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「白い手袋…白いゲートル…」(短編、「バーネット探偵社」第8編)
GANTS BLANCS...GUÊTRES BLANCHES...
初出:1928年2月 単行本「バーネット探偵社」
他の邦題:「白い手袋」(保篠版)「白手袋…白ゲートル」(新潮)「白手袋―白ゲートル」(創元)

◎内容◎

 ベシュの別れた妻、アクロバット歌手のオルガ=ボーバンの自宅に強盗が入り、高級な家具類が奪われた。まだ未練たっぷりの元妻の前でかっこうをつけるべ く、ベシュはバーネットに協力を仰ぐ。バーネットはオルガの目の前で、なんとたった一週間で家具を取り戻してみせると豪語する。しかしやきもきするベシュを尻目に、バーネットはそ の当日まで何もする気配がない…



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アベルノフ伯爵
メダル収集家タブールの殺害事件に関与した可能性のあるロシア人。

☆アルベール
ベシュの友人の国家警察部刑事。

☆オルガ=ボーバン
アクロバット歌手。6年前にベシュと結婚していたが仕事優先ですぐ離婚。

☆オルガ=ボーバンの母
オルガと同居している母親。

☆ジム=バーネット
私立探偵。「調査費無料」を掲げる。

☆ソーロワ
宝石商。三年前に刺殺される。

☆ダブール
メダル収集家。十か月前に殺害される。

☆テオドール=ベシュ

国家警察部の刑事。ガニマール警部の直弟子。

☆デル=プレゴ
オルガの体操教師をしている外国人。マッサージ、メーキャップなども得意。

☆ベン=バリ
宝石商ソーロワと取引のあったトルコ人。

☆ローランス男爵
先祖から受け継いだ銀器を売りたいと申し出てきた貴族。


◎盗品一覧◎

◇オルガ=ボーバン
ベシュの元妻でもある美人アクロバット歌手。次作によるとバーネットとはお互いにすぐ飽きてしまったらしいが。


<ネタばれ雑談>

☆南版では抹殺された一話

 南洋一郎のポプラ社版「ルパン全集」を読破しただけの「ルパンファン」は、この一編の存在じたいを知らない。もっとも現行のポプラ社版「シリーズ怪盗ルパン」の『ルパンの名探偵』では巻末のルパン同好会の矢野渉氏の解説でこの話の存在に触れているので、そのバージョンから読みだした人は名前と大雑把な内容だけは知ることになるだろう。

 原作をほぼ網羅している南版ルパン全集だが、意図的に無視したエピソードが2つある。ひとつは『ルパンの告白』中の一編『ルパンの結婚』。これはルパンが財産目当てに偽装結婚(というより結婚詐欺か?)をしようとするエピソードで、どう書き換えても児童向けにはならないと判断されたのだろう。そちらの雑談でも書いたが、物語の終盤までルパンが相手の女性のことを全く配慮してないとしか思えないひどい話ではあるのだ。
 そしてもうひとつ、南が抹殺したのがこの『白い手袋…白いゲートル…』の一編。理由は明白で、今回のバーネットの「ピンはね」は上記「盗品一覧」の ようなことになってるからだ(笑)。オルガは一応離婚していて独身なんだから決して「不倫」ではないのだが、離婚したとはいえ「実質的な亭主」であるベ シュはいるわけで、「寝とり」には違いない。さらには結局はおたがい「一時のお遊び」の終わってることも、まぁ児童向けにはマズイだろう。

 そもそも南洋一郎はルパンシリーズのお約束、エピソードごとに異なる美女がルパンと恋愛を繰り広げる部分も児童向けではないとして全面的にカットしている(例外は『虎の牙』だが、これもほのめかしで終わっている)。南洋一郎版はいつしか日本における「ルパン」のスタンダードと化してしまったため、原作のルパンが実は大変な女たらしであることを全く知らない人も少なくない。「それは三世の話でしょ?」と言われた経験が僕にも実際にあるし、2005年に『カリオストロ伯爵夫人』を原作とする映画「ルパン」が日本で公開されたときにも宣伝HPで「今回のルパンはいつもと違って恋多き男」と書かれていてタマゲてしまったこともあるし、実際映画の中でルパンが「二股愛」を繰り広げることに拒否反応を起こす感想をネット上で見かけたものだ。

 原作をまとめて読めばわかるように、ルパンはまさにジェームズ=ボンド並み、いやそれ以上かもしれない女好きなのだ。そもそもボンドもの同様にもともとルパンシリーズは大人向けの小説であり、児童向けに配慮したものではない(…のだが、ルブランが少年少女向けを意識していたという話もなくはないんだよなぁ)。一作ごとに恋愛相手が違うのも娯楽読物として華やかさを増そうという狙いだろうし、ルブラン自身「ライバル」と目していたはずのシャーロック=ホームズがまるで女っけなしであることへのフランス的な対比(皮肉?)のつもりもあったかもしれない。もっともルパンシリーズ以前にそうした小説があったのか、僕は気になっているのだが…。

 シリーズの中でも多少の変動があり、ルパンがいささか軽薄に恋愛を展開するようになるのは第一次大戦後に「ベル・エポック」を懐かしんで書かれたシリーズに多い。『八点鐘』は美女の心を盗みとることが目標になっているし、『緑の目の令嬢』では当初は緑の目と青い目に二股かけているうえに結末では相手からえらく割り切ったことを言われてしまう。そして『バーネット探偵社』では『十二枚の株券』で見事なまでのお手軽二股恋愛を見せてくれた。そしてこの『白い手袋…白いゲートル…』はついに親友(悪友)であるベシュの元妻を寝とってしまうというわけだ。続く「ベシュ三部作」の『謎の家』『バール・イ・ヴァ荘』でもこの傾向は止まらない。


☆ベシュの元奥さんは有名歌手

  初めて聞いた時にバーネットも驚いているが、ベシュは結婚していた。といっても6年前に離婚。しかもどうやら結婚生活は1ヶ月ていどであったらしいが。そ れでも人気の有名美人歌手と結婚していたのだから、たいしたもの。しかも離婚はあくまで奥さんの仕事優先の姿勢のせいであって、離婚後6年たった今でもそ こそこ仲はいいっぽい(もっとも事件解決のためにそういう姿勢を見せてるようにも見える)
 作中何度か言及があるが、ベシュは少なくとも外見に関してはなかなかのオシャレであり、一見風采のあがらない印象のバーネットと対比される「色男」の部類なのだ。ベシュも女性に関しては…という話は『バール・イ・ヴァ荘』の雑談にまわそう。

 ベシュの元妻オルガ=ボーバンが出演しているのがフォリー・ベルジェール(Folies Bergère)。 パリ9区、オペラ座からもそう遠くはないリシェ通りにある有名なミュージック・ホールだ。1869年に創業、140年後の2009年の今日でも営業中とい う歴史ある老舗だ。常に流行の最先端をゆくホールとして知られ、ルパンが活躍したベル・エポックの時期にはほとんど裸同然ともいえるきわどい恰好で歌って 踊る歌手たちもいた。オルガのようにブランコや鉄棒まで使うサーカスみたいな「アクロバット・シャンソン」なるものが当時実在したかどうかは分からないが、いてもおかしくないところではあったのだろう。
 物語中の年代ではなく、ルブランの執筆時点ではフォリー・ベルジェールにある歴史的大スターが登場、話題をさらっている。アフリカ系アメリカ人のダンサー・ジョゼフィン=ベーカー(Joséphine Baker,仏語読みだと「ジョゼフィーヌ・バケル」)だ。これもそれこそ裸同然のセクシーな踊りであり、しかもヨーロッパでは初の黒人女性スターということもあってとてもセンセーショナルだったはず。

 バーネットもお気に入りで、オルガも口ずさむ<イジドールは、あたしを好き。でもあたしは、ジェームが好き>(偕成社版・矢野訳)という歌。これ、実はリズミカルな韻を踏んだもので(ダジャレといったほうがいいか?)日本語で素直に訳すと、そのリズムが伝わらない。
 原文では« Isidore… m'adore. Mais c'est Jaime… que j'aime »で、発音を書くと「イジドール…マドール。メセ、ジェーム…クジェーム」といった具合になる。翻訳者もこのニュアンスを出そうと苦労しているが、はっきり言って翻訳不能であり、訳詩の名手・堀口大学も「マドール」「クジェーム」というフランス語のルビをふることで対処している。創元版の石川湧訳では<イジドール…マドール(わたしが好き)。でもジェームをジェーム(わたしは好き)>と注釈および日仏チャンポンな文章で対処した。
 豪快なのが保篠龍緒訳。なんと<恋イはやァさしィ…野辺ェのはァなよゥ…>という「超訳」なのだ!「恋はやさし野辺の花よ」といえばスッペ(1819-1895)のオペレッタ「ボッカチオ」中の歌で、日本語版は小林愛雄の訳詩を田谷力三が歌って有名になった。もちろん日本の読者はこのくだりで「ああ、あの歌か」とすぐわかるわけで、下手に原詩を厳密に訳すよりイメージがわきやすい。いかにも保篠龍緒らしい、逐語訳よりも読み物としていかにこなすかという見本のような訳といえるだろう。
 
 事件の舞台となる、オルガの住むアパートはリュクサンブール公園に接する、オデオン街にある。右の地図をご覧になればわかるように、パリ中心部のセーヌ川左岸、ベシュの勤め先のパリ警視庁があるシテ島の南で、けっこうすぐそばだ。


☆そういえば「本職」なのだった

 ベシュの元奥さんの話にばかり目がいってしまうが、この一編はミステリとしても結構面白い。登場人物が限られているし、あからさまに怪しいので犯人についてはすぐ目星がつくだろうが、 その当人にはその時刻に完璧なアリバイがあり、その方法についてはなかなか分からないのではないだろうか。実はタイトル自体にそのヒントが明示されている という、意外に挑戦的な一編なのだ。説明されてみると、単純ではあるが「おお、なるほど」というトリックである。あえて目立つ外見をすることによる心理的 トリックなのだ。
 バーネットはもう最初から見抜いている様子だ。考えてみれば、彼はそもそも「その道の本職」なんだよね(笑)。美味しそうなエサを目の前にぶら下げて相手を誘い出す逆トリックなんかも、「その道の達人」だからこそかも。その罠にはまった犯人たちも「こんなことができるやつは、ルパンしかいない」と口にしており、犯罪業界ではやはり高評価(?)されてるようで。

 犯人たちがトルコ語やロシア語を使って相手にわからないように会話をしようとしてもバーネットにあっさり聞きとられてしまう描写がある。ロシア語に関してはルパン自身医学の勉強をした際にロシア人学生に化けたのを皮切りにしばしばロシア人に変装しているから(なお、この時点ではセルニーヌ公爵にはまだ化けてなさそう)、そこそこ勉強していたのだろう。恋人の同業者ソニア=クリチノフに教わった可能性だってある。
 しかしトルコ語は?いちおうルパンとトルコの接点はこの時点で一度だけある(『金三角』はこれ以後の話なので除外)『ルパンの告白』中の一編『影の合図』のなかでチラッと言及される「アルメニアに行って赤いサルタンと闘争をした」というくだりだ。当時のアルメニアはオスマン・トルコ帝国の支配下にあり、サルタン(スルタン)と戦ったとすれば当然トルコ人支配者と戦ったと考えられるわけで、そのときトルコ語をマスターしていたのかもしれない。
 ところで…これは僕も現時点で調査中の話で確かなことはないのだが、ネット検索でアルセーヌ・ルパンの各国語版を探して回っているうち、トルコ語の本で「ルパン、イスタンブールに来る」と でも読めそうな本がひっかかってしまったのだ。「はて?」と思って調べるうち、どうやらトルコでは1950年代にトルコ版「怪盗ルパン」ともいうべき 「Cingöz Recai」なる小説があり、1969年にはTVドラマ化され人気を博したらしいのだ。ネット上でそのドラマの動画がアップされているのでその一部を見た ところ、『813』のセルニーヌ公爵とアルテンハイム男爵の「毒入りクッキー」の対決シーンそのまんまの場面があってビックリ。一種の翻案なのかもしれないが、そのシリーズの中に「Arsen Lüpen İstanbul'da」という気になるタイトルがあるのだ。もしかすると「トルコ版ルパン対本家ルパン」なのか?なんか我が国の江戸川乱歩がやっちゃったことを思い出す。…現在、トルコ語はまるっきりわからないので、今後の調査をまたれたい。

 さてこの事件で盗み出された家具のうち、もっとも値の張る逸品が「ポンパドゥール夫人の寝台」だ。ポンパドゥール夫人(Madame de Pompadour,1721-1764)とはオルガも言っているようにフランス国王ルイ15世(在位1715-1774)の愛人。それも隠れた愛人といったものではなく公式に認められた「公妾」という存在で、ルイ15世時代のフランス政界、文化・芸術分野で大きな影響力をふるった女性だ。
 オルガが盗まれた四枚の木版画の作者フランソワ=ブーシェ(François Bouchet,1703-1770)もそのポンパドゥール夫人の庇護を受けルイ15世お気に入りになった画家だ。このポンパドゥール夫人を中心とする芸術傾向をまとめて美術史では「ロココ」と呼び、ブーシェもそのロココ画家の代表とみなされている。オルガの寝室も「ロココ調」にまとめられたものだったのだろう。

 ラストの「ピンはね」はまぁ、あまりにも残酷というか…ベシュも予想はしつつ怖くて確認しないでいるのに、追い打ちをかけてわざわざイタリアから絵葉書をよこす意地悪なバーネット(笑)。この仕打ちに対するベシュの怒りが、次なる「逮捕」の話につながるわけだ。
 ジョルジュ=デクリエール主 演のドラマ版の「バーネット探偵社」では『十二枚の株券』のエピソードにオルガをからませ、原作とはまた違った重要な役割を与えている。ラストだけ『白い 手袋…白いゲートル…』とほぼ同じ結末で、もぬけのカラのバーネット事務所にベシュが侵入すると、そこにはバーネットとオルガが一緒に写った大きな記念写 真が飾られていた、というオチになっていた。


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