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ボワロ=ナルスジャック・作
「アルセーヌ・ルパンの誓い」(長 編)
LE SERMENT D'ARSÈNE LUPIN
初出:1979年
邦訳:ポプラ社怪盗ルパン全集「ルパン危機一髪」(南洋一郎文) 

◎内容◎

 有力な野党政治家が、アパートのエレベーターの中で他殺体となって発見された。事件の政治性を疑う総理大臣や内務大臣は、刑事部長ルノルマンに事件の慎 重な捜査を命じる。ルノルマン、実はアルセーヌ=ルパンは捜査をすすめるが行く先々で次々と殺人事件が巻き起こる。美術学生の青年が容疑者として逮捕され るが、ルノルマンは疑問を抱き、彼の母親エレーヌを助けて事件の真相を探ろうとする。



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アデルデュノワ
オーベルテ議員の女性秘書。

☆アドルフ=ロシャンベー ル
総理大臣。

☆アドリアン=ビバンデエィエ

葬儀屋。

☆アベル=シャプラール
内務大臣。

☆アルセーヌ=ルパン
怪盗紳士。

☆ヴァニエ
ルノルマンの部下の刑事。

☆ヴィクトル=クールセル
印刷業者。

☆エルベ=ダルベラン
老伯爵。

☆エレーヌ=ボセル
オリビエ=ボセルの母親。

☆オーギュスト=オーベル テ
 国民急進党の党首をつとめる国会議員。エレベーターで殺害される。

☆オーベルテ夫人
オーギュスト=オーベルテの美貌の妻。

☆オクターブ
ルパンの運転手をつとめる部下。

☆オリビエ=ボセル
オーベルテ夫人にあこがれる青年。

☆ギュウスターブ
ダルベラン伯爵の召使。

☆グレゴワール=ダルベラ ン
ダルベラン伯爵の甥で後継者。

☆グレル
国家警察部刑事。ルノルマンの忠実な部下。

☆コサード夫人
私立探偵コサードの妻。

☆ゴンドネル大佐
最初の事件現場の十人。

☆ジェラール=モリニ

印刷工場経営者。

☆ジュル=プレジョワ
最初の事件現場の管理人。

☆ジャン=クルワザ
警視総監。

☆ジョゼフ=アンセルマン

大手の毛皮商。

☆ドードビル兄弟

ルノルマンの部下の若手刑事兄弟。

☆ビクトワール

ルパンの乳母。

☆マチウ=コサード
元パリ警視庁警刑事の私立探偵。

☆マルシャン
ルノルマンの部下の刑事。

☆ユルバン=モーリエ
資産家のモーリエ夫人の年下の夫。浮気を疑われている。

☆ラウール=ド=リメジー

ルパンがなりすます青年男爵。

☆ルノルマン
老人ながら優れた捜査力を発揮する刑事部長(国家警察部部長)。

☆ロフール
ルノルマンの部下の刑事

☆ロベール=ムレ

最初の殺人事件の第一発見者となった仲買人。

☆ロランド=ムーリエ

資産家女性。政略結婚した年下の夫の浮気を疑っている。



◎盗品一覧◎

なし。


<ネタばれ雑談>

☆「新ルパンシリーズ」第5弾、主役はなんと…

 ボワロ=ナルスジャック作による「新ルパンシリーズ」もいよいよ第5作目。 そして当初から予告されていたように、本作がこのシリーズの最終作になる。このあと短編がひとつ発表されているが、ボワロ=ナルスジャック作が当初構想し た長編シリーズは予定通り完結になる。
 ボワロ=ナルスジャックはこれまでの作品でも、ルブランのオリジナルシリーズにそこそこもぐりこめるような年代設定、内容のリンクを作中に組み込んでき たが、この『アルセーヌ=ルパンの誓い』ではなんと 主人公があのルノルマン国家警察部長 である。本文中でも主人公の主語はほとんど「ルノルマン氏」で統一されている。

 この文を読んでる人で『813』未読という方はま ずいないと思うけど、そのネタばれを回避指したいという方は、以下は読まれない方がよろしいかと。




 ルノルマンの正体は、もちろんアルセーヌ=ルパンその人。ルパンが警察の捜 査指揮官そのものになっていたわけだが、その立場での活躍が描かれたのは『813』だけだ。だがその『813』の中でも「ルノルマン国家警察部長」の数々 の難事件解決はさらっと触れられていた。詳しくは『続813』のネタばれ解説で書いておいたが、ルブラン自身もこのルノルマンによる事件解決を作品化する 構想を持っていたように思える。そして同様の構想をボワロ=ナルスジャックも抱き、この作品に結実したのだろう。

 本作でもルノルマンが過去に解決した事件といて「ドニズー事件」「リヨン銀行強奪事件」「ドルフ男爵事件」の三つが『続813』からそのまま引用されて いる。このうちルブランが作品化の可能性をほのめかしたのは「ドルフ男爵事件」で、ボワロ=ナルスジャックもこれに挑むという手もあったんじゃないかな、 と思うのだが、あくまでオリジナルの事件を創作することになった。ま、そこは当時フランスを代表するミステリ作家である彼らだけに、オリジナル推理小説で 勝負してみたいという気持ちもあったはずだ。

 冒頭いきなりエレベーターの中から有力政治家の他殺体が発見される。事件の鍵を握ると思われた私立探偵も殺され、動機が政治的なものなのかそうでないの かが政府要人にとっても重要事となる。容疑者が逮捕されるが、その母親は無実を訴え、その証拠を握るかと思われた人物もまた密室状態で殺害される、ルノル マン、すなわちルパンは私立探偵の調書を手がかりに、泥棒としての本業も生かして(?)危険な捜査に乗り出していく…
 と、書くとなかなか面白そうに聞こえると思うのだけど、実のところあんまり面白い話ではない。この「新ルパンシリーズ」自体、残念ながらどれもそれほど よくできてるとは思えないというのが筆者の本音で…。主人公がルパンである必然性があるんだろうか、と思うような傾向は作を追うごとに強くなり、冒険小説 よりも推理小説色が強められていって、とうとう本作では「国家警察部長」が主役ということで事件捜査をメインとする「刑事もの」「警察小説」になってし まった観もある。

 まぁ事件の設定や捜査の展開自体は結構リアルではある。連鎖する殺人事件の捜査は一筋縄ではいかず、ルノルマンも方向違いの捜査を進めるところがある し、地道な調査から複数の容疑者が浮かび上がり、それをコツコツとつぶしていくような展開は、リアル系警察小説のようでもある。だがネタばれ回避して書く と(本作の訳本を読める人は多くないはずなので)、 終盤の展開はあまりにも唐突だし、最終的に分かる犯人の意図や行動も、読者の意表は突くかもしれないが無理やりな印象も受けてしまう。
 

☆まだ全訳が出ていないルパン譚

 この「新ルパンシ リーズ」、パスティシュ(模作)ではあるが一応原作者ルブランの遺族の許可をとり、内容的にもリンクするように書かれた「公式続編」といっていい。そのせ いでルパン大好きの日本でも次々と訳出されたのだが、最終巻となる本作についてはいまだ「全訳」がなされていない。前作『ア ルセーヌ=ルパンの裁き』は入手困難とはいえ全訳が出ていたのに、なぜか本作はその動きがなかったのだ。

  唯一 の訳本が、ポプラ社の南洋一郎による児童向け「怪盗ルパン全集」の最終巻 (30巻)となった『ルパン危機一髪』だ。同全集の 他のボワロ・ナルスジャック作品同様に原著の刊行からそれほど間をおかないハイスピードで、1980年の3月に刊行。それから間もない7月に南洋一郎が死 去し、偶然にもルパン全集の最終巻がそのまま遺作ということになった。
 同時期に他社から大人向けの全訳本を出す企画くらいはあったんじゃないか…と思うのだが、どこも実行しなかった。あくまで推測だが、前作『裁き』の時点 でサンリオという変わったところからの出版であったことからも、このシリーズが「売れない」と業界的に判断されたのではないだろうか。前作もいまだ入手困 難であることから分かるように部数はかなり少なく、それでこの『誓い』全訳に乗り出すところがどこもなかった、ということかと、

 さて南洋一郎の「怪盗ルパン全集」といえば、当サイトでさんざん紹介したように、「翻訳」ではなく「翻案」といっていい内容である。ストーリ―の骨子は 変わらないものの、児童向けの読みやすさ第一ということで原文をかなりはしょる、あるいはほとんどオリジナルといっていいほどの文章にしてしまう。恋愛ば なしはたいてい全カット、ルパンの「義賊」ぶりを強調し、下手すると話そのものまで変えてしまう。ボワロ=ナルスジャック作品になるとますますその傾向が 強まり、犯人変更やまるきり違う話にしちゃったりしている。前作など大幅に省略した内容にして、足りないページ数を埋めるために全くのオリジナル短編を でっちあげてしまったほどだ。

 そのあとに出た『誓い』の南版、『ルパン危機一髪』である。タイトルからしてルパンが大ピンチに陥る!と騒いでるわけなんだけど、話の大半は「ルノルマ ン刑事部長」の地味な捜査であり、「危機一髪」な状況が出てくるのはかなり終盤になってのことで、当時の児童読者にしても「詐欺タイトル」に思えたのでは なかろうか。
 ただタイトルこそ詐欺ながら、内容はというと実はほとんど変更がない。これについてはずいぶん昔にアップした南版全集のコーナーでも紹介しているよう に、筆者はフランスで出版されたブカン版ルパン全集に収録された原文を入手してざっと比較をしてみた上での結論だ。今回、筆者にとってはフランス語よりは 読める中国語の全訳版も入手してより詳しく比較を行い、やはり『ルパン危機一髪』が他の南版に比べてかなり原著に忠実な内容となっていることを確認した。

 もちろん児童読者を考慮して本文の省略や補足は各所にある。だが登場人物の会話の応酬、地の文の表現など、かなりの部分で原著そのままになっているのも 確かで、南洋一郎にしては…と思わされるところが多かった。一つだけある大きな改変は第七章がまるごと削除されていることで、南版だとルノルマンがダルベ ラン伯爵の城館を訪ねた場面の直後に、ルパンが夜間その城館に忍び込む展開になっているが、原著では忍び込む前に別の容疑者を追跡して事件が発生する章が 入っている。だが本筋から離れた展開だし、カットしてもほぼ問題ないと判断したのは無理もない。

 南洋一郎は前作『ルパンと殺人魔』で久米みのるの協力を得たと書いており、 あるいは高齢のために執筆のエネルギーが衰えていたのかもしれない。『危機一髪』のまえがきではそのようなことは書かれていないが、どうも原著の料理の仕 方が南洋一郎らしくなく、もしかして他人の手がかなり入ったために原著に近い形になっているのかな…という勝手な想像もするのだが、確認のしようがない。

 ご存じのように南洋一郎版ルパン全集は現在もポプラ社から形を変えて刊行されているが、ボワロ=ナルスジャック原作は全てそこから除外されている。おか げで『ルパンの誓い』の唯一の邦訳である『危機一髪』も読むには古本をあさらないといけない状況だ。「ほぼ全訳」といっていい内容とは書いたが上述のよう に削除や文章の簡素化がないわけではないので、どこかで全訳してくれないかな、と願っている作品である。他のボワロ=ナルスジャック作品ともどもきっちり した訳本を出して、一応「公式」なルパン物語を簡単に読めるような時代が来てほしいものだ。


☆その他あれこれ

 本作はルノルマンが主人公なので、1912年の事件である『813』よりは前の時代であるのは明らか。総理大臣がバラングレーではなくロ シャンペールという、ルブラン作品には登場しない政治家なので、『813』より数年はさかのぼるのでは、と推測される。
 年代推定の材料はもう一つ、ルパンが名乗る偽名が「ラウール=ド=リメジー男爵」であること。この名前は『緑の目の令嬢』で名乗っていたもので、こちらもラストで 『813』より前の話だと明かされているし、作中の日付から1908年か1909年と推定される。『ルパンの誓い』はそれよりあとになるので、1910年 あたりの話かな、と考えている。

 『813』では気の毒なことになったグレル刑事が本作でまさにルノルマンの 猟犬よろしく大活躍してるのは、シリーズ読者としてはちょっと嬉しい。他にもルパンの部下では運転手のオクターブも登場している。南版ではカットされてい るのだが、実はルノルマンの部下としてドードビル兄弟もちょこっとだけ顔見せ 程度に登場している。おなじみルパンの乳母ビクトワールもやはりちょこっとではあるが登場していて、ボワロ=ナルスジャック作品としては二度目の登場だ。 この時期にビクトワールとルパンが一緒に行動しているのは『813』と矛盾するのだが、それはルブランもやっちゃってたこと。


 この小説、ルノルマンを主人公にした警察小説の趣があって、「ルパン」の影はかなり薄い。先述のように「ラウール=ド=リメジー」の名で活動する時が素 顔のルパンに近いが、その出番自体があまりない。城館のお宝の山を目にして「このままじゃ泥棒の腕がさびついちまう」と言ったりしてるので、さすがにルノ ルマンを演じていた時期は泥棒業の方はご無沙汰だったみたい。それで久々にやってみたら罠にはまって危機一髪、ということになるんだけど、とっさの機転で ピンチを切り抜ける。この辺だけは「ルパンらしい」話になっていた。
 
 ルパンらしさと言えば毎度の恋愛沙汰がある。この方面はボワロ=ナルスジャックが苦手にしていたのか、1970年代ともなると毎度違う美女と恋…という のもどうかという風潮もあったのか、「新ルパン」シリーズではルパン本人の恋愛ばなしがほとんどない。本作ではようやくというか、ルパンが熱をあげてしま う美女が登場する。
 ただし、それは二十歳の息子がいる四十前後の女性だ。まぁ年齢を感じさせない美女、ということなんだろうけど…このパターンは『水晶の栓』をヒント、あるいは参考にしたかもしれない。殺人 容疑をかけられた息子を救うために必死になる母親というシチュエーションがそっくりだ。


 冒頭で殺害される政治家オーベルテは「国民急進党(Jeune Parti National-Radical)」の党首という設定だ。原文を見ると「急進国家主義青年党」とでも訳すべきもので、もちろん実在の政党ではなく創作さ れたものだが、名前からしてかなり右寄り、国家主義・民族主義の色が濃い政党だと感じられる(中国語版では「民族激進青年党」と訳していた)。来たる議会 で軍事費について政府を突き上げる予定だったとされ、このために事件に政治的意図があるとなると世論が怖いと総理大臣ら政府首脳が懸念している描写もあ る。
 第一次世界大戦前夜のこの時期、ドイツの軍事的脅威が高まっていて、特にフランスとはモロッコ事件など緊張する事態も起こしていた。政府もドイツを警戒 はしていただろうが、こうした強硬論を叫ぶ右派政党、それも党首が若くハンサムで人気者、というのはかなり厄介だったはず。そんな時代の空気をこの作品は 事件の味付けに使っているわけだ。


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