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「オル
ヌカン城の謎」(長編)
L'ÉCLAT D'OBUS
初出:1915年9月〜11月「ル・ジュルナル」紙連載 1916年単行本化、1923年に改稿
他の邦題:「ルパンの大作戦」(ポプラ)「地底の皇帝」(青い鳥文庫)「ヘビのブローチ」(集英社)など
◎内容◎
青年ポールは新婚の妻エリザベートと共に、新居となる独仏国境に近いオルヌカン城にやって来た。少年時代のポールはこの地で父親を謎の女に殺され、エリ
ザベートはこの城で家族と共に幼い幸福な日々をすごした記憶があった。二人は封印されていたエリザベートの亡き母の寝室に入り、その肖像画を見るが、なん
とその顔
はポールの父を殺害した女の顔だった。混乱したポールは妻を残し、おりしも勃発した第一次世界大戦の戦場へと向かう。その戦場でポールの周囲にあの謎の女
の影がちらつく…
◎登場人物◎(アイウエオ順)
☆アルセーヌ=ルパン
怪盗紳士。『813』以後、世間では死んだことになっている。
☆ウィルヘルム2世
ドイツ帝国第3代皇帝。
☆エリザベート=デルローズ
ポールの新婚の妻で20歳の美女。自分の亡き母にポールの父殺害の疑いがかかり苦悩する。
☆エルミーヌ=ダンドビル
ダンドビル伯爵の妻でエリザベート、ベルナールの母。16年前に死去しているはず。
☆エルミーヌ伯爵夫人
ポールの父親を殺害、その後も戦場の影で暗躍しスパイ工作を行う。
☆カルル
ドイツ軍のスパイ。
☆ゲリフルール
ポールの従卒。
☆コンラート王子
ドイツ皇帝ウィルヘルム2世の息子。女好き。
☆ジェローム
オルヌカン城の管理人。妻とともに城に住み込んで16年間留守を守っていた。
☆ステファーヌ=ダンドビル伯爵
エリザベートとベルナールの父。妻を亡くしてからは隠遁同様だったが、大戦勃発で軍に志願。
☆総司令官
フランス軍全軍の総司令官ジョゼフ=ジャック=ジョッフルのこと。本文中では個人名は出てこない。
☆ベルナール=ダンドビル
ダンドビル伯爵の長男でエリザベートの弟。17歳で軍隊に志願。
☆ヘルマン
ドイツ軍の参謀。ポールとベルナールを亡き者にしようと画策。
☆ポール=デルローズ
27歳の青年。少年時代に独仏国境付近を旅行中、ドイツ皇帝を目撃、父親を謎の女に殺害される。大戦が勃発すると兵士として戦場で奮戦する。
☆ラシェン
ベルギー兵。なりゆきでポールの分隊に入っている。
☆ローゼンタール
ドイツ軍の情報将校。
☆ロザリー
オルヌカン城の管理人ジェロームの妻。
◎盗品一覧◎
なし。
<ネタばれ雑談>
☆第一次世界大戦、勃発!
1914年6月28日、ボスニアの首都サラエボを訪問していたオーストリア皇太子
フランツ=フェルディナント夫
妻がセルビアの青年によって暗殺された。一ヵ月後の7月28日にオーストリア帝国はセルビアに対して宣戦布告した。セルビアを支援していたロシア帝国は7
月31日に総動員を布告。オーストリアと同盟関係にあったドイツ帝国もこれに反応して開戦は不可避とみて8月1日に総動員を布告した。
このときイギリス・フランス・ロシアは「三国協商」を結んでおり、ドイツがロシアとフランスの挟み撃ちに合うのは必至だった。そこでドイツでは以前から
「先にフランスを急襲・撃破し、その後ロシアに当たる」という戦略を構想しており、それを実行に移すべく8月1日にベルギーに対し領土内の軍隊通過を要求
した。これを見たフランスも同日ただちに総動員を布告、翌2日にドイツがロシアに宣戦、さらに3日にフランスにも宣戦してベルギー領内に軍隊を侵攻させ
た。ドイツ軍のベルギー侵攻を見たイギリスはこれを理由として4日にドイツに対して宣戦布告し、ここに4年におよぶ
「第一次世界大戦」が勃発
することとなった。もちろんこの時点では「第二次」があることは想定されていなかったから「第一次」なんて呼ばないし、かつこの戦争が4年も続く「大戦」
になるなんてほとんど誰も考えていなかったが。
この
『オルヌカン城の謎』の物語は総動員令布告前
の最後の木曜日、つまり
1914年7月30日から始ま
る。8月1日の総動員令の布告、序盤のドイツ軍猛攻と9月の
マルヌ
の会戦によるフランス軍の反撃、その後の塹壕を掘り合っての消耗戦…といった戦争の推移と共にストーリーが進み、1915年1月あたりまで
で話が終わっている。第一次世界大戦が開始されてその序盤、もっとも展開が激しい段階を背景にしているわけだ。
本作はルブランが以前
『水晶の栓』を連載した
「ル・ジュルナル」紙に1915年の9月21日から11月7日にかけて連載された小説だ。小説中で描かれるのはほんの一年前の戦争状況であり、しかもその
戦争はいま現在も激しく進行中で勝敗の帰趨も見えない、という状況の中で執筆されている。ほとんど戦争小説と言っていいほど血なまぐさい戦場と戦闘の場面
ばかり、さらにはフランスへの愛国精神の称揚と共に敵国ドイツへの激しい憎悪をぶちまける内容は、こうした状況下で書かれたものであることを現在の読者と
しては十分考慮しなければなるまい。
この戦争勃発時点ではどこの国でも激しい愛国と敵国憎悪の感情であふれかえり、知識人でも冷静な姿勢を保てた者などほんの一握りだったのだから。人気の
大衆作家として大新聞に連載する立場のルブランとしてはこのような内容の小説を書くのはしごく自然なことであったろうし、それでもまだ「熱狂」とまではい
かない冷静さをある程度保持した内容なのだとも思える。
戦争小説であり、スパイ小説のおもむきも強い本作だが、それでもしっかり「ミステリ」であることは忘れなかったあたりはさすが人気作家というべきだろ
う。まぁ正直なところあまり出来のいい謎と解答とは思えないが、結婚相手の母が実は親の仇?という衝撃の出だしから、戦場で引き裂かれる新婚夫婦の波乱万
丈のサスペンス、戦場でのスパイ摘発、さらにはドイツ軍がひそかに進める大掛かりな「工作」の正体…などなど、戦争にからめつつも「ミステリ・サスペン
ス」として読ませるツボはしっかり押さえた小説でもある。
☆本来はルパン・シリーズじゃないんだけど…
『ルパンの告白』に納められた一連の短編が全て書
き終えられたのは1913年のこと。それからこの『オルヌカン城の謎』を書く1915年までルブランは何をしていたのか。実はこの間の1914年にルパン
シリーズの新作
『虎の牙』をちゃんと書いていたので
ある。もっともこれはアメリカの映画会社から映画原作となるオリジナルのルパンものを、という注文を受けて書いたという変わった経緯があり、1914年の
うちにアメリカで先に刊行され、フランスでの発表は戦後のことになった。
で、その翌年の1915年にルブランが書いたこの『オルヌカン城の謎』―原題
『砲弾の破片』は、本来ルパンが登場しない、まったく独立した
作品だった。全訳版を読んだ人はお分かりだろうが、はっきり言ってルパンが登場しないほうが自然なお話である。ルブランもこの真面目な「愛国的戦争ミステ
リ小説」に、怪盗紳士アルセーヌ・ルパンを登場させる気なぞ毛頭なかったと思われる
(ルパン自身はかなりの愛国者の設定だが)。新聞連載時、そし
て最初の単行本化の際にはルパン登場シーンは存在していなかった。ところが1923年にラフィット社から雑誌サイズ普及版として刊行された際に、ほんの
ちょっとだけルパンが登場するあの場面が加筆される。といってもあくまでポールの「夢枕」に立っただけという印象でもあり、実際には登場してないという言
い訳もできる加筆だ。恐らくは出版社側の要請だったと思われるのだが…
(以上の出版経緯は『戯曲アルセーヌ・ルパン』所収の住田忠久氏
の解説を参考にしました)
本作の日本への紹介は1921年(大正10)の
小田律訳
による
『幽霊夫人』が最初のようだ。ルパンシリーズ
翻訳の帝王といえば
保篠龍緒だが、1922年に雑誌「新
青年」誌上に
『爆弾』という訳題で翻訳を1回だけ掲
載したのみで中止し、その後も各種の保篠版「ルパン全集」に本作は一切納められなかった。1921〜22の段階では原書もルパンが登場しないものだったか
ら保篠龍緒がほとんど手を出さなかったのも分からないではないのだが、その後ルパン登場シーンが加筆されたにも関わらず、また非ルパンものでもルブラン原
作なら「全集」に入れることも多かった保篠も本作についてはその後も無視している。理由としては内容がまともに戦争を扱ったものであり、本国フランスで
も第二次大戦中ドイツに占領された際に本作が「反ドイツ的」として発禁処分を受けていること、ドイツと同盟関係にあった戦中の日本ではなおさら翻訳できな
かったであろうこと、そして戦後は戦争小説という性格そのものが敬遠されたこと――などが挙げられると思う。
まだまだ確認してないことが多いので断定はできないが、この作品の本格的な訳出は1973年の創元推理文庫版
(井上勇訳)まで待たなくてはならなかったようだ。東京創元社
はこれより先に「アルセーヌ・リュパン全集」を刊行しているが、そこに本作は入っていない。その後1971年に出たリーブル・ド・ポッシュ版の原書
から文庫向けに翻訳したとあるので、この作品が実はルパンシリーズでもあるということ自体がこのリーブル・ド・ポッシュ版の刊行によってようやく知られた
ということなのだろう。『オルヌカン城の謎』という邦題はこのときにつけられたようで、この邦題はその後に出た角川文庫版
(1978刊、大友徳明訳)、偕成社「アルセーヌ=ルパン全
集」版
(1982刊、竹西英夫訳)にも引き継がれて
いる。
ところでルパンシリーズの翻訳権はそれ自体がかなり複雑な経緯をたどっており、面倒なので詳しい話は避けて結論だけ言うと、
「1916年以前に出た原書については翻訳独占権がなく、誰が訳してもいい」こ
とになっていた。ルパンシリーズの初期作品に集中して訳本の種類が多いのはこのためだ。1916年以前に出たのは
『怪盗紳士ルパン』『ルパン対ホームズ』『ルパンの冒険』『奇岩城』『水晶の
栓』『ルパンの告白』そしてこの
『オルヌカン城の
謎』だ。
『813』は1910年に出
ているのだが、加筆の上二分冊にされたのが1917年であったため、このルールから外れて独占権が設定された。現在『813』の全訳が新潮文庫と偕成社版
しか読めないのはこのためだ。
『オルヌカン城の謎』はこのルールにギリギリ入った作品だったため、翻訳独占権が設定されていなかった。1971年のリーブル・ド・ポッシュ版の原書発
行でこの存在を知り、ルパンシリーズなら売れると飛びつく出版社が出
るわけだが、本作には肝心のルパンがほんのちょっとしか出てこない。これでは困る――ということで、児童向け訳本では原作を大幅に改造して、ルパンが大活
躍する話に変えてしまうことになる。それが
久米元一の
『地下牢の貴婦人』(偕成社、1972)、
南洋一郎の
『ルパンの大作戦』(ポプラ社、1972)および
久米みのるの
『怪盗ルパン地底の皇帝』(講談社青い鳥文庫、1997)。こ
のうち後ろの2作は現在も刊行され容易に読めるので、読み比べてみると面白い。
☆二つの児童向け改作
ポプラ社の南洋一郎
『怪盗ルパン全集』は全25巻
でひとまず完結、その最終巻として書かれたのが
『ルパンの大作戦』だっ
た。そのすぐあとに
ボワロ=ナルスジャックの新ルパンシ
リーズが発表されたため結局
「最終巻」とはならなかったのだが、ルブラン原作は全て消化しており、ルパンがほんのちょっとしか出てこない本作は「最後のおまけ」としてリライトされた
ようにもみえる。この「全集」では
『魔人と海賊王』(ジェリコ公爵)や
『悪魔の赤い輪』(赤い輪)『血ぞめのロザリオ』(赤い数珠)といったルパンが登場しないルブラン作品もすでに
収録していたが、微妙に登場する本作の取り扱いにはかえって困ったようで、思い切ってルパンが大活躍するストーリーに大幅に改変している。
「はじめに」で南洋一郎はこう書いている。
かれは不正な大金持ちや貴族からぬすんで、貧民や孤児院、老人
施設、慈善病院に名をかくして、大金をきふしました。こうして「怪盗紳士」といわれるようになったのです。
読者のみなさんもルパンが「どろぼう」だけど「いい人」だと思っているでしょう。しかし「どろぼう」は悪いことです。いくら貧民や孤児のためといって
も、許すことはできません。
だから、みなさんはルパンが善良な性格だけをあらわした話を読んだら、きっと胸がすかーっとすることでしょう。そういう話が一つあるのです。それがこの
『ルパンの大作戦』なのです。
全訳版ルパンを読んだ方はお分かりのように、広く一般に流布している
「不
正な大金持ちから盗んで貧民や慈善事業に寄付する」というルパン像はほぼ南洋一郎が勝手に作り出したものだ。日本には「義賊」
鼠小僧次郎吉の例
(これも史実では義賊なんかではなかったが)もあるからこうし
たほうが子どもに分かりやすかろうという判断もあったろうし、南洋一郎自身がクリスチャンでもありかなりのモラリストであったために子どもたちに「悪人」
の冒険話をストレートに語るのはマズイと考えていたのも理由だと思われる。実際本国フランスでは「犯罪小説である」ということで学校の図書館に置くなんて
言語道断だったという話をNHKのドキュメンタリーで見たこともある。
しか
し「ルパンが善良な性格だけをあらわす話」で
少年少女読者が本当に
「すかーっ」とするのかは大疑
問
(笑)。やっぱり「怪盗」というアウトローだから人気が出てるんじゃないの?とツッコミたくなる文章なのだが、ここに南洋一郎が執筆にあたって子ども向け
の「啓蒙」の意識を強くもっていたこともうかがえてくる。
さて『ルパンの大作戦』の改変部分だが、物語全体の基本構造にはほとんど手を加えていない。序盤のポールの父親殺害を回想する部分は、ポールが少年期か
ら青年へと成長する過程に再構成して分かりやすくしているほかは前半にとくに変更点は無い。ただし中盤からオルヌカン城周辺の戦場で怪しい動きを見せる
「軍医中
佐」が登場、これが実はルパンだった、ということで以後はルパンが物語の主導権をにぎっていく。原作では
『続813』の結末で死んだと世間では思われてい
るルパンだが、南版ではシリーズの年代順はあいまいになっている上に「自殺」の展開もカットされたためそのことは一切出てこない。あまつさえ戦争が勃発す
ると
「アルセーヌ・ルパン」の本名のまま志願して軍医になっていると
いう設定。いくらなんでも逮捕されるだろっ!とツッコんじゃうところだが、一応
「ジョッフル元帥の特別推薦」という言い訳はついている
(笑)。なお、この「ルパンが戦時中はボランティアで軍医をやっていた」という設定は、南版全集の
『ルパンと時限爆弾』(ボワロ=ナルスジャックの模作「火薬庫」が原作)でもチラッ
と顔を出している。
他の大きな変更点としては、原作でいったん舞台がベルギー領内の戦場に移る部分がカットされている。逆に原作では大戦の序盤のみが描かれているにも関わ
らず、本筋から脱線してその後のヴェルダン要塞の攻防戦や「銃剣塹壕」の戦争哀話が語られ、さらに戦後間もない1924年に南洋一郎自身が激戦地跡や経済
破綻したドイツを旅した時の体験談が挿入されている。ここにも南の少年少女に
対する強い「教育」「啓蒙」の意識がうかがえ、平和の尊さを強く訴える内容にもなっている。
ただ現代の観点からすると少々気になるのはあくまでフランスの立場からのみの愛国心・戦争論が濃厚で、ところによっては原作以上にフランスびいきに見
えるところだ。原作ではそれほど主張されるわけでもない
(というよ
りフランスでは当然の前提なのでわざわざ書かないのだろうが)「アルザス・ロレーヌ奪回」のテーマもより強く打ち出されており、原作には無
い終戦までの経緯が語られて「アルザス・ロレーヌを象徴する女神像の喪服をとる」場面でルパンが感涙するなんてシーンもついている。
またドイツ皇帝ウィルヘルム2世の描かれ方も原作とはかなり異なる。原作でもルブラン自身の遠慮もあってかそう悪くは描かれないドイツ皇帝だが、『ルパ
ンの大作戦』ではルパンと皇帝が『8・1・3の謎』で出会っていることになっているためかなり親しげに口も利くし、放蕩息子を思いやる優しい父親の一面も
描いている。そして敗戦後、退位してオランダで亡命生活を送るウィルヘルム2世のもとをルパンが訪れ、「一市民」となった皇帝とルパンが平和を語らうとい
う全くオリジナルのラストシーンが付け加えられた。これはこれでいいシーンなんだけど、史実のウィルヘルム2世はその後も復位の野心満々で1930年代の
ヒト
ラーの台頭に期待し、ナチス・ドイツのパリ占領に祝電を送ったりしてもいるのだが、逆にナチスからは警戒されて帰国も許されぬまま寂しく死んだ、というこ
とも知っておいて欲しい。
もう一つの児童向け改作、久米みのる氏の
『怪盗ルパン地底の皇
帝』は、1997年に講談社「青い鳥文庫」入りしたものだが、調べてみると1973年に講談社「名作選怪盗ルパン」の10巻に同じ久米穣
(みのる)氏による
『地底の王国』があり、こちらが
オリジナルなのではないかと思われる
(現時点でそっちは未確認なの
だが、久米元一・南洋一郎のリライトも同時期である)。なお、どうも2007年から本書のタイトルは「地底の皇帝!」とビックリマークつき
になっているようだ(笑)。
「地底の王国」だの「地底の皇帝」だのといった凄いタイトルを初めて見たときは「いったい何の話だろう?」と思ったものだが、要するに物語中に出てくる
ドイツ軍によるフランスへの地下トンネルの話をよりスケールアップしているのだ。確かに最初のほうにトンネル計画を進める段階でドイツ皇帝が地下にいる場
面があるにはある。しかしそれだけのことであり、なんだかSFじみたタイトルにひきつけられて読んでみた子どもも「なんだこりゃ?」と拍子抜けしちゃうの
ではなかろうか。南洋一郎のルパン全集にも少なからず子どもの興味を引きやすいオリジナル題名があるが、ここまで来るとほとんど詐欺という気もする
(笑)。
こちらもストーリーのおおまかな展開は原作に沿っている。序盤の回想部分は南版と同様に主人公ポールの少年時代から青年期への成長をじっくり追う形に変
更されている。少年時代のポールが父と独仏国境付近を旅し、父親がアルザス・ロレーヌがフランスのものだと強く主張する原作に無い場面があるのも南版と一
緒。
ルパンの登場もやはり中盤からなのだが、こちらはエリザベートが死んでしまったと思いこんだポールが拳銃自殺しかけるところにルパンが飛び込んでくる、
という南版より劇的な展開。実名の「アルセーヌ・ルパン」で軍医中佐をやっているところも南版と同じだが、すでに死んだという話になってるところは逆に原
作に近い
(ただし「青い鳥文庫」では「813」はないのでその辺の
説明はない)。それと『ルパンの脱獄』で語られた彼の過去の経歴のなかで
「サン・ルイ病院のアルティエ博士のもとで医学を勉強した」と
あるのをもってきてルパンに医術の心得があることに裏づけを加えている。
また舞台をオルヌカン城周辺に絞って、ベルギー領内の戦場が舞台となる部分を全面的にカットしてる点も南版と同じ。
久米版の大きな特徴は先述のように「地底の皇帝」なんてたいそうなタイトルをつけちゃった手前、兵士を乗せる地下鉄が走っていたり、地下の大要塞があっ
たりと原作の「トンネル」がかなり拡張・整備されていること(笑)。ラストにエルミーヌ伯爵夫人が大爆破をやっちゃうところは南版と同じなのだが、南版が
オルヌカン城を爆破するのに対して久米版ではこの地下大要塞を爆破してしまう。失敗をさとったエルミーヌが自決してしまう
(原作では銃殺刑)のも南版・久米元一版と同じだ。とらえたコ
ンラッド皇子にベルナールがギロチン処刑の「ふり」をしてからかう場面は、原作にもそれに類するものがあるとはいえ直接的にギロチン台に乗せておどすとい
う、より「悪質」(笑)なものになっている。
また戦争の展開を分かりやすくするためか、ドイツ皇帝とコンラッド皇子が開戦前に作戦を立てるシーンが追加されており、ベルギー領内を侵犯・突破してフ
ランスへなだれ込むいわゆる「シュリーフェン計画」(後述)をコンラッド皇子が立てちゃったことになっている。第一次世界大戦については久米氏自身が巻末
の解説で子ども向けにわかりやすく説明しており、原作とは関係ないが戦車や飛行機、巨砲が登場した悲惨な戦争であることを紹介して、やはり平和の尊さを訴
えているところも南版とよく似た点だ。
ただしラストは南版と大きく異なり、原作にしたがって物語は大戦の序盤のみに限られ、ルパンが「あと二年は続くだろうな」と悲観的に予言するところで終
わる。ルパンは戦争が終わるまで野戦病院で軍医としてはたらくというのだが、
「ああ、一刻も早く世界に平和がよみがえり、わたしがまた怪盗稼業にもどれる
日がこないかな」と嘆息し、悲しげに去っていく。これはこれで久米版独特の「怪盗観」をまじえた余韻のある終わり方だ。
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