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南洋一郎・作
「女賊とルパン」(短編)
初出:1979年 ポプラ社「怪盗ルパン全集」第29巻

◎内容◎

 あるみぞれの降る日、ルパンはブーローニュの森で6歳の少女アントワーヌを拾った。アントワーヌの母親を探し求めるルパンは、宿敵のガニマール警部にも協力を求め、その結果、アントワーヌの母親が逮捕された女盗賊クロチルドであることを知る。ルパンはアントワーヌに母親の正体を知らせぬまま父親代わりになって彼女を育てるが、自身も泥棒であることを知られてはならないと数年にわたって泥棒稼業から手をひき、そのために生活に困窮するはめにもなる。やがて刑期を終えて出所してきたクロチルドが成長したアントワーヌと再会、ルパンはアントワーヌと涙ながらに別れることとなる。



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アルセーヌ=ルパン
怪盗紳士。

☆アントワーヌ
ルパンが拾った六歳の少女。

☆ガニマール
ルパンの宿敵の老警部。今回は名前のみの登場。

☆クロチルド

女盗賊。アントワーヌの母親。

☆ディンゴ
アントワーヌの飼い犬。

☆バブチスタ

実業家。

☆ビクトワール

ルパンの乳母。

☆ベルナール
ベテラン刑事。


◎盗品一覧◎

なし。


<ネタばれ雑談>

☆「怪盗ルパン全集」入りしていた人情話
 
 本作『女賊とルパン』は、南洋一郎によるポプラ社版「怪盗ルパン全集」の第29巻、『ルパンと殺人魔』の巻末に併載された短編である。表題になっている『ルパンと殺人魔』の方はボワロ=ナルスジャックによる「新ルパン」シリーズの第4作「アルセーヌ・ルパンの裁き」を原作としたもので、かなり圧縮をかけたリライトになっている。それでページ数が余ったから…ということでこの『女賊とルパン』を併載することにしたのだと思われる。
 南洋一郎自身は「はじめに」の中で「『女賊とルパン』はモーリス=ルブラン原作です」とはっきり書いている。しかしルブランの執筆作のなかにこの物語の「原作」に該当するものは存在しない。しいて言えば、ルパンがガニマールに対して『女王の首飾り』にあたる少年時代の思い出話を語るくだりがあるので、いちおうルブランの作品を「引用」してはいる。だがそれ以外の部分ではルパンシリーズと矛盾をきたすところが多く、とくにルパンの善人ぶり、義賊性を強調する傾向が濃厚に出ていて、これは南洋一郎個人の創作作品と考える方が自然であろう。

 同じく南の創作とみられる『ピラミッドの秘密』が秘境大冒険ものだったのに対し、『女賊とルパン』は人情話・感動話に徹した短編で、実はこれも南洋一郎が戦前以来得意としていたジャンルだ。
 話自体は確かによくできていて、「泣かせる話」だ。ルパンがブーローニュの森で迷子の少女を拾ってくる(『ピラミッドの秘密』でも同じシチュエーションを使っている)。その母親が実は「同業」の泥棒で逮捕されたことを知り、それを少女に教えぬまま親代わりとなって育ててゆく。そして自らの素性を知られぬように、なんとルパン自身が泥棒稼業を数年間も中止、生活苦に陥る事態にまでなってしまう。やがて少女は成長して母親と再会、ルパンは少女と涙の別れをすることになる。
 『オルヌカン城の謎』の雑談でも触れたが、「怪盗ルパン」シリーズをヒットさせておきながら南洋一郎自身は子供達に対する「啓蒙意識」が強く、「悪事をはたらかないルパン」を書きたがっていたらしい。その意図はこの『女賊とルパン』で存分に発揮されていて、最後の最後にルパンが泥棒をするものの、盗まれる側が大変な悪人であることを強調したうえで、奪ったカネをそのまま修道院に寄付してしまうという南版ルパンのお約束でしめくくられる。それにしても泥棒を何年も休業して生活苦に陥ってしまうルパン、というのもすごいよなぁ(笑)。

 もう一つ、この短編で印象に残るのがカトリック信仰の強調だ。フランスはカトリックが多数派の国だからルパンシリーズのそこかしこにカトリック関連の話は出ては来るけど、ルブラン自身がそう信仰にあついタイプではなかったためか小説中に宗教的なテーマはほとんど見いだせないし、ルパンも信仰がらみの言動を見せた覚えがない。しかし南洋一郎は自身がカトリック教徒であったこともあり、「怪盗ルパン」シリーズのそこかしこにカトリック信仰を絡めた追加を行っている。その大半はルパンが修道院や教会関係の慈善団体に盗んだ金品を寄付する、といった程度だが(ルブラン原典では『ルパンの結婚』でそうした寄付の例があるが、かなり例外的行動)、この『女賊とルパン』では全編にカトリック信仰を濃厚に記述し、女賊クロチルドにしてもルパンにしても泥棒という行為に神に対して恥じる気持ちを抱いているが、その心はあくまでキリスト教を篤く信仰する善性であることを強調している。ルパンがアントワーヌを「りっぱなキリスト教徒」に育てようと熱心になるのも、泥棒のような宗教的にも悪い人間になってはいけない、という発想からであり、ラストでクロチルドとアントワーヌの二人はそんなルパンが悪事をはたらいて天国にいけなくなるようなことがないようにと神にひたすら祈るのである。
 ルブラン原典でのルパンはかなりワルで「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」という神をも恐れぬ信念(?)を持ち、泥棒という職業に誇りすら抱いていると明言するのだが、それとは大きくかけ離れた南版ルパン像。こういう「いいひと」のルパンにしたのも南の信仰・信条にもとづく改変だったのだろう。さすがにルブランの原作があると大きな改変はやりにくいが、オリジナルの話になるとそうした姿勢が濃厚に出せてしまえたということではないだろうか。
 

☆強引に「ルパン史」に組み込んでみると…

 そんなわけで、南洋一郎が勝手に作った話であるだけに本作はルパンシリーズ本編とかなり矛盾を引き起こす設定がいくつかある。
 最大の問題点は、ルパンの宿敵であるガニマール警部が、なんとルパンと協力関係になってしまっている点。確かにアメリカでの逮捕からの帰国中にルパンとガニマールが友情関係で結ばれた、という話もあるのだが、犯罪行為でないとはいえガニマールがルパンに積極的に協力したり、その隠れ家に電話で直接連絡したりというのはさすがにありえない話。僕も小学生時代にこの話を読んでいて、一応「ルブラン原作」ということわりを信用していたわけだけど、このガニマールはどうも変だ、と思ったものだ。

 いちおう南洋一郎も読者の不審を気にしたのだろう、『813』『金三角』など大冒険以前の話なので怪盗としては有名ではなかった、というエクスキューズはつけている(なぜそこで「金三角」なのか不思議だが)。それでも小さな事件はたびたび起こしていてガニマールらには目をつけられていたことになってはいる。気になるのは『逮捕』〜『脱獄』の一連の事件より前なのか後なのかという点.。さすがにあそこまでコケにしてしまったあとではガニマールはあんなに協力的にはなれないはず。
 なお本作でルパンは「プロリアニ」という偽名を名乗っているが、これは作中に出てくる『女王の首飾り』で「フロリアーニ(フロリアニ)」の名で登場したことにちなむものだろう。

 この話ではアントワーヌに「お仕事」が泥棒であることをさとられまいとして、ルパンが少なくとも五年間は泥棒をやらず、そのために生活苦にまで陥る展開になっているが、年がら年じゅう冒険続きの人生を送るルパンが、そんなに長期間泥棒稼業をしないでおとなしくしていられたはずがない。
 面白いのが、その生活苦のためにルパンがやむなく金をすりとろうと狙った相手が日本の武官であることだ。しかもこの日本武官、柔道の技でルパンをのしてしまい、わざわざ武士の情けで金までめぐんでくれる。この一件でルパンが柔道に興味を持った、という展開にもなっていて、一応ルブランの設定ともつながりをもたせている。もっとも『脱獄』によるとルパンはその人生のかなり早い段階、それもフランスでも柔道があまり広くは知られていなかった時点で柔道をマスターしていたらしいので、『女賊とルパン』の逸話も相当に早い段階の話(ガニマールに知られる以前)ということになってしまう。
 日本の武官と言えば、保篠龍緒も大正時代の贋作『青色カタログ』で日本の武官を登場させ、柔道の技も披露させていた。南洋一郎もその前例を知っていたのだろうか。ルブランが書いたルパンシリーズ中に日本人が登場した例はないが、保篠龍緒・南洋一郎ともども「ルブラン原作」として紛れ込ませた贋作にそろって日本人を登場させてるのは、一種の読者サービスということかもしれない。


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