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「ジャン=ルイ事件」(短編、「八点鐘」第5編)
LE CAS DE JEAN-LOUIS
初出:1921年12月「メトロポリタンマガジン」誌に英訳発表 1923年1月「エクセルシオール」紙に仏文発表
他の邦題:「ジャン・ルイ事件」(保篠訳)「ジャン=ルイの場合」(新潮・創元)「実の母がふたりある男」(ポプラ)など

◎内容◎

 レニーヌとオルタンスがパリ市内を散歩中、いきなり目の前で若い女性がセーヌ川に飛び込んだ。ただちにレニーヌが彼女を救出するが、その女性は 恋人との結婚が不可能になったことを知って二度も自殺を図ったのだった。何やら複雑な事情があると察したレニーヌとオルタンスは、ブルターニュに赴いてそ の恋人「ジャン=ルイ」に会う。なんとジャン=ルイには「実の母親」と名乗る女性が二人もいたのだ…!



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆オルタンス=ダニエル
26歳の赤髪の美女。

☆ジャン=ルイ
誕生時の混乱で「二人の母親」を持つことになってしまった青年。

☆ジュヌビエーブ=エイマール
ジャン=ルイの恋人。結婚が破談となったと知って自殺未遂を繰り返す。

☆ジュヌビエーブの父
ジュヌビエーブ=エイマールの父親。自殺未遂を繰り返す娘を心配する。

☆セルジュ=レニーヌ公爵
謎の青年公爵。セーヌ川に身投げした女性を救ったことから事件に首を突っ込む。

☆ドルミバル夫人
ブルターニュの遠洋航路の船長の妻。ジャン=ルイを息子ルイと信じる。

☆ボーボワ夫人
バンデ地方の行商人の妻。ジャン=ルイを自分の息子ジャンと信じる。

☆ブシニョル
ジャン=ルイの誕生に立ち会った元助産婦の老婆。


◎盗品一覧◎

なし。


<ネタばれ雑談>

☆シリーズ屈指の「珍事件」?

 偕成社版の訳題は「ジャン=ルイ事件」となっているが、新潮文庫および東京創元社版では「ジャン=ルイの場合」と題されている。原題をみればLE CAS DE JEAN-LOUISで、「CAS」は英語で言う「CASE(ケース)」だから「事件」でも「場合」でも一応かまわないわけである。ただ内容からいうと「これって“事件”か?」と思っちゃうような珍事なので、「場合」としたほうがしっくりする、という判断があったのかもしれない。

 短編小説は出だしが命。この話ではいきなり目の前で投身自殺が起き、それをレニーヌが川に飛び込んで救出するというショッキングなすべりだして、一気に読者をストーリーに引き込んでしまう。レニーヌことルパン「ぼくはいままでに、十二人くらい若い身投げ女を助けましたよ」(偕成社版、長島良三訳)と言うほどなのだが、ここで救出した女性の人数は新潮文庫版(堀口大學訳)では「半ダース」、東京創元社版(井上勇訳)では「十人以上」となっており、食い違いがある。僕が見つけた原文では「une douzaine de jeunes noyées」となっていて、やはり1ダース=12人ということになると思うのだが、底本により異同があるのかもしれない。どっちにしてもルパンがよく口にするホラのたぐいという空気もあり、何人だろうと問題ではないのだろう。

  その自殺の原因をつきとめ、自殺願望女性の命を救うことが今回の目的となるのだが、これがなんとも珍妙なケース。誕生時の混乱のために、同時に出産した二 人の女性のうちどちらの子なのかが分からなくなり、憎悪をむき出しにして争う「二人の母親」を抱えて悩む青年という設定は、オルタンスで なくても失笑してしまう。そんな物凄い偶然の悲喜劇が起きちゃうなんて…と思いもするが、今日でもたまに赤ちゃん取り違え事件が話題になることはあるし、 創作作品でもしばしばとりあげられるテーマだ。ルブランのオリジナリティは取り違えではなく片方が死んだことにして、どちらが本当の母か分からないがため に大変な修羅場を抱えている設定にしたところだ。

 現在だったらDNA鑑定で決着がつくところだが、当時は血液型判定すらできない。そこでレニーヌが持ち出す解決策は…
  そもそも「事件」「犯罪」ではないんだから、その解決もフェアでなくていいんですよ、という解決策。真相が明かされてオルタンス同様にあっけにとられた読 者が多いはず。こんなウヤムヤな解決って推理小説としてはどうなのよ、という声もあろうが、べつに本格ミステリをやってるつもりは作者にもないのだろう。 本格ミステリとしても評価が高い『八点鐘』だが、「秘密をあばく映画」といい、本作といい、アイデア勝負の小噺もいい味を出してると思う。だいたいこれまでのシリーズでも大ボラ吹いて事件を解決するというのはルパンが得意とする作戦の一つ(嘘つきは泥棒のはじまり!)だ。「これで八方丸く収まる」という解決策なのは確かだし。


☆あなたいったいいつの間に?

 トリックというほど大げさなものではないが、この話ではさりげなく読者をあざむく仕掛けがある。
 ジャン=ルイの 語った誕生話を「嘘だ」と断言し、動揺を誘ったうえで元助産婦をオルタンスに呼びに行かせる。そしてその元助産婦の口からまったく意外な「真相」が語ら れ、みんながそれに驚きつつ受け入れる。それが誰もが内心受け入れたかった「真相」だからなのだが、実はそれはレニーヌが事前にその元助産婦に吹き込んだ ものだったと明かされるのだ。オルタンスともども、読者もここで驚かされる。「えっ!?いつの間に会ってたの?」と。
 レニーヌによるとカルエーの町に到着した朝のうち、ホテルでオルタンスが身支度をしている間にブシニョルを見つけ出し、三分間でストーリーをでっち上げ、1万フランで買収して演技をつけるという速成芝居を打ったというのだ。女性の身支度となると時間がかかるから(この時代ならなおさら)、1時間かそこらは時間があったのではなかろうか。毎度スピード勝負のルパンならではの即興作戦だが、この元助産婦さんがしっかり演技してくれることに全てがかかっているという、かなり危なっかしい作戦ではある。
 トリックというのは、もちろんレニーヌがそんな工作をしているとは、文章上では全く読者に知らされていないこと。最後まで読み終えてからもう一度その工作をしていたはずの時点の描写を読み返すと…

 翌朝十時に、列車はカルエーについた。昼食をすませてから、十二時半に、ふたりは土地の有力者から借りた自動車に乗り込んだ。(偕成社版、長島良三訳)

  これだけである。ホテルについての記述はないが、よく読めば十時にカルエーの駅についてから恐らく正午にとったと考えられる昼食まで2時間ほど時間がある ことがわかる。当時の、それなりに上流に属する淑女の同行する旅行であるから、町についてまずはホテルに部屋をとりここで身支度、というのは説明の必要も なく普通に想像される行動でもあっただろう。これが読者をあざむく仕掛け、一種の叙述トリックだ。まぁここまであっさり核心部分をカットしてるとフェアと はいいがたいだろうが、最後に読者を「あれ?」と思わせて読み返してみると…というのもこの短編の楽しみ方ではないか。


☆ブルターニュ地方への旅

 ノルマンディー方面に出かけることが多いルパン・シリーズだが、本作はブルターニュ半島が舞台。ブルターニュが舞台となるのは『奇岩城』(ほんの一部だが、ブルターニュ地方のレンヌ周辺が出てくる)『ルパンの結婚』(結婚式が行われるサルゾーが舞台)『三十棺桶島』(ブルターニュ半島南部からグレナン諸島が舞台)に次いで四度目となる。連作シリーズでしばしばパリから遠出するのも『八点鐘』の特徴だ。
 
 レニーヌとオルタンスはジャン=ルイに会うために、ジュヌビエーブが身投げしたその日の晩にブルターニュ行きの夜行列車に乗った。パリ発の時刻は不明だが、目的地のカルエー到着は翌朝の十時だ。ここから8kmほどいったところに「エルスバンの館」がある設定。
 事件を解決してジャン=ルイともどもパリに帰る途中でレニーヌがオルタンスに真相を明かすのはガンガン(新潮文庫では「ギンガム」)の 駅。地図で確かめるとガンガンはカルエーのやや北方にあり、鉄道路線を確認するとパリ方面から直結する鉄道本線はガンガンを通っていて、カルエーへ伸びる のはその支線のようだ。列車の便はこちらのほうがよかったので帰りは自動車をここまで回したのだろう。タネがバレないうちに大急ぎでカルエーを離れる必要 があったとも思える(笑)。

 ところでジュヌビエーブといえば、『813』に 登場するあの娘と同名である。この事件は『813』以前の年代なのだが、あの子もすでに成長していた時期には違いなく、レニーヌがこの事件でジュヌビエー ブの命を救うべく奔走する理由に「同じ名前の娘」ということもあったんじゃ…と思ったルパンファンって結構いるんじゃないかな、と。


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