの部屋を訪れてしまうことになる。

 アントニーヌをクララと思いこんで追いかけて来たゴルジュレに、ルパンは「ボルテール河岸63番地」ではなく「ボルテール大通りの63番地」とウソを教えて時間稼ぎをする。上の地図を見ればお分かりのように、「ボルテール大通り」のほうはパリ東部11区にある通りで、全然違うところ。

 デルルモン邸をうかがう隠れ家とは別に、ルパンが活動の拠点としているのがパリ西部、オートゥイユ(オトゥーユ)・モロッコ通り27番地の住宅。「オートゥイユ」とはパリ西部の端っこのセーヌ川とブーローニュの森に挟まれた地帯をさし、パリ市内に編入されたのはかなり遅い地域のためこの当時は何やら物寂しいというか、落ち着いた郊外地の雰囲気であったようだ(現在はむしろ高級住宅地)。「モロッコ通り」というのは地図では未確認なのだが、名前が変わってしまったのかもしれない。
 このオートゥイユの家については割と詳しい記述があり、裏手の中庭や地下室から別々の通りへ逃げられる、内部には「鉄のカーテン」まで仕掛けられている(『虎の牙』でも出て来たが、あれはルパンが仕掛けたものではない)など、ルパンらしい用心深い設計になっていることが分かる。忠実な召使いと料理人(料理女)が雇われているが、これがルパンの正体を知った上でのことなのかどうかはわからない。

 バルテクスことグラン・ポール一味との大立ち回りが演じられる酒場「レ・ゼクルビス(ざりがに)」があるのはモンマルトル。もう一つの大立ち回りが演じられた「カジノ・ブルー」はシャンゼリゼ通りに あり、有名なカフェ・コンセール(音楽喫茶)の跡地というから詳しく調べればモデルが見つかるかもしれない。このカジノ・ブルーでクララを救出したルパン は車でコンコルド広場に行き、いったんセーヌ川を渡って左岸に渡り、またセーヌ川を渡ってオートゥイユに入る、というコースをとっている。

 物語の後半で、ルパンがゴルジュレの妻ゾゾットを誘拐・監禁して潜んでいるのがサン=ルイ島にある友人の家。サン=ルイ島が出てくるのは『虎の牙』『メルキュール骨董店』に続いて三度目で、この当時はなんとなく治安の悪そうな場末のムードのある場所だったことがうかがえる。今回の場合は警視庁のあるシテ島のすぐ近くということも隠れ場所に選ばれた理由だが。


☆ペルセウスの犯罪
(くどいようですが、このページはネタばれ全開ですよ!?本を読んでない人は以下を読まないこと!)

 パリでのすったもんだがあって、物語は最終的に事件の発端であるボルニックの城館に戻って来る。ここでルパンは15年前の怪死事件の謎を解き明かす。「犯人はペルセウスだ」と言って。
 美人歌手の命を奪った謎の一撃の正体はなんと「ペルセウス座流星群」隕石だったというオチには、あっけにとられた人も多いだろう。むろん「絶対に起こり得ない話」というわけでもなく、一応科学的説明のつくものではあるのだが、『山羊皮服を着た男』同 様の「半ばSF」的な説明といっていいだろう。隕石が人間に当たれば確かに死ぬのは確実だろうが、その確率はゼロではないとしてもほとんどゼロに近いとさ れる。隕石自体はペルセウス流星群以外でも年間に相当数地球に落ちているのだが、そのほとんどは地表に届くまでに燃え尽きてしまう。ごくまれに地上まで届 く隕石はあって、僕自身日本の民家の落ちた例を知っているのだが、それでも隕石が当たって人が死んだという例は古来聞いたことがない。まぁルブランも分 かってはいるようで、ルパンに「おそろしい偶然」と強調させてはいるのだが。
 『二つの微笑を持つ女』はジョルジュ=デクリエール主演のTVドラマシリーズの一作として映像化されており、このドラマシリーズにしては比較的原作に忠実な一本となっている。しかしさすがに「隕石」は無理があると考えたようで、死因は心臓発作に変えてあった。まぁ事故死であればストーリー上問題はないわけで。

  「ペルセウス座流星群」はもちろん実在するもので、毎年そのシーズンになると天文ファンの観測が行われる有名なもの。スイフト・タットル彗星がまきちらし た塵が地球の大気圏内に落ちてくる現象で、ペルセウス座方向から流星が放射され、ピーク時には1時間当たり数十個の流れ星が観測でき、その明るさや痕跡が 見つけやすいことでも知られる。ルパン自身も口にしているように8月11〜14日あたりがピークで、事件が起きた8月13日がまさにピークの真っ最中。ル パンは「8月13日」という日付を見てピンときたと言っている。
 余談ながら、実はこの文章もそれに合わせて2010年の8月13日に書いている(笑)。この物語が仮に1910年の話だとするとちょうど100年後でもあるわけだ。ニュースで聞く限り今年のペルセウス座流星群も8月13日がピークのようだ。

 ところで『カリオストロ伯爵夫人』の雑談でも触れた話を。ルブランの妹ジョルジェット=ルブランは結構有名な美人女優であり、あのメーテルリンクと事実上の夫婦だったこともある女性だが、その彼女がサン・ワンドリーユの修道院でこの小説のエリザベート=オルナンのように野外劇を演じたことがあり、『二つの微笑を持つ女』の発端部分はそれをヒントにしているのではないかとの指摘があるのだ。


☆その他あれこれ

  ルパンが住んでいるボルテール河岸63番地の中二階には、来訪者が一階の玄関のドアのベルを押すと自動的にスイッチが入って来訪者の顔が見える監視モニ ターのようなものが描かれている。この時代、映画こそ存在するものの監視カメラとそれをリアルタイムで見られるモニターなどがあるはずもなく、さりげなく 書いてあるが当時の技術からするとかなり謎の装置だ。
 これについては偕成社版の訳者・竹西英夫氏が、1926年にイギリスのベアードがテレビジョンの公開実験(動く映像の送受信に初めて成功した)を 行っていることを挙げて、ルブランがそれをヒントにして描いたものではないかと指摘している。確かにルブランの描写するこの装置は明らかに潜望鏡的な仕掛 けのものではなく、画面が光っているなどかなりテレビ的だ。ただ物語中では1910年前後のはずで、いくら新し物好きのルパンが大金を投じて極秘の研究を 進めていたとしても、こんなものを持っているのは無理。テレビ開発史を調べてみると、1911年にようやくブラウン管を使った送受信実験が行われていて、 それもようやく輪郭がぼけて見えるというレベルのものだったそうだ。ルブランはついつい執筆時の1930年代初頭の気分で書いてしまっているのではないか と思われる。


 デルルモン侯爵邸にルパンが忍び込むシーンは、ありそうでなかなか見つからない、ルパンの「泥棒稼業」の様子がうかがえる貴重なものだ。

 ア ルセーヌ=ルパンは、夜の出陣のために、暗い色や濃いネズミ色を用いた特別な衣服を身につけるようなことは、一度もなかった。「ぼくはいつもと同じかっこ うで、ポケットに手をつっこみ、武器もなにも持たずに、タバコを買いにいくときと同じような心たいらかな気分で、まるで慈善行為でもするかのような良心の やすらいだ気分で、出かけるのさ」(偕成社版、竹西英夫訳)

 なるほど、「いかにも泥棒」な恰好などしないというほうが合理的なのかもしれない。一人で盗みに入る描写は『黒真珠』で もみられたが、そこでもいたって普通のスタイルで侵入している。戯曲『アルセーヌ=ルパンのある冒険』でも労働者風のいでたちだった。侵入にあたってビス ケットで軽く腹ごしらえをし、部屋に侵入後は「明るくなければちゃんとした仕事はできない」という理由できちんと灯りをつけてかかる、新米のコソ泥のよう にあちこちひっかきまわすようなことはせず、じっくりと部屋の中を眺めて寸法を確認し、隠し場所を数十秒で発見するなど、さすがはプロの仕事、学ぶべき点 が多いと感心させられてしまう(役に立つかどうかは別にして)
 隠し場所から千フラン札を十枚ばかり見つけるが、「人は隣人のこづかい銭を、家主のポケットマネーを、古いフランスの貴族階級のなごりともいうべき人のわずかばかりの金を、くすねてはならない!」と元に戻すあたりも、プロの怪盗ならでのはプライドというものが感じられる。
 それでいて、ラストで真珠の首飾りをどさくさにまぎれてくすねた時には「(だれしも、生きてかなきゃならんからねえ!)とでもいいたげなようす」で微笑して見せている(笑)。


  先にも触れたが、『二つの微笑を持つ女』は1971年にジョルジュ=デクリエール版の一編としてドラマ化されている。この一話はイタリアでの製作となって おり、舞台はローマとその周辺に変更されている。ルパンは「バーネット探偵社」にもちこまれた依頼で事件をかぎつけ、ローマにやってきたという設定だ。
  原作のデルルモン侯爵は「ヴァルブルーナ侯爵」、バルテクスはマフィアのボス「ぺピーノ」、ゴルジュレは「ゴルゴン警部」、アントニーヌは「アントニー ナ」、エリザベート=オルナンは「ローザ=ベラルティー」とイタリア風に名前を変えられている。クララだけはイタリアでも使えるようで、そのままだ。クラ ラとアントニーナはローザと侯爵の娘、しかも双子と設定を変えられ(むしろこの方が原作よりすっきりする)ラファエラ=カラという女優が二役で巧みに演じ分けている。ラストで姉妹が出会う場面はカット割りで巧みに表現された。先述のように「隕石」の件も心臓発作に変えられており、かえって原作より合理的な話となった。

 ルパンは「アルチュール=ロダン」なる画家に変装して侯爵邸のすぐ下の階に住みこみ、このドラマシリーズ通じての相棒・グロニャールは召使いとして侯爵邸に入り込み、原作のクールベルにあたる役回りになる。冒頭のアントニーナが間違えてルパンの部屋を訪問し、あとからやってきた警部をけむに巻く展開はほとんど原作そのままだし(問題の「監視モニター」も普通に再現されている)、深夜の侯爵邸でクララと出くわすシーンや、クララがペピーノを刺してしまうくだりなど、原作をなぞったシーンがかなり多い。一時間という枠があるためむしろ展開がスピーディーになり、激しいカーチェイスシーン(ルパンがサイドカーで爆走!)、 アクションシーンも盛り込まれて、長くてかったるい原作よりぐっと面白くなってしまった。ラストの謎解き部分では歌手であるクララが野外劇場で歌うという 映像的に面白い展開になるし、そこで姉妹・父娘の感動の再会という人情ドラマも加わって、なかなか巧みな脚色と言えるだろう。


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