怪盗ルパンの館のトップへ戻る

トーマ=ナルスジャック・作
「ルパンの発狂」(短編)
L’AFFAIRE OLIVEIRA
初出:1946年 贋作短編集「わが深夜の告白」に収録
邦訳:ハヤカワ・ミステリ1069「贋作展覧会」に稲葉明雄訳を収録 

◎内容◎

 ブラジルの富豪ラモン=オリベイラは何者かにたびたび命を狙われていた。その急を救った若き貴族・カステル=ベルナックはオリベイラと交友を結ぶ。ところが間もなくオリベイラはホテルの部屋で他殺体で発見され、そのすぐそばにベルナックが頭を殴られて倒れていた。密室同然の現場の状況から犯人はベルナックとしか思えず、しかもその正体がアルセーヌ=ルパンにほかならないことを宿敵ガニマール警部は見抜く。だが意識を取り戻したベルナックことルパンは発狂しており、支離滅裂な言葉を話すばかり。
 オリベイラが引き出していたはずの多額の現金が全く見当たらないことも大きな謎だった。手がかりはオリベイラがいまわの際に発した「モーリス」「ウートルメール(外湖)」だけなのだが…



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アルセーヌ=ルパン
怪盗紳士。

☆アントワン
カステル=ベルナックの運転手。

☆インカルナシオン=デ=セペデ
オリベイラに後見してもらっている21歳の美女。

☆ガニマール
ルパンの宿敵の老警部。

☆ケイト
カフェ「三途の川」の女給。

☆フォルムリ
予審判事。

☆マルタン
ガニマールの部下の刑事。

☆モーリス=ド=カステル=ベルナック
オリベイラの友人の若き貴族。

☆ラモン=オリベイラ
ブラジルの富豪。たびたび何者かの襲撃を受けている。

☆リリー
カフェ「三途の川」の女給。

☆ルドルフ=ビンゲル
オリベイラの秘書。


◎盗品一覧◎

◇モーリシャス島発行の切手
イギリス領モーリシャスで1847年に発行された貴重な切手。100万フランはするらしい。

◇真珠の首飾り
オリベイラがインカルナシオンに贈る予定だった首飾り。


<ネタばれ雑談>

☆ナルスジャック「ルパン」の処女作
 
 本作はフランスの代表的ミステリ作家であり、のちに「公認」の「新ルパンシリーズ」を世に送り出したチーム作家「ボワロ=ナルスジャック」の片割れ、トーマ=ナルスジャック(Thomas Narcejac,1908-1998)が執筆した「贋作ルパン」作品である。第二次世界大戦が終わった直後の1946年に出版された彼の贋作ミステリ短編集「わが深夜の告白(Confidences dans ma nuit)」に収録された一編で、ルパンの生みの親モーリス=ルブランの死からまだ5年という時点である。

 この「わが深夜の告白」はルブランのほか、ヴァン=ダイン、ジョルジュ=シムノンなど大物作家の「贋作」が収録されており、それら作家が生み出したキャラクターを使っただけでなく、文体まで堂々と真似た手の込んだものだった。しかもそれぞれに独立したミステリ短編としても読めるアイデアを投入しており、好評を博したせいかナルスジャックはこうした贋作短編集を計三冊も送り出している。

 この本は日本では「贋作展覧会」のタイトルで、ハヤカワ・ミステリの一冊として1969年に刊行されている。日本ではルパンと言えば保篠龍緒だ!というわけで、稲葉明雄担当の訳文はわざわざ古めかしい「保篠節」による翻訳となっている。これがまた、実に良くできていて、保篠訳文を知ってる人には大受けの出来。どうしても日本人にはナルスジャックがどこまでルブランの文体をそっくり真似ているのかピンと来ないのだが、これを「保篠節」で訳すことで解決したアイデアには恐れ入るほかない。まぁ、今となってはかえって読みづらいものになってしまっている気もするし、保篠節がルブラン節そのものとは限らないのだが…

 この「贋作展覧会」じたいかなり昔の発行で、入手はそう簡単ではない。だから未読の方も多いと思うので、「ネタばれ雑談」がしにくい。それでも中身を知りたいという方もいるだろうから、なるべくネタばれなしで前半をまとめ、ネタばれ全開は後半で、ということにしたい。「どんでん返し」がキモとなっている作品なので、ぜひネタばれを読まずになんとか入手して読んでほしい作品なのである。


☆ルパンシリーズの要素をあちこちに

 トーマ=ナルスジャック自身も書いていることだが、彼は少年時代にルパンシリーズを読みふけっている。彼は1908年、つまり「ルパン史」でいうと『奇岩城』の事件が起こった年に生まれているから、ルパンシリーズの大半の作品をほぼリアルタイムで読めたという実にうらやましい世代なのだ。1970年代に彼が相棒のピエール=ボワローと共に「新ルパンシリーズ」を手がけることになった動機の一つも、少年時代に楽しませてもらったルパンへの「恩返し」であったと言っている。
 そんなナルスジャックだけに、確かにこの「ルパンの発狂」(「贋作展覧会」ではこの邦題だが、原題は単に「オリベイラ事件」である)は、ルブランのルパンシリーズ短編集、とくに『ルパンの告白』あたりにひょっこり紛れこんでいてもそう違和感はなかろうと思わせる作りになっている。また、あえてパスティシュ、というより「パロディ」であることを意識してだろう、節々にルブラン作のものに似た、「どっかで読んだような」シーンがちりばめられている。

 まず序盤、明らかにルパンその人であるカステル=ベルナックが、オリベイラの危機を救って接近するくだりは『アンベール夫人の金庫』。そしてオリベイラがホテルで他殺体で発見され、ルパンが犯人と疑われるところは『813』。発狂を装っていたルパンがガニマール警部の目の前で突然本性を現し、部下たちの協力でまんまと逃亡する場面は『ルパンの脱獄』。自動車を猛スピードで飛ばして列車に追いつくところは『ふしぎな旅行者』。ルパンが変装でガニマールを出しぬき、置き手紙を残して真相を明かしていくラストは『金髪の美女』『赤い絹のスカーフ』を彷彿とさせる。そのあとの新聞記事で語られる「オチ」もルパンシリーズの初期でみられたやり方だし、その内容は『ルパンの結婚』を連想させなくもない。細かいところでは、ルパンが敵と対決する際に「柔術の締め落とし」を使っており、柔道の達人・ルパンを再認識して日本人としてはちょっと嬉しくなってしまう。
 アルセーヌ=ルパンというキャラクターの、泥棒にして名探偵にして冒険家にして変装と演技と柔術の名人にして…そして「女たらし」(笑)であるという彼の特徴がほとんど全て入った話になっているとも言えるだろう。

 そのほかにシリーズのファンとしては、宿敵ガニマール警部の登場が嬉しい。ナルスジャックも自身をふくめたルパンファンへのファンサービスのつもりだったのだろう。もっともそこそこの探偵ぶりも発揮しつつ、やっぱりルパンに出し抜かれてしまう道化役なんだけど…。あと、やはりルパンシリーズ初期のレギュラーキャラであったフォルムリ予審判事もさりげなく登場している。
 一方でナルスジャックはルパンの運転手にして部下のアントワンというオリジナルキャラを登場させている。のちにボワロ=ナルスジャック名義で発表された「新ルパンシリーズ」でもオリジナルのルパンの部下が何人も登場しており、このアントワンがその元祖だったということになる。

 もともとパスティシュというよりはパロディ作品なので、ルブラン原典と突き合わせる意味もあまりないとは思うが、あえてこの作品が「ルパン史」においてどの辺に位置づけられるかと考えてみると、やはり『奇岩城』の前、『ルパンの告白』の一連の冒険があったころの話だと思われる。作中では「アンサー公爵夫人の宝石盗難事件」とか「カラッツィオリ公のリヴィエラ別荘盗難事件」といった、ルパンがカステル=ベルナックとして貴族たちに近づき、実行した強盗事件についてチラリと言及があり、ルパンがもっともルパンらしく、それほどスケールはデカくないけどコツコツと泥棒家業にいそしんでいた若い時代の話と思わせる。
 ルパンファンであったナルスジャック自身、ルパンといえば初期のガニマール警部とやりあうささやかな泥棒ばなしという印象を持っていたのかもしれない。もちろんこれは短編だから、ということもあるだろうけど。後年の「新ルパンシリーズ」は全て長編であり、いずれも『奇岩城』以後の年代設定となっていて、雰囲気も本作とはずいぶん違っている。


☆ミステリとしての面白さ

 ここから、ネタばれ度が非常に高くなります。本編を読んでから読んだ方がいいと思いますが…それぞれのご判断で。




 この短編、ミステリ要素はかなり多い。まず手がかりとなる二つの言葉。いわゆる「ダイイング・メッセージもの」である。「モーリス」と「ウートルメール」という二つの言葉にどんな意味があるのか?が読者の気を引く。普通に考えると「モーリス」とは犯人の名前であると考えられ、それでモーリス=ド=カステル=ベルナックに扮していたルパンが疑われてしまう。もちろんルパンは殺人をしないはずなので、何か他の意味があるはず、と読者に謎を投げかけるわけだ。
 だが真相は、「モーリス」ならぬ「モーリシャス」だったというオチ。この作品で初めて知ったが、インド洋の南に浮かぶモーリシャス島はもともとオランダが植民地にしたとき、当時のオラニエ大公マウリッツの名前にちなんで「マウリティウス」と名付けられ、その後フランス領になった際にフランス風に「モーリス」と呼ばれるようになった。1814年以後はイギリス領となって英語読みの「モーリシャス」で定着するが、その後もフランス語では「モーリス」と呼ばれるのだ。「ウートルメール」の方も英語の「ウルトラマリーン」の仏語読みで、いずれも仏語読みと英語読みの違いを利用したトリック(?)というわけである。もしかすると「モーリス」については、ルパンの生みの親の名前にひっかけて敬意を表しているのかもしれない。

 もう一つのミステリ要素が、「銀行からおろしたはずの多額の現金はどこへ消えたのか?」という問題。それこそが「モーリス」の謎ときと結びつくのが本作のキモである。実は多額の現金は一枚の高額な切手に変えられていた。その切手とは、モーリシャス諸島で1847年に最初に発行された切手。完全なものであれば大変な値打ちがつく、切手マニア垂涎の代物。だから多額の現金も封筒に貼られた一枚の切手という一見なんでもないようなものに姿を変えることができた、というわけ。
 これもまたこの小説で初めて知ったのだが、この切手は「ブルー・モーリシャス」といってちゃんと実在するもので、切手蒐集家の間では有名な切手だそうで。ネットで調べてみると近年でも一枚100万ドル(1億円!)レベルで取引されたことがあるそうだから、作中で「100万フラン」とか「ひと財産」と表現されているも決して誇張ではないのだ。
 さらに調べてみると、こうした高額切手を素材に使った推理小説はエラリー=クイーンの作品などいくつか例があるそうで、1937年の映画でシャーロック=ホームズがその「ブルー・モーリシャス」を追うという内容のものもあったという(参考ブログ:ホームズ・ドイル・古本 片々録。高額切手を「大金の隠し場所」に使う、というのが本作のアイデアなのだが、もしかするとこれも前例があるのかもしれない。

 最後に、最大のネタばれ。

 ここまでのアイデアだけでも一本成立すると思うのだが、ナルスジャックはさらに貪欲に、「密室殺人」と「意外な犯人」の要素までぶち込んでいる。ちと詰め込み過ぎという気もするけど。
 この事件の真犯人は、実は被害者と思われていた人物その人だった…!というアイデアは、もちろんこれが初めてというわけでもない。ルパンシリーズであれば『金三角』がこれに近い。「顔のない死体」トリックの応用と位置付けることもできるだろう。作中でルパンはわざわざ最後までその真相を伏せ、読者に2段構えのどんでん返しを味あわせる。驚かされると言えば驚かされるのだが、「自縄自縛」の件だけは適当にごまかされちゃった観もあり、ミステリ的には不徹底だ。
 そうした弱さを補うために、さらにそのあと意表を突いた「どんでん返し」(笑)をナルスジャックは付け加えて、面白く話を終わらせたのだろう、ただ、そのあとルパンはそのお相手とどうしたんだよ、という問題は残るけど。


怪盗ルパンの館のトップへ戻る