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「ジョージ王のラブレター」(短編、「バーネット探偵社」第2編)
LA LETTRE D'AMOUR DU ROI GEORGE
初出:1928年2月 単行本「バーネット探偵社」
他の邦題:「ラヴ・レター」(保篠訳)「ジョージ王の恋文」(新潮・創元)「国王のラブレター」(ポプラ)
◎内容◎
パリ近郊の村で、元書籍商の老人ボーシュレルがナイフで殺害された。現場は荒らされ、犯人は何かを盗み出したと思われるが、何が盗まれたかはわからな
い。素行の悪い作男たちが現場から退職官吏のルボックが出てくるのを目撃したと証言するが、ルボックにはその時刻たしかに自宅にいたという鉄壁のアリバイ
があり、容疑は逆に作男たちにかかってくる。難航する捜査に音を上げたベシュ刑事は、私立探偵ジム=バーネットに協力を要請する。現場に入ったバーネット
は事件の背景に古本に隠されたイギリス国王のラブレターがあることをつきとめる。
◎登場人物◎(アイウエオ順)
☆エリザベス=ルーデンベール
イギリスの老婦人。兄たちが食料品店を営む。ジョージ王の子孫の可能性あり?
☆ゴーデュ三人農場の作男で、いとこ同士の三人組。畑泥棒と密猟の常習犯。事件現場を目撃。
☆ジム=バーネット
私立探偵。「調査費無料」を掲げる。
☆テオドール=ベシュ国家警察部の刑事。ガニマール警部の直弟子。
☆ドニーズばあさん農場にいる老婆。たきぎ広いの最中に被害者の叫び声を聞く。
☆フォルムリ
予審判事。うぬぼれ屋で短気、この事件で名をあげてパリ進出を狙っている。
☆ボーシュレル
元書籍商の老人。ナイフで刺され殺害される。
☆ルボック60歳ぐらいの退職官吏。ボーシュレルの友人。
◎盗品一覧◎
◇ジョージ王のラブレターイギリス国王ジョージ4世が「うるわしのドロシー」に送ったラブレター。ジョージ4世の「ご落胤」の証明となる文書。
◇10万フランの現金上記ラブレターの代金。
◇貨車一両分の高級食料品
ルーベンデール家が営む食料品店から横領。
<ネタばれ雑談>
☆名コンビ誕生!?
シャーロック=ホームズには
ワトソン、
エルキュール=ポワロには
ヘースティングス大尉、と名探偵には読者の代理人ともいえる記録者兼引き立て役の相棒がいることが多い。
アルセーヌ=ルパンにも記録者である
「わたし」がいるが、ルパンが基本的に犯罪者ということもあって仕事の相棒にはなりえないし、
『ルパンの告白』以降は作中には登場しなくなってしまう。
ルパンシリーズで「相棒」的存在と言えば、『虎の牙』の
マズルーが思い浮かぶ。ルパン一味ながら警察官であり、『虎の牙』ではルパンがもっぱら探偵役をつとめるために複雑な立場ではあるが相棒的な役割をつとめた。だが当然正体がばれてしまえば、その一作で相棒役はおしまいだ。
しかし、ルパンシリーズにもついにレギュラーキャラとなる「相棒」が登場する。『バーネット探偵社』から登場の
テオドール=ベシュ刑事だ!ルパンの宿敵
ガニマール警部の直弟子の有能刑事なのだが、難事件にぶつかると渋々ながらうさんくさい私立探偵
ジム=バーネットに
協力を求める。ベシュがバーネットの推理力・捜査能力には強い信頼を置いているのは明らかだが
(この『ジョージ王のラブレター』でもバーネットの言葉に素早く反応してカードを探し出す描写がある)、バーネットの「ピンはね営業」には深い憤りをおぼえてお
り、毎回毎回裏をかかれて地団太を踏む結果になる。バーネットはさんざんこのベシュをコケにするのだが、その能力自体は認めているようで大いに利用もして
いるし、意地の悪いこともするけど情けもかけてやってる感じだ。
バーネットことルパンとベシュ刑事との関係は、ベシュの師匠ガニマールとの関係
とはずいぶん違う。ガニマールとの対決は若い怪盗紳士と老練な名警部の宿敵同士としてのものだったが、ベシュはルパンとほぼ同世代と思われ、その関係は必
ずしも泥棒と警官の対決というわけでもない。顔を合わせればケンカしているようでいて、どこかお互いに持ちつ持たれつ、「相棒」としか言いようのない不思
議な関係ができてしまっている。ルパンが伝記作者「わたし」以外で、初めて「友人」といえるキャラクターを得たとすら思える。
こういう
コンビも推理小説史上あまり例がないのではなかろうか。かなりヘンな関係なのだが、妙にバランスのとれた分かち難い「腐れ縁」であり、この名コンビ(迷コ
ンビ)のおかげで「バーネット探偵社」シリーズは大きな成功をおさめたといっていい。反響もあったし、ルブラン自身も気に入ったのだろう、ベシュは『バー
ネット探偵社』のみならず続く
『謎の家』『バール・イ・ヴァ荘』にも登場し、ルパンの宿敵にして相棒という特異なレギュラーキャラクターとなった
(僕はこの三作を勝手に「ベシュ三部作」と呼んでいる)。しばし間をおいて
『ルパンの大財産』(「ルパン最後の事件」)にまでゲスト出演したことも、その存在の大きさを示している。
ベシュ刑事は前作『水は流れる』ではバーネットを紹介し、アッセルマン男爵邸の捜査をしたということで名前だけは登場しているが、セリフも含めた本格登場はこの
『ジョージ王のラブレター』から。しかしややこしいことに、世間への最初のベシュのお披露目は雑誌掲載の2作目だった
『十二枚の株券』の
ほうが先になる。だが、『ジョージ王のラブレター』中にアッセルマン男爵邸の事件に触れるセリフがあること、『十二枚の株券』ではベシュがバーネットの恐
ろしさを十分承知していることなどから、最初からルブランは『水は流れる』の次に『ジョージ王』を執筆したとみるべきだろう。
初登場時のベシュの外見はこんな感じに描写されている。
ズ
ボンに折り目をきっちりつけ、ネクタイをかっこうよく結び、ワイシャツのカラーを光らせている。長身痩躯で顔色はわるく、一見ひよわそうだが、腕だけは力
こぶがもりあがってたくましく、まるでボクシングのチャンピオンからもぎとってきて、彼のフェザー級の貧弱なからだにくっつけた、という感じがした。(偕
成社版、矢野浩三郎訳) フェザー級、というと現在のプロボクシングでは体重約57kg
(時代により変遷はある)。かなり細身の体格であることがうかがえる。だがそこにかなりの太腕がついているわけだ。刑事には珍しくおしゃれな伊達男であり、一見風采のあがらないバーネットと対照的。そんな伊達男だからこそ
オルガ=ボーバンと結婚できたのだと思われる。
☆古本購入から始まる怪事件 事件の舞台となるのはパリ近郊、
マルリーの森(la forêt de Marly)の周辺だ。これはパリ西方15kmぐらいのところにある森で、王政時代は国王の狩猟場にされていたところだという。小説では
フォンチーヌの村(bourg de Fontines)からマルリーの森に向かう途中の「わらぶき家」で事件は起こる。地図で調べた限りでは「フォンチーヌ」という地名はマルリーの森周辺にみあたらず、創作なのか、それとも地名が変わってしまったのか…
被害者のボーシュレルは元書籍商で、パリの河岸に古本をあさりによく出かけており、
ヴォルテール河岸(セーヌ左岸、ルーブル美術館の対岸に近い)で
「ジョージ王のラブレター」が隠された本を購入している。セーヌ河岸の古本屋というのは今日でも健在で、川岸沿いに緑色の本箱を出して古本の露天商をやっ
ている。観光客にもよく知られたパリの名物の一つだが、これが16世紀以来というなかなか古い歴史があるそうだ。古本屋というのはその発生時にはいわば
「非合法書店」であり、公認された本屋との抗争や官憲の厳しい弾圧、宗教的には異端の疑いまでかけられるという苦難の歴史があり、1822年になってよう
やく公認されてシテ島を中心にセーヌ川岸に店を出すようになったという。ときにはそういう露天古本屋でこんな「お宝」を発見してしまうこともあるのだろ
う。よく東京・神田は神保町の古本屋街めぐりをして古いルパン本を探したりしている僕にはちょっと楽しくなる話である。
(パリ河岸の古本屋の歴史については饗庭孝男編『パリ 歴史の風景』(山川出版社)の「パリ小辞典」の記述を参考にしました) ヴォルテール河岸の古本屋でたまたま購入し、結果的に大変な「お宝」になってしまうのが「サミュエル=リチャードソン全集」の第14巻。もっともジョージ王の手紙が隠されてなければせいぜい50フランの価値のものだったが。
サミュエル=リチャードソン(Samuel Richardson,1689-1761)については
『カリオストロ伯爵夫人』の雑談でもふれた。「近代小説の父」とも呼ばれる作家で、架空の書簡を使った小説スタイルで知られる。『カリオストロ伯爵夫人』ではリチャードソンの代表作「クラリッサ」に登場する人物が女たらしの例えで使われており、フランスでもかなりポピュラーな作家だったのだろう。
そのリチャードソン全集に隠されていたラブレターの書き手が、イギリス国王
ジョージ4世(1762-1830、在位1820-1830)である。彼が
エリザベス=ルーデンベールの祖母の母親(つまり曾祖母)の
「うるわしのドロシー」と不倫関係にあり、彼女に男子を産ませていた、という設定なのだ。ミス・ルーデンベールも
「現国王陛下の親戚になるわけで」と言ってるように、思えばフィクションとはいえ、隣国の王室にかかわるスキャンダル設定で、ちょっとヤバい話なのである。
ただ、このジョージ4世というのが実際にかなりの曲者なのだ。王太子時代からかなりの放蕩息子で周囲を困らせていたし、王妃を徹底的にきらって遠ざけ、
「ベッドをともにしたのは初夜だけだ」とうそぶいたとか、戴冠式にも王妃を出席させず、群衆から「女房はどうした!」と声をかけられたという逸話まであ
る。王妃に死なれた後は再婚もせず王子も作らなかったが
(弟が王位を継いだ)、愛人には事欠かなかったと言われている。ジョージ4世に実は隠し子がいた、という本作の設定はそういう史実をふまえるといっそう面白いはず。
なお、この小説の時点でのイギリスの「現国王陛下」は
エドワード7世(1841-1910、在位1901-1910)。この王も相当な女好きで、太子時代にパリの娼館で過ごしていたこともあるし、やはり王妃を遠ざけて複数の愛人を公然ともち、多くの隠し子を作ってしまっている。そういう公然の事実があるからこそ、ルブランはこんなフィクションを堂々と書けたんじゃないかという気もする。
もっとも、オチを読むと「ジョージ王の子孫」であることを示す決定的な証拠となるラブレターがルーデンベール家の人々の手に入って公表されるようなことは
フィクション世界の中でもおこらなかったように思える。バーネットとしか思えない紳士がラブレターの代償として十万フランという莫大な金額を受け取ったこ
とになっているが、「貨車一両分の高級食料品」を横領されている、というさりげない文からすると手紙を実際に渡したかどうかは怪しく思えてしまうからだ。
なお、
南洋一郎版の
『国王のラブレター』は大筋の展開はほぼ原作通りだが、このオチの部分でバーネットは十万フランの金と引き換えにちゃんとラブレターを引き渡した記述があるうえに、その金を慈善病院・孤児院・養老院に匿名で寄付したことになっている。
☆そのトリックはどうなのよ? くどいようだが、ここは「ネタばれ雑談」であり、未読の方は以下を読まないように。
犯行現場から出てくるところを目撃された人物に完璧なアリバイがある。目撃を証言したのは日ごろ素行の悪い連中で、その証言が信用できない。だが読者なら
誰でもルボックがあやしいとすぐに見当がつくはず。ミステリのジャンルでいう「アリバイ崩し」が本作の見所なわけだ。本文でも「Alibi」と表現されて
いるが、「アリバイ」は英語読みで、フランス語では「アリビ」になる。
だが、この作品のアリバイトリックには「そんなのアリ?」と思ってしまう人も多いのでは。近づいて見られたらどうするんだ、声をかけられたらどうするんだ、と非常にあぶなっかしいトリックをいわざるをえない。創元社全集版の
中島河太郎氏も解説で
「あまりに意外性が強く唖然とさせないでもない」とやや厳しめの批評をしている。一応途中でバーネットがボーシュレルの絵を見るくだりがあり、読者に対してフェアにはふるまっているのだけど。
絵じゃなくて写真を使えばいいんじゃない?という声もありそうだが、当時の写真は基本的に白黒なので現実的ではない。カラー写真は一応発明されていたが、映画の発明者としても知られるフランスの
リュミエール兄弟が開発した実用できるカラーフィルムが発売になったのが、この物語の直前の1907年のことだ。機材も含めれば相当な貴重品で、退職官吏ではとても手が出せなかったのではないかと。
この事件の捜査にあたっているのが
フォルムリ予審判事。ルパンシリーズでは懐かしいお名前である。戯曲・小説の
『ルパンの冒険』(宝冠事件)で初登場、
『813』『続813』で
も活躍(?)してくれたおっちょこちょいの予審判事、ずいぶん久方ぶりの再登場である。もっともルパン年代史の時系列では『ジョージ王のラブレター』は
『宝冠事件』と『813』の間に入ることになるのだが。フォルムリのいきなりの再登場は、1925年に戯曲『アルセーヌ・ルパン』が改訂出版されたことと
も関係があるかもしれない。
それにしてもフォルムリの誤った結論を出しぬいて真相を明らかにしたあとのバーネットの「追撃」の容赦のないこと!「名探偵」がプロの権威者の誤りを出し
抜くのはホームズ以来定番というものだが、たいていは表面的には相手を責め立てず、穏やかにカッコつけて「勝者の貫録」を見せるもの。それなのに徹底的に
容赦なく相手を嘲笑い、おとしめるのがいかにもルパン流だ。
ルパン流、と書いたが『水は流れる』で触れたように、『バーネット探偵社』シリーズの本文中にバーネットがルパンその人であるこ
とを示す記述はない。ただベシュがガニマールの直弟子であること、そして本作でフォルムリが登場していることで、少なくともルパンシリーズと同じ世界だと
いうことは明白になる。そして本作でベシュがバーネットのラブレターの抜き取りを称して
「アルセーヌ=ルパン並み」と表現することでバーネット当人がルパンであることが強くほのめかされることになる。
TVドラマ版ではベシュがバーネットの正体を察しつつ仕事をしているように描かれていた。このドラマでは原作のガニマールにあたるゲルシャールが「バーネット探偵社」にもベシュの上司として登場していて、原作にはない「師弟のそろい踏み」を見ることができる。
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