怪盗ルパンの館のトップへ戻る

「女探偵ドロテ」(長編)
DOROTHÉE DANSEUSE DE CORDE

<ネタばれ雑談その2>

☆ドロテ一座の旅路

 「ドロテ」の物語はロボレー(Roborey)城から幕を開ける。この城はもともとシャニー城といってシャニー村(Chagny)が近くにある。その場所はオルヌ県ドンフロン(Domfront)の近く、この県でもっとも荒々しい地であると記されている。ドンフロンはノルマンディー半島の付け根あたりにある町だが、現時点ではその近くの地名にロボレーもシャニーも確認できず、やはり架空の地名なのかもしれない。
 ロボレーを発ったドロテ一座は老馬「まだらの片目」にひかれて、ドンフロンモンタンアヴランシュフージェールヴィトレと旅をする。ここでラウールと落ち合ったドロテは車に便乗してクリッソン(Clisson)の近くのマノワール=オ=ビュット(Le Manoir-aux-Buttes)へと駆けつける。クリッソンはナントの南東にある町だが、さすがにマノワール=オ=ビュットは地図上で確認できない。ネット検索をかけていたらあるフランスの掲示板で「ここがモデルじゃないか?」と地図入りで議論をしているのが見つかったのでやはり架空の地名らしい。その掲示板の議論によるとクリッソンの北東方向に小説中でドロテが綱渡りをした池にちょうどいいのがあるみたい。

 マノワールを発った一座はナントの郊外で興業をして、ヴィレーヌ(ビレンヌ)川を渡ってその右岸に沿って南下、ヴァンヌ近くの最終目的地ラ=ロッシュ=ペリアック(La Roche-Périac)に到着する。この地の眺めは「小さなペリアック半島とその五つの岬が、海の中へ、まるで掌と五本の指のように伸びている。左手はヴィレーヌの河口だ」(三好郁郎訳文)と描写されている。このペリアック半島は満潮時に途中の道が海に沈んで島になり、城の廃墟の付近は2マイル先のサルゾー(Sarzeau)の村の修道院の領地だという。
 ラ=ロッシュ=ペリアック、あるいはペリアック島という地名をネット地図で探してみたのだがみつからない(検索をかけると「ドロテ」の本文ばかりだ)。しかしサルゾーという地名にルパンファンはピンと来るものがあるはず。そう!『ルパンの結婚』におけるルパンの結婚相手・アンジェリク=サルゾー=ヴァンドームの実家の領地。まさにブルターニュ半島の付け根、海のすぐそばだったではないか!
  サルゾーの近く、そしてヴィレーヌ川河口を左側にみる半島…と航空写真で探してみると、おお!条件バッチリなのがあるじゃあありませんか!下の地図と拡大写真をご覧いただきたい。五本 指にはなってないが、確かに手のように海に向かって延び、満潮時には島になってしまいそうな半島がある。地名こそ変えているがルブランがこの半島をモデル に「ペリアック」を創作したのはほぼ間違いないだろう。『ルパンの結婚』でもサルゾーを舞台にしていたからその時の取材の経験を生かしたものかもしれな い。


 創作の舞台裏はさておいて、ルパンワールド研究者としてはここでまた疑問が一つ。サルゾーにも当然行ってるルパンが、なぜ「In Robore Fortuna」の謎の核心のすぐ近くにいながらそれを見逃してるのか?という疑問だ(笑)。ラウールが仮にルパンの変装だったりするとなおさら不自然。 しかしまてよ、この話でマノワールのあとラウールがふっつり姿を消し、終盤にならないと再登場しないのはもしかして…という設定は南洋一郎『妖魔と女探 偵』でもやっていた。


☆奇跡を信じる人々

 先祖がどこかに宝を隠し、その出現を信じてある日付に毎年各地から人々が集まってくる…というこの物語の設定、「どっかで聞いたような?」と思った読者も多いはず。別にルブランが盗作したわけではない。この設定は明らかに『ルパンの告白』に収められた短編「影の合図」再利用なのだ。あれはフランス革命時に処刑された徴税人のダイヤだったが、今度は200年前、つまり18世紀初頭の貴族が残したダイヤ。宝の出現を信じて集まる人々も、より世界レベルにまでスケールアップした形になっている。
 「影の合図」の設定にさらに加えられた味付けが、病気の子供を治そうとその日に教会にやってくる母親の存在。小説中ではこの一人がちらっと出てくるだけが、それ以前にも同様の「巡礼者」がいたとされていて、この話、南フランスの「ルルドの泉」を連想させる。1858年にルルドで14歳の少女が聖母マリアの出現を目撃、その地に湧く泉が治癒の奇跡を起こす泉とされて各地からカトリック信者の病人・けが人がここを訪れるようになったというものだ(もっともマリアを目撃したという当人は病気持ちにもかかわらず泉は利用せず湯治場に通っていたという)

 さらに加えて、この物語では「不老不死の薬」という味付けがある。1721年にドロテたちの祖先であるボーグルバル侯爵が 200年後の再生を予言して「不老不死の薬」を飲んで眠りにつく。そんなバカなと思いつつドロテたちがその遺言に従って隠し部屋に行くと、確かに遺言の通 りの仕掛けがあり、老人が一人眠りについている。指定されたとおりの薬を飲ませると、老人は200年の眠りから覚める…読んでいて「ついにルブランもオカ ルトにハマったかな?」と思っちゃった人もいるのではなかろうか。
 しかしちゃーんとタネはある。まぁ大したトリックではないのだが、「金歯がある」という暴露方法はひねりが効いている。ただ金歯がいつからあったものなのか気になるところも。フランスで作ったリュック=ベッソン監督の映画「ジャンヌ・ダルク」で、百年戦争の15世紀に捕虜から金歯を取ろうとするシーンがあったもので…

 ドラリュ先生によって読み上げられるボーグルヴァル侯爵の遺言のなかで、「世界の多様性についての対談集」(創元版では「世界複数論」)の作者ド=フォントネルという人物が登場する。これは実在した学者ベルナール=ル=ボヴィエ=ド=フォントネル(Bernard le Bovier de Fontenelle,1657-1757)のことで、ルブランと同じルーアンの出身。「世界複数論」は1686年に書かれたもので、宇宙の構造について架空の対話の形式で素人にもわかりやすく解説したもの。もちろん17世紀末フランスの科学知識に基づくものでデカルトが主張していた宇宙論を紹介している。
  フォントネルは1691年にアカデミーフランセーズ入りして科学アカデミー会員となっており、この物語でボーグルヴァル侯爵と対話した1721年には64 歳。フォントネルはこのあと36年も生き、100歳を目前にして亡くなるという当時としては驚異的な長寿で、ルブランが不老不死話にからめてわざわざ彼を 登場させたのも、「長寿の有名人」だったからだろう。
 ボーグルヴァル侯爵の遺言にはもう一人、実在人物が登場している。侯爵が自身の肖像画を描かせた王室画家ニコラ=ド=ラルジリエール(Nicolas de Largilliere,1656-1746)だ。ルイ14世からルイ15世に至る時代の肖像・歴史画家として知られ、こちらも90歳の長命、アカデミーフランセーズ会員という共通項がある。


☆その他いろいろ

 隠れた名脇役、人物ならぬ動物がドロテ一座の家馬車を曳く「まだらの片目(Pie-Borgne)」。「まだらの片目」と訳したのは三好郁郎版だが、保篠龍緒版は「片目のマグピ」、長島良三版は原音のまま「ピーボーニュ」と訳している。まだ五歳で、しかもアメリカ兵に囲まれて英語環境で育ったと思われるモンフォコンはこの発音ができず「Pie-Borne」と言っている。長島訳では「ピーボーン」となっているが、三好訳では「まだだの片目」という名訳だ。

 名訳といえば、他の訳者がモンフォコンの肩書「Captain」を「隊長」「大尉」と訳してあくまで肩書として使うところを、南洋一郎はモンフォーコンの呼び名自体を「大尉ちゃん」にほぼ統一、子ども向けにも親しみやすくしていた。南版は他にも男の子たちにドロテを「おねえちゃん」と呼ばせており、原書の「maman(母)」と大きく変えている。保篠訳では「母さん」「母ちゃん」、長島訳では「母さん」とされるが、個人的には三好訳の「ドロテ・ママ!」という呼び方が適訳だと思う。ドロテ自身も「私には子供が四人いる」と言ってドラリュ先生をビックリさせているが(笑)、子供たちの方は「母親+お姉ちゃん」といった気分なのではないだろうか。とくに年長のサンカンタンは5歳しか年が違わず、下の子たちよりずっとドロテに対して「異性」と意識している様子がうかがえる。

 この物語でドロテと対決する、まるでできそこないのルパンみたいな(笑)凶悪犯の名は偕成社・長島訳では「デストレイシェ」。三好版では「デストレシェール」だが、保篠版・南版では「エストライヘル」と表記されている。ずいぶん違うな、と思うところだが、原文の表記は「d’Estreicher」だ。彼本来の姓は「Estreicher」で、調べてみるとどうもポーランドに多い姓らしい(そういえば彼がロシア人に変装する場面がある)。それで読みが分かれているらしいのだが、最初の「d」を読むのと読まないのがあるのはなぜか?
 ルパン・シリーズを読み続けるとおなじみになるのだが、これは「de(ド)」を姓に含めるかどうかの判断が分かれたものだ。「de」は「〜の」という前置詞で、次に母音が来ると発音がくっついてしまう。ドロテの家がアルゴンヌの領主で姓が「ダルゴンヌ(d'Argonne=アルゴンヌの)」と なっているのもこのせいだ。日本の古代の姓が「ふじらわ“の”」「みなもと“の”」となっていたことと、領地の地名が武士や公家たちの「名字」と なったこととを思い合わせると理解しやすい。しかし翻訳にあたっては訳者も迷うようで、ルパンシリーズでもこの「ド」を姓の読みに入れたり入れなかったり対応はまちまちだ(『金髪の美女』の被害者がオートレックまたはドートレック、「テレーズとジェルメーヌ」の夫妻がダンブルバルだったりアンブルバルだったり)
 『カリオストロ伯爵夫人』のなかで自分の恋人の名が「ラウール=ダンドレジー(Raoul d'Andrésy)」ではなく「アルセーヌ=ルパン(Arsène Lupin)」と明かされたクラリス=デティーク(Clarisse d'Étigues)が、自分の父親が「ド」のあるなしを娘婿の第一条件にしているために困惑する描写があった。これは「ド」がつく姓はそれだけで貴族だと一目瞭然だから。ドイツでは「フォン(von)」が同じ使われ方をしている。

 ドロテはフランス語以外にも英語・イタリア語も話せると言い、さらに「そしてジャワ語も」と言っている。英語・イタリア語からいきなりジャワ語が出てくるので面食らった人も多そうだが、これは『八点鐘』「テレーズとジェルメーヌ」のところで触れたフランス語の隠語「ジャヴァネ(Javanais)」のことと思われる。この場面、ドロテが嬉しさのあまりノリにノってしゃべりまくるところなので、冗談半分に隠語のジャヴァネとジャワ語をひっかけた表現をしているのだろう。

 ボーグルバル侯爵が200年の眠りから覚める章には「ラザロ(Lazare)」というタイトルがついている(三好版では「復活のラザロ」)。ドラリュ先生もボーグルヴァル侯爵の復活話にひっかけて作った「ラザロ侯爵の復活」なる鼻歌を歌っている。これはイエス=キリストが起こした奇跡のひとつ「ラザロの復活」にひっかけたもの。これは新約聖書の「ヨハネによる福音書」に出てくる話で、死後4日たって墓に入れられていたラザロにイエスが「ラザロ、出てきなさい」と声をかけるとラザロが甦ったという逸話だ。


 物語の最後にドロテは四人の青年たちから求婚される。結局ドロテは誰も選ぶことなく「最愛の人は子供たちです」と置き手紙で答えて立ち去っていく。ラウールに手紙を残したあたりは思わせぶりではあるのだが…。
  この求婚のくだりはやはり南版では削除されており、ドロテがダイヤを売ってラウールの窮地を救う展開もなく、ペリアックの城で三人の青年とドラリュと共に ダイヤを発見してしまうことになっている。結局四つのダイヤの相続人たちも慈善事業に寄付してしまい、ドロテもこれからの興業で戦災孤児の施設を造ると 言って去っていくのも南版のお約束というやつだろう。読者が気になると考えたか発狂したラウールの祖父も正気にもどりそうだということになっている。
  先述したが南版最大の改変はラウールをルパンその人にしか見えないように細工をほどこしていることで、ダイヤ発見後にラウールがいきなりパリからバイクで 駆けつけてきて、「黄金のメダルの本物」をドロテに届けたうえ原作ではドロテが最後に気づく真相の謎ときも全部やってしまう。その神出鬼没ぶり、「スーパーマンぶり」に「ドロテは心臓がどきどきして耳たぶがほてった。かの女の青いひとみは、うっとりとラウールを見つめたままでいた」なんて描写が加わっている(笑)。
  原作と異なる展開があるのは南版だけではない。最初の翻訳と思われる保篠龍緒版でも、全体ではほぼ全訳なのだがとくに前半に原作にない部分があるのだ。ロ ボレー城のくだりでメダルの争奪があり、ドロテとエストライヘル(デストレイシェ)との対決場面がよりスリリングに展開され、ドロテがスリの腕前を披露し てサンカンタンから「姉御、それにしても凄い腕だなぁ。立派な掏摸(すり)になれますぜ」なんて言われたりしている(各国のジプシーにスリをはたらく者がいるという話は聞く)。面白いといえば面白い展開で、そう不自然な追加でもない。読んでいて、もしかするとルブランがフランスで発表する以前の草稿段階の原稿を保篠龍緒が入手し、それをもとにしてるのではないか?という気もしたのだが、どうだろう。


 「あの子たちと同じように、わたしも流浪の民です。放浪者なのです。わたしたちの家馬車以上の住まいはないと思っています。このまま旅に出させてくださいませ」(三好訳)
 …と書き残して、れっきとした貴族・アルゴンヌ公女のドロテが、放浪のジプシーとして子供たちと家馬車と共に、地平線の彼方に消えていく。この詩情あふれるラストシーンは数あるルブラン作品の中でも最高と思えるほどの強い余韻を残す。
  ドロテという素晴らしいキャラクター、この一作だけでは惜しい!と多くの人が思うところであり、この終わり方から「ルブランにはドロテを主人公とするシリーズの構想が あったのではないか?」との推測も一部にある。ちょうどルパンシリーズからの脱却を計画していたフシもある時期だから、ある程度その色気はあったかもしれ ない。だが結局ドロテの冒険はこの一作きりで、ルブランの次回作はルパン・シリーズの「エピソード1」というべき『カリオストロ伯爵夫人』となった。
 ドロテが活躍する冒険をもっと読みたい!と思った人は少なくなかったようで、2003年に瀬名秀明氏がパスティシュ『大空のドロテ』を発表している。
 
 僕などは、この「ドロテ」の物語を全訳で読み終えたとき、「これは素敵なアニメ映画になるなぁ」という感想をもった。とくに当時、宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」にも同時にハマったこともあって、なんか両者の印象がすこぶるダブってしまっているのだ。どこがどう、というのが説明しにくいのだが(どっちにも「ゴリアテ」が出てくる、なんてのはあるんだが)、やはりご先祖様の宝探しの冒険活劇という基本軸、そして悪役のキャラクターがどこか似てるからだろうか。そう思って読み返してみると、デストレイシェっていろいろな点で似てません?(笑)
 いまのところ「ドロテ」はアニメ化映画化はいっさいされていないらしい。ネットで教えていただいた情報によると森田拳児氏の漫画で「美少女ドロテ」(1979)というのがあるそうなのだが、大変なレア本で、いまだにお目にかかる機会がない。

 (2008/11/3追記)以前「ドラマ化はいっさいされてない」と書いてしまったのだが、その後フランス本国で1983年12月に「Dorothée, danseuse de corde」と原題そのままのタイトルでTVドラマ版が放映されていたことを知った。監督はジャック=ファンスタン、主役ドロテはファニー=バスティアンが演じた。子役時代のジュリエット=ビノシュが出ていたとのこと。ソフト化はいっさいされていないらしく、内容もほとんど不明だ。配役リストを見る限りではほぼ原作どおりかと思うのだが。ネット上でその一場面の画像は見つけた(下図)



怪盗ルパンの館のトップへ戻る