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保篠龍緒・作?
「鐘楼の鳩」(短編)
初出:1955年(昭和30年) 岩谷書店「宝石」4月号
◎内容◎
世界大戦終結からしばらく経ったころ、作家の「私」はエーン県ブレーヌに、旧知の牧師を訪ねた。偶然にもそのとき牧師の教会に泥棒が侵入しするが、何も
盗まれた形跡がない。この謎を解こうと教会を調査をするうち、「私」は石に彫られたラテン語の暗号を発見する。一部しか読めないそのラテン語はどうやら教
会に隠された中世の財宝のありかを示しているらしいのだが…
◎登場人物◎(アイウエオ順)
☆アルセーヌ=ルパン
怪盗紳士。
☆テーム牧師
「私」の知人。ナンシー近くのデュアールの牧師からブレーヌの司祭長に昇進。
☆私
作家。
◎盗品一覧◎
◇クローテルの財宝
メロバン(メロヴィング)王朝の財宝。
<ネタばれ雑談>
☆「原作」不明の謎の一作
この作品、僕もこのサイトの掲示板で詳しい方から教えていただくまで全く存在を知らなかった。実際ネット検索で『鐘楼の鳩』と探してみてもヒットするのはその時の掲示板のログと雑誌「宝石」のリストぐらい。ほぼルパン研究・
保篠龍緒研究をされている方の間でのみ、その存在が知られているようで、僕は神保町の古本屋で掲載号の「宝石」を入手してようやく読むことができた。
読む機会を得られない人も多いだろうから、本作についてももう少し詳しくあらすじを書いてしまおう。
世界大戦が終わってしばらく経ったころ、作家の「私」は戦場の傷跡もなまなましいエーン県
ブレーヌ(パリ北方、ソワソンの近くに実在。西部戦線で戦場となった地域)に
知人の牧師を訪ねてやってくる。そのとき牧師が司祭長をつとめる教会では、鐘楼に何者かが侵入したらしく、鐘の鐘木が布で包まれて音が出なくなっていたう
え、鐘楼の屋根の瓦が2、3枚壊れ、シャベルで鐘楼の頂上の棟木に穴が開けられていた。牧師は一応警察に届けるが何も被害があった様子はない。牧師に「パ
リではこんな事件は再三扱っとるじゃろうが」と言われ、「私」は調査を始める。
中世に建てられた古い鐘楼の見張り台を調べてみると、石にラテン語らしき文字が彫られており、
「QUU...COL.....GET......RUS...RIET」という部分だけがかろうじて読み取れた。そして鐘楼の頂上には石でできた眠れる
鳩(COLUMB)の像があり、それが犯人たちによって破壊されていたことが判明する。「私」はそこから推理を進め、謎の文句は
「QUUMCOLUMBA RESURGET THESAURVS APERIET(鳩が目を醒ました時、財宝が現れる)」で
あろうと推測する。この地方の歴史を書いた本によれば、メロバン王朝の王・クローテルがこの地方に財宝を隠したという言い伝えがあり、これがその暗号では
ないか、泥棒たちはそれを狙って「鳩」の像を「起こそう」としたのではないかと推理するのだ。だが泥棒たちが財宝を持って行った形跡もなく、この暗号解読
も正しくないようだ。
ところが教会の納戸の壁に作りつけになった、一本の脚が金具で座席に据え付けられている古い櫃(ひつ)を見て「私」はひらめく。「私」は複数の新聞に手紙を送り、
「泥棒たちは彫刻文字を曲解した。彼らは地上の財宝を空に求めたが、財宝は依然として地上にある」と
の記事を掲載させ、泥棒たちをおびきよせる計略を立てた。はたして深夜に泥棒二人が教会に忍び込んできて、待ち構えていた警官たちによって捕らえられる。
そこで安心した「私」は謎解きを始める。クローテルは「鳩」に目をそらすためにあんな暗号を書いたのだが、実は中世で「COLUMB(コロンブ)」とは
「鳩」ではなく現在の「コロンヌ」、つまり「支柱」「椅子の足」のことを意味していたのだ。「私」が櫃の金具の脚を力いっぱい動かすと、細工が動いて座席
の下の秘密の扉が開いた。そこには宝石・宝冠・金銀がドッサリ!
と、そのとき。不意に後ろで声がする。
「いや、どうも有難う。諸君、我輩は大馬鹿だった。幸い君のお蔭で宝庫が開かれた」と突然現れた人物は、外で見張りをしていた三人目の泥棒だった。彼は部下二人を解放してピストルを持たせ、警官たち、そして「私」と牧師を難なく縛り上げると財宝をかっさらって立ち去ってしまう。「電報を打つよ」と「私」に言い残して…
結果的に牧師に迷惑をかけてしまった「私」は平謝りして、悄然と教会を去る。駅で汽車に乗り込んだところへ電報が届く。その文面は…
「アツクオレイモウシアグ。ゴキゲンヨウ。オモシロイジケンデシタ。 アルセーヌ・ルパン」
…さて、いろんな意味で扱いに困る作品である。掲載された「宝石」では「世界短編傑作特集」の一編として
「モーリス・ルブラン 保篠龍緒訳」と堂々と明記されているのだが、かの
『青色カタログ』『空の防御』同様にルブランの原作は確認されていない。
しかもルパンはラストに登場はするもののほとんどオマケ、物語の核心をなす謎解きをするのもルパンではなく執筆者の
「私」で、ルパンはそのお手柄を横からかっさらっていくという役どころだ。この「私」はシリーズ初期に登場していたルパンの伝記作者とは全くの別人であり、明らかにルブランの記述スタイルではない。なおルパンが去り際に
「連れの一人に天才的小説家がいたので…」と口にしており、これがルパンの伝記作者のことのようにも思える。しかし、だとすると伝記作者も一緒に泥棒をやっているのかな?(笑)
では本作は完全に保篠龍緒の創作物なのだろうか?あくまで読んでみた上での印象だが、日本人が勝手に創作したものにしては少々出来がいいのだ。少なくと
も『青色カタログ』『空の防御』よりは、という話だが、フランスの地理・歴史・古語の知識を動員する必要がある暗号は日本人がヒョイとつくれるものではな
いような気がする。掲示板でこの作品の存在を教えてくださった方も
「ルブラン以外の作家の作品を改作した可能性があるとも言われています」と書いておられ、実際に読んでみて僕もその可能性が高いと思った。最後におまけのようにルパンが登場する改変は、保篠氏のルブラン原作の非ルパンものの翻訳でよく行われていた「前科」もある。
改めて、ルパン翻訳史はルパンなみに変幻自在・奇奇怪怪だと思わされたものだ(笑)。
<この件については後日新事実が確認されました。文末をご覧ください>
最後に歴史考察をちょこっとだけ。
作中で出てくる「メロバン王朝」とは中世フランク王国の
メロヴィング朝のこと。481年に即位した
クローヴィス(465-511)が
現在のフランク全部族を統一して建国したのが始まりで、クローヴィスはローマ・カトリックに改宗したうえパリを都に定めるなど、その後のフランスの「生み
の親」ともいうべき存在だ。クローヴィスの死後、その領土は慣習に従って息子たちに分割相続されたが、息子の一人である
クロタール1世(497-561)が親族間の紛争の末にこれを再統一、その後のフランク王国発展の基を築いた。このクロタールは小説中にも近くの町として出てくるソワソンを本拠地としているから、財宝を隠した「クローテル」とはこのクロタール1世のことを指していると思われる。作中で
「ガレスウイントの暗殺、プラエテクスタスやルーアンの大僧正やレッダストやツール伯の殺害事件」な
ど奇怪な事件がこのブレーヌで起こっており、それはこの地に隠された王国の財宝が原因だったとの推理が示されるが、それぞれの事件が実在するものなのかど
うかは確認できていない。でもありそうな気もするし、こういう推理を示すこと自体、何か「原作」があったのではないかと予想させるのだ。
<2011年12月の追記>
追加情報をアップするのがかなり遅れてしまいましたが、その後2010年秋にこの「鐘楼の鳩」の「原作」が確認されました。当サイトの掲示板にもちょくちょくお書きになり、ご自身も詳細なルパンサイトを作っておられるKo-Akiraさんがフランスのオンライン図書館「Gallica」を調査され、「原作」となったのが雑誌「レクチュール・プール・トゥース」1931年2月号に掲載されたエルヴェ=ド=ペルアン(Herve de Peslpuan)の作「ブルゴンドの鳩(LA COLOMBE BURGONDE)」であることを発見されたのです。
その後2010年年末に「ルパン同好会」の方によって保篠龍緒の蔵書の中にこの短編が載る雑誌が存在し、しかもそこに「宝石1955年」と保篠自身の書き込みがあることが確認されました。これによって「鐘楼の鳩」の謎はついに完全に解明されたことになります。
「ブルゴンドの鳩」の原文を読んでみますと、「鐘楼の鳩」とラストに違いがあります。「ありがとう、面白い事件だった」という電報が届くのは同じなのですが、その署名は「ARSÈNE PINLU」と
なっています。そしてその名前は非常に高名なある人物の名前のアナグラムであり、「私」はこの事件をモーリス=ルブラン氏に捧げよう、喜んで受け入れてく
れるといいが、といったつぶやきが書かれて物語がしめくくられています。この「ブルゴンドの鳩」は、そもそもルパンにオマージュをささげたパスティシュの
たぐいだったということなんですね。それを保篠氏は「ルブラン作」ということにしてルパンシリーズの一編として翻訳・掲載したということです。
<2021年7月28日の追記>
今年の6月にこの作品について、掲示板で情報をいただきました。
『鐘楼の鳩』の翻訳事情については、今から20年以上前にルパン研究会会員の方によりすでに確認されていたとのこと。保篠龍緒氏の遺品整理を行った際に
洋雑誌の整理担当の方が保管されていた「レクチュール・プール・トゥース」をチェックしたところルブランに関係する記事がないこと、原作の掲載号に保篠氏
自身の「宝石 12/5 1955」の書き込みがあったことを確認、原文と訳文の比較から原作の特定に至っていたそうです。ただ当時はネットも普及してお
らず、研究会の会誌でも報告されなかったために広く知られることはないまま、2011年の「再発見」になったということです。
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