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「ベシュ、ジム=バーネットを逮捕」(短編、「バーネット探偵社」第9編)
BÉCHOUX ARRÊTE JIM BARNETT
初出:1928年2月 単行本「バーネット探偵社」
他の邦題:「バルネの捕縛」(保篠版)「懸賞金五萬法」(井上英三)「ベシュー、バーネットを逮捕す」(新潮)「ベシゥー、バーネットを逮捕」(創元)「警官の警棒」(ポプラ)

◎内容◎

 実業家ベラルディーの妻クリスチアーヌが誘拐された。そして二日後、有力な野党の党首ジャン=デロック代議士が運転する車から飛び降りて死ぬという意外 な形で発見される。デロックは誘拐の事実は認めたが殺害は認めず、それ以上語ろうとしない。ベシュが家宅捜索をするうち一枚の写真を発見、するとデロック はそれを奪い取り、玄関の間に走り込んだ。何か有力な手がかりであるはずのその写真はそれきり忽然と消えてしまった。政治性を帯びた事件のため、上司の指 示でベシュは写真入手のため奔走する。するとまたしてもバーネットの影が…



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆オルガ=ボーバン
ベシュの元妻のアクロバット歌手。今回は名前のみの登場。

☆クリスチアーヌ=ベラルディー
実業家ベラルディーの美貌の妻。

☆ジプシー女
若くて美人のジプシー女。占いで写真を発見するともちかける。

☆ジム=バーネット
私立探偵。「調査費無料」を掲げる。

☆ジャン=デロック

野党党首をつとめる有力代議士。ベラルディー夫人誘拐殺人容疑をかけられる。

☆シルベストル
デロック将軍に仕える太っちょの召使。

☆テオドール=ベシュ

国家警察部の刑事。ガニマール警部の直弟子。

☆デロック将軍
退役軍人。ジャン=デロック代議士の父で息子の無実を信じる。

☆ベラルディー
一代でのしあがったやり手の金融業者。

☆ランブール
警官。ジャン=デロックが写真を持って逃げた時現場に居合わせる。


◎盗品一覧◎

◇ベラルディー夫人の手紙
バーネットが内容を見て横取り。夫に大金で買いとらせる予定。


<ネタばれ雑談>

☆ベシュVSバーネット、ついに決着!?

 ついに『バーネット探偵社』シリーズも最終話。ベシュとルパンの変な相棒関係はしばらく続くのだが、「バーネット」としてはこれでおしまい。前作『白い手袋…白いゲートル…』で大いにプライドを傷つけられたベシュが、ついに一矢を報いるのか?というオープニング。しかもタイトルが「逮捕」と断じているのだ!

  まぁすでに読んだ方はお分かりのように、例によって例のごとくベシュはバーネットに手玉に取られてしまうことになるのだが、ベシュももはやこいつにはかな わん、と悟りの境地に入って、さわやかな(?)縁切りの幕切れになる。「逮捕」はその縁切りの前にベシュが言葉の上でだけ一矢を報いるというもの。バー ネットもこころよく「よくぞ言った。僕の負けだ」と口でだけ応じてやるのも心憎い。こういうところ、やっぱりこの二人、「相棒」だなぁと思ってしまうのである。
 またこの話自体がミステリというよりも人情話のノリになってしまうため、ベシュとしてもバーネットの「善行」を認めざるを得ないのだ。「たいせつなのは無実の人が勝って、わざわいがとりのぞかれ、犯罪がなんらかの形で罰せられるということではないだろうか」(偕成社版、矢野訳)とベシュ自身もバーネットのやり方に一定の理解を示してしまう。思い返せばバーネットが手掛けた事件は多くがそのパターンであり、罪を着せられた無実の人を救い、真の悪者(法的には追及できないケースが多い)は「ピンはね」という形で罰し、そのついでに自分の懐もあっためる(笑)という一石三鳥な話だったわけだ。

 一定の理解はして、この話に限っては上司の指示を無視してバーネットに協力する形になるわけだが、ベシュはやはり警察官である。「こんなことをしていると、おれの職業的良心があやしくなってきそうで、心配だよ」とバーネットとの決別を宣言するベシュが実にいい。バーネットもほろりとして「いや、りっぱな心がけだ」と誉めて、そのご褒美に「昇進」をプレゼントするわけだ。
 まぁ結局ルパンとの関係はこれっきりにはならなかったのだが、バーネットというキャラクターと組むのはこれっきりになった。それが実に惜しい。バーネットも言ってたように「ベシュー&バーネット探偵社」なんて実現したら、それこそ楽しかったんじゃなかろうか!?


☆これでもベシュは有能刑事

 バーネットに毎回さんざんコケにされて無能に見えがちなベシュ刑事だが、それは比較の相手がとんでもないだけの話で、警察の中にあっては明らかに優秀な刑事なのである。この一編でもジャン=デロック代議士邸の家宅捜索で、同僚たちを出し抜いて決定的な証拠となる写真を発見している。
 しかしデロック代議士はそれを奪い取って「控えの間」(l'antichambre)に飛び込む。ここに見張りの警官が控えていて、この警官が代議士に恩義があったため彼が写真を受け取って隠す、という展開になる。さて、ここで『十二枚の株券』で悩まされた「控えの間」がまた出てきた。この個所、保篠龍緒訳は単に「隣室」と訳し、創元版は「控室」、偕成社版は「控えの間」と訳している。南版は思い切って「廊下」にしてしまった。これは堀口大学訳の「寄りつき」、 すなわち玄関スペースがやはり一番適切であるように思う。廊下あるいは階段の踊り場に直結する、この住居の出入り口のドアをくぐってすぐのところにあるス ペースだと考えれば、ここに見張りの警官が立っていることも納得がいく。フランス人は何も悩まないところなのだろうが、推理小説において間取りは重要なの で訳す際には少し工夫してほしいものである。

 この一編のおもな舞台となるデロック将軍の住まいはトロカデロ広場の目の前だ。ベシュはエトワール広場でバーネットをみかけ、クレベール通りを追跡、トロカデロ広場でバーネットと怪しいジプシー女(原文では「bohémienne=ボヘミア女」。これについては後述)が何やら話しているのを目撃する。このコースは『影の合図』でも出てくるし、『虎の牙』によればトロカデロ広場の近くにはバラングレーの私邸がある。この物語に出てくるベラルディーの家があるのはブーローニュの森の近くだ。「バーネット探偵社」の舞台となったパリ市内の場所ともども地図に示しておこう。


 「バーネット探偵社」最後の一編は、ミステリのジャンルから言うと「隠し場所」もの。ルブランもその影響を受けているエドガー=アラン=ポー『盗まれた手紙』の系譜をひいている。ルパンシリーズではなんといっても『水晶の栓』、バーネットシリーズのなかでは『十二枚の株券』が『盗まれた手紙』を強く意識している。
 今度の場合は状況から言ってその場にいた警官が持っているはずだ、という前提がある。ベシュも当然それに気づいているのだがどこに隠しているかは全く分からない。バーネットは「あまりにもありふれていて、誰の目にもつくのに疑われない意外な場所」にそれを見出す。それは「警官の警棒」であった、という解答になる(原文では「bâton」、つまり「バトン」)。意外と言えば確かに意外なんだが、正直なところそのぐらいベシュに調べられちゃうんじゃないのか、とも思う。また、あのあわただしい状況の中でランブールが(たとえ個人的恩義があるとはいえ)容疑者の証拠品をあずかって隠してしまうことにもやや不自然さがあるし、そもそもなんで彼の警棒にそんな仕掛けがしてあったのか説明は一切ない。

 この話に無理を感じたのは南洋一郎も同様だったようで、南版『ルパンの名探偵』に収録されたこのエピソードは『警官の警棒』といきなりネタばれ危険なタイトルにされ、さらに結末部分でベシュが「なんで警棒の中が中空になってたんだ?」としごくもっともなツッコミをしている。それに対してバーネットが「実はあの警官は俺の部下。警察内部の情報を伝える小道具に中空の警棒を使ってるんだ」と明かす、という全くオリジナルの設定がついている。勝手にルパンの部下にされてしまったこの警官の名前が南版では「ランブール」ではなく「ランプール」とされているのは誤字ではなく設定を勝手に変えたための南のエクスキューズであるかのように思える。
  こうした設定変更により、バーネットがデロック将軍の召使に変装しているという児童向けにも楽しい貴重な場面がばっさり削られてしまっている。またバー ネットとベシュの関係が南版では非常に友好的であるため、本作のベシュを誘い出す罠も話が変えられていて、最後の「ピンはね」もベラルディーではなくデ ロック将軍から手紙と写真の買い取り代金3000フランを受け取るという、ある意味原作よりワルな展開になってしまった。もっともその金は「ジプシー援助の福祉事業の基金に寄付する」ということになってるのだが。


☆ますますルパンらしくなり…

  繰り返し書いているように『バーネット探偵社』の小説中の本文ではバーネットがルパンその人であることは明示されない。だがベシュが「ルパン並みだ」とい うセリフを吐くし、前作『白い手袋…白いゲートル…』では犯人たちがバーネットをルパンと確信したかのようなセリフを口にした。あとのほうの話に行くにつ れ、バーネットの「ルパンらしさ」が増していくようにも思える。

 本作ではバーネット=ルパンの見事な変装ぶりが披露されている。体格も外見もまるで別人に変装している、ルパンの変装リストでも指折りの見事さと言っていい。「顔のゆがみがまるで仮面のようにとれて」(偕成社版、矢野訳)というのがどういう仕掛けなのか気になるところだが(「三世」みたいなゴムマスクではないはず)、この召使の最大の特徴である「太鼓腹」が実はゴム製であったというのが目を引く。ゴムといってもおそらく中に空気を入れた風船状のものと思われ、アニメ映画『ルパン三世・カリオストロの城』の冒頭部分で次元大介がカリオストロ公国の入国審査時にやっている変装と似てるんじゃないかと思う。
 警棒をすりかえたバーネットが太鼓腹召使の変装のまま大はしゃぎのダンスを踊るのも「ルパンらしさ」。「ぼくは成功すると、よろこびいっぱいの気持ちを、じつにばかげたアクロバットや踊りで表現するくせがありまして」とバーネットも言ってるが、『水晶の栓』でまさにそのバカ踊りの場面が見られた。

 そのバカ踊りをして変装を解いてから口にするバーネットの第一声が「ベシュはまぬけだ(« Béchoux est une poire. »)」。この「poire(ポワール)」という単語を辞書で引いてみると、一義的には「洋ナシ」のこと。そこから転じたのか「まぬけ、お人よし」を意味する言葉になったらしい。『緑の目の令嬢』「マレスカルは間が抜けている(Marescal est une gourde.)」の「gourde」に比べるとやや相手に対する悪意が薄いような、多少親しみを込めてる印象がある。
 他の訳を当たってみると、「ベシューはまるで鳩豆だね」(保篠龍緒)「ベシューは阿呆だ」(堀口大学)「ベシゥーはまぬけだ」(石川湧)となっている。保篠訳の「鳩豆」とは「鳩が豆鉄砲をくらったような顔」ということで、驚きのあまりキョトンとしているベシュの表情にポイントを置いている。

 何か事件の重大な鍵を握っているかにみせて、実は単にベシュを誘い出す罠(『赤い絹のスカーフ』と同じ手)だった「ジプシー女」。最近では「ジプシー」という言葉はよくないとして「ロマ」という表現が使われるのが一般的で、このことは現行の南版にも注釈で触れられている。フランス語ではいわゆる「ジプシー」のことを「ジタン」という…といった話は先に書いた『女探偵ドロテ』の雑談で触れたのでここでは略す。
 前述のように『ベシュ、バーネットを逮捕』の原文では「ジプシー女」の部分は「bohémienne=ボヘミア女」と表現されている。これはジプシーのルーツの一つが中欧のボヘミア(現在のチェコ周辺)と 信じられていたために使われた表現だ。この話でこの「ボヘミア女」が手相やカードで占いをして品物のありかを見つけると持ちかけるくだりがあるが、これは 「ロマ」の女性がよくやってみせた千里眼芸で、『ドロテ』でも女旅芸人の主人公ドロテがそれをやってみせる場面がある。


☆ベシュ、昇進す!

 さんざんコケにされまくったベシュ君、最後にバーネットのお情けで(どういうカラクリかは不明だが)昇 進というご褒美を与えられる。「バーネットの恩をうけるなんて!」と憤激しながらも、「自分の功績も確かだ」として、バーネットの手紙は破り捨てながら昇 進の方だけはしっかり甘受する(笑)。「バーネット探偵社」シリーズ最後の一文らしい、ブラックなユーモアに満ちた締めくくりだ。

 ところでベシュは何に昇進したのか。これが実は日本語訳ではいろいろ分かれている。この問題については偕成社版を訳した矢野浩三郎氏自身が巻末解説で詳しく説明してくれているので、それを参考にまとめてみよう。

 まず保篠龍緒訳。本文中、ベシュは明らかにヒラの刑事なのだが、このラストでいきなりひとっ飛びに「警視」に昇格している。警視と言えば日本でもフランスでもかなり高い階級で、警察署の署長・副署長クラスをつとめる階級である。いくらなんでもこれは無理がある。保篠龍緒はベシュへのご褒美が大きくなるよう、意図的に格を上げたのだろうか。
  そして堀口大学訳。堀口版「バーネット探偵社」ではベシュは最初から「警部」とされていて、このラストで保篠版同様に「警視」に昇格する。警部から警視へ の昇格ならそう無理はないのだが、これはもともとベシュを「警部」と解釈してしまったために起こった「つじつま合わせ」ではないかとも推測される。
 実は「バーネット探偵社」の英語版にはフランス原書とは異なるあとがきがついていて(ミステリマガジン2005年11月号に邦訳掲載)、そこでもベシュはもともと「警部」だったのが「警視」に昇格する結末になっている(日本語訳では「警視」とされたが、原文ではガニマールと同じ「主任警部」に昇格している)。これはフランス語の「刑事」にあたる「l'Inspecteur」をそのまま英語の「Inspector(警部)」にあてはめてしまったために起こった誤りなのだが、堀口大学が英語版を参考にしたかどうかは分からない。

 フランス語原文では最後にベシュが昇進する階級は「brigadier(ブリガディエ)」となっている。これは「班長」を意味する言葉で、創元版の石川湧訳ではそのまま「班長」と直訳されている。創元版ではこれに続く『謎の家』『バール・イ・ヴァ荘』でもベシュの階級は「班長」で統一されている。
 この「ブリガディエ」は日本の警察階級にあわせるのがなかなか難しく、偕成社版ルパン全集では「巡査部長」に統一された。『虎の牙』のルパンの部下、マズルーも この「ブリガディエ」で、やはり「巡査部長」と訳されている。矢野氏の解説によると「ブリガディエ」は他の人の訳では「部長刑事」「警部補」と訳されてい る例もあるそうだ。いずれにしても警部より格下なのは間違いなく、堀口訳のようにベシュを「警部」としてしまうとそこから「ブリガディエ」になるのでは昇 進どころか「降格」ということになってしまうという。
 ところがややこしいことに…ベシュが『ルパンの大財産』(偕成社版「ルパン最後の事件」)で再登場すると、ベシュは本当に降格させられてしまったのか、またヒラの刑事にもどっており、ルパンから「巡査部長(ブリガディエ)に昇進させてやる」と声をかけられている。この件については、いずれそちらの雑談で。

 さて、ついに本作をもって「バーネット探偵社」はおしまい。ルパンとベシュの腐れ縁は続くのだが、ジム=バーネットという特異な名探偵キャラクター自体は以後は登場しなくなる。一応バーネット探偵社が出てくる短編『エメラルドの指輪』が存在しているが、そこに登場するのはバーネットではなく、バーネットの友人デンヌリ男爵である(笑)。
 しかし…「これで終わりなんてもったいない!」と思ったのだろう、保篠龍緒版のルパン全集ではジム=バルネ(バーネットのフランス語読み)がさらに長編2話に登場し、活躍してしまっている。もちろん原作にない、保篠自身の勝手な改変だ。
 その2話とは、『バルタザールのとっぴな生活』(保篠訳題「刺青人生」)『赤い数珠』(保篠訳題「赤い蜘蛛」)。いずれもアルセーヌ=ルパンは登場しないルブラン作品で、「ルパン全集」入りさせるためにルパンが登場する形に改変してしまったと思われる。後者は探偵役のルースラン予審判事が『カリオストロの復讐』に 登場するので「準ルパンシリーズ」扱いされるのだが、前者の「バルタザール」はルパンシリーズとは全く無関係の作品。そこに登場させる「ルパン」の仮の姿 にわざわざ「ジム=バルネ」を選んだあたり、保篠龍緒もバーネットのキャラクターがお気に入りだったんじゃないかな、と思えるのだ。


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