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「カ リオストロの復讐」(長 編)
LA CAGLIOSTRO SE VENGE

<ネ タばれ雑談その2>

☆「復讐」の舞台

 では恒例の物語の舞台探索だ。
 物語の冒頭、ラウール=ダベルニ―ことルパンはパリの目抜き通りを意気揚々と歩いている。そしてプロバンス銀行(la Banque des Provinces)の貸金庫室に入ったところで偶然フィリップ=ガブレルが 大金をおろしているのを目にして、泥棒の本能からその跡をつけ始める。この銀行がどこにあるのかは不明だが、そもそも「プロバンス」とは「地方、田舎」の ことなので単に「地方銀行」と訳すほうがいいのではないかという気もする。とりあえず保篠版、創元版、偕成社版いずれも「プロバンス銀行」と固有名詞で訳している。

 フィリップ=ガブレルはその後ル・アーブル通り(la rue du Havre)に入って菓子を買い、そこからサン・ラザール駅に 行き、列車に乗り込む。偕成・創元ともに「ル・アーブル通り(町)」という訳になっていて意味はその通りなのだが発音からいえばあくまで「アーブル通り」 であり、パリの地図を見ると確かにサン・ラザール駅のすぐそば、オスマン通りとサン・ラザール通りを結ぶ200mほどの通りに「アーブル通り」の名が見つ かる。だとするとルパンが入った銀行はオスマン通りにあったかもしれない。

 ガブレルはサン・ラザール駅から「サン・ジェルマン線(la ligne de Saint-Germain)」の列車に乗り込む。この路線はパリから郊外のサン・ジェルマン・アン・レーを結ぶもので、開通が1837年とパリ周辺鉄道ではもっとも古い。この路線で二度セーヌ川を渡ったところにあるのがシャトゥー(Chatou)、その先にあるセーヌ川に囲まれた地点にあるのがル・ベジネ(Le Vésinet)で、この駅でガブレルは列車を降りている。このル・ベジネこそが『カリオストロの復讐』の物語のメインの舞台だ。

 

 小説中で描写されるように、このル・ベジネは当時すでに厳しい建築規制が敷かれ、緑と水に囲まれた風光明美なパリ郊外の別荘地となっていた。ル・ベジネの駅を降りると大 小二つの湖(池)があって、小さいほうの周囲に別荘が立ち並び、そこから500mほど歩くと中央に島のある大きな湖がある、という描写があるが、これを現 在のgoogle地図(上右図)で確認してみると、小さい方が「シュペリュール湖(Lac Superieur)」、大きい方が「イビス湖(Lac Ibis)」な のではないかと思われる。イビス湖の島には「Pavillon des Ibis」というレストランがあり、その店のホームページによると20世紀初頭から経営しているようなので、ルパンが素晴らしい食事を楽しんだというレス トランのモデルがこれではないかとも推測できる。
 だとすると、連続殺人の事件の現場はシュペリュール湖周辺ということになるのだろうか。

 中盤でフェリシアンがロランドを誘拐して車で逃走、ルパンとジェロームが車でこれを追跡する場面がある。車はサン・ジェルマン方向へ走ったのでルパンも当初その方向へ追ってセーヌ川を渡るが、フェリシアンの逃走ルートを推理してベルサイユ方向へ向きを変え、サン・シールトラップと南西方向へ走ってランブイエでついに追いつく。なおフェリシアンはパリとボルドーの間のポワトゥ―地方(フランス南西部大西洋岸地域)の出身とされていて、それがルパンの推理の根拠となるのだが、『ルパン逮捕される』においてルパンが扮していたベルナール=ダンドレジー(ルパンの母方の従兄弟とされる)は「ポワトゥ―地方の名家」を自称していた。そういうこともあってルパンには広い意味での“土地勘”があったのかもしれない。

 ここで一モンチャクあってから、ルパンはフェリシアンと別れ、ノナンクールエブルーリジューと北西へ走って、デュグリバルの家があるカンにたどりつく。カンでフェリシアンが「泥棒」をしているのを目撃してからパリへ引き返し、途中リジューで一泊してからル・ベジネに入るのを避けてその南のクロワシー・シュル・セーヌを抜けてセーヌ川の岬をまわってシャトゥーの外れに行き、フォスチーヌを呼び出している。そこからブージバルマルメゾンを抜けてヌイイからパリに入り、マイヨ門でフォスチーヌを降ろしてからブーローニュの森の近くにあるラヌラー(Ranelagh)の隠れ家に入っている。これは「パリにいくつかある隠れ家の一つ」とされていて、相変わらずルパンは活動拠点をたくさん持っていることが分かる。そういえば名前が出てこないが運転手をつとめる部下が一人登場している。


☆五十歳間近のルパンの状況

 物語の冒頭はパリの町中を楽しそうに歩く、五十歳間近のアルセーヌ=ルパンの描写だ。「歩き方がさっそうとして、細身のうえに最新の身なり」であるため、脇目や遠目には「二十五歳以上には見えない」とのこと。ということは近寄ればさすがにもう少し年上に見えるんだろうけど、それでも「若いやつらをうらやましがらせるくらいの魅力はたっぷり」と ルパン本人も自身たっぷり(笑)。実際本作でも若き美女との恋愛沙汰は健在だし、その女性が息子と関係してるんじゃないかと疑って激しく嫉妬の燃えるあた りは、まだまだその方面でもお盛んである。もっともそのフォスチーヌもラストでは75歳の老富豪と結婚してしまっているし、関係はやはり一時的なものなの だろう。

 楽しげに歩く四十九歳のルパン、財布の中身はもちろんたっぷりだし、ズボンの尻ポケットに銀行も名前も違う(偽名使い分け)小切手が四冊も入っている(しかし小切手が四冊も入るもんだったのか、尻ポケットに?)。ルパンは「ラウール=ド=リメジー」「ラウール=ダブナック(「バール・イ・ヴァ荘」で使用)」「ラウール=デンヌリ「謎の家」のは「ジャン=デンヌリ」だが)」「ラウール=ダベルニー」といった名前で世間の信用を得て財産を持っており、この物語ではもっぱら「ダベルニー」として活動している。全て「ラウール」という洗礼名は共通にしているのは彼の元々の洗礼名だからだろうが(「女王の首飾り」でそうだったため)、本文によると「つつましいどこにでもいそうな田舎の小貴族」の名前ばかりなのだという。しかしすでにルパンの変名とバレている名前をそのまま使っていることで警察に怪しまれたりしないんだろうか。

 この他にもフランス各地の河岸や洞窟、近寄るのも難しい崖の穴などに金の延べ棒や宝石袋を隠しているという。ルパンの全財産の額については次作『ルパンの大財産』で「百億フラン近い」とされている。これが現在の日本円でいうとどのくらいなのかについての検証はその次作の雑談で行うことにしたい。とにかく楽勝で大貴族並みの生活が送れるほど稼ぎに稼いでしまっていることは確実だ。

  しかしそれでも「泥棒本能」のほうは相変わらずの鋭さで、プロバンス銀行でたまたま大金を手にした男を見かけると、さっそく追跡を開始している。こういう 大金は「独特の匂い」を発するものだそうで、ルパンのようなプロには絶対間違えようがないのだそうである。ルパンは表面的には平静を装いつつ(他人に気づかれるようではプロではない)、内心は興奮でゾクゾクしており、やっぱりこういうところ、根っからのドロボーさんなのである(笑)。「これほどの財産家であれは、それほど札束にがつがつしないものなのである」と本文にあるが、どう見てもがっついてるようにしか見えないんだよなぁ。

 大金を隠し持つ相手の隣に別荘を買い(その代金はあとで買った相手から盗んで取り返す予定)、 入念に準備しつつ機会をうかがうルパン。予想外の殺人事件が起こって大金の話は読者もほとんど忘れてしまうが、最後の最後に、ドサクサに紛れてちゃっかり いただいちゃいました、とさらりとバラす場面が楽しい。単なる釣り好きのオジサンとして語り合ったルースラン予審判事もこう思っている。

 (それにしても奇妙な男だ。(中略)こんなに上品なのに、性根はあくまで泥棒なんだ。この男は一生、人を救い続けるだろう。だが一方で、他人の財布を失敬する機会があれば、けっして自分をおさえないだろう)(長島良三訳)

 さすがに司法官のはしくれとして、この男と握手したものかどうかルースランも迷うほど。まぁルパンも脱税したやつから盗むんだからいいのだ、という論法を持ち出して言い訳してるが、少なくとも原作では南洋一郎版みたいに「悪人から盗んで貧しい人に恵む」なんてことはまずしない。あくまで自分のポケットに入れちゃうのである。

 そんなルパンだが、ぼちぼち腰を落ち着けたいと思っていることをそこかしこで漏らしている。盗みの手段として別荘を買うが、「たまの週末、ゆっくり骨休めをしたかったんだ」という理由も挙げている。そして事件解決後、ルースランに「これが、わたしの最後の冒険になると思うんです」と語り、事実上の引退表明もしてしまう。「悪事もしたんだろうが、いい男だったな」と言われたい、とまでルパンが言ってしまうとちょっと物さびしい気もしてしまう。この「いい男」というのは原文では「brave homme」となっていて、辞書を引くと「いいひと」と同時に「お人よし」のニュアンスも含むようである。

 物語の最後にルパンは15ヶ月もの外国旅行に出かけ(これは次作「ルパンの大財産」と矛盾するのだが)、帰国後は南仏の観光地コート・ダジュールの大邸宅に住みつく。ニースを見下ろすアスプルモンの村(ニース北部に実在する)近 くの高台に別荘を構えてもいる。どうやらフェリシアンたちもニースに住まわせたようだし、今後は子や孫に囲まれて風光明美な南仏で悠々自適の余生を…とい う予感を感じさせてこの物語は締めくくられる。これで終わればルパン物語の大団円ではあったのだろうが、このあと一応続きが書かれ、これとは矛盾した展開 になってしまうから困りもの。


☆父親としてのルパン

 本作の読みどころは殺人事件の謎解きそのものよりも(というか、たいていの人は分かっちゃうよね)、 フェリシアンが本当に生き別れになっていたルパンの息子なのか、そしてタイトルにもなっているカリオストロ伯爵夫人の「復讐」――「息子を泥棒にせよ、できれば殺人者に。そ して父親と対決させよ」という恐るべき計画は本当に実現するのか、というルパン個人の苦悩をめぐるサスペンスだ。ルブランは「ルパン最初の冒険」として 『カリオストロ伯爵夫人』を構想した段階でこの話をほぼ決めてあったと思われ、その部分についてはさすがになかなか読ませる展開となっている。

  『カリオストロ伯爵夫人』の結末によると、ルパンはさまざまな冒険を繰り広げながら、同時にジョゼフィーヌ=バルサモと息子ジャンの姿を探し続けていたと いう。しかし分からないまま四半世紀が過ぎてしまい、ようやくこの物語で唐突にその消息が目の前に意外な形で現れることになる。
 『カリオストロ伯爵夫人』によるとジャンが生まれ、クラリス(本作ではなぜかクレール)が死んだのはルパンの結婚6年目の初めだったという。だとするとジャンは1899年の生まれと推測され、『カリオストロの復讐』時点では24歳ということになる。しかし本作のフェリシアンは初登場時「二十七、八といったところ」と描写されている。先述のように本作は1926年の可能性もあるのでこれはそっちの方が正しいとも解釈できるが、あくまで外見上のことだし、フェリシアン自身何者かから養父母に預けられて育てられているので自分の正確な年齢も知らなかったはずだ。

 フェリシアンの前歴を探るうちにジョゼフィーヌ=バルサモのその後のことも明らかになる。15年前にコルシカで死んでいたのだ。1923年から15年前というと1908年。ルパン史で見ると『奇岩城』のころである。ジョゼフィーヌが自分の教え子にして愛人だったルパンの大冒険をどのような思いで横目に見ていたのか、いろいろ思いを馳せてしまう。なお、アメリカで2010年に発売された『アルセーヌ=ルパン対カリオストロ』(「カリオストロ伯爵夫人」「カリオストロの復讐」の新規英訳を一冊にまとめたもの)には「カリオストロ伯爵夫人の死」と題する贋作短編が収録されている。

  フェリシアンが息子ジャンかもしれないと知って、さすがにいつになくうろたえるルパン。しかもあくまで推測させる間接的証拠ばかりなので(直接証言できる人物は全て死んでしまった)、余計に苦しめられ ることになる。仮に本当に息子だとしても、悪党の人殺しで、自分の敵かもしれないのだ。自殺を図ったフェリシアンを介抱して(お前は本当に俺の息子なのか)と思う場 面や、フェリシアンにあれこれ問いただして本当のことを話す時と嘘をついている時とを見抜いて一喜一憂する場面など、これまでのルパンでは考えられないような場面が次々と描かれ る。
 フェリシアンが大男のジェロームと格闘し、柔術で勝ってしまうのを見たルパンのはしゃぎようも印象深い。「ま、型は古いが」などと元柔術の教師らしいツッコミも入れてるが、その逆手を駆使した寝技の腕前、ボクシングの技術には彼らしくもなく賛嘆している。「なあ、ルパン君、あの若いのは、息子としては思っていたほどわるいできじゃないだろう?」と つぶやき、すっかりいい気分になるルパンの意外な「親バカ」ぶりが微笑ましい。それにしてもルパン自身も「どこで習ったんだ」と言ってしまうように、フェ リシアンは柔術やボクシングの技術をどこで覚えたのだろう?ルパンも幼少期に父親から学んだらしいのだが年齢的に無理もあり、もしかしてこれはルパン家の 「遺伝」なのだろうか(笑)。

 結局あとで誤解だったと分かることになるのだが、その「親バカ」の直後にフェリシアンが堂々たる「盗み」をしているのを目撃したルパンが一転して激しく苦悩する。(ほんとうにおそろしい。あれがもし実の息子ならばだが。それにしても自分の息子が泥棒だなんて、がまんできるだろうか?)と まで脳内でつぶやき、あの若者の犯行を目撃したのに平然としていられたのはあれが自分の息子ではないと言うことだ、とまで自分に言い聞かせるルパンの動揺 ぶりが興味深い。あれだけ楽しんで泥棒をし続け、「一家の主としてふさわしい職業」とまで言ってのけていたルパンが、自分の息子が泥棒になることには耐え られないというのだ。それがカリオストロ伯爵夫人の復讐計画の最たる狙いであったということは、ジョゼフィーヌ=バルサモもルパンのそういう心理を承知し ていた、ということなのだろう。この様子じゃお孫さんが泥棒になることなんてまして耐えられないんじゃないかと(笑)。
 しかし息子がやったことを自分も直後にやってみて、(他人がやるのを見ると、泥棒め、ただではおかないぞ、と憎らしく思うのに、自分がやるときにはたいして感じないものだ)なんて変なことを自覚していたりもする。

  結局話は丸く収まり、カリオストロの復讐も失敗に終わるわけだが、フェリシアンが本当にルパンの息子なのかについては最後まで確証がなく、ルパン自身もあ えてフェリシアンにそれを打ち明ける気もなく、このままの「いい関係」でいようと決める。これもまたルパン流の父性愛表現だろう。「彼にとっては、孤児だと思っているほうがいいのです。父親がほら、あなたもごぞんじのあの男だと知るよりは」とルースランに語っているように、あのルパンでも息子には泥棒という職業を知られたくはないわけだ。それでいてその直後に大金をちょろまかしたことをケロッと打ち明けてルースランを唖然とさせてるけど(笑)。

  ところで南洋一郎版『ルパン最後の冒険』ではこのルパンの「父親としての苦悩」がより強調されている。ルースランに「父親と名乗る気はない」と語る場面で は静かに頬に涙を流し、ルースランが立ち去ってから両手で顔を覆い隠して指の間から大粒の涙をこぼし号泣してしまうのだ。この場面に感動した方も多いかも しれないが、あくまで南の創作であり、原作のルパンは内面はともかくとして割とケロッとしていることは知っておいてほしい。また南版のルパンは「悪人から 盗んで貧しい人や慈善事業に施す」という義賊設定なので、この話でも盗んだ大金をちょろまかしたことは自身からは口にせず、ルースランが「察して」それを 見逃すという形になっている。また原作ではラストに再登場してルパンとのアバンチュールを演じるフォスチーヌも南版ではその部分がカットされている。
 一方、保篠龍緒訳の『カリオストロの復讐』は原作にほぼ忠実な内容となっているが、なぜか保篠自身による「はしがき」ではジャンのみならず『813』に登場したジュヌビエーブまでがルパンとクラリスの間に生まれた子供となっている。


☆その他いろいろ

 フォスチーヌがモデルとなり、そのあまりの見事さでサロン展の話題をさらったとされるのが「フリーネ」のヌード彫刻だ。フリーネ(Phryné、ギリシャ語では「フリュネ」と発音)は 紀元前4世紀の古代ギリシャに実在した高級娼婦で、娼婦の身でありながらその絶世の美貌、抜群のスタイルで知られ、自分から相手を値踏みして値段を決めて 莫大な財産を築きあげるなど、数々の逸話を残している。そのフリーネ像のモデルとなったフォスチーヌもまた大変な美貌とスタイルだった、ということだし、 フォスチーヌのキャラクターにもフリーネの逸話が反映されている。なお、保篠龍緒は「フリーネ」は日本人にはなじみが薄いと思ってか「ヴィナスの精」と変えている。ただし、フリーネが海から裸体であがる姿を見た画家が「ヴィーナスの誕生」をモチーフにした絵を描いたと伝えられ、その画題が有名なボッティチェリの絵にまでつながっているというから、全く無関係というわけでもない。

 フォスチーヌはルパンシリーズのヒロインとしては珍しい、非常に情熱的な女性だ。初登場場面からいきなりルパンを激しくなじり、恋人シモン=ロリアンの 命を救おうと病院に雇われて看護につとめ、その彼が死んでしまうと復讐の炎に燃えてあくまで仇討ちを果たそうとする。そして実際にかなり乱暴なやり方で果 たしてしまうと、それで気が済んだようで75歳の富豪ジイサンをつかまえて結婚、悠々自適な生活を送ることになる。ルパンの方は最初からかなり強く惹かれ るが、それを表面的にはてんで相手にせず、最後の最後でようやくなびく(直接的な描写はないけど)、というのも目新しい。
  こうした彼女の激しい性格は「コルシカ人」というキーワードでくくられるようだ。コルシカとは地中海に浮かぶフランス領の島だが、フランス領になったのは ようやく18世紀後半のことで、それまでは基本的にイタリア諸都市の植民地支配を受けていたため文化的にはイタリア的要素が強い。コルシカ出身の有名人と 言えばなんといってもナポレオン=ボナパルトその人だが、彼は少年時代にフランス語にひどい訛りがあってそれを周囲からからかわれていたという。
 コルシカ人が実際にそうなのかは知らないが、この小説におけるフォスチーヌの激しい「復讐」意識はイタリア、とくにシチリア島(マフィア発祥地として有名)などに見られるものと共通する。ルブランは『ジェリコ公爵』でも復讐に燃えるシチリア娘を登場させているので、「地中海の島国の女」というとこういうキャラ、という定番であったのかもしれない。

 事件の捜査状況について、どこからか情報を得てあれこれ書いている新聞の名前として「エコー・ド・フランス」が久々に登場している。シリーズ序盤では「ルパンの機関紙」なみによく登場したこの新聞だが、『813』以降のルパンの行方不明の間にルパンとの縁が切れていたらしく、『虎の牙』で編集長がドン=ルイス=ペレンナをルパンだと「誹謗」したことで決闘するハメになっていた。それ以来の再登場だが、ここでも怪しげな情報源をもとにした報道でルパンをいらつかせているので、ルパンとの縁も切れたままのようだ。

 ロランドとジェロームの結婚の日取りに着いて、ロランドが結婚公示期間が終わったらすぐ」と 発言している。「結婚公示」とは日本では耳慣れない言葉だが、フランスやイタリアなど世界各地で行われているもので、結婚が決まったカップルについて役所 がその結婚の事実を公の場所に一定期間掲示し、異議申し立てがあればその間にせよ、問題なく公示期間が過ぎれば結婚してよし、とするもの。この公示期間は フランスでは現在二週間となっているそうで、この時代もたぶんそうなのだろう。結婚式自体も役所で行う事務手続きを兼ねたものと教会で行う宗教的なものと があり、ロランドとジェロームの結婚式も同日のうちに市庁舎と教会の二カ所で行われている描写がある。
 それにしても、ラストでルパンが「最初か ら私に頼んでくれれば」と愚痴みたいに言ってるように、ジェロームが真犯人であることを暴くためにわざわざ正式に結婚までしなくても、と思ってしまう。本 心からではないし新婚初夜のそのときに真相を突き付けて「離縁」するわけだが、市庁舎と教会で公式に結婚してしまっており、ロランドは正式に「エルマ夫 人」なのだ。そりゃ事情を承知しているとはいえフェリシアンも頭に来ようというもの(フェリシアンと公式に結婚するには離婚手続き等で数カ月は待たねばならない)。小説の書き手としては読者をハラハラさせるサスペンスの仕掛け、およびルパン自身もだまされるトリックとしてこの結婚を描いてるわけなんだけど、やっぱり無理があるというものでは。
 話として無理があるからということもあるし、公式に結婚してしまうのは倫理上問題ありと考えたのだろう、例によって南洋一郎はこの部分を改変し、まだ結婚式を挙げる前に暴露劇が行われることになっている。

 2004年にフランスで製作された映画「ルパン」は 『カリオストロ伯爵夫人』を原作とした映画だが、終盤にルパンの息子がジョゼフィーヌ=バルサモに誘拐される原作と同様の展開があり、はるか後に老境に 入ったルパンが息子と再会する場面で終わる。この部分は『カリオストロの復讐』を念頭に置いたシナリオなのは間違いないが、話は大幅に異なる。ジョゼ フィーヌは不老不死の魔女になっていて、以前と変わらぬ姿でルパンの前に現れる上に、ルパンの息子ジャンを父親同様にたぶらかして、なんとテロリストに仕 立て上げている。
 ジャンはオーストリア皇太子の車のそばに爆弾入りのカバンを置いて暗殺をはかるがルパンに阻止される場面で映画はしめくくられ る。「ルパンの時代」であったベル・エポックも過ぎ去り、第一次世界大戦を間近に控えた時代になっていた、ということを表したかったらしいのだが、観客と しては中途半端に放り出されたようなラストになってしまっていた。


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